願いに遠き混沌の“夜”
・平和な町の上空に、紫の宝玉が浮かんでいる。
道行く人々には、宝玉の姿が見えない。まして、『“そいつ”が意思を持っている』事に、誰も気付きはしないしだろう。
宝玉は、突如多量の煙を吹き出した。
地上は紫の煙で蔓延し、『それ』を浴びた者達は『影を残して』消えていく。やがて太陽は隠れ、空は闇に染まった。
とある『例外』を除いて......。
(ほら見ろ、皆“夜”を待ちわびているじゃないか。
人はみな、自分の不都合を他人のせいにして、自分より輝くものに八つ当たりする。
己がその『恩恵』を受けている事に気付きもしないで。まあいっか、そんなに夜が好きならくれてやるさ。
永久に絶えぬ、混沌の夜をなァ......さァ、最高のショーを、始めようぜ!)
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千堂夕日が“異変”に気付いたのは、担当編集者に完成した原稿を送ってしばらくたってからだった。
気が付くと、キーボードに突っ伏したまま眠ってしまったのだ。
「なんか、いやに暗いな......。」
窓辺に近づき、カーテンを開く。
空は真っ暗、人通りもなく、まるで町全体を海の底に沈めたかの様だ。
「やっば、もう夜中じゃん!」いつもならそう言って仕事机に戻るところだが、今日は何かが“違った”。
それが何なのか、しばらく夕日には分からなかった。
恐らく、この時もう一度空を見なければ、気付かなかったであろうささいな違和感だ。
「見えない......。」夕日は、思わず声に出した。
この時期、この窓から見える市役所の裏山、その真上にはオリオン座が見える。
ところが、今はそれが見えないのだ。
予報では、今夜は快晴とあったはず。曇ったにしても、何となく夜空の色合いがおかしい。恐る恐る腕時計を見ると、デジタル時計はこう指している。
『p.m.14:00』
「午後、2時......!?どうなってんのよ。」
焦って外に出る夕日。幸いケータイはつながる様だ。
窓から見た通り、真っ暗で閑静な町並み。その上人っ子一人通らない。
見知った町とはいえ、さすがに気味悪さを感じる。
「お願い、出てよアネキ......」
コールは続くが、いくら待っても姉は出ない。
「そうだ!陽太と胡蝶ちゃん、あの子達はどうなったかな。」
当てが有った訳ではない。だが、責任感の薄い彼女とはいえ、かわいい甥達の安否を思うとじっとしてはいられなかった。
まずは学校へ......!!
しばらくろくに使わなかった足の筋肉を奮い立たせ、陽太達の学校へ向かって走り出す夕日。
背後から、不気味な影の様なモノが迫っている事など、気付きもしなかった......。
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千堂陽子が『その異変』に気付いたのは、お得意の契約先と電話をしている最中だった。
「分かりました。では、来週ふじみ野駅前のカフェ『カリブ』で待ち合わせましょう。では、失礼します。」
電話を切った陽子は、なぜだか周りをキョロキョロと見渡し始めた。
“何が”というわけではない。ただばく然と、しかし明らかな“違和感”が、彼女の心にべったり染み付いている。
数秒経ってから、彼女はようやくその正体に気付いた。
思わず席を立ち、彼女は声に出してつぶやいた。
「皆、どこへ言ったの......!?」
オフィスには、彼女以外誰もいなかった。
仕事に入ると周りが見えなくなるのはよくある事だが、それにしたってこんな事は初めてだ。
部屋の外に出てみる。誰もいないばかりか、足音も物音もない。
海の底に沈んだかの様だ。
だが、彼女はそんな事気にかからなかった。
昼過ぎだと言うのに、窓から見える空模様がまるで真夜中の様に真っ暗だったからだ......。
ビルから出てみる。見間違いではない。やはり真っ暗だ。
にもかかわらず、建物の明かりだけがこうこうと付きっぱなしになっている。
『異様』という他にない。
不意に、“何か”の気配を感じた。それは必然的に、身の危険をも思い起こさせる。
と同時に、彼女にはそれ以上の気がかりが出来た。
(陽太は、それに胡蝶ちゃんは無事なの......。)
それは偶然か必然が、誰に言われる訳でもなく、彼女はいつの間にか、息子たちの学校を目指していた。