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流行にのった短編

ああ、愛しき我が息子たち!

作者: 小宵

長いです、ありきたりな乙女ゲー設定ですが、それでもよろしければどうぞ。

 古より続く尊き血を受け継ぐ娘、それが魔法大国マクシビリアの現女王、マリアルージュ・マクシビリアである。

 燃えるような真紅の髪を腰まで伸ばし、火の粉を思わせるような黄金の髪飾りが真紅の上で踊っている。

 紅に縁どられた輪郭の内にはすっと通った鼻筋、ニヒルに釣りあがる唇、そして人のものとは思えないほど強い意思を宿した黄金の瞳がそこにはあった。

 しん……と静まり返った中、口を開いたのは歩くことさえままならないほど歳をとったよぼよぼの老人。


「女王陛下、ご決断を」


 歯が少ない老人は聞き取りずらい声で、しかしはっきりとマリアルージュを見据えて言った。

 くっとマリアルージュの唇がさらにおかしげに釣りあがる。


「ふむ……お前に言われるとさすがの私も弱い。……しかし、なぁ?」


 王座の先に跪く五人の男をにやにやと観察し、もう我慢できないと言うふうに突然笑い出した。

「陛下!」と隣でよぼよぼの老人……昔は有能な宰相であったが今は相談役として残り、マリアルージュの信頼が最も厚いとされているオーフェが小さくマリアルージュを叱咤する。

 それでも尚笑い続けるマリアルージュに痺れを切らしたのは、右から二番目に跪いていた外ハネの金の混じった橙髪を背中になびかせる茶眼の美青年である。

 眉を釣り上げ、ばっと顔をあげた。


「陛下はこのダンヒル公爵家現当主ウォーレンス・ダンヒルが役不足だとでも仰るか!? ……っ」

「……ウォーレンス卿? 陛下は発言を許しておりませんが?」


 そのさらに隣に居た魔法騎士の白で統一された軍服に身を包んだいかにも好青年と言うに相応しい青年が俯いたままでウォーレンスに向かい殺気を放つ。

 何人かがその殺気に息を飲む音が聞こえた。


「ははは……はー笑った。いい、構わん許す。だからそう脅すな、ライ」

「はっ」


「……っ、この犬がっ」と毒を吐くウォーレンスを意にも介さず、ライは更に頭を垂れた。

 さらりとまっすぐな金髪が揺れた。


「皆、面を上げよ」


 すっと顔を上げた面々の顔をゆっくりと頬えづきながら確認する。

 ある者は不機嫌そうに、ある者はしっかりと目線を合わせて、ある者は無表情に、ある者は睨みつけるように、ある者は和かに。

 しかし余りにもマリアルージュが不躾に見つめ……もとい観察するため、ライを覗いて皆居心地が悪い思いをしていることだろう。


「陛下」

「ん? ……ああ、オーフェ。何だったかな、もう一度言ってくれるか」


「全くあなたは……」とオーフェはこほん、と息を整え、きりっと言うのだった。


「我がマクシビリア国歴代最強の魔法力をお持ちの偉大なるマリアルージュ女王陛下。……どうか、貴方様に相応しき伴侶を選び、ご世継ぎを産んでいただきたい」

「……ぷ」


「ぷ?」とオーフェが首を傾げた瞬間、偉大なる女王陛下は腹を抱えて大爆笑。

 呆気に取られる面々を残して、広間には笑い声が響いていた───。






+++




ウォーレンス・ダンヒル

 現公爵家当主。金の混じった橙髪に茶眼。長く伸ばされた外ハネのトゲトゲの髪はそのまま本人の性格を表すよう。

 主人公の従兄弟。幼い頃から喧嘩ばかりしていた。

 主人公の努力をずっと見つめてきた。釣り合う男になるため影ながら自身も主人公に恥じぬよう絶えず努力する。

「……お前に相応しい男はこの俺だ。俺を選べ。それ以外は認めない」


ライ・コナー

 魔法騎士。真っ直ぐな金髪は項に沿うように綺麗に切りそろえられ、澄んだ青い瞳は理性を感じさせる。

 主人公の下僕。主人公の強さに崇拝している。

 幼い頃から主人公の側近として傍に侍る。

 内に狂気を秘めているが故に己を導いてくれる主人公の傍に有り続けようとする。

「ずっとお傍におります。愛しい人。全てはあなたの御心のままに」


バイロン・シーザー

 研究者。深緑の髪を緩く束ねている。前髪をアンバランスに長く伸ばし片目を隠している。黒目。いつも無表情であまり感情を露わにしない。

 魔法が使えない無能として迫害を受けていたが、その莫大な知識と計り知れない応用力を買われ、王宮に召抱えられる。

 その発端を作った主人公に感謝している。

「他の誰でもない、あなたの望みならば。……あなたに差し上げる……この、俺自身を」


セーファス・ツェザーリ

 同盟国の第三王子。やや長めの銀髪に紫のつり目。いつも挑戦的な瞳で人を見る。

 この世で最強の力を自負していたがライとの一騎打ちに破れ、それ以来ライを目の敵にする。

 ライにひどく執着されている主人公に興味をもつ。

 きっと強いに違いないと何度も一騎打ちを申し出るがその都度ライに阻まれ打ちのめされる。

 向上心の強い少年のような心を持った青年。

「僕はあいつに勝つ。そして、君を手に入れる。……覚悟しておいて」


チェルノ・ブレンダン

 宰相。オーフェの孫。黒髪をかきあげるようにして後ろに流している。人を挑発するような黒眼。大男。

 人をからかうのが好き。主人公を娘のように可愛がっている。

 先祖帰りと期待を寄せられる主人公が潰れないよう、厳しくもいつだって手を差し伸べてくれる甘い面も。

「頑張れ。お前ならできる。俺はいつだってお前を信じている」


マリアルージュ・マクシビリア(名前変更可能)

 主人公。魔法大国の女王。たっぷりとした燃えるような赤髪に獣のような金色の瞳。

 まさに女王様、と言う勝気でわがまま……を装ってはいるが、若くして王位を受け継ぎ、先祖返りと期待され続ける事への不安や恐怖を必死に隠している。

 皆に望まれる強く気高い名君になるべく、日々努力を重ねる。

 オーフェに婿を取るよう迫られ、しぶしぶ婿選びを始める。

 男に興味なし。国のことしか考えていない。

「恋? ……これが? 思考が著しく鈍る……邪魔な感情だな」


 ……これが私が考え(・・・・)私が作り上げた(・・・・・・)世界の設定(・・)である。

 

 目の前に広がるファンタジーは私の妄想の産物であり、夢でもあり、仕事でもある。

 乙女ゲーム制作会社のシナリオライター、それが過去の私。

 キャラデザインを担当する友人に頼み込まれて数多くの作品を生み出してきた。

 その中でも個人的趣味をこれでもかと詰め込んだ作品がある。

 それが、今現在、なぜか主人公マリアルージュになってしまっている私が居る世界、『クイン・スカーレット』だ。

 それはもう、自分の命を注ぎ込んだ作品だ。

 目を血走らせ、友人と腐女子トークを炸裂させながら魔法、逆ハーレム、ツンデレ、主人公無双、ヤンデレ、溺愛、剣……などと単語を並べ無理やり全てを繋げて作った渾身の作。

 私の記憶が正しければ私は過労死だ。

 うむ、本望である。

 友人の描いた絵はまさにドンピシャで私の妄想をいく重にも広げた。

 

 自分好みのキャラが五人、目の前に並んでいる。

 しかも逆ハーレムだ。

 このゲームは相手をどう攻略していくか、ではなくどう攻略される(・・・)か、と言う乙女ゲームだ。

 初めから皆マリアルージュに懸想を抱いている。

 恋愛に全く興味のない主人公を、どのキャラがマリアルージュに恋を自覚させるか。

 ある時は天然で交わし、またある時は理解できないと遮断し、またまたある時は仕事を優先させて。

 ありとあらゆる色男たちの切なくも可哀想で可愛い胸キュンシーンを詰め込みまくった。

 ノーマルエンドはハーレムエンドと同意。

 ハッピーエンドは唯の個別溺愛エンドである。

 そしてバッドエンドは……失恋し拗ねていじけ初恋をこじらせる男たちの切ない葛藤をぐふふ、と楽しめる仕様になっている。

 どれがあなたにとってのグッドエンド? を売り文句にしていた。

 そんな自分の欲望の世界に私は転生してしまった。

 もしくは自身の妄執がひどすぎて見せている幻ではないかと産まれたそのときから何度も自問した。

 実は現世で植物状態で夢の中にいるのでは……と。

 だって、考えられるだろうか?

