中
なんで?????
カシワ・レイを載せたトレーが空を舞う。しかし、その動きにはそれまでの訓練で見せていたほどのキレはない。
「風の匂いがしない……! 上に広い視界が距離感を狂わせる……!」
通常、飛空容器乗り達は容器の隙間から感じる風の匂いを頼りにその機体を駆る。しかし、この新型は窪んだトレーに乗り込んだうえで、透明な紙(博士はラップと呼んでいた)を覆いかぶせるようにして肉体を固定、そして密閉する造りになっている。
視界を利用した航行で有れば熟練せずとも飛ぶことは可能なのだろうが、旧型の操作に親しんだものにとってはあまりにも大きな違いであった。
「いくら速度が良くたってこうも動きが硬いんじゃどうしろって言うんだ!」
機体を傾けて視界を調整しようにも、その硬質な容器は傾けた分だけ進路を変えてしまう。
高度を不安定に上下させ、ヨタヨタと左右の旋回とも呼べぬ蛇行を繰り返すその様に、見守る博士の口から溜め息が漏れる。
「ふぇっふぇっ、なんにせよわしの仕事はもう終わりじゃろ。容器を作って満足はしたが、まだまだ作りたいものはあるからのう。熟成の進むわが身の恨めしさよ…… ふぇっふぇっ」
笑い声とともにその場を立ち去る博士の足元から、やにわに二酸化炭素の白い煙が立ち込めその姿を隠す。煙が晴れたとき、そこにはタレの独特な残り香が有るだけだった。
博士が立ち去った後、訓練を見るものは居なくなったかに見えた。
しかし、しばらく代り映えの無い不安定な飛行を続けていた飛空容器が、一転して何もない方向に急降下を、それも錐揉みでもするかのように回転しながら始めたとき、思わず息を飲む気配がバランの陰から洩れた。
「ん?」
空まで届くような音量ではなかったはずだが、何かに気づいたらしいカシワは、器首を上げつつ姿勢制御をすると、今度は大きくループを描いて背面に地上を確認する。
不慣れな飛行でしっかりとは確認できなかったが、見覚えのある肉影に、ハツでもないのに身が跳ねる心持ち。
「いい加減こいつも乗りこなしてみせなきゃな!」
先ほどの急降下は本肉にしてみれば確かな手ごたえのある行為だったらしく、ロールやループを多用した曲芸飛行のような飛び方で、先ほどまで直進するにも安定さを欠いていたのと同じ容器とは思えないキレを見せる。
風の感触ではなく直接的な視界を用いて飛ぶ硬質容器と透明なフィルムの組み合わせは、器体自体の向きを大きく変えることで周囲を逐一確認して初めてその真価を発揮できる。本来であれば一瞬ずつしか確認できない視覚情報を元に空戦を繰り広げるなど不可能に近い。しかし相手の二倍以上の速度が出せるというのであれば無理な飛行をカバーすることも容易い。空戦の常識が間違いなく変わるであろう手ごたえを若き胸肉は確かに感じていた。
二連続でバレルロール、降下しつつ加速をつけてから急上昇してインサイドループ。器体を縦にして空気抵抗を使った急制動。ゆっくりとしたハートループで周囲をしっかりと観察……
一通り器体の向きを大きく変える飛び方を確かめた後、着陸のために氷皿に向けて高度を下げていく。既存の器体であれば限界まで速度を落とした上で、肉体を傷めないよう垂直に近い角度で着氷するところを、速度を緩めこそしたものの高度を下げながらもあくまで姿勢は飛ぶ時のそれ。
そのまま細かい氷が敷き詰められたところにジャリジャリと音を立てて滑るように着氷した。
「だ、だいじょうぶ!?」
慌てて飛び出して声をかけるのは、カシワと同じくらいに新鮮な一枚のもも肉で、名前はピーチ。程よく脂のノッたしなやかな肉体に、みずみずしさのある皮。高級店のメインディッシュにだってなれそうな器量よしで、実際彼女の将来はそういった方面になるだろうと周囲も疑っていない。
「大丈夫大丈夫。この新型は空中で静止するのに向いてないから、下手に垂直着陸なんてしようとしたらそのまま落ちそうだったんだよ」
「だからってあんなスピードで突っ込まなくてもいいじゃん!」
「ピーチは相変わらず心配性だな。容器が頑丈じゃなかったら俺だってこんなことしないって」
