甘くて辛いか、幸せか
どこをどう歩いたかよく覚えていないけど、なんだかすごく安い居酒屋に連れて行かれた。姫も来たらいやだな、と思っていたけれどその入り口を見て、こんなところに姫は一緒にこないってことがわかったからちょっと安心して中に入れた。私はもちろん、ゆうちゃんと隣に座る。
二次会といっても、さっきのメンバーの半数はやってきていた。みんな口々にさっきの出来事を話している。
「なかさん、バンドやってたんだ」
「知らなかったの?たち稽古入っても時々遅刻してきてたじゃん」
「まぁ、そっちでもいけそうだからな」
ゆうちゃんは申し訳なさそうに小さくなる。
「あはは、せめてるんじゃないよ。正直いうと、俺、なかさんのこと、気に食わなかったんだよね」
「お前はあれじゃん?なかさんにあて書した役やらされた恨みだろ」
「それはないよ。まぁ、正直やりにくい役だったけど、俺っぽく台詞回し変更させてもらったし」
「俺も実は苦手だ。結構言いたいこという人じゃない?」
「でも、結構正論だったりしない?あ、別になかさんラブだったわけじゃないよ?」
私は支払いのことが気になって、壁にべたべた貼ってある、油とヤニで黄色くなったお品書きを見ていた。
(いかの沖漬け、にひゃくはちじゅうえん……あげだし豆腐、さんびゃくはちじゅうえん……生ビール、さんびゃくはちじゅうえん……)
でたらめに並べられたお品書きを順々に心の中で読み上げる。『手羽先の甘辛煮』は『甘辛』が『甘幸』なっているように見える。気になる。
「正論でも、なんつうか、いいかたとかあるじゃん。空気読めよ、的な」
「まぁ、わかるけど……空気読めない子ちゃんはここにもいるじゃない」
頭をぽんぽんとされて、やっと自分の話だと気づいた。
「あの質問に無言はないよな」
「まあね。姫は相当困ってたと思うぜ。一人エッチとか言っちゃった自分にだろうけどね」
そんなに悪いことだったのだろうか。私には質問自体がよくわからなかった。わからないことに答えるのは失礼だ。
「正論ていえば姫も正論よね。評価をいいのと悪いのにわけて、モチベーション上げるのに利用するのはいいと思う」
「そうだね。『ファンになりました』って読んで『よし!』ってなってるときに、次に飛び込む文字が『今回もお遊戯でした』じゃ立ち直れないかもしれない」
「主役の器かどうかは別にして、凄みはあるもんな」
「それに彼女のおかげで安く芝居できるしね」
『辛』なのか『幸』なのか……みんなの目を盗んでみる。でもここからじゃ、よく見えない。近くにいって見たい。そのついでに、向こうの席にある焼きおにぎりらしきものを一つ失敬して来たい……
「あのとき、空気読めない子ちゃんがなんか言えば、なかさんも出てかなかったかもな」
「え?」
ゆうちゃんは私の隣でうつむいて黙っていたが、かすかに頷いた。仕方なく私もうつむいてみた。お品書きは、全く見えなくなってしまった。
「なんていえば出てかなかったかな」
気になる。
「そうだなぁ……『すみません、読んでません』とか?」
焼きおにぎり、食べたい。
「あ、それ妥当かも。姫に怒られそうだけど」
そういえば、カニのにおいのするパスタも食べ損ねた。
「でも、多分なかさんは出ていかなかったわね」
……だめだ、我慢できない!
「あの!」
私は、上着を持って、かばんから財布をだしながらいった。
「私どうしても、気になることがあるので……お先に失礼します」
「あれ?気にしてるの?」
「いえ、本当に個人的なことなんですけど!すみません」
三千円くらいでいいか、と思ったけれど財布のなかには五千円札しかなかった。仕方ない。私はそれをゆうちゃんに渡した。
「あとでおつり返して。では、お先に失礼します」
私はお品書きをチェックして、テーブルを後にした。
「言い過ぎたかな?」
「大丈夫でしょ。彼女、見た目はいいけど、人の話聞いていないところあるから」
「うわ、それひがみ?」
「まぁ俺は空気読めないでくれてよかったよ。だって見たかよ、なかさんの最後のあの態度。俺はプロになるって。俺には『俺はお前らとは違う』って聞こえたね」
「ああ、みんなそう受け止めたんでしょ。だから誰も止めなかったんじゃない……」
声が遠くでするがどうでもよかった。
『甘辛煮』はちゃんと『甘辛煮』で、『幸』に見えたのはくもの巣のような埃が油でくっついてしまっているだけだった。
(はぁ、すっきりした)
私はきしきしなる階段を軽やかな足取りで上がって外に出た。




