Teach.8 よろこびを、おしえて。
「ふぁぁ…眠い…」
私の思う、心の底からつまらないという負のエネルギー。それは私の意識と全く関係なく、大口を開くもとになる。
ここは、大学の講義室の中。だけど、今は講義を受けているわけではない。むしろ休憩時間で、ゆっくりしていていい時間なはずなのだ。
さっきまで講義を受けていた人はほぼ全員、その席にはもういない。だいたいは他の人のところへおしゃべりをしに行ったり、講義室を出て誰かと電話したり…とにかく、何かと人とのコミュニケーションを取りに行っている。
私は、それを批判するつもりはない。それはそれでうまく世渡りしていけばいいと思う。だけど、だからといって私が同じ行動を取るというのはありえない。
一人が好きなのも去ることながら、人と関わることが苦痛だった。
何かというと流行りに乗っかったり、悪口にも似たゴシップ的な噂話だとか…そういうことに関わるのが嫌なのだ。人の作ったものに大勢の人が流されて、一体何がしたいんだろうと思う。
だから私は、いつも一人でいる。話しかけられれば適当に話を合わせるけれど、積極的に私からどうするということはなく…
「じゃん!」
そんなことを考えていた途中、それは突然のことだった。
真正面のテーブルの向こう側から、男の顔が出てきた。
さすがに驚いた。ほおづえをついてどこを見るわけでもなく考え事をしていたところに、何かが目の前に飛び出してくれば、それこそ私の意識とは関係なく反応してしまう。
「ははは、驚いた驚いた」
腕を組んでテーブルに置き、顔を前に出してきたこの男は、どこか見覚えのあるものだった。
「どちらさまだったかしら」
「なっ、オレのこと忘れられてるのか…ちょっとショックだな。高校3年の時一緒のクラスだったっていうのに」
「そうだったかしら」
いつものように適度に話を合わせる。この男が高校で一緒のクラスだったということは分かっていたけれど、あまり関わりたくなかった。あくまで今は、という話なんだけど。
というのも今、この男は女をとっかえひっかえしているという噂がある。
他にも最近では聞かなくなったけれど、色目を遣って告白させてはふっているという、男をもてあそんでいる噂のある女もいたっていう話だし、随分と軽い人がいる大学のようだ。もっとも、この男もそれに流されているだけなのかもしれない。
「まあ、それはともかくだな…いつも暇そうにしているけどいいのか?つまんなさそうな顔して」
「私の自由でしょ、そんなの。私は一人でいたいと思ってるんだけど」
「うん、知ってる」
いとも簡単に言ってくれる。その言葉と正反対の行動をしているということを認めているのだ。
「そっちは暇じゃなさそうだから私なんかに構ってないで違うところ行けば?」
「随分とオレは嫌われてるよーで」
「そんなことはないわ。私は気を遣ってあげてるのよ」
私はこうして一人でいることに慣れている。だから、いきなりこうして話を振られることにも慣れていない。
それに、理由はまだあるんだけど…
「気を遣う、ねぇ…何に気を遣ってるとかはだいたい想像がつくが」
「分かってるならその狙ってる人のところに行きなさいよ」
今、私はどんな顔をしているんだろう。ちゃんと普段どおりの顔をして話せているだろうか。とても心配だった。
「しかしおまえも噂好きだったとはな」
でも、その心配以前に聞き捨てならないことをその男は言った。
「噂好きなんて、心外だわ」
「ああ、そうだと思ってたんだけどな。でも現にオレの噂を鵜呑みにしてるだろ?」
確かにその通りだった。私自身でもこれは矛盾していることだと思っている。でも、どうしても意識してしまって…
「さっきはあくまで客観的な意見を言っただけよ」
「じゃあ、噂はウソだと思ってくれてると」
「ウソっていうか…」
「じゃあ信じてるってことなのか?」
いつの間にか、なんだか迫力に押されている気がする。私の言葉に間髪入れずに返してくるからだろうか。だから…
「…信じたくない、って思ってる」
今まで出そうとしていなかった、私の本音がここで出てしまった。
「オレも同意見だ」
そして、私との間に一時の緊張が走った後…
「信じていて欲しくなかった」
そっか…結局、私も同じだったんだ。むしろ振り回されていたのは、私の方。
噂が本当でないと知った今は、素直に気持ちを言える気がする。
でも、それを打ち明けるのはまだ先の話。
噂に負けないくらいの関係を築いてからにしたい。
だからその日が来るまでは、今まで一人でいたぶん…
二人でいられるよろこびを、おしえて。