 この世界を作ったのは私なのだ。

 この世界の歴史も、これから起こりうる全ての事象も……皆の台詞一字一句まで鮮明に思い出せる。

 ……全ては、私の中に。

 

 初めは「なんて痛いんだ……私」と落ち込んだが、十代になる頃にはどうでもよくなった。

 体で感じる感触・感覚に、一応夢ではないことが分かっただけで十分だ。

 幼少期はまるで観光地を巡るようにあらゆる場所に視察に行き、友人と共に設定した建物の大きさや魔法で浮いているインテリアやどんなに散らかしても元の場所に戻る物などを嬉々として観察した。

 マリー・アントワネットの世界観が好きだったのでその頃の資料を集めてそれに似せた。

 実際に視察すると自分の設定の甘さが垣間見え、悔しい思いをした。

 隣にいたライが嬉しげに悔しがる私を不思議そうに眺めていたものだ。

 そして、誤算はまだあった。

 人だ。

 ウォーレンス、ライ、バイロン、セーファス、チェルノは私が考えた、私好みのキャラクターだ。

 皆それぞれに魅力的で素晴らしい人物だった。

 子供の頃はああ、こいつ今私のこと好きだと自覚したな……などと微笑ましく他人事のように考えていたのだが、思春期に入るとそうも言っていられなくなった。

 優しい気遣い、甘い言葉、力強い目に逞しい身体。

 皆違った魅力と色気がある。……私が設定した通り。

 なんというか、恋愛というのは駆け引きを楽しむものだ。

 色気全開で口説かれて、初めこそ「ああ、そう。こういうのを待っていた」とうっとりしたが、どんな台詞を紡ぎ、どんな表情をして、どんなふうに迫ってくるのか全て知っているのだ。

「ああ、ちゃんとできたね。えらいえらい」とそんな心境になるのも無理はない、と思う。

 言わば私はこの世界の創造主に等しい。

 今私が座っているこの玉座でさえ、私が生み出した。すぐそばに置いてあるあの水差しも、グラスも。

 全てが私の生み出したもの。

 よく芸術家が自分の作品を我が子に例えるが、まさにこの世界は私の子供のようなもの。

 心から愛している。でも、それを恋にすることはできない。

 だって、彼らは私の息子も同然なのだ。

 

 しかしそれでは私の世界が壊れてしまう。

 なにせ彼らは国の統治のために奔走していたら勝手に惚れるのである。

 国の要人である彼らを取り込まねば国は成り立たない。

 その結果として誰かと恋に落ちなければならない。

 ウォーレンスは従兄弟だがもう家族同然で近すぎて恋愛対象にはならない。

 セーファスは今回の件で保留となったが元婚約者が居るから問題なし。

 チェルノは人当たりもいいしいい大人だ、こちらも大丈夫だろう。

 問題はライとバイロンだろうか。

 ライは女王に執着しすぎている。他の者と違って女王以外を愛することは皆無だろう。

 何しろヤンデレだし。

 バイロンは人間不信で女王以外とは全くコミュニケーションを取ろうとしない。

 放って置いたら死ぬまで引きこもりだ。

 この二人のどちらかを婿に……と思ってルートに入ろうとしたのだが、予想以上に皆うざかった。

 国公認で女王を口説ける権利を得た男たちときたら。

 言う台詞も行動も知っているはずだったのに……甘かった。

 四六字中誰かが傍にいる。

 仕事中でさえ侍るようにして。

 夜中になれば誰かに夜這いをかけられそうになる。

 一人だけのプライベートな時間なんて皆無だ。

 はっきり言って、邪魔の一言に尽きる。

 考えてみたらゲームと言うのは自分の好きな時間に好きなだけするものだ。

 したくない時はしなくていい。


 それが、ずっと、一生プレイ中になるのだ。


 寒気がした。

 鬱陶しいことこの上ない。

 かゆい、痒いぞ我が息子たちよ!

 私を笑死させるつもりなのか!?

 

 ああ、早く独り立ちしてくれ……母はもう疲れたよ……。

 実際仕事が忙しすぎてそれどころではない。

 誰だ、女王は超多忙と言う設定にしたやつ。私だ。

 

 マザコン集団の処ぶ……ゴホンっ! こんなことでは孫の顔が見れないではないか!

 母の唯一の楽しみをなんと心得る!

 次世代が紡ぐ物語を私に見せておくれ!


「お前たち……いい加減にしないと婚期を逃すぞ? さっさと嫁を連れてこい」

「……お、前ぇぇぇ! 嫁はお前だろうが!」

「陛下をお前呼ばわりしないでください、殺します」

「……あなたに望まれないなら、外にいる意味はない。研究室に戻る」

「わざとなの? わざとだよねぇ?」

「ほら、早く退出するぞ。……身体を冷やすなよ?」

 

 うむ、最近はぐらかしすぎで皆一様に目がぎらついている。

 少々怖い。

 例えるならば飢えに苦しむ獣。

 やめてくれ、母を視姦するでないっ! 近親相姦だけは専門外なんだよっ! 萌えないんだよっ!

 前世で兄弟が多かったせいか、リアルで考えると寒気と吐き気がしたのを思い出す。

 

 というか、今は深夜。

 ここは私の寝室。

 夜這いで鉢合わせと言うハーレムルートのシチュエーションである。

 ばいん! と発育のいい健康美を惜しげもなくさらけ出す、ベビードール。

 もちろんスケスケ。

 寝るときはブラは着けない派であるため、少々不味い。

 が、寝る一択である。

 毛布を頭まで被り、「おやすみ」と言う。

 ひやっと冷気が入り込んだ、と思ったら「うっ」と言ううめき声と共に暖かさが戻る。

 足首をするりと撫でられたかと思えば「貴様、何をしている!」と言う大声と共にその手が無くなる。

 ぎゅっと毛布ごと抱きしめられたかと思えば「処刑」と言う淡々とした声とともに空を切る音と共に軽くなった。

 エトセトラ、エトセトラ……。

 耐えられぬ。

 顔だけを毛布から覗かせ、ぎゃーぎゃーと言い合い、と組み合っている5人を睨む。


「……明日の私の予定を言ってみろ」

「「「「「……」」」」」

「チェルノ」

「あー……早朝、軍部の士気を上げるため訓練場の視察。それが終わり次第災害により半壊した伯爵領へ寄付金・人員の投与と共に激励の言葉を陛下自ら送られるとのこと。朝食はこの間の移動中に行なって頂きます。その後南方で発見された金剛石が取れる鉱山へ。現状把握のため現地が見たいとの仰せでしたのでここを通り、日が沈むころに帰城予定です。視察のため本日は多めに執務を終わらせて頂けましたので、その後の執務はいつもよりは少ないとは思いますが、セーファス殿下の兄君が来国致します折のパーティに呼ぶ招待客の選別及び最終決定を。ある程度私の方で選別は致しますが、これだけは明日中にお願い致します。それと……」


 すっと手を翳し、チェルノにもういいと示す。


「寝る。お前たちも寝るなら大人しくしろ。黙っているならばここで寝ることを許可する」

「「「「「……」」」」」


 ふ~終わり終わり、と毛布をかぶり直すとぎしっと寝台が深く沈む。

 それはそうだろう、男5人分の重さだ。

 くすりと目を閉じたまま笑が溢れた。


「ちゃんとできるじゃないか。いい子たちだな……」

「「「「「……」」」」」


 意識が遠のく中、ぐすんと誰かが鼻を啜る音が聞こえた気がした。






+++ウォーレンス+++



「おい、マリア! 止まれ、こっちを見ろっ!」

「仕事中だ」


 ライを従わせ、チェルノと何かを話ながら俺の方をちらりとも見もしない。

 大股で歩くマリアを追う俺も自然と大股になる。

 俺は何年こいつの背中を追いかけているのか、もう分からない。


「マリア!」


 ヒステリーを起こした女のような叫び声だと自分でも思う。

 しかし叫ばずにはいられない。

 マリア、お前は俺が見えているか?

