第2章 第1節 復帰
『ムムント』から対価は貰った。家、所属、そして欲しかった日常。
・
誰かのやかましい笑い声、机や椅子を動かす音。教室の喧騒が懐かしい。自分が“こっち側”に戻ってきたことを実感し、涙が出そうになった。
「大丈夫?」
顔に両手を当てようとしたその時、突如視線の先を掌が遮った。それが上下に振られているのを見て、僕はハッとする。
「あ、ああ、大丈夫」
「そう?」
横から回り込むようにして、声の主が僕の前に姿を見せた。その動きに合わせてボサボサな髪の毛が揺れる。そして彼は、完璧な笑顔で僕に笑いかけた。
「俺は日向美琴。これからよろしくね」
彼の笑顔は作り物めいていた。僕の苦手なタイプだ。取り敢えず笑い返しておく。
沈黙が降りた。
「変な名前だね」
言って、しまったと思ったが、後の祭り。好かれたいと思わない分、彼に対して遠慮が無くなってしまった。渋面を作る僕に、日向は苦笑いを浮かべて言う。
「よく言われるよ。男の子なのに美琴なんだ、とか、あと日曜の日に向うって書くんだけど、“ひなた”って読まれたりとかね」
その僕の失言を何とも思っていないような言いぶりに、ホッとした。
その時、キーンコーンカーンコーンと飾り気のないチャイムが鳴った。日向が時計を確認する。その緩慢な動作に、逆に僕が慌てた。
「戻らなくていいの?」
「ああ大丈夫。まだ時間になってないから。——たまにあるんだよね、こうゆうこと」
日向が頷き、言う。僕はその言葉を聞くと、サアッと血の気が引くのを感じた。心臓がバクバクいうのが聞こえる。
「大丈夫?」
日向が覗き込んできた。僕はガクガクと頷き、震える足を叱咤して立ち上がる。ガタン、と音がして、数人が振り向いた。
「ちょっ、と具合悪いから保健室行ってくる」
「え、うん、分かった」
驚く顔は一瞬。一緒に行こうか、と優しい声がかけられる。僕は首を横に振った。
「先生に上手く伝えといて」
「了解。任せといて。他に何かある?」
日向が落ち着いた声で訊く。僕は一つ頷いた。足が震える。焦りが心臓を締め付ける。それでも、僕は言わなければならないことがあった。
「心配してくれてありがとう。ほんとーー」
すると日向は笑った。その笑顔に言葉を失う。
「心配くらい幾らでもするさ。友達が困ってるんだからね」