5.蛙の歌
王子の居室で事務的な声が響いた。
案内してもらった台所を離れて、すぐに王子の居室へ向かって、執務中の王子に提案したのだった。
「ど、どうして却下なんですか!?」
「この国の人たちは、私たちの歌にすごく感動してくれています!」
「却下だ。この国に無い物でないとだめだ。歌は、この国にもある」
がーん。いい考えだと思ったのに。
意気消沈する私たちに申し訳ないと思ったのか、王子が言葉を添える。
「すまないな。そういう決まりなんだ。この世界を一冊の本に例えた哲学者が昔いてな。その本は新しい知識を欲しているんだ。そのために異世界から人を招いて来るのだと。
だから我が王家はその本の意志を尊重するためにも、まあ、本というのは例えで、神とか言った方がいいのかもしれないが、神の意志を尊重するためにも、不正をせずに新しい知識の導入にあたろうと心掛けているのだよ」
王子、意外と優しいのかもしれない。表情はあまり変化ないけど。
本……本……、ふと思い当ることがあって、最近好きなJ-POPを歌おうとしてみた。
口を開く、だが、ぱくぱく、声が出ない!
「天音、どうしたの? 息が苦しいの!?」
「歌えない! (ぱくぱくぱく)が歌えない!」
恐ろしい。この本は著作権を意識して、自主規制を図っているに違いない。
なんて大人の事情なんだ!!
「美空、何か、最近の歌歌ってみて」
「う、うん」
ぱくぱくぱく。口を数回ぱくぱくさせた後、唖然とした表情の美空。
理解したらしい。
水揚げされた鮭よろしくなっていた私たちに対して、王子が不審気に問いかける。
「お前たち、大丈夫か……??」
「大丈夫です。いろいろ制約について確認できました」
この世界に導入する新しい物も、たとえば最近ヒットした映画の内容をそのまま伝えるとか、好きな漫画の物語をそのまま伝えるとか、そういうのもたぶんアウトなのだろう。
J-POP使えないかあ。でも大丈夫。合唱部はむしろ古い歌こそ好物。
合唱部?
「そうだ! 歌はあっても、合唱はありませんよね!?」
「合唱? それはなんだ?」
ビンゴだ。美空と私は顔を見合わせて、うん、とうなずき合う。
「合唱は、2人以上で歌を歌って、ハーモニーを楽しむことです」
「“はーもにー”とはなんだ」
「違う音程の音を歌ったときに、音と音とが重なって、響きが生まれることです」
そう言うと、王子がぶはっと笑った。
王子、笑ったよ! 王子、笑えるんじゃん! あまり気持ちのいい笑い方ではないけど。
「2人以上で違う音程で歌を歌ったら、それは騒音でしかない。そんな歌は聞けたもんじゃない。それはお前たちの発明品か? 却下だ、却下」
「騒音じゃありません! 綺麗に響くんです。一度聞いてみてから決めてください!」
私は食い下がる。
「美空、何か歌おう!」
「でも、二人で、しかもアカペラで、合唱って何ができる?」
とっさに思いつくのはあれしかない……!
「“蛙の歌”を歌います!」
そう私が宣言したとたん、再び王子が、ぶふぉおっと噴き出した。
すごく感じの悪い噴き出し方で、王子に対する評価を考え直した方が良さそうだ。
「ふっふっ、ぶふっふっ、蛙、蛙の歌だと!? 蛙の歌ってそりゃなんだ。げこげこ歌うってことか? そんな馬鹿げた歌は初めてだ」
「そうです。確かに、げろげろと歌いますけど。これは輪唱と言って、普段は合唱とは呼びませんが、2つ以上の音を重ねるという意味で一種の合唱と言える歌で……」
ひーっぶふぁっふぁっ。説明も聞かずに笑い続けている王子は置いておいて、もう歌うことにする。イケメン台無しだ。
「天音、私から歌うね。3回繰り返す、でいいよね。ドからスタートだけど」
そう言われて、いつもの癖で無意識にパンツのポケットに手を伸ばす私の手に何かが触れた。
こ、これは……! 取り出してみると、茶色い円形をした笛、手足の短い羅針盤のような形をした笛、ピッチパイプ様だ!!!
