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この小説は、完全なフィクションです。

 私は小さな劇団で、劇団員をしている。

 小さな劇団とはいえ、貧乏団員は他の劇団に比べて、そんなに多くない。大学時代の同級生がメインで作った劇団で、その大学というのが屈指のぼんぼん学校だからだった。中小企業のスポンサーまでついているおかげで、団費もそれほど高くないし、公演のチケットノルマも、それほど多くはない。実はそれを理由に私はここに入ったのだが、私はお金持ちではないから、アルバイトに明け暮れてはいる。

 ある公演の後だった。

「こいつ、また来てる」

 姫が言った。もちろん、本名ではない。だが、みんなそう呼んでいる。私だったら、そんな呼ばれ方、いやだけど、彼女の場合、実の父親からもそう呼ばれているから違和感はないらしい。毎回初日と千秋楽には……といってもたいてい三日公演くらいだから六回に二回は見に来ている。スレンダーで美人な彼女とは違って、社長善とした恰幅のいい、優しそうだが決して美男子ではない人だ。

 姫は端正な顔立ちをゆがめて、会場でとったアンケートを見つめていた。

「だれ?」

 なかさんが流れるような動作で振り返りながら聞く。昔はクラシックバレエをやっていたらしく、動作がとても美しい。目鼻立ちだってはっきりしているのに、芝居では好んで老人や悪役をやる。

「こいつよ、橋本とかいうやつ」

 稽古場はしんとなる。姫は苦々しい顔をしてあたりを見回す。

「今回のアンケートの仕分けしたの、だれ?」

 みんな首をかしげて、お互いの顔を見つめあう。ざわめくが誰も名乗り出ない。

「どうしていい評価と悪い評価をちゃんとわけないの?」

 アンケートは毎回、評価別に分けられる。もちろん全員両方に目を通すが、本番間近になると気分を高めるために、いい評価を見直す人が多いためだ。

「気持ちを上げようって時に、酷評なんてみたらめいるでしょ」姫の提案だった。誰も反対する人はいなかった。

「……最低だ」

 姫の手から奪ったそのアンケート用紙をなかさんが読みあげた。ざわめきかけていた稽古場が再びしんとなる。柔軟体操をしていた人も新しい本に目を通そうとしていた人もぴたりと止まっている。私は背筋を冷たいものが走るのを感じていた。

「全く、小学生の学芸会と変わりない。それも習いたての英語劇のようだった。ストーリー自体には、ありきたりではあるが、いいものを感じなくもない」

「やめてよ」

 姫が低い声で制する。なかさんは知らん顔で続ける。このときばかりは、なかさんの演技力が疎ましい。姫以外の全員の視線が泳ぎ始める。

「だが、役者ひとりひとりの本の解釈が異なるのではないか。とくに主役の女優は……」

「もう、いいわよ!」

 なかさんの手から、アンケート用紙がぐしゃりという音を立てながら姫にひったくられた。なかさんは無言で、くしゃくしゃになったアンケート用紙をにらんだ。姫は、はっとしたようにそれを開いて、悪評の方に乗せ、手でしわを伸ばしてから、真ん中あたりにしまいこんだ。

「……さぁ、練習しましょう」

 当然、いい練習ができなかったフラストレーションからか、鶴の一声ならぬ、姫の一声がかかった。

「飲みにいくわよ」

 みんな無言で着いていく。大体が、いやな顔をしている。私はそれほどいやではなかった。姫の掛け声のときは、彼女の関係者なのかなんなのかのイタリアン店に行くので、ただである。貧乏な私は、一食浮くし、普段では食べられないような黒い貝の酒蒸しやらヨーグルト漬けチキンやらが食べられるだけでよい。それに私は本当に端役なので特に彼女からお声がかかるわけでもない。端席で聞いているふりをしながら、食べていればいい。


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