 マリア、お前は俺を置き去りにするのか?

 マリア、お前は俺なんて必要ないのか……?

 ぴたり、と追いかける脚が止まる。

 燃えるような真紅の髪がどんどん遠のいていく。

 駄目だ、と思うのに視線が床をさ迷う。

 努力を重ねても、マリアには敵わない。

 隣に立ちたいのに、気づけばいつもマリアの後ろを走っている。

 幼き日、まだ十になったばかりのマリアが、両親の死と共に王位を賜った。

 急にマリアと遊べなくなって癇癪を起こすばかりだった俺とは違い、幼さを理由に軽んじられぬようマリアは実績を積んでいた。

 バイロンを発掘し魔法が使えない貧民街に”科学”を提供し、世界で唯一貧民街が存在しない豊かな国を創り出した。

 今では貧民街と呼ばれた街は商業の中心となり、国の生活水準を上げている。

 民衆の支持率を集め、魔法を重んじる元老院を黙らせたのだ。

 ライを情報収集と称し冒険者ギルドに放り込み、当時神童と名高かったチェルノを味方に付けた。

 教会や貴族にも寄付金と称した賄賂を怠らず、今の地位の地盤を作った。

 十と言う年齢で、綺麗事だけでは生きていけないと言うことをマリアは既に理解していた。

 その最たるが俺の父……元公爵家当主なのだから笑えない。

 幼きマリアを傀儡にし、俺と番わして王位を乗っ取るつもりだったのだから。

 幼馴染の死にものぐるいに王位にしがみつく、その姿。

 あの頃のマリアの目は、常に血走っていたように思う。

 元々気が強かったマリアだから、きっと全て終わるまで泣き言一つ言わないのだろう、そう思ったら、居ても経っても居られなかった。

 俺はどうしてここにいる? 俺はいつまでこうしているつもりだ! と。

 全ては父の魔の手からマリアを、民を守るために。

 出来ることから一つずつ、確実に。

 でも。

 そうじゃない、こんなんじゃないんだ。

 もっと、早く、役に立てるようにならないと、マリアに置いて行かれる。

 焦りばかりが先立って、空回りして。

 ……助けてくれたのはやはりマリアだった。

 

『ウォーレンス、お前が必要だ。力を貸してくれ』


 そう言って俺に手を差し伸べたマリア。

 父を断罪し、十六と言う若さで俺は公爵家当主となった。

 マリアの誇れる領主になろうと必死だった。

 気づけば何年もマリアに会わず、領土を豊かにすることだけを考え突っ走っていた。

 周りのことも見られるようになり落ち着いてきた、そんな時、元宰相のオーフェから婚約者候補として召集されたのだ。

 

 マリア、マリア。

 俺はお前に望まれて隣に立ちたい。


 マリアの立場を考えれば、俺たちの扱いが適当になるのも仕方がないことだと理解できる。

 気を許しているからこそ、ここまでぞんざいに扱われる……果たして喜んでいいのか悪いのか。

 色恋に惑わされず、国のより良き未来を望むその姿は、この国に産まれた一貴族として、誇りに思う。

 でも、俺は……。


「おい、ウォル。早く来い、置いていくぞ」

「っ」


 ばっと顔を上げれば少し離れたところでマリアが振り返り、手を差し出していた。

 久しぶりに愛称を呼ばれ、さっと頬に朱が走る。


「な、なんだと! お前、俺を犬猫のようにっ……!」

「そんな顔しても怖くないぞ」


 はは、と笑うマリアを見て、泣きそうになる。

 お前は、俺が遅れそうになると、いつも歩を止めて振り返るんだ。

 

「ウォーレンス、確か領民の顔と名前を全て記憶していたな? あれ、どうやって覚えたんだ? 教えてくれ」

「……? 領主として当たり前のことだろう」


 はーっと深くため息をついたマリアに追いつくと、隣で苦笑しているチェルノを押しのけて横に並ぶ。

 こんにゃろう、と女王にあるまじき言葉遣いで胸を軽く小突かれ頭に疑問符が浮かぶ。


「……くそ、覚えてやる……国民全員把握してやる……! あーもう、ウォーレンスがそんなだから私も気が抜けないんだ。少しでも気を抜いたら失望されそうで怖いよ」

「……は?」


 目の前には、幼き日、一緒に遊んだ女の子の笑顔があった。


「ウォルが目標でいてくれるから、頑張れる。ありがとう」


 どうして、お前は。

 

「あー……ライ、チェルノ下がってくれ。しばらくしたら遣いをやる」


 マリアが言えば二人は文句も言わず大人しく従う。

 つ……と頬を伝うひとしずく。

 マリアが仕方ないな、と俺の背に腕を回した。

 溢れる涙を拭いもせず、頭を掻き抱くように抱きしめる。


「マリア、マリア……!」

「ん、なんだ? どうした」


 抱きしめるのと同じ強さで抱きしめ返してくれるのが、嬉しくて、誇らしくて。

 友が交わすような色気など微塵もない固い抱擁。

 ああ、この胸からあふれる気持ちをどう収めたらいいのか分からない。

 濡れた頬を滑らかな頬に擦りつけ、小さな耳に唇を寄せた。


「……マリア、あいし「あー!」……あ”?」


 突然叫ぶマリアにドスの聞いた底冷えするような声が出た。

 身体を離せばキラキラした瞳で俺を見上げてくる。


「戸籍! 戸籍作ればいいんだ! なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだ! ギルドでは普通のことじゃないか! 国民に普及させれば……! ウォル、ウォーレンス! ありがとう!」

「おま……!?」


 首に飛びつくように抱きつかれ、頬にぶっちゅー! と口づけられた。


「じゃ、この話詰めていくから。まずはチェルノに話して……ああ、まだるっこしい! 私が行く! ではまたな、ウォーレンス! 愛しているぞ!」


 ちゅっちゅっと投げキスをしながら走り去る女王を前に、俺は脱力してその場に崩れ落ちた。




+++ライ+++



 ドラゴンスレイヤー、それが初めに与えられた私の称号。

 産まれた時から力が強かった。……ドラゴンでさえ、簡単に屠れるほどに。

 元々伯爵家の次男で幼いながらもいくつもの功績と称号を持っていた私はマリアルージュ様がお産まれになってから、侍従としてお傍にあった。

 九つ年下の女の子。

 この方が私の一生を捧げる相手か、と穏やかな笑の下では淡々と事実だけを受け止めていた。

 転機はマリアルージュ様が十と少したった頃、両陛下が御隠れになり、マリアルージュ様が王となったこと。

 私は情報収集として冒険者ギルドに放り込まれた。

 否……逃がされたのだ。

 十の少女王、乱世にならぬ訳がない。

 何からも守り抜き、この命を散らすつもりだった。

 しかし、マリアルージュ様は私を不要だと、遠ざけたのだ。

 許せなかった。 

 私が離れれば、御身は誰が守るというのか! と吠えた。

 後にも先にも、あのように声を荒らげたのはあの時だけだ。

 マリアルージュ様は事も無げに「自分の身は自分で守る」と仰った。「証明してやる、かかってこい」とも。

 九つも年下の少女に、仕えるべき至高の主に対して、この時ばかりは頭に血が登り、気づけば忠誠を誓ったはずの剣に魔力を纏わせて飛びかかっていた。

 