これこそ合唱界の三種の神器! いや、他の二種は何かと聞かれると困るけれど。
これがあれば正確な音が分かる。
合唱馬鹿と言われながらも、私服であってもいつでもどこでもピッチパイプを持ち歩いているだけのことはあった。この世界に心強い武器である。
ぷ~
っと、ピッチパイプを口に当ててドの音を吹き鳴らすと、その平和な音色に王子がまたツボに入ったらしく、
ぷふぉっと噴き出した。
今に見ておれ……。
美空が意を決して歌い出す。
「か~え~る~の~う~た~が~♪」
それを聞いた私は一瞬恥ずかしくなる。小学生かと。
でもそんな羞恥を頭から振り払い、タイミング遅れないように歌い出す。
「か~え~る~の~う~た~が~♪」
美空が歌っているところへ私がかぶせていったので、それ騒音見たことか、と王子がまた笑いを堪えているようだったが、だんだんと表情が変わって来た。
「ぐわっぐわっぐわっぐわっ」「げろげろげろげろぐわっぐわっぐわ」
はっきり言って蛙の鳴き声の部分は恥ずかしい。
こんなイケメン王子の前で、乙女心が通常運転していれば披露できたものではない。
しかし、恥ずかしい~と言っていた美空も、さっき王子に笑われたことですっかり腹を立てていたらしく、全くひるむ様子なく鳴き声部分も歌い切り、2周目に突入する。
「か~え~る~の~う~た~が~♪」「き~こ~え~て~く~る~よ~♪」
王子、ぽかーん。
2周目に入ると、すっかり口を開いてあっけに取られている。
何これ。すっごく気持ちいい。
3周目まで歌いきると、少しの間しーんとした後、王子が執務机からバッと立ちあがった。
「これは、これはなんだーーーー!!!! 今のはいったい、なんなんだーーー!!!」
成功したようで、私と美空はお互いの紅潮した顔を見合わせた。
「二人は違う音を歌っていた。違う音を歌っていたのに、それが騒音ではなくて、こう、響き合って、あ~、うまく言えない!」
「これが合唱です。ハーモニーです。これでOKですか?」
「いやもう、これは目玉焼きを大きく超える新しさだ。ぜひ、我が国に合唱をもたらしてほしい。先ほどまでの非礼をお詫びする」
なんと王子が片膝ついて私たちに深々とお辞儀をしたのだ。
ふぁっさーと床に広がるマントと、流れる金髪に、美空はさっきまでの腹立ちをすっかり忘れてうっとりと骨抜きにされてしまったような表情を浮かべている。
私の脳裏からはまだ「ぶふぉっ」が消えないが、うん、まあ、確かに、イケメンにこんなことされて、悪くはない、かな。
「では、これで帰してもらえますか?」
そう期待を込めて聞くと、
「いや、まだだ。この一曲歌ってもらっただけでは、我が国に合唱をもたらしたとは言えない。
お前たちが帰ってしまったら、誰も歌える者もなく、すっかり忘れ去られてしまうだろう。
この国の者が歌えるようになって初めて、もたらしたと言えるのだ。
目玉焼きにしたってそうだった。一回作ったくらいではもちろん帰せなかった。キッチンメイドが全員目玉焼きを上手に作れるようになるまで、指導してもらったものだ」
がーん。そうなのか。でも、あれ、そんなにショックじゃない。
むしろ、こんなに感動してもらえるなら、合唱をこの国の人たちに教えるのは楽しいかも。
「しかし、そうだ。その前に、父王に、お前たちがこの世界にもたらす物が合唱で良いか、了承を取らなければならない。父王はいま隣国へ訪問中で、3日後に戻る。それまでに、王へ披露する歌を練習するのだ」
王様に披露する……!
「そうだな、ちょっとしたコンサートにしようか。スケジュールはこちらで抑える。30分ほどの舞台だ。なに、今のような歌を何曲か歌ってもらえばよい」
コンサート……!?
王子、見た目とはうらはらに事務的で淡々とした雰囲気の方だとは思っていましたが、敏腕マネージャーですか?