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お客様

 店のオーナーはいつものようにニコニコしながら、私たちを迎えてくれた。この人も私と同じだ。本当は突然大人数でこられたら、ちょっと迷惑だけど、お客様ですから。儲かればそれでいい。同じにおいがする。

 いつものように端席に……座ろうとしたが、だんだんと押されてなんだか真ん中あたりまで押しやられてしまった。ちょっといやな感じもしたが、

「まぁ私にいろいろいうはずもないだろう」と、従うことにした。それに案外なかさんの近くだったので、ちょっと聞いてみたいこともあった。

「今日はお疲れ様。ちょっと場の雰囲気を悪くして悪かったわ。また明日から気持ちを新たに頑張りましょう」

 姫はにこやかに、乾杯の音頭をとって、それが済むと脚本家と演出家と話始めた。なごやかな姫の表情にみんなもほっとした感じで飲み始めた。

 私は、とりあえず食べることに専念した。劇団に入って半年だが、あまり仲のいい人はできない。裕福組とは生活のリズムが違うし、貧乏組はそれぞれに忙しく、話をする時間もない。それに、貧乏組のほうがなんだか寡黙な人が多い気がする。

(……って思ったけど、そうでもないか)

 私の目の前に座ったゆうちゃんは、貧乏組のはずだ。だが、さっきから熱心になかさんに話しかけている。

「バレエは何年やっていたんですか?」

「どの先生に教わったんですか?」

「演劇に転向したきっかけは?」

「恋人はいるんですか?」

「せりふを覚えるときに注意することは?」

 そばで聞いているだけでもおなかがいっぱいになりそうなくらい。まるでテレビのリポーターだ。なかさんもそういうのは苦手なのか、

「うん」とか、

「いや」とか極力短く答えていた。気の毒に。


「君、よく食べるね」

 しばらくぶりのなかさんの意味のある発言にふと顔を上げると、私にいっているようだった。私はフォークにこれでもかというほど巻きつけたカニっぽい味のするパスタを一口でいこうと大口を開けている最中だったので、

「はい」と答えるつもりが、若干、

「ほい」になってしまった。

「ああ、邪魔してごめん。一口でどうぞ」

 なかさんは笑いながら手で私を即したが、あまりの罰の悪さにフォークを置いた。そして、そのフォークを見つめた。

「本当にごめんね、どうぞ、召し上がれ」

「あの、そうじゃなくて……私もなかさんにひとつだけ質問があります」

「ひつだけね。なんでしょうか?恋人ならいません」

「それはさっき……聞こえていました。あの……なんで主役をやらないんですか?」

 ゆうちゃんも深く頷いた。なかさんはものすごく渋い顔をして、ひじを突いて細いけれどがっしりとした指を鼻先で組んだ。そうして、ゆっくりと、噛み締めるように言い放った。

「主役って、せりふが多いじゃない」

 私たちは、黙ってその続きを待った。でも、なかさんは口を開こうとしない。

「それで?」沈黙を待てなかったゆうちゃんがきく。

「それだけ」

「……それだけ、ですか?」

「そう」

 私たちはなぞなぞを出された子供のように息をつめて頭をフル回転させた。その言葉の真意とは、なんぞや?今度の沈黙を破ったのは、なかさんだった。言葉ではなく、笑い出した。ひとしきり笑ってからいった。

「ごめん、ごめん。二人とも物凄く眉間に皺がよってるんだもん。俺ね、せりふ覚えられないの」

「冗談でしょ?」

「間違えた。覚える時間がないんだ。俺、バンドもやってるから」

「はぁ……」

「ああ、なかさんならそっちでもいけるかもしれませんね……」

 ゆうちゃんの発言は最後まで聞こえなかった。

「冗談じゃないわ!」という姫の声でかき消された。

 姫は少し赤い目をしていたが、それでもしっかりとした口調で、怖い顔でこちらを見ていた。

「そっちでもいけるなんて、そんなこといわないでよ」ゆうちゃんは完全に固まってしまった。

「どうして?俺はそういわれてうれしいぜ?」姫の視線はなかさんへ移っていった。

「だいたい、せりふ覚える時間がないから主役やらないなんて、よくそんなことが言えるわよね。他の団員を馬鹿にしてるの?役が欲しくてももらえない人もいるのよ。それを二束のわらじであっちが忙しいから、なんて理由あり?暇つぶしの劇団なら、やめれば?」

「そんなことはいってないだろ。俺は俺なりに大切にしてるさ」

 全員がまた押し黙っていた。それでもなんだか、稽古場での雰囲気とは違った。うまく説明できないけれど、なんとなく。

「俺なりにってなによ。私たちはね、本気でプロになりたいの」どくん、と心臓が音を立てる。

「この道で食べていきたいのよ」

 誰も呼吸していないんじゃないかと思った。なかさんが鼻で笑う音がする。

「へぇ……そんな人たちが酷評からは目をそらすんですかね」

「そらしてなんかないわよ」

「あの、橋本さんのはどうなんだよ」

「あいつは別よ。毎回毎回……幼稚園だの小学校だの、ひ、一人エッチだの!何様だっていうのよ!酷評するために来てるほうが一人エッチじゃない!」姫はそういって。困ったように目を泳がせた。運悪く、私は目が合ってしまった。

「あなただってやる気をそがれるって思わない?」

 鼓動が大きすぎて、何も聞こえない。鼓膜が押されて痛くて、何を聞かれたのかが判断できない。言葉がでて来ない。

 何も聞こえないのではなかったことが、数秒後にわかった。誰も何も言わなかったのだ。その証拠に、沈黙を破ったなかさんの声が聞こえた。水中にいるように、くるまれたようにだけれど。

「もう、いいよ。やめる」

「待てよ」

 脚本担当の声がする。なかさんは立ち上がり、出て行こうとしている。

「やめるって、芝居やめちゃうのかよ?」

 なかさんはその声に止まって、振り返った。物凄く、ニヒルな笑顔をたたえて。

「芝居?やめるわけないだろ。俺はプロになるんだよ」

 その後、なかさんを止める人は誰もいなかった。姫の声がお開きを告げている。みんなが立ち上がったり、上着を着たりしている。すべてがスローモーションに見えていた。私を現実に引き戻したのは、ゆうちゃんだった。

「……しょに行こう」

「え?」

 ゆうちゃんは私の腕をゆすりながら、必死の表情で訴えていた。

「二次会、行くからって。一緒に行こう」

「でも……」

 眉間にひどく皺がよって、眉が八の字を描いている。くりくりのまつげの向こうにはうっすらと涙が浮かんでいる。

「……うん」

 私には選択の余地がなかった。


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