気安い関係であることがうかがえる砕けたやり取り。何を隠そうこの二名、俗に言う幼馴染というやつである。
カシワが飛空容器乗りを志す前は、将来は絶対一緒のお皿に並ぼうね。なんて甘酸っぱい約束を交わしたこともあるのだが、果たしてお互いに覚えているのかどうか。
「訓練見に来るなら言ってくれよ。ダサい飛び方見せちまった」
「そ、そんなことないよ!」
「いつから見てたんだ?」
「そ、その…… 最初から?」
「よりによって最初からかよ!? 早く声かけろよな」
「ご、ごめんね?」
どこか子供っぽい言動ながらも熟成した肉に勝るとも劣らない旨味を感じさせる幼馴染に、その肉生を飛空容器にささげたはずのカシワの心がぐらつく。
「だー! もう一回飛んでくる! 今度はちゃんと飛ぶから見とけ! さっきのは早く忘れろ!」
「ええ!? まだ飛ぶの!?」
「当たり前だろ。訓練は大事なんだよ」
「で、でもそこのところめくれちゃってるよ?」
ピーチが指し示したのは、容器を覆うフィルム。氷に引っかかったのか、一部がめくれあがってしまっている。飛ぶ過程で風を受ければさらにめくれてしまうことにもなりうるし、そうでなくとも姿勢制御に支障をきたすだろう。
勢いを削がれたカシワが気まずそうに視線を逸らす。そんな折、火急の事態を告げるサイレンが辺りに鳴り響いた。
コケッコッコー! コケッコッコー! コココ、コケ! コッケッコッコー!
「!? いったい何が!?」
「あ、あれって……」
ピーチが見上げる空には、編隊を組んで飛ぶ飛空容器の一団。今はまだ黒い点のようにしか見えないがこの土地と熟成前の鶏肉たちを標的にしていることは明らかであった。
「そんな、コンボさんたちベテランが迎撃に向かったはずなのに!」
熟練の飛空容器乗り、その実力を知っているカシワの口から悲鳴にも近い叫びがこぼれた。
「カシワ、飛べるか!」
「はいっ!」
「先に行ってるぞ!」
迎え撃つために笹包みが飛び立つ。その数は僅かに5。ここまで早いタイミングでホントの上空を許すこと等誰も想定していなかったのだ。
「俺も……」
「だ、ダメだよ! ちゃんと直していかなきゃ!」
「直すったって……」
「博士のラボに予備のフィルムが有ると思うの! 取ってくるから待ってて!」
そう言い残すが否や、その場を駆け出すピーチ。
待たずに飛び立ってしまうことも考えるが、実際のところ万全の状態でなく出撃しても、敵の器体の撃墜マークが増えるだけなことはカシワにもわかっていた。身が焼けるほどの焦りの中、流れる時間に耐える。
自軍のこと、先に飛び立った仲間のこと、なかなか帰ってこないピーチの身に何かあったのか。その実がブルリと震えたのは、恐怖か、それとも武者震いか。
「お待たせ!」
「助かる!」
フィルムを持ってきたピーチによって、めくれかけた部分が上から押さえつけるように補修される。
「お前も速く保冷庫に戻ってろ! あそこなら安全だ!」
「う、うん、気を付けてね……」
祈るようにその身を固くするピーチを尻目に、カシワの駆る純白の容器がぐんぐんと加速して空に昇っていく。
一度大きくループを描いて地上を確認した飛空容器は、保冷庫に向かうもも肉の背を確認すると、大きく加速した。
「負けられ、ないよな……」
この感情はなんなのか、それはまだ分からない。答えなんてないのかもしれない。しかしそれが不思議と不快ではないのだ。
鶏肉の一生(消費期限)は短い。答えのない問いにも答えを出さなければいけない時はすぐに訪れる。明日未明の流通に乗ってこの土地を離れるであろうピーチに、この地で、この空で飛んで戦うことを選んだカシワは何を言うべきか、何も言うべきでないのか。
いずれにせよ、この土地を、市場を、侵略者たちの好きにさせたならどんな未来もつかむことはできないのだ。
「っ……! 数が多すぎる! こんな数が防衛線を抜けてきたって言うのか!?」
それに上がった若き胸肉を待ち受けていたのは、見渡す限りの敵影だった。その総重量は10キログラムには収まらないだろう。
それもそのはず。ブロイラー公国に対しての連邦での認識は、土地が少ない故無理やりに狭い土地で大量に生産しているから頭数だけは多いというものだが、実態はそれには留まらない。鶏肉の元となる鶏の成長速度自体に雲泥の差が有るのだ。
