第1章 転身
知らない人にはついて行ってはいけません。誰もが母親から口を酸っぱくして言われることだろう。でも僕には、児籐翔太には、母親というものがいない。父親も12のときに亡くした。そこから孤児院を経、現在僕は齢16歳にしてホームレスだ。
いつものパン屋に行く途中だった。彼に出逢ったのは。
「やあやあ君が児籐君かい?全く細いったらありゃしない!ちゃんと食べてる?」
黒い燕尾服にシルクハット、そこから覗く白い髪に同じ色の口髭。突如現れたおじいさんは、満面の笑みで僕を見る。
「なにボケっとしてるんだい?君は選ばれたんだよ!おめでとう!」
彼は僕の手を取り、ぶんぶんと降った。僕はあっけにとられて何も言えない。
「すぐそこに車を用意しているからね。早く行こう!」
こうして僕は、齢16歳にしてあっさりと誘拐された。
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「……どこですか?ここは」
車はある学校の校門の前で停まった。篠ヶ丘高校。知らない学校だ。僕の問いに、おじいさんが助手席から降りながら答える。
「分からないかね。学校だ!」
「見れば分かります。そうじゃなくてですね」
僕も続いて車を降りた。見ると、おじいさんが開け放した校門をくぐろうとしている。
「ちょ、何してるんですか!」
「何って、学校に入るのさ」
「見れば分かります!じゃなくて、学校ですよ!?不法侵入ですよ!?」
「だって私学長だからね」
僕は絶句した。おじいさん、改め学長はじっとこちらを見ている。見れば分かります、なんて言ってやるもんか。
・
校庭を突き抜け、校舎に入る。日曜であるせいか人がいない。外来用のスリッパに履き替え階段を3回登り、着いた先は『多目的教室』だった。そういえば選ばれたとか何とか言ってたな、とふと思い出す。この部屋で魔術とかをやってたりするんだろうか。その犠牲者に選ばれた、とか。そんな嫌な想像が脳内を侵食した。
しかし、それは裏切られた。もちろん良い意味で。
「ういっす!元気にしてたか?」
「うっわ!……なんだ学長かあ」
学長が扉をガラッと開ける。そこにいたのはトランプに興じている3人の男女だ。
「何?新入り?やったー!」
「おい由美、気が早い」
3人の内唯一の女子が声を上げた。長い髪に少しウェーブをかけている。それを真向かいの黒髪短髪の男子が嗜めた。
「まあいいじゃない、実際そうだし」
学長の言葉に、僕はギョッとした。聞いてない、そんな話。後ずさった僕を見て何を思ったのか、もう一人の、少し癖っ毛の男子がはははっと笑って言う。
「なんか色々大変そうだけど、これからよろしくなー!」
その言葉に、その笑顔に、僕はまあいいか、と思ってしまった。3分の2明るい人だし、さっきまでトランプやってたし、何より僕が入ることを喜んでくれている。僕は一つ頷いた。
「これからよろしくお願いします」
僕はすぐに、頷いた事を後悔する事になる。
・
「皆合雄馬。よろしく」
「向田由美です。よろしくね!」
「俺は奈城達巳!よろしく!」
黒髪短髪、女子、癖っ毛の順で自己紹介をされた。皆合が始終不機嫌そうな顔つきだったのに対し、向田と奈城はニコニコしている。僕は名前を口の中で復唱し、そして本日2度目のよろしくお願いしますを言った。
学長がこほんと咳払いを一つする。僕は学長の方を見た。
「それでは教えしんぜよう。この部活、『ムムント』について」
そして学長は口を噤んだ。僕の方をじっと見つめる。何かを求めるような視線に、しかし僕は何も応える事ができない。息苦しい沈黙が降りた。どうしろっていうんだこの状況。
僕が頭を抱えていたそのとき、皆合がはあと溜息を吐いた。そして言う。
「なんですかそれは」
棒読みで、変わらない仏頂面で。しかし学長は気に入ったらしい。満面の笑みを浮かべた。
「ふふふ、よくぞ訊いてくれた!」
そして学長はまた一つ咳払いをする。一々態とらしい。
「いいかい少年、『ムムント』とはね……街を秘密裏に護る戦士の集団なんだよ」
「はあ?」
僕はつい気の抜けた声を出した。そんな、漫画じゃないんだから。
「集団っていっても3人……君を入れて4人か。まあこれからもっと増える予定だから。楽しみに」
「ちょ、っと待って下さい。全然分からないんですけど」
僕が口を挟むと、学長はポカンとした顔をした。そしてああそうか、と呟く。
「ならもう一度言おう。『ムムント』とはね……」
「そういう問題じゃないんです」
「そういう問題なの」
向田が横から言った。
「敵がいて、私たちはそれを倒せばいい。これから仲間が増える予定だから、負担は軽くなっていくはず。こういうこと」
「な、なるほど……」
全然分かりません。
「まあ習うより慣れろ、だな」
皆合が言う。
「明日チャイムがそれと分かるように鳴るから、そしたら部室集合。いいな?」
「……分かりました」