『奢るな。ライ、お前は弱い』


 剣を、折られた。

 何が起こったのか分からなかった。

 ただ、マリアルージュ様の背後に現れた魔方陣から死の香りが漂う。

 黄金の瞳の瞳孔が縦に細く鋭くなり、人間の目とは思えなかった。

 これが、始祖と同じく莫大な魔法力を持って生をこの世に受けた者。

 ……完全なる、敗北だった。

 今まで一度も経験したことのないことに、事実が上手く受け入れられない。

 力とは畏怖の象徴だった。

 産まれて間もない私は有り得ない怪力で伯爵家の主屋を半壊させたらしい。

 気味悪がった父は私を処分させようとしたが、母の慈悲(・・)によりモンスターが多く住む森に捨てられた。

 壊して、殺して、その繰り返し。言葉もしゃべれず、学もない。

 森が跡形もなく消え去った頃、廃られてから九年の歳月が流れていた。

 長い眠りの時についていた森の主であるレッドドラゴンの怒りにふれ、獰猛な叫びと共に煉獄の炎をこの身に受けた。 

 その時無意識に身体に纏う防御壁、初めて魔法を使った。

 それでも壁を溶かすように炎が襲い、鋭い爪が襲いかかる。

 先程使った魔法の感覚を思い出し、身体により密接に纏う……身体強化、これが最も得意な魔法となる。

 石を鋭く削って作った武器も手の一部として身体強化に巻き込むと、余りにもあっけなく、一撃でドラゴンは倒れた。

 森の残骸が、ドラゴンが放った炎により大規模な火事になる。

 業火に抱かれ、ドラゴンの死骸をただ見ていた。

 いつの間にか炎がなくなったかと思えばローブにすっぽりと身体を覆った魔法使い達がいのだ。

 森が家で、森が故郷で。自分の手で壊した。

 これで終わりなんだと思っていたから、されるがままだ。

 連れて行かれて、少しの教育を受けたあとマリアルージュ様に巡り合わされた。

 何もなかった私は、マリアルージュ様と共に学び成長する。

 命令され敷かれたレールをただ歩けばいいだけ。

 なんて簡単なんだろう。

 両陛下は仰った。マリアルージュ様を生涯守り抜けと。

 なんて、簡単な。


『奢るな』


 知識が身につき、言葉を理解すればするほど、皆と違う自分に、この力に嫌悪していたはずなのに。

 無意識に、私はこの力に慢心し他を見下していた。自分が特別な存在だと思い上がっていた。

 私の守るべき御方は、私の力など必要としていなかった。

『まぁ、心配はしていないが死ぬな。私に一撃でも加えることができたらまた側近に迎え入れてやる、精々足掻くことだな。ああ、情報収集も本当の理由だし、お前には民衆の支持率をもぎ取って貰うために私の紋章をその背に背負ってもらう。受ける依頼はこちらで指示を出すからそれ以外は受けなくていい。あと、民には愛想良くな。愛想笑いと言うものを身に付けてこい』

 にやりと真っ黒な笑を浮かべるマリアルージュ様にうっとりと見惚れた。

 

 もっと、もっと強奴はいないのか。

 どうか私の糧となってくれ。

 あの方の傍に戻るために、あの方に再び……支配されるために。

 何かに向かって努力したことなど今まで一度もなかった。

 命を刈り取るたび、あの方に近づけると思うと楽しくて歪んだ笑となる。

 二年、二年だ。

 マリアルージュ様は早すぎると笑っておられたが、私には永遠の刻のように思えた。

 もう何度目か分からない挑戦状を片手に決闘を申し込む。

 主の背後を初めてとったあの日、歓喜に心が震えた。

 跪き頭を垂れると、マリアルージュ様より賜った剣を手に取り剣先を私の肩に。


『生涯、私に尽くせ。人に言われたからではなく、己の意思で私に着いてこい。弱き者たちの中で飼われるな、満足するな。優れていると自負しているならば、見合った者たちの中で揉まれろ。常に上を目指せ。下に底がないように上にも天井など存在しない。……この二年殺し尽くした感想はどうだ? 楽しかったか? 苦しかったか?』

『……これからは、御身をお護りする剣となりましょう』


 剣先が私の顎を捉え、顔を上げさせる。


『いい顔になった……。しかし、必要ない』

『っ』


 一撃を食らわせることができれば側近に召し上げてくれると仰ったではないか! と錯乱しそうになったのを押しとどめて。


『その剣、これからは育むために使え。……では、初めの任務だ』

『は、はいっ!』


 焦土と化した森に戻り、ドラゴンの卵を探してこい──、陛下はそう仰った。

 陛下が言うには私が森を壊し尽くしてからドラゴンが現れたのには訳があるらしい。

 産卵期にあった雌の個体であったため身重で動けなかったのだと。

 ドラゴンは卵の中である程度成長してから孵るため、そろそろ生まれるかもしれない、それを保護し育てること。

 ゆくゆくはドラゴンを保護対象とし、ドラゴンを騎獣として育て最強の部隊を作りたいなどと仰る。

 正気の沙汰ではない。しかもそれを私に任せようとしている。

 不可能だ。

 ……しかし、陛下の目は本気だった。ドラゴンと同じ、黄金の目で私を見つめる。

 不可能とは微塵も思っていない、『お前ならば造作もない、そうだろう?』と確信に満ちた目を細めている。


『ライの力は素晴らしい。ライに敵うものなどこの世から居なくなるだろう。私を含めな。しかし個人で強くても意味はない。私は国全体で強く、逞しくなりたい。……協力……いや、違うな。命令だ。私のために、世界最強のドラゴン部隊を作れ』

『はっ』


 殺さずに育むことが、あれほど難しく苦痛に満ちることだとは思いもしなかった。

 個人を見つめ、伸ばし時には調和をとる。

 訓練に着いてこられず一般ではどこまでが限界点なのか探ることさえ難しかった。

 まだドラゴンの方が簡単だ。獣は力に屈服するから。

 オーフェ殿に婚約者候補として名を連ねられた折、なんの冗談かと思ったが、陛下の命令通り世界最強のドラゴン部隊を作り上げ、指導者もすでに育て上げた今、陛下の傍にできるだけ侍ることのできる地位は何よりも魅力的に思えた。

 陛下のために命令を遂行するのも至高の喜びではあるが、やはり、私は陛下の御身をお護りする近衛でありたい。

 御身をお護りする権利が、欲しい。

 結婚などに興味はない。

 私は陛下に支配され、一生傍に居られさえすれば、それだけで。


「ライ、お前私の種馬になる気があるか?」

「ご命令とあれば」


 その身をこの腕に抱くなど、恐れ多いことではあるが……目の前に惜しげもなく晒されている裸体に何も感じないわけではない。

 ちゃぷん、と風呂の水が波をたて響く音が耳に大きく聞こえた。

 私はバスタオルを片手に同じ空間で待機している。

 ぶくぶくと浴槽に顔半分を沈めた陛下が何やら唸っていらっしゃる。


「……うーん、でもなぁ……ライは一度許すと箍が外れるからなぁ……」

「陛下? ご気分でも悪いのですか?」


「忠誠心がそのまま全部恋慕に変わるからちょー重たいんだよなぁ」とぶくぶく言っているので半分も聞こえない。

 どうやら独り言のようだ。

 ざばっと勢い良く立ち上がり浴室をそのまま退出しようとする陛下の頭にバスタオルを掛け、バスローブを持って待機する。

 軽く髪の水気を取った陛下の片腕に袖を通し、そのままお着せする。

 放っておいたら前も結ばないずぼらさは仕えるものにとっては世話をすることが多くて喜ばしい限りだ。

 御前に失礼し前を閉じていると、髪から滴った水が私の手の甲を濡らしていく。


「……鋼の理性だな、騎士殿?」

「御身は私にとって至高なのです。人間の欲に穢されていい訳がありません」


 実際、性欲をコントロールする術も身に付けている。

 でなければこんな傍で仕えさせてはもらえないだろう。

 紐で留めて、よしと心の中で小さな達成感に満たされていると、黄金の瞳が暗がりの中怪しく光っていた。


「へ、いか」


 ふっと唇に陛下の吐息が掛かる。

 ドッ! と痛みを伴うほど大きく心臓が跳ねた。

 私を捉えて離さない、黄金がこんなにも、近くに。

 

「くく、悪いな。少し遊んだだけだ、許せ」

「……」


 いとも簡単に距離を取り、バスタオルを私に向かって放り投げ風魔法で水気を一気に取ってしまわれた。

 ……平常心だ、冷静になれ。

 これからも、一生お傍にお仕えするために。




+++バイロン+++

 