三倍。
生産力が、ではない。成長速度だけでも三倍なのである。そして小国であったのも過去の話。今では連邦以上の面積で、連邦の五倍の密度で鶏肉が日々生み出されているのだ。
「ダメだ、普通の戦い方じゃ絶対に勝てない!」
ぼろぼろの笹包みが、上空から敵器に体当たりを加え、自身と、その下を飛んでいた容器もろともに地面に落ちて行く。ああなれば肉生は終わりだ。流通に乗ることも、再び空を舞うことも出来ずに、行きつく先はせいぜいが家畜の餌。
それでも、対等な数での戦いなら、一枚で二枚以上を再起不能にする連邦の飛空容器乗り達が負けることはない。しかし、数に物を言わせた公国軍は相打ち上等とばかりにラフな戦闘を仕掛け続けているのだ。
「何か! 何か弱点が有るはずだ!」
カシワは必死に考えを巡らせる。敵器の基本構造は自分の乗っている最新型に近いもののはずだ。風の匂いを感じず、直接視認により周囲を確認して飛行する。トレー部分は頑丈でちょっとやそっとぶつけたくらいではなかの肉が傷むことはない。
しかし、単器であるカシワがその点を頼みにトレー部分を上からぶつけ続けたなら、先ほどのようにフィルム部分がめくれてしまうだろう。
「待てよ? 今なにか……」
そうだ、フィルムがかかってるから風を感じられない。フィルムがなければ風を感じる。かといってフィルム無しで飛ぶようなことをすれば鮮度もすぐに下がるし最悪トレーから落ちてしまう。そうじゃない……
「風? そうだ! 風だ!」
そう叫ぶと、カシワののる容器はグンと高度をあげ、一器の敵器に狙いをつける。傾いた西日とは逆方向から落ちるその影が敵器にかかることはない。最大の弱点である上空からの攻撃に対して無防備なその姿は前方を視認するという容器の構造上無理のある行為に意識を割いている証左。
素肉。こいつらは数を頼みにしてるだけのズブの素肉だ!
ようやく敵器が器影に気付き、回避行動をとろうとした時には、悲しいほどに手羽遅れだった。高度を速度に変えた輝かんばかりに白い器体がその身に突き立つのを哀れなぶつ切り肉は幻視した。
しかし、現実はそうはならなかった。カシワが激突する直前にわずかに器首を上げつつロールしたからだ。トレーの角が僅かに張り詰めたラップをかすめた。それだけの接触。
それだけの接触だが、影響は劇的だった。酒で付け込まれでもしたのかのようにふらふらと制御を失った敵器は、一度大きく耐性を崩すと、それを立て直すことも出来ずに錐揉みしながら地面へと落ちて行ったのだ。
「やっぱりだ! やつらが空を飛べるのは、訓練したからじゃない、風を感じない容器に乗るからなんだ!」
十分な訓練を積み、秀でた才能を持っていたカシワであっても危険を感じるほどの違いが二つの感覚の使い方の間にはある。もしも一つを遮断することしか知らない鶏肉が遮断していた情報を急激に叩き付けられたなら? その答えが墜落する容器の姿だ。
「これなら数が多くたって戦える!」
ラップを切り裂くだけの強度のある容器に乗っているのは自分だけ。その思いがカシワを突き動かし、その才能を大きく開花させた。ブロイラー帝国軍の飛空容器乗りの単調な飛び方では前方と上方意外をまともに視認できないのだ。それは高度を下げることへのためらいに繋がる。ためらいは縦横無尽に飛ぶカシワの器体を捉えるうえで大きすぎる枷になっていた。
あれよあれよと撃墜され、地に落ちる容器からおびただしい肉汁が飛び散る。果たしてそれは本当に肉汁なのか? 次々と標的を見定めるカシワの視界がその疑問を直視することはなかった。
光明を見出したのも束の間、ブロイラー帝国の兵達は、カシワとの交戦を避けるかのように器首を上げ、上へ上へと高度を稼いでいく。
「逃げるのか! 限界高度が変わらないならそんなことをしても速度を落とすだけだと分からせてやる!」
カシワは冷静に上昇する敵器群の周りを旋回しながら高度を上げていく。上空を取られる形にはなるが、こちらの方が速度が出ているなら、集団で急降下してきてもどうとでも対処できる。
