3.無理難題とはいかに。
お城へ送ってもらう間もジャックさんに歌を所望されて、それに応えながら道中はあっという間に過ぎた。
アルトというのは普段、主旋律、つまりメロディーを歌う機会はほとんど無いのである。
主旋律、略して主旋、と、いつも呼んでいるのだけど、たまにアルトがその主旋を担当する部分があると、もう動揺してしまう。
指揮者の真理子先生から指揮棒で指差され、「ちょっと、アルトしっかり!」「アルトまとまって!」「アルト聞こえない!」とお叱りを受けてしまう。
ソプラノが主旋を張っていてくれれば、アルトは堂々と下で支えていられる。 でも、アルトが主旋になると、とたんに日和る。
さらにパートソロ、つまり、他のパートが全部休みで、アルトしか歌ってない、とかいう部分になると、もう自分たちの声が剥き出しになって、みんな動揺しまくって、歌えるものも歌えなくなる。
ごめん、あたしたち、偉そうに低い堂々とした声色でいつも歌ってるけど、パートソロになると、とたんに冷や汗かいて尻尾巻いて逃げだします!
真理子先生はそのひよひよなパートソロを聴いて一瞬沈黙の後、「今のとこ、パート練習で重点的にやっとくこと」と指示を出し、別の部分の練習に移る。
パートソロは全体練習で何度も練習しても他のパートにとって時間の無駄なので、パート練習で重点的に練習するのである。アルトは冷や汗かきながらも、さらしものをまぬがれてほっとする。
アルトに限ったことではない。男声の高いパートのテナーも、低いパートのベースも、主旋が少ないという点では立場は同じである。
でもなんだろな。テナーは華やかだし、ベースは堂々としてるんだよね。
パートソロになっても、アルトほどはびびらない感じに思えるんだけど、それは私がアルトだからそう思うんであって、テナーやベースも同じ気持ちなのかなあ?
とにかく、そんなわけで、こんなふうにまるでリサイタルのような状況になって、しかも喝采を浴びたことはもちろん皆無で、舞い上がってしまう。きっと美空がいたら、こうではなかった。主旋を歌うのに慣れている美空がいたら、私は遠慮してしまう。
でも、ここは私しかいなくて、こんな主旋でもめっちゃ喜んでもらえる。ジャックさんの希望に延々と応えて、道中、気持ちよく歌い続けた。
そして、時刻は夕方近くなった頃、イシャディーンの城下町に着いた。それなりににぎわっている。やはり中世ヨーロッパ風の町だ。だが、ところどころに和風な部分もあって、たとえばなぜか、のれんがかかっているお店があったり、提灯のような物もある。
でもそののれんにレースがついてたり、提灯がカラフルだったり、微妙にアレンジされている感じだ。
看板もすべて日本語なのも、街並みにそぐわず不思議な印象を受ける。
そういったものに見とれながら、お城の前まで着く。
さてさて、門の衛兵になんて説明しようか。
「あの~。今日のお昼頃、白馬に乗った王子様が、異世界からの客人を連れてきましたか?」
「王子が異国風の娘を連れて帰ったのは確かだ」
白馬に乗った王子様(仮)は、本当に王子だったんですね~。
「それ、私の友達なんです。私も異世界から来たんですが、中に入れてもらえませんか?」
「許可が無い者を通すわけにいかない」
「じゃあ、王子様の許可が欲しいんですけど」
「王子へのお目通りを願う者は大勢いる。皆の頼みを聞いていたらきりがない。王子も忙しいんだ。出直すんだな」
そんなあ。それは困る。
するとジャックさんが助け舟を出してくれた。
「なあ、アマネさんとか言ったな。あんた、歌を歌えばいいんじゃないか? 歌を披露しに来たんだろ?」
そうでした。この門兵さんにも通用するかな?
「あの、王子様に歌を披露したくて旅してきました。聞いてもらえませんか?」
「はあ? 歌だと?」
あきれ顔の門兵さんにちょっとくじけそうになりつつも、おそるおそる始める。
「も~りへ~行き~ましょおお、む~すめ~さん~♪」
森の中ならともかく、こんな街のど真ん中で歌うなんて恥ずかし過ぎる。
ところ構わず歌うなと友人に注意されてはいる私だが、それでも街中で本気で歌ったりしない。
でも、ここは王子を呼んでもらうために、本気で歌うしかない!
精いっぱいの合唱声を張り上げて歌う。
お、この城壁、なかなかよく響くんじゃないの?
これはいい反響板ですなあ。
門兵さん。ぽかーん。
通行人も立ち止り、私の周りに人だかりができる。
この選曲もどうかと思ったが、とっさに思いついたのはやはり先ほども歌ったこの曲だった。
現代日本ならちょっとどうかと思うけれど、ここならいける気がする。
案の定、歌い終わった後で、割れんばかりの拍手。
恥ずかしさの反動で嬉しくなり、私は紅潮してしまう。
これ、癖になりそう……。
「ちょっとここで待て。王子に話をしてくる」
門兵さんが慌てて城の中に入っていった。
上手くいったようだ。
ふぉっふぉっふぉっ。
思わず変な笑い方が口から飛び出してしまったので、んっんー! と咳払いして誤魔化す。乙女にあるまじき笑い方、自重自重。
「ジャックさん、ありがとうございました! なんとかなりそうです」
いい提案をしてくれたジャックさんにお礼を言う。
「良かった良かった。こっちもいいものを聞かせてもらったよ」
ジャックさんは、それじゃあ、と村へ帰って行った。
ジャックさんと別れて待つこと10分。
かの眉目秀麗な金髪美青年が城から出てきた。
「お前が歌を披露しに来たという旅人か」
金髪のさらさら長髪に面長の色白な顔。青い眼は金のまつ毛がばさばさ。
うわあ、間近で見ると美形だあ~。
見上げてしばし言葉を忘れると、怪訝な顔をされる。
「お前、黒い眼に黒髪で、変な服。ミソラに似てるなあ」
「あ、はい! 美空は私の親友です。二人で異世界から来ました!」
「あ、女か」
そう、この世界では見た目は男でした。声で女と気づかれたよう。
「入れ」
意外とあっさりと王子様は入れてくれた。
中に入ると、絢爛豪華な王宮。王子様の衣装も、すごくお金がかかってそうな青いビロードの服に白レース金刺繍の服だけど、城の中の人たちの衣装も負けず劣らず豪華だ。
美空、こんなお城に客人として招かれて、さぞ浮かれているだろうなあ。
既にこの数時間で、私のことを忘れてしまっていたらどうしよう。
「あれ、どちらさま?」なんて言われたらどうしよう。
そんな一抹の不安を抱えながら、「ここだ」と一室のドアを開けてもらい、中に入ると……
「あ、天音!?」
予想外に、涙目の美空が驚いて振り返った。
「天音? 本当に天音なの!? 嬉しい! 天音も来てたの?」
涙に驚きながら「うん」とうなずくと、
「あ~ん、天音~! 心細かったよ~!」と、抱きつかれてしまった。
「美空、会えて良かった! 大丈夫だよ。そんな泣かないで」
「だって、だって」
美空が涙をぬぐいながら落ち着くのを待った。
こんな美空と一緒にいると、自分が王子様のような気がしてくる。
「ねえ、美空、どうして泣いていたの?」
「だって、あの人たち無理難題を言ってくるんだもん」
「無理難題?」
いったいそれはどういうことだろうか。