 この国で変人奇人役たたずと言えば、それは全て俺を指す言葉だった。

 貴族でありながら魔法を使うことができない俺は成人と同時に家を追い出され城下の寂れた裏路地に家を借り、薬を売って生活していた。

 魔法がなくとも生活できるように”もの”を作り出すことが生き甲斐だった。

 ただそれは魔法を絶対とするこの世界で異端で。

 受け入れてもらうには、それ相応の地位があるか、もしくは地位ある人間に認めてもらわねばならない。

 しかし興味はない。

 成功したいわけではない、認めてもらいたいわけでもない。

 ただ、知りたい。知り尽くしたい。

 それだけなのに。

 幾度となく荒らされる家。突然石を投げつけられ殴られ金を盗まれたこともある。

 ものを作り出したくても、薬を開発したくても、新しいアイデアを思いついても。

 資金が足りない、道具がない、時間が、紙が……。

 窓を割られても元に戻せない……一般人でも使える簡単な修復魔法すら使えない俺は次に来る冬をどうこせばいいのか、もう街ではなく遠く離れたどこかに旅立とうかそんなことを考えていた。

 途方に、暮れていた。

 キィ……と立て付けの悪い扉が嫌な音を立てて開く。

 今度はなんだ? 身に覚えのない借金取りか、ゴロツキどもの憂さ晴らしか──のろのろと顔を上げれば、薄暗い部屋に不釣合な燃えるような髪の女の子が立っていた。

 眉を顰める俺に、子供らしからぬニヒルな笑を浮かべ近寄ってきた。


『お前がバイロンだな。共に来い。お前のために部屋を用意させた。研究も実験もやりたい放題だ。スポンサーになってやる』


 三食昼寝付きだ、来るな? と断られるはずがないという自信に満ち溢れた黄金の瞳。

 当たり前だ、断る訳がない。

 俺は何も考えない。

 知識さえ満たされれば、なんでもいいのだ。


 移り住んだところはまさに桃源郷のごとく。

 広い清潔な部屋、壊しても勝手に修復される高価な実験道具や工具の数々、頼めば欲しいものが届けられる。

 しかしやはりタダではなかった。

 何でも風呂とトイレなるものを作ることが第一条件だった。

 大まかな構造とイメージを教えられていたので作るのは簡単だった。

 それをそのまま部屋に取り付け部屋からでなくても過ごせる完璧な環境にしてもらえたので大満足である。

『一々身体を覆う水球を作るのも面倒だし、用を足した後にそれを見ながら魔法を使うのはもう嫌なんだ、なんとかしろ、早くしろ』と急かされたので作って見たが、これはとても便利だ。 

 呑気に次のことに取り掛かっている間に、城下では水道管工事が行われ風呂とトイレが普及したのを俺は全く知らない。

 もちろん研究成果や開発物の権利はすべてあの時の女の子……マリアに譲渡している。

 家賃変わりだ。作ったあとのことには興味はない。

 それでも権利の版権は俺に残しているらしく、知らないうちに莫大な財産が出来ていた。


『こんなものはいらない……次はどんなものが欲しい?』

     

 俺が作り出したものを見て、手を叩いて喜ぶマリア。

 それを見ていたら、マリアのために何かを生み出すことが楽しくなっていた。

 それにマリアの知識は底知れない。

 何を話しても耳を傾けてさえ貰えなかったというのに、マリアとは会話が途切れることがない。

 楽しい。

 何年かすると従者と言う名の小間使いができた。

 掃除もしてくれるし軽食まで作れる器用な青年だった。

 キラキラとした眼差しを向けてくる青年が気持ち悪い。

 だが、マリアに図書室や資料室を使う際に必ず連れて行けと厳命されているため無下にもできない。

 マリア以外とは目を合わせることさえ苦痛だ。

 どうせ俺を変人扱いする。この時の俺は今までの経験から被害妄想の塊で、人を信じることなどできなかった。

 ある日、図書室に向かう途中マリアに会った。

 金髪青目のスラッとした青年を隣に連れていた。

 対して自分とそんなに年齢も変わらなさそうだが……マリアの隣に立つその姿が様になっており……不快になった。

 マリアが俺に気づく。

 するとその目は細められ、険を帯びた。

 足元が崩れ落ちるような感覚──瞬間。

『ライ』と冷たくマリアが言い放つと、それは既に終わっていた。

 俺の従者もなぜか庇うように俺に覆いかぶさっているし何が何やら。

 ライと呼ばれた青年が一人の魔法使いを捕縛していた。どうやら隠蔽魔法で姿を消していたらしい。

 魔法使いが展開していた魔方陣を読み取り、マリアが嗜虐的な笑を浮かべる。


『私の目の前で、バイロンを誘拐しようなど、お前たちの主は馬鹿なのか? 小娘ごときにバイロンは勿体ないとでも言うつもりか? ……残念だったな、これを見つけたのも、成功させたのも、この私。誰にも渡さない。奪えるものなら、奪ってみろ。この私と敵対する覚悟があるならば、の話だがな!』


 麗しい美女に成長したマリアがそんな顔をして、そんな事を言う。

 研究バカの俺でもさすがにわかる。

 従者は俺の護衛で、俺はマリアに護られてきたのだと。

 これに落ちない男がいるのならばそいつこそ変人だ。

 部屋に戻ったあと事情を聞いた。

 俺は知らない間に国の要人になっていたらしい。

 爵位まで賜っていた。領土は要らないだろうから名誉貴族にしといたと言ってマリアは笑う。 

 今では他国の人間でさえ俺の技術や知恵を求め、面会を迫り国に招きたいとまで言っているらしい。

 激しくいやだ。

 従者でさえ嫌だったのに、マリアが言うから渋々受け入れたのだ。

 あのキラキラした眼差しが尊敬からくるものだと理解したが、それすらおぞましい。

 人々が手のひらを返し態度を180度変えたのだ。

 人間不信に拍車が掛かる。

 信用できるのはマリアだけ。

 マリアさえいれば、マリアさえ分かってくれればそれでいい。

 マリアが俺を要らないと捨てるその時まで、マリアのためにこの、変人奇人と言われた異端の考えを──才能と呼んでくれた、マリアのためだけに使おう。

 よぼよぼのじーさんが俺をマリアの婚約者候補にと言ってきた。

 婚姻を結ぶのならばマリア以外にはありえないだろう。

 子供という存在が出来る過程も少しは気になるし興味があるのは確かだ。

 マリアがまた、俺を望んでくれるのならば喜んでこの身を差し出そう。

 と、ここでマリアが女王陛下であることを知った。

 俗世のことも少しは勉強しなくてはな……と初めて少し反省した。


「バイロン、進んでいるか? 今度は何をしている?」

「マリア」


 従者がすっと身を引く。

 マリアは当然のように俺の机の上をのぞき込む。


「相変わらず節操がないな。んー? なになに……新しい傷薬に、こっちは……ははぁ、運搬用の新しい乗り物か? ふぅーん……そうだな、これが普及すれば馬が必要なくなるかもしれんな。こっちは……あ? 掃除用具? それに、こっちは……農薬か? お前、本当に一体何を目指しているんだ? 面白いからいいけど」

「マリア……重い、のしかかるな」


 嘘だ。背中に当たるどっしりとした重量感たっぷりのそれに軽く動揺しているだけだ。

 

「そう言えば、元貧民街にバイロンの銅像を建てたいと市民から申請が……」

「絶対に止めさせろ」


 商人を黙らせるのは政治家とやり合うのと同じぐらい難しいんだぞ? とマリアがむっとむくれる。

 嫌なものは嫌だ。

 

「ま、だろうと思って否決にしておいた。商会の連中もバイロンの性格は承知の上だし、お前に嫌われて睨まれでもしたら商売にならないからな。絵姿は規制のしようがないから我慢してくれ」

「……まさか」

「各商会の執務室にまるで祭壇のように飾り立てられ奉られているぞ」

「……」


 有名税だ、諦めろと言うが勝手に有名にしたのはマリアだ。

 くくく、と笑うマリアが恨めしい。

 マリアを引きはがし、回転する椅子を回して向き合う。

 足と足の間にマリアが立ち、俺を見下ろしていた。

 手を取り、問う。

 俺は、なんでもはっきりとした答えが欲しい男だから。


「マリア、誰を選ぶつもりだ」

「んー……そうだな、誰を選んでも問題ない。優秀な者たちばかりだ」

「マリア、俺が求めている答えは……」

「誰でもいい。それが答えだ」

「っ」


 俺の凝り固まった表情を動かすのはいつだってマリアただ一人。

 俺の手から手を引き抜き、俯きそうになった俺の頬を挟んで上を向かせた。


「お前たちが、大切だ。好きだよ、愛している。しかし、私が選ぶのは国の利益になるもの故でもある。……分からないんだ、お前たちの言う”愛している”の意味が。私はもう利害関係無しには人間を見られない。お前たちが想いを向けてくれる度、どうすればいいか分からなくなる。確かに愛しているが、皆同列なんだ。種だけの話ならば、誰の子を孕んでも構わないと考えている」 