それは、慢心であり油断だった。これが経験豊かな熟成肉であれば意図を読むことを怠らなかっただろうし、逆に自信がなくても距離を取っただろう。
旋回しながらの上昇には死角が有る。外側に離脱することも、弧を狭めて側面を叩くことも可能なその動きだが、螺旋の中心に飛び込むことには向いていない。そんなリスクの高い動き方をする理由がないという安易な考えでその欠点を軽視した。
そのテリヤキソースのように甘い考えのツケを、彼は絶望という形で支払うことになる。
何のためにそれ以上の逃げ場のない限界高度に向けて上昇したのか。その理由は戦闘でも逃走でもない。彼らは作戦地点に到達したから『作戦を予定通り実行するために』高度を上げたのだ。
下から追突してしまうように、あるいは限界高度を越えた者が落ち始めるのに轢かれるように、次々と接触を繰り返す帝国の飛空容器。それらはいつしか一つの巨大な肉塊のような姿を見せていた。
「そんなことをして何になるんだ! 食肉としての未来を捨ててまで……!」
それが地面との接触じゃなかったとしても激しい接触は品質を著しく損なう。出荷の可否にかかわるのはもちろん、そんな状態で高高度を飛ぶことも出来ない。
失速した飛空容器達はそのまま高度を落とす。否、地上に向けて自ら加速していく。巨大な質量の塊へとその身を変じた彼らは、莫大な空気抵抗をものともせずに本来ならあり得ない速度を実現させる。そしてその先にあるものは、避難した鶏肉たちを含む大量の肉が出荷待ちをしている保冷庫。
「や、やめろおおおおおおお!」
公国軍の狙いは戦闘での制圧ではなかった。最初から彼らは戦争を支える仕組みそのものを攻撃するつもりだったのだ。
その攻撃に大義はあるのか。大義などなく相手を攻撃する行いの終着点はどこなのか。
止めなければならない。この身に代えても。上空で僅かにでも軌道を変えることが出来れば着弾点は大きくずれる。
「間に合わない! いや、間に合わせて見せる……!」
あれほどに巨大な運動エネルギーと接触するなど自傷行為にも等しい。だがこの時カシワの目に映っていたのは目の前の敵でも、自身の未来でもなく――脳裏に浮かぶ大切なもも肉の後ろ姿だった。
初動の絶望的な遅れを取り戻すべく、眼下の肉塊に向けて一直線に加速をかけていく。残り五メートル。空気の抵抗が加速を奪う。残り三メートル。さらなる加速に、風の圧力が身を傷めつける。残り一メートル。限界を超えた速度に容器のあちこちからミシミシという異音が響く。
そして残り三十センチ。あとは体当たりを仕掛ければ軌道をそらすことが出来る。真横からの突撃とはいかずとも、この高度での接触なら十分な影響が有る。
「俺だって! 覚悟は、できてる!」
残り、五十センチ。
「なにっ!?」
カシワの操る器体が失速する。訳も分からないまま再加速をかけようとしたカシワの聴覚が、器体の軋みとは違うかすかな音を捉えた。
ぺりぺりと鳴る、器体が軋む硬質な音より柔らかく、それでいて遥かに強く破綻を感じさせる音。
「なんで! どうして……!」
当然、カシワはすでに異音の正体を把握している。それでも、だからこそ、あふれ出る叫びは疑問のそれ。
音の出どころは剥がれかけたフィルム。失速の原因は増大した空気抵抗。加速しようとする負荷を受けて今なお広がるフィルムは、剥がれ去って取れることだけはせずに、まるで落下傘のように速度を奪い続ける。
加速を続ける巨大な肉塊との距離は広がり続け、十分に軌道を逸らすどころか地上までの距離の全てを費やしても追いつけそうにない。
――幻視する。一時保管の要である保冷庫を失い。新たに肉を捌くことも、帰投した飛空容器乗り達を迎え入れることも出来なくなり、ゆっくりと日差しに焼かれ腐り果てていく王国の姿を――
「あ゛あ゛ああああああぁぁぁ!」
慟哭が何重にもハウリングして聞こえる。悲しみに暮れる自分の声。心が折れた叫び。打ち砕こうとする力強い雄たけび……?
「……ぉ……ぉぉ……!」
幻聴ではない。低高度から、確かに聞こえる、歴戦の勇士の叫び声。そしてそれは一直線にこちらへ、いや、着弾地点に近づいてくる!
