表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

口止めにぎり

 が、それも束の間。なけなしの五千円札を渡してしまった。二駅分も歩けば家に着くからそれは何とかなるが、明日からの食費をどうしようか。ネットバンクにお金は入っているが、今月はこまめに出し入れしてしまって、今度出金すると手数料を取られてしまう。

(仕方ない。五百円玉貯金をつかうか)

とても残念な結末にたどり着いたのは、稽古場の脇の道だった。

「ひゃあ!」

 稽古場から走り出てきた人影と危うくぶつかりそうになった。人影は美しい動作で私を交わす。

「なかさん?」

 顔を見たわけでなく、動作でわかった。顔は見られなかった。私の目は、その手に握られた紙に釘付けになっていたから。一度丸められて、広げられたあとのある紙に。

 私は公園のベンチで焼きおにぎりをほおばっていた。私の視線に気づいたなかさんは

「まいったな……あ、ちょっと来て」と、公園のベンチまで連れて行き、そこで少し待っているように言った。そして息を弾ませて帰ってきた手にはコンビニの袋が握られていて、焼きおにぎりが三つ入っていた。しかもちゃんとレンジアップされて。

「しかし、よく食べるね」

 今度も大きな口をあけている最中の言葉だったから、ちょっと躊躇したけれど、今度は口に入れた。そしてもぐもぐやりながら、

「これは、口止め料ですか?」と聞いた。なかさんは、にやりと笑い

「違うよ。最後の一口、食べ損ねさせてしまった、お詫びです」と言った。

「……それは、誰かの履歴書ですか?」

 二つ目のおにぎりを開けながら、まぬけな質問をする。

「……違うよ」

「じゃあ、見なかったことにします。私も、悪いことしたみたいだから」

「悪いこと?」思いっきりほおばると、半分くらい口に入った。

「はい。姫さんに質問されたとき、空気読めなかったから」

「ああ」

 なかさんは笑った。

「何を言われても、俺はやめたと思うよ。正直に言えば、あの場を利用したのかも知れない」

「利用?」

「そう。やめる区切りを探してた」

 なかさんが前方を見た。どこを見てるかはわからなかったけれど、私もつられて前を見た。ブランコに何か乗っている。なんだろう。

「姫は……大学の同級生で、そのころ演劇のサークルに入っていたんだけど、知ってのとおりあの美貌に金持ちだろ?いつも主役だった。そのサークルからの卒業生での劇団もあるんだけどね、行ってたら即主役のはずだよ。でもそこにはいかず、新しく劇団を立ち上げた」

「なんでですか?」

「主役だからさ」

 ブランコが風で揺れる。でも物体は落ちない。

「姫はずっと脇役がやりたかったんだ。白雪姫なら毒りんごのばあさん、シンデレラなら意地悪な継母……それが、そうはいかなかった」

「姫さんが立ち上げたのに?」

「そう。だからだよ。結局うちの……この劇団は姫で持ってるんだ。そんなあいつが主人公じゃないなんて、そこここからクレームが来た。客も演劇が好きなんじゃない。姫を支えてやってる自分が好きなんだな」

「……ふうん」

 なかさんの声が少しずつ遠くに行き始めた。三つ目の焼きおにぎりをあける。ブランコが大きく揺れたので心配になる。

「それでも最初は仕方ない。まずは集客を考えよう。そして、本当のお客さんが来るようになったら、やりたいことをやっていこう、ってね。でも、本当のお客さんが来始める前に『姫が主人公』って構図が固まってしまって、その呪縛から逃れられなくなった。脚本も、演出も、劇団全体も、姫自身もね」

 よかった、物体は落ちてない。

「シンデレラの焼き直し現代版をやった。もちろん姫はシンデレラで。そのとき初めて来たんだ、橋本さん。けちょんけちょんだったよ。特に姫は『継母の役のほうがあってる』ってね。姫は激怒した」

「なるほど」

「まあ、人間真っ向から正論言われると腹が立つからな。でも、そうじゃなかった。『馬鹿にしている』と、『一生懸命やっているのに馬鹿にされた』と怒ったんだ」

「はあ……」

 さすがに三つもおにぎりを、お茶もなしに食べると口の中がねちょねちょする。

「……だんだんずれて来てた。気づかせようともしたけど、無理だった。ちょっとずつ俺も孤立していった」

 そろそろ中身のあること言っておかないと。

「それでバンドを?」

「いや。バンドはね、生の感覚を忘れないように始めたんだ。うちの……この劇団は、年に四本もやってるから多いほうだと思うけど、それでもどうしても感覚が鈍るからね。バンドのほうがライブは回数やれる。少人数だから」

 口の中の感覚が鈍る。身体から孤立してるみたいだ……

「孤立……」

「ああ、そんなのは気にするたまじゃないさ。姫も、俺もね。……でも、気持ちが伝わらないのには疲れてたな。もうやめるしかないのかなって」

 ブランコの物体は、どうやら泥団子をへばりつけたもののようだ。遠くからでも正体がわかってよかったと思う反面、ちょっとがっかりする。なかさんもどうやら前を向いたままだ。何を見ているのかはわからないけれど、泥団子ではないことは確かだろう。

「それでも……誰かが背中を押してくれるのを待っていた。結局、ここが好きだったんだよな」

「プロになるんでしょ?」

「ああ……あんなのは虚勢だよ。それくらい、みんな思ってるだろ。君を含めて」

 私は立ち上がった。口の中の気持ち悪さが、限界に達していた。

「私、帰ります。あ、誰にもいいませんから」

 なかさんは驚いた顔をした後、笑って頷いた。

「本当に、すみませんでした『空気読めない子ちゃん』で」

「いや……送っていこうか?」

「大丈夫です、では」

 私は半ば駆け出すように、その場を離れた。公園の出口に来たところでなかさんが呼びかけた。

「空気は読むもんじゃなくて、つくるもんだぞ、女優さん」

 私は振り向いて、軽く会釈をした。そしてまた早足で歩き始めた。

 そして後悔した。おにぎりを三つとも食べてしまったことを。ひとつ、明日の分にとっておけばよかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