「……では、これだけは答えてくれ」


 うん? と首を傾げるマリアの手に手を添える。


「マリア、俺が必要か? 俺が欲しいか?」


 すがるように震える声。

 マリアがふっと口角を上げた。


「何を今更。離れたくとも離してやらん。お前はもう、私のものだ。お前の意思など関係ない」

「……そ、うか。なら、いい」


 もちろん、あわよくば選ばれたいと思う。

 だが、俺を拾った飼い主が、俺を捨てる気が微塵もないことが分かった。

 それだけで、十分だ。

 手を下ろし背もたれに深く身を沈めた。


「それにしても、マリアにも分からないことがあるんだな」

「分からない……ではないな。頭では分かる、だが心が理解できずに混乱する。何を捨ててでもこの人ではないと駄目だと縋り付くような狂おしい気持ちは私にはない。ただ、この者は国に必要で手放してはならないと言う使命感はある。……お前も逃してはならない一人だ」


 それが、技術や知識しか取り柄がない俺にとってどれだけの殺し文句になるのか、マリアは全く理解していない。

 恋慕を抱いても無駄だと、頭では理解しているのに、心が言うことを聞かない。

 とん、とマリアの指先が俺の胸を叩いた。


「自惚れるなよ? 確かに私はお前を手放す気はない。だが、それは国にとって必要なことだと判断したからだ。お前が裏切るならば私は容赦しない」

「そんなことっ……っ!!」


 あるわけがない、と悲鳴のような声が最後まで言えずに行き場を無くし霧散する。

 胸ぐらを掴まれ、獣のような瞳が俺を映す。


「裏切る気など起きないほど、骨までしゃぶり尽くしてやるから……覚悟しとけよ」


 地を這うようなその声に、鼓膜を犯される。

 くくく、と笑いながら部屋を出ていくマリアを呆然と見送った。


 ……腰が抜けて指先すら動かなかった。




+++セーファス+++ 


 

  

「ねぇねぇ、僕と勝負しよう?」


 軽やかな声音と睨みつけるような瞳が対照的で、恐ろしいと誰かが言った。

 ドラゴンスレイヤーと名高いライ・コナーがギルドの依頼で僕の国に来た時のこと。

 腕に自信があった僕はライに勝負を挑んだ。

 何でも一番が好きで、褒められるのが好きで……誰かに負けるのが大嫌い。

 第三王子であるのも関わらず、闘争心を抑えることができずに兄上達に毛嫌いされている。

 兄たちを、何をしても追い越してしまうからだ。

 兄弟間の争いを危惧した父上に直ぐに臣下に降ろされそうになった。

 それは正解だ。

 だって僕は勝負事にしか興味がない。それ以外は頑張れない。

 僕が王になってしまえばきっと国はおもちゃになる。

 だがそれは貴族でも同じこと。身分を返上して傭兵に志願した。

 そして、幾度となく聞く噂。

 ライ・コナー、女王の犬。

 女王の紋章を刺繍させたマントを羽織り、女王から直接下賜されたという魔法に馴染みやすい剣。

 少女王を見限り冒険者となったのかと思えば、しっかりと所有物扱いされていた。

 見目麗しいその姿からいつもはむさ苦しいギルドが女だらけで大混雑を招いたという。

 きれいに整った顔が笑を浮かべるだけで誰もが虜となる。

 だが、冒険者たちはその目におぞましさを感じ、誰も近寄らなかった。

 ライを目の前にして、悪寒が走った。何が貴公子だ、何が崇高なる騎士様だ。

 これは、獣だ──。血を求め、世界をさ迷う亡霊のよう。

 これは、野放しにしてはいけないものだ──。

『僕が、君のご主人様になってあげる』。こいつを従わせることができるのは、僕だけだ。

 そう、思ったのに。

 完膚なきまでにたたきつぶされた。

 化け物だ。桁外れの力量に初めて恐怖した。

 僕が優れていると言っても、それは人間の中でだ。

 こんな奴と比べられたら、負けるに決まっている。

 だから、僕も化け物になりたいと思った。

 化け物になって、ライと対等になって、いつか勝ちたい。

 嫌がるライにへばりついて何度も勝負を挑み、負けてまた挑む。

 依頼があると言って断られることも多かったため、依頼を早く終わらせるように片っ端から手伝った。

 邪魔だと殺されそうになったこともしばしばあったが、楽しくて仕方がなかった。

 ライといると、楽しい。ライには殺意しか向けられないがそれすらも心地いい。

 ただ、面白くない時があった。

 一般に出回っている紙よりも滑らかな表面のものに、直筆で挑戦状を書き、懐にしまう。

 剣の柄に口付け、蕩けるような目で剣を何度も愛でる、その人間みたいな表情。

 ライが人間に、脆弱なものになるこの瞬間が大嫌いだった。

 そしてこの時ばかりは邪魔は許されなかった。

 魔法が使えなかったら全治何ヶ月に(そもそも僕でなければ死んでいる)なるか分からないほどの怪我を負わせられ沈められる。

 目が覚めたら落ち込んでいるライが帰ってきているのだ。

 しかし、何回目かのそれ以来、ライが帰ってこない。

 勝ち逃げは許さないと自国へ戻り、同盟国である魔法大国マクシビリアの王宮に入れるよう融通してもらった。

 僕に甘い母上が僕の王籍を返上させるような真似を許すはずがないと知っていたための暴挙である。

 放蕩王子として居ないものとして扱われてはいたが。

 王籍を残しておいてくれたおかげでライを追いかけられるのだ、父母には感謝だ。

 堂々と真正面から王城へ、そして王の間へ招かれた。

 そこで出会ったのは、真紅の髪をもつ少女王。

 ライは居なかったが、それ以前に目の前の存在から目が離せないでいた。

 ……なんだ、この得たいの知れないナニカ(・・・)は。

 膝を、つきそうになった。臣下でもないのに。

 こんな、まだ成人の儀すら迎えていない女の子に。

 頭を振り、未だ震える膝を叱咤すると無理やり笑を作ったのは苦い記憶だ。

 それからずっと滞在している。というか軟禁されている。

 理由はライの作るドラゴン部隊を見てしまったためだ。

 もちろん帰るつもりなどなかったし、ドラゴンに騎獣するライを見たとき興奮し、部隊に入れてくれと女王に頼み込んだ。


『……何というか、憎めない奴だな君は。常に明るく、でも挑戦的な瞳は消して光を失うことはない。眩しいな。愛されて育ったものの自信に満ち溢れた魅力がある。あのライがまとわりつかれるのを諦めてしまうほどの粘り強さだ……許可したほうが時間を無駄にせずに済む。ただし、条件がある。ウォーレンスの妹……この国の公爵令嬢と婚約し、将来はこちらに永住することだ。ドラゴンに乗って君が他国に行くことは許さない。そのまま持ち逃げされると困るからな。もし、他国に出る、もしくは接触した場合、指名手配しいかなる理由があろうとも即刻処刑だ。いつかは許すかもしれないが、それまではやむを得ない場合監視役としてライをつける』


 年下の女の子に苦笑され、まるで弟扱いだ。結婚の世話までされてしまった。

 そして全く信用されていない、当たり前だが。

 それでもやったぁ! と飛び上がって喜びすぐさま訓練に参加した。

 そこで騎士仲間に女王にはライですら勝てないのだと聞き、何度も「戦おう!」と王女にまとわりつく。

 ライの殺気が今までで一番やばい。肌にぴりぴりと刺さる。

 楽しい、楽しい! もうここ以外どこにも行きたくない!