「おおおおおおおお! 間に合えええええええ!」
それは満身創痍の笹包みだった。バラバラになりそうな容器をそれでも限界を超える速度で空を駆けさせて。巨大な肉塊に衝突し、挽肉に加工されそうな衝撃の中、それでもその軌道を僅かに変えてみせた。
そして、僅かにしか軌道を変えなかった肉塊は当然止まることなどなく、上空にまで届く衝撃と、肉が潰れて地面に投げ出される凄惨な音をまき散らした。
「ああっ……!」
器体の制御を失ったカシワの操るチキンハートから、ラップの切れ端が剥がれきって、大空へと吹き上げられていく。飛空容器の限界高度よりもなお高く、手羽先の届かぬ彼方へ。
――タイシの落日。後の世でそう称される帝国の対民間軍事作戦。保冷庫への質量攻撃というこれまでの常識を覆す攻撃による直接的、間接的な被害は100kgとも1トンに届いたとも言われており歴史上最悪の食肉破壊事件とする見方も強い。一方、着弾地点は保冷庫の中心から東方向にかなりズレた箇所であり、本来の被害はその程度ではなかったとし、その陰には複数枚の鶏肉の奮闘が有ったのではないかという学説もある。
どうにか器体の制御を取り戻し、器体が限界なことを示すかのような低速で地表近くを飛ぶカシワは、下方向を視認することが出来ない新型容器の構造に初めて感謝をしていた。
辺りに散らばる瓦礫と氷と肉片、それらを一時の間直視せずに済むからだ。
しかし、いつまでも視線をそらしていては降下してきた意味がない。視界さえけぶるような濃密な匂いの中、カシワは爆心地を目指す。
そこは惨憺たる有様だった。剥がれかけてわずかに隙間が空いたラップからしみ込んでくるのは、肉汁とは異なる工業的な塩と醤の匂い。
「容器の中にツケダレ……! こんなの、狂ってる……っ!」
器体を傾け何かを探すようにグルグルと飛ぶ。保冷庫の中にいた知り合いはもちろん心配だが、そちらはへたに瓦礫を動かせば冷気が漏れて事態を悪化させてしまう。カシワにできるのは冷却装置の無事を祈ること、そして最悪を食い止めて見せた英雄の姿を探すことだけだ。
瓦礫に巻き込まれて潰れているかもしれないし、既に手遅れで意識はもう無いかもしれない。それでも、この惨劇から逃げることはまだ自分には許されていない、そんな想いがあった。
「だれか、そこにいるのか……?」
かすかな声を拾うことが出来たのは、飛空容器乗りとしての資質か、風さえ吹かぬ静寂のもたらした偶然か。
いかな神のいたずらかカシワは、勇敢な熟成肉の傷み際に立ち会うことが出来たのだった。
「コンボさん……!」
「その声……カシワか?」
「はい! カシワです!」
「そうか…… 全滅しちゃいなかったか…… よく聞け、やつらは……」
途切れがちな声からは、ひしゃげた胸肉には既に時間も視界もないであろうことが容易に察せられた。それでも、伝えるべき相手がいて、伝えるべき言葉が有る。
「調味液に漬け込んで…… 正気を失わせてるんだ…… 恐怖を感じない理想の兵士ってな……ぐふっ」
「そんな……」
「ああ、産地や品種の違いじゃすまねえ…… そんな肉だけが流通したら……」
高品質の地鶏も、安価な鶏肉も、ここまで風味の強いつけ汁に容器ごと漬けられてはその差を見出すのは難しい。そしてそれこそが帝国が連邦を滅ぼすための策なのだろう。保冷庫への被害を抑えたとしても、計画を阻止しなければ連邦は、そしてそこから連なる食文化は滅びることになる。
「工場が…… あるはずなんだ…… そこを、叩けば……」
「分かりました。俺が、俺が必ず成し遂げます……!」
「ありがとよ……」
誰が見ても限界だった。掠れた声にもその姿にも、ハリがなくくたびれ、流通に乗って誰かの食卓に向かうこと等望めない。
誰に知られることもない英雄は、破けて辺りに広がった容器の上に広がる空を仰いで……
「俺ぁよ……フライドチキンになりたかったんだ……」
「コンボさん……! コンボさん……!」
カシワ以外誰も見ていなくとも、食卓に上ることがなくとも、彼は間違いなく『空を飛翔した鶏肉』だった。
そんな言葉を心の内で呟いて先輩肉を弔ったカシワが次いで抱いたのは激情だった。復讐心という言葉に収まらないほどの怒り。
彼の視線が捉えるのは遥か西――帝国の本拠地の空と、そこにあるであろう大規模食肉工場。
「駆逐してやるっ! この空から! 一グラム残らず!」
※1 俗に言う幼馴染--鶏肉における俗が何を指すかは各員補完のこと。
僕がガン○ムを一番うまく使えるんだ! とかもパロディしてみたかったのですが入れられるシーンはありませんでしたね。