アリスと笑う猫
「ただいまー。」
やっとのことで帰ってきた家に、声は無かった。
そういえば、今日は夜勤だった、かな。夕食は作ってくれてるかな。
案の定、暗い食卓にはラップが被さったご飯とおかずと、味噌汁がメモとともに置かれていた。メモには、“温めて食べてください”とお母さんらしい文字が書かれている。
夕食は冷めきっていた。
ふと、携帯を見るとお父さんから“遅くなる”とだけ打ち込まれたメールが届いていた。
なるほど今日は独りだけのご飯かと、私はそう理解して、夕食を手早く済ませた。
私は二階の自室に戻って、部屋着に着替えながら、今日を振り返る。
今日だけでも沢山のことがあったなと、果たしてこれは今日一日で起こったことか疑うくらいに今日という情報が多すぎた。こんなのは今日だけかもしれないと思う反面、もしかしたら明日も、これからの三年間もこんな情報の多い日を過ごすと考えると、頭が大変なことになりそうだ。
何もないよりは遥かに良いけど。
そんなことを思っていると、下からインターホンの音が聞こえた。
今日何かあったかなと思い、階段をのろのろと下りて、ドアを開けた。そういえば、心当たりのないのには出るなってお母さんは言ってたと、思い出したのはこの後だった。
ドアの外に居たのは、今朝出会ったばかりの人だった。私服であれど浮いているマフラーと、今朝と同じにやけた顔と。
「…玲音さん?」
その言葉に彼はさらに笑った。
「こんばんは、アリス。」
私はどうしようもなく、怖くなって叫びそうになった。
けれど、彼はそれを慌てて制止する。よほど想定外だったのかハンカチで私の口元を覆った。
「ああ、待ってアリス、ごめんって。」
いや、この状況は完全にアウトだと思う。多分目撃者が居たら勝てるアレだから。
「確かに急に来たのは悪かったけど、用事があるだけだから叫ばないで、ねえアリス。」
用事、用事って何かあったかな。私もう少しで窒息する勢いなんだけど。
「んー、んー!」
「…どうしたの、アリス。」
玲音さんはそっとハンカチを外す。
「…用事聞く前に死にますから、それ!」
「あ、ごめんそこまで考えてなかった。」
そんな茶目っ気たっぷりに笑っても無駄だけど。こっちは死にかけた身だから。
「それで、用事ってなんですか。」
「用事?用事はこれなんだけど」
「あ、ちょっと待ってください。」
「どうかした?」
玲音さんは不思議そうな顔をした。
「いや、どうして私の家を知っているんですかと。」
「んーだから、これ。」
玲音さんは質問に答えずに手を出した。
そこには、私の家から学校までの道順が印刷された紙が綺麗に折り畳まれてあった。