「君、ね。私によく似ているよ」

「へ? 女王と僕が?」


 なんで? と女王を押し倒しながら首を傾げる。

 婚約者候補に選ばれてから、女王は候補に対しての抵抗を一切止めている。

 僕たちは女王を孕ませる資格と権利を持っているから。


「……愛されて、甘やかされて育ったろう。我がままで人の言うことを全く聞かない。何もかも自分の思い通りにしたくてそのためなら何でもする。ただ、私と違うとすれば末子らしく甘え上手といったところか」

「ん~? そうかなぁ、全然似てないと思うけどなぁ」


 無抵抗の女王のドレスを引き下ろし豊満な胸を露出させる。

 顔を埋め柔らかさを堪能しつつ、邪魔なドレスを剥ぎ取っていく。


「くく、そうやって何の躊躇いもなく私を抱こうとしている時点で似ているんだよ。感情と理性を切り離して考えられる……ああ、王族だからか? 別に私と君が特別似ているわけではないのか」

「感情と理性なんて全く切り離せてないよ? 前からイイ女に育ったなー味見ぐらいさせてくんないかなーと思ってたから、やった、と思って女王争奪戦に参加してる。……ああ、この感触、すっげ」

「……君、そんなだったか? 女に興味なんて無いみたいな顔して。聞いたぞ? 花の一つも贈らない婚約者に愛想をつかせた公爵家のご令嬢がぷりぷりと怒ってこれであの馬鹿から解放されますと感謝されてしまったからな」

「ひどいなぁ。これでも大切にしてたつもりなんだけど。味見もしてなかったし……あぐあぐ」


 くすぐったかったのか女王が身を捩る。

 顔を上げてにぱっと笑った。

 手は忙しなく動かしたまま。


「僕、君たちがすごく大好きだよ。僕の一番を簡単にかっさらって蹴落として。絶対に勝ち逃げなんてさせない、絶対に追いつく、絶対に追い越す! まずはライを倒さないといけないけど、取り敢えず夫になって身体から攻めるのもありかなって思うんだ。勝利の形は一つじゃないって女王を見ていたらそう思うようになったから」

「おいおい……責任転嫁はよせ」


 頭をぽんぽんと撫で苦笑する年下のはずの美女は、年上の僕をいつまで経っても弟扱いだ。

 まぁ、甘やかしてくれるというなら甘やかされましょう。


「へへ、すっごく好きだよ。たぶん僕が思っているより、ずっと、いっぱい。だってもうこの国から、君たちから離れられない。僕をこんな身体にしたんだ……責任、とってね?」

「あ」


 無意識な上目遣いをしながら先程味わった至福の時をもう一度……と女王の身体に身を沈め……。

 ばんばんばん! と腕を叩く女王が「あ、って言っただろう」と爆笑寸前だった。

 ぐいぃぃぃっと自慢の銀髪を鷲掴みにされ、身体が後ろに吹っ飛ぶ。

 壁に思いっきりぶつかった。ぱらぱらと崩れるほどに。

 いてて……と起き上がれば予想通りライの後ろ姿。

 

「陛下、今すぐ湯殿へ。お運びいたします」

「おお」


 突然のお姫様抱っこに女王は何やら楽しそうだ。

 これは湯殿から出たあと殺されるかなー……と呑気に考える。

 本気のライと戦えるのなら万々歳だ。


「ねーねー、これおさまんないんだけど。女王置いていってくれな……」

「──ジュディ、餌の時間だ」

「え、えー!? ちょっとジュディ! 僕だよ、僕! っくっそ!」


 窓からぎょろりと黄金の瞳が動く。

 ドラゴンには必ず女性の名をつける決まりだ。

 ジュディは僕のパートナーなのだが、ドラゴン達は皆ライの言うことを最優先に聞く。

 獣の本能で序列を理解しているのだ。ドラゴンとは気高く賢い生き物だから。

 逃げようと立ち上がれば、ライが片腕で女王を抱え直し、掌をこちらに翳していた。


「ちょ、ほんとに待って、だめだってぇぇぇぇーーーーーー!!!!!」


 簡単な風魔法だが、今はそれが命取り。

 風圧に負けて窓付近まで押し出され、ドラゴンの長い舌が身体に巻き付いた。

 

「ま、あーーーーー!!!!」


 ごくん、とまた(・・)丸呑みにされた。

 ……さぁ、溶けるまえに吐き出してもらわなければ養分になる。

 命懸けの日々は終わらない──。








+++チェルノ+++


  

『ちぇるの、ちぇるのー』

『マリア様、こちらですよ』


 よちよちと短い手足を一生懸命に動かして俺を目指す、可愛い姫さま。

 屈んで姫様が来るのを待つ。

 予想通り途中で転んでしまった。

 ライが抱き起こそうとするのを止める。


『姫、マリア様』

『う、う~~~~』


 黄金の瞳いっぱいに涙を溜めるが、大声を出すことははしたないことだと、既に淑女としての教育が始まっている姫様は必死に堪えていた。

 汚れてしまった手で瞳を擦り、また立ち上がる。

 よちよちと、ぎゅっと眉間に皺を寄せて。

 俺の膝に姫様の小さな手が乗せられた。

 俺を仰ぎ見た姫様が、ぱっと顔を輝かせた。

 

『マリア様、よくできましたね。チェルノはとても誇らしいです』

『へへへ~』


 えっへんと胸をはる姫様の可愛さと言ったら。頭を撫でてもみくちゃにしてしまいたい。

 でもそれは姫様の為にならないと、分かっているから。

 燃えるような真紅の髪、黄金の瞳──始祖と全く同じ容姿をもって産まれてしまった、姫様。

 そっと抱き上げるとあまりの軽さに、小ささに、胸が痛む。

 この小さな体に、どれだけの重責が掛かっているのか、姫様はまだ知らない。

 強く、逞しく。

 どんな困難にも立ち向かえるように。

 ……甘やかしてはならないのだ。


『……ごめんなさい、チェルノ』

『マリア様、王族が軽々しく謝罪の言葉を口にしてはいけません』

 

 もし本当にしてはならないことでも、王族が臣下に頭をさげるなど言語道断。

 王とは国そのものと言っても過言ではない。

 王が頭を垂れるということは国が屈伏すると言うこと。

 悪をなしてしまったとしても、それを善に繋げ突き進むしかないのだ。

 王とは絶対である。

 それを臣下に知らしめ、決して軽んじられることなどあってはならない。

 一般人であれば正しいことでも、姫様は、王となる存在。

 臣下に舐められては、国家の威信に関わる。

 国が、終わる。

 

 俺は姫様が産まれる前から、王に仕え、時には諌められるそんな臣下になるようオーフェ爺に育てられた。

 ……理想を押し付けられ、オーフェ爺自身は苦手なくせに剣や魔法も徹底的に叩き込まれ日々勉学に励み、成人してからは宰相補佐としてずっとオーフェ爺の傍で国を支えてきた。

 王妃が懐妊し、国全体がお祭り騒ぎ。

 産まれた子供は始祖と同じ色を持つ、莫大な魔法力を宿していた。

 やっと俺が仕えるべき王が御生まれになる──と期待に胸を躍らせていた俺の気持ちは、姫様を見た瞬間、萎んでしまった。

 始祖と並ぶ王に仕えられる喜びと、将来を約束されたであろうこの方に道を示さねばならぬ重責と。

 次期宰相である俺でさえ、気が狂いそうになるほど不安を覚えたのに、姫様は俺以上の重責を負うこととなるのだ。


『強く、逞しく。私と共にこの国を護り、育てましょう。お手伝い致します』

『共に? ……一人でしなくてもいーの?』


 姫様は生まれながらに王だった。

 帝王学も礼儀作法に執務に至るまで、子供であることを許されていない姫様はその立場を正確に理解し一刻も早く大人になるために、為政者になるために努力を重ねていた。

「王とは孤独なものだ」と必ず誰かが言い、実際その通りであるため、誰も意義を唱えない。

 だからせめて、孤独な姫様がまっすぐに道を歩けるように。

 王の隣に立つなど、勢力を二分する危険な行為。

 隣に立つことは不可能だが一歩後ろに、常に控えよう。

 姫様が振り向いたとき、何も心配などいらないと笑って送り出せるように。

 

『陛下、陛下。……マリア様?』


 即位され、引継ぎに時間を追われやっと一段落した頃。

 姫様が見当たらず、部屋を見渡すと寝台の上の毛布が無くなっていた。

 部屋の隅にこんもりとした物体を発見して、そっと近寄ると毛布の塊は僅かに震えている。

 床に座り込み、毛布ごと抱きしめる。

 そのまま抱き上げて寝台に乗せ背を向けて腰掛ければ、毛布がぴったりと背中にくっついてきた。

 ぎゅっと服の裾を握り締め、ぬくもりを求めるように擦り寄って。

 決して振り向かない。

 小さな身体を一所懸命に虚勢を張って、大きく見せて。

 そんな姫様にしてあげられることは”気づかずにいること”だけだ。

 抱きしめて甘やかすことは簡単だ。誰にでも出来る。

 拠り所も確かに必要かもしれない、しかし一度気を緩めてしまえば、一度逃げ道を作ってしまえば。

 人間など弱い生き物だ。逃げたくなる生き物だ。

 しかし姫様は逃げられない。それを許されていない。

 一生国の奴隷で有り続けなければならない。

 だが俺の心配をよそに姫様は強く、逞しくなられた。

 一度だけ、姫様に誓いを立てたことがある。


『陛下、貴方が望むなら何処までも共に着いていきましょう。それが例え苦難に続く道だとしても。……姫様、俺の姫様。貴方こそが俺のただ一人の王。いついかなる時も、姫様だけを信じ、姫様のためにこの命尽きるその日までお仕えする。俺だけは、一生貴方の味方で有り続ける』


 髪と同じ真紅のベルベットのマントに口づけを落とす。

 姫様が国のために尽くすと言うならば、俺は姫様にのみ尽くしていこう。

 光り輝く王冠を真紅に戴いた陛下がにやりと笑う。


『お前の人生、もらい受ける。……一生、着いてこい。遅れるなよ』

『はっ』


 本当に、ご立派になられた。



「チェルノ」

「なんですか?」

「……チェルノ」

「……なんなんだ?」


 ドスの効いた声に思わず素で答えてしまう。

 最近の姫様は機嫌が悪い。


「……どうしても、誰か選ばないとだめか?」

「お前が望めば後宮だってつくれるぞ」


 軽口を叩けば机から顔を上げ、ひたと俺を見つめていた。

 

「……ウォーレンスは公爵。何といっても血筋で言えばピカイチだ。婚姻時に夫婦としてお互いに情が移りすぎなければもっとも好ましい相手。公爵家を贔屓するようになれば他の貴族が黙ってはいない。故に危うい相手でもある。お前が切り捨てられても、ウォーレンスは優しすぎるからな」

「ライは……まぁ、無難だな。功績を鑑みた上で、お前と血を混ぜたあと優秀な子が期待できそうだ。忠誠心はほかの誰よりも強い。決して裏切ることはないだろう。だが、それはお前と結ばれなくとも同じこと。逃げない相手を縛っても一銭の特にもなりはしない」

「バイロン・シーザー、言わずと知れた天才発明家。彼と婚姻を結べば国庫が限りなく潤うことだろう。無限の財源を手に入れることと同意だ。しかしあの社交性のなさ……何よりも威厳に掛ける。王と女王は国の象徴とも言える。民の理想を演じられる者であることが好ましい」

「セーファス第三王子殿下。同盟国とより密接な関係を築きことができるし、何よりもライに次ぐあの軍事力は中々に捨てがたい。飽きっぽく自由奔放すぎる嫌いがある。なんの根拠があるのかは知らんがあの身のうちから溢れ出す自信は人を引き寄せ魅了する。王族としてのカリスマ性が彼には備わっているのだろうな。そして才能に恵まれたものは信者の多さに比例して敵も多い。面倒ごとは避けられないだろう」


 何の感情も見いだせない黄金の瞳は、それでも俺を見つめる。


「チェルノ……お前が、お前を」

「逃げるのか?」


 姫様がぐっと言葉に詰まった。

 

「俺に恋情を抱いていると言うのならば、喜んで伴侶となろう。王としても、妻としても全力で支える。俺を選べば独裁政治になりかねないと喚く者も出るだろうが、そんなものはどうにでもなるしどうにかする。だが、違うだろう……?」


 知っているんだ。

 いつもセーファスを眩し気に見つめていること。

 

「恋や愛なんて俺から言わせればただの甘えだ。逃げだ。……誰よりも自分に厳しいお前が、そんな感情に左右される訳がない。……俺に、安らぎを求めるならいくらでもやる」


 セーファスは姫様にとって、強烈な光だ。

 直視するのも困難の程の、憧れを抱いている。

 同じ王族でありながら、自由を手にしている、セーファスに。

 自分もあんな風に世界を感じてみたいと、嫉妬に近い憧憬の念を。

 

「……俺は、お前を信じてる。言葉にできないほど、愛している。愛おしい、俺の姫様。お前が甘やかされたいと願うならいくらだってこの腕の中で愛情と癒しを与えてやりたい。……それでも、俺は、お前に、自由だけは、与えてやれない」


 国が主で、姫様が奴隷であるならば、俺は奴隷を繋ぐための、鎖だ。

 奴隷が最も愛し、焦がれるのは他でもない、「自由」。


「誰と結ばれても、お前なら苦難を乗り越え、国をより豊かにできる」


 幸せになれる、とは言ってやれない。


「何を当たり前のことを言ってるんだ? 確認しようと思っただけだ。でかい男がそんなに萎れるな、みっともない」


 くくく、と笑う姫様に空気が緩む。

 机に行儀悪く肘を付き、仕事に戻れと適当に手を降る。

「御前、失礼いたします。陛下」頭を軽く下げ、執務室を後にする。

 扉を閉じる直前。


「……悪い」


 と消えそうな悲鳴が聞こえた気がした。



 

+++マリアルージュ+++




 怖い。

 怖い。

 誰か、助けて──。


 私は唯の一般市民で、唯の一社会人だったのに。

 政治家でもなければ立候補したことだってない。

 

 自分のことで精一杯で、国のことなんて考えたことがなかった。

 それなのに、こんな、自分が設定した世界で、よりにもよって、女王として生きていくなんて。


 自分で創ったんだから、知っている。

 彼らは、”優秀で尊敬できる女王”だからこそ傍にいて愛してくれているのだと言うことを。

 少しでも間違ったら、少しでも怠けたら、皆に捨てられる──。

 誰かを選ぶ選ばない以前に、現状を維持するのに精一杯。

 一音でも外せば、それが不協和音となり、聴くに耐えない悲惨な曲に……曲にすらならないかもしれない。

 

 怖い。

 私は、ちゃんと女王陛下が出来ている?

 

 ウォーレンス、お願い、あなたのように民に慕われる君主になるから。どうか、力を貸して。

 ライ、必ず帰ってきて傍にいて。人を傷つけるのはまだ怖いの、どうか独りにしないで。

 バイロン、世迷いごとと言われるそれは、私の過去なの。寂しいの。どうかもっと聞かせて。

 セーファス、あなたのようになりたい。あるがままの自分で。でもそれは出来ないから、どうかあなたに私を重ねることを許して。

 チェルノ、頑張るから、もっと頑張るから。最後まであなたの王でいるから、どうかいなくならないで。弱音を吐く私を叱咤して。


 じゃないと、自分の二本の足で立っていることすら出来そうにない。


 声を上げて、涙を流して、もう嫌だと悲鳴を上げてしまいたい──。


 でも、それをしたら、私の世界が崩壊する。


 怖い、怖い。


 失望されるのが、皆が居なくなることが、独りになるのが──こんなにも恐ろしい。








「陛下、陛下」

「ん……ああ、ライか」


「おはようございます」と続くはずのいつもの風景が今日ばかりは違った。

 頬にライの手が添えられる。


「……夢見が悪かったのですか? 顔色が優れませんね」

「ん……? あー……何か夢を見たかな? 覚えていない」


 ぐっと伸びをして勢い良く起き上がる。


「さ、今日の朝一の予定は何だったかな」

(今日はどんな甘い台詞で笑わせてくれるのかなー)


 くくく、と笑って朝の準備に取り掛かった──。










 

      

 

 

 

   

 




 

 

 


  

  



夢は深層心理とよく言いますが……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 結論が気になります。 できることなら、全てのルートが読みたい。
2016/02/26 23:30 退会済み
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