騎士団と侍女
二三歩進んでは、引き返し、また二三歩進んでは引き返す。
わたしは先程から、もうかなりの時間を、同じ所で所在無げにウロウロしていた。
目の前には、騎士団の詰所がある建物が見える。
あと数歩、歩くだけで目的の場所に着けるのだ。だが、わたしの足は少し進めば直ぐ戻るを繰り返していたので、その数歩がとても遠かった。
ああ、本当にどうしよう・・・。
わたしは途方に暮れたように、その場に座り込んだ。
それから、胸の前にある葦で出来た籠を見る。籠の中からは、鼻を擽る甘い香りがしていた。王妃が持たせてくれた、美味しい焼き菓子が入っているのだ。
『このお菓子を差し入れとして、騎士団に持って行くといいわ。愛しい男性に差し入れを持っていくのは、恋する乙女の定番でしょう?』
王妃はそう言うと、侍女に命じて差し入れの準備をさせる。
『それに、あなたとケインのことが一気に人目について一石二鳥よ。』
そして用意が整うと、お菓子の入った籠をわたしに押し付けて、早く行けと笑顔で命じてきた。
それは、鼻歌でも口ずさみそうな程、浮かれた笑顔だった。
マルグリット様、無理です・・・。
わたしは、王妃に何も言えなかったことを悔やむ。まあ、あんなに張り切っている方に反論など出来る筈もないが・・・。
全ては、わたしの為にして下さっているのだ。決して、決してご自身の娯楽の為などではない。そう、多分・・その筈なのだ・・。
「これは、エミリアナ殿下のとこの、侍女長殿ではないか。こんな所で何を?我らに、何かご用でも?」
その時、急に声がして、肩がビクリと動いた。
誰よ!心臓が止まるかと思ったじゃあないの。
「あ、あの、わたし・・・。」
わたしは慌てて立ち上がる。
ええっと、どうしよう?
「その・・実は・・」
動揺して挙動不審になりながら声の方へ振り向くと、そこには口を押さえて笑いを噛み殺しているケインの姿があった。
「あなた!ケイン様?」
わたしが目を丸くして大声を出すと、彼はもう我慢出来ないとばかりに噴き出す。そして背中を丸めて大笑いを始めた。
「酷いですわ!からかうなんて・・」
わたしは怒りの為に顔が赤くなる。目の前で苦しげに笑う男を睨み付けた。
「・・リシェル殿は、何故このような場所に?」
ケインはクックッと笑い声を立てながら、こちらへと視線を向けてくる。彼の褐色の瞳とまともに目が合ってしまい、更に頬が熱くなった。・・嫌だわ、何故かしら?
「わたしは、マルグリット様に・・」
わたしが言葉に詰まっていると、ケインが手元の籠を覗き込んできた。
「旨そうな匂いだ・・・」
彼はポツリと呟くと、手の中の籠に顔を近付けクンクンと匂い出す。
「これは、もしかして我らへの、贈り物か何かか?」
こちらを見る彼の目は、期待に満ちて輝いていた。子供がおやつをねだっているようで、随分あどけない表情だ。
「え、ええ・・」
駄目だ、見ていられない。どうしたと言うのかしら?
のぼせたように暑く感じる顔を反らすと、小さい声で囁く。
「では、わたしはこれで・・。」
彼に籠を押し付けると、戻ろうと体の向きを変えた。
王妃の「リシェル!何してるの?何の為に差し入れ持たせたと思っているのよ、意気地無し!」という怒声が聴こえてきそうだったが仕方ない。
今日のご命令は、わたしには乗り越えるべき困難が大き過ぎたのだ。騎士団への差し入れは、彼が自分で渡してくれるだろう。
「待たれよ!」
気が付くと、ケインがわたしの手を掴んでいた。
「そんなに急いで帰らずとも、折角来られたのだから一緒に茶でもどうだ?ほら、美味しい菓子もある。」
そして片目を瞑ってニヤリと笑う。いつもの彼の笑顔だった。
*
「おおい?ケイン、その御仁は何方だ?」
ケインに連れられて騎士団の詰所に入ったわたし達に、一際大きな声が掛かる。
「隊長!エミリアナ殿下の侍女長殿ですよ!」
その大声に向かって、また別の大声が返事をした。
わたしの身分を隊長に教えてくれた若い男性が、立ち上がって会釈をしてくる。王女の護衛騎士の一人だ。わたしも恐る恐る会釈を返した。
彼の他にも部屋にいた騎士は、見知った顔ばかりだった。皆、王女の護衛に現れる騎士達だ。どの目も意外な者を見たと言わんばかりに驚いている。
そうか、ここは親衛隊の第四小隊の詰所なんだわ。だから皆、わたしのことを知っているのね。
「ふうん・・」
隊長と呼ばれた壮年の男性が、わたしをジロリと睨んだ。流石に隊長は他の騎士と違って、呆けた顔はしないらしい。
この一見怖そうな人が隊長か・・、確かランスとかいうお名前だった筈だわ。
今まで一度もお会いしたことはなかったのかしら?そんな筈ないと思うけど記憶にないわね・・。
それにしても・・、
わたしは自分に寄せられる、好奇心丸出しの視線に耐えられなくなっていた。
彼らの詰所に入ってから、ランス隊長を始め偶々居合わせた騎士の面々が、興味津々でわたしの顔をじっと見てくるのだ。その数は想像より多かった。勿論これで全員ではないだろう。ケインの相棒のアーサーも見当たらないのだから・・。
ケインだけかと思ったから、まあ、いいだろうとノコノコ付いて来たのに・・・。こんなに人がいたなんて困るわ・・。
そこまで考えて、わたしはハッと気付く。隣にいるケインを無意識に見ると、彼はわたしの視線に訝しんでいるようだった。
違う・・いや、決して、この男と二人きりになりたい訳ではないのよ!ええ、そうよ、そうじゃないのよ!
わたしが頭を横に強く振りだしたので、ケインが不気味な物でも見るように目を丸くしていた。だが、いい、そんな事よりわたしには気になる事があった。
実は・・、
入った時から気になっていたのだが、この部屋は臭い!
わたしは眉をしかめて部屋の中を見回す。
普段女ばかりの生活をしているので、こんな匂いに耐性がなかった。
なんなの?この匂い・・。
汗なのか、何なのか分からないけど耐えられないわ!
わたしが思わず鼻を摘まんでいると、ランス隊長の低い声が飛んで来た。
「殿下の侍女長殿が、どういったご要件で?火急のお話でも?」
隊長は眼光鋭く見つめてくる。なかなか渋い魅力的な男性だ。ちょっと恐いけど・・。
「あ、ひえ、あの・・」
わたしが鼻を摘まんだ状態で、どもるように答えていると横に立つケインが一歩前へ出た。
彼は少し躊躇うような表情を浮かべてこちらを見ていたが、やがて自然な雰囲気で声を出す。
「リ、シェルは、我らに差し入れを持ってきてくれたのです。」
それから、わたしを柔らかく微笑みながら見ると、「なっ、そうだろ?」と口にした。
詰所にいた全員の息が止まったように静かになる。
わたしをきつい視線で睨み付けていた苦み走ったいい男の隊長も、瞳孔が開いた間抜けな顔でポカンとしていた。
勿論、わたしもびっくりしてしまい言葉も出ないでいる。固まって動かなくなったわたしに、ケインは苛立つように軽く肘をぶつけてきた。
わたしは慌てて息を吐き出しながら言葉を続ける。
「うん、そうなの・・よ?」と、引き吊り笑いを浮かべながら。
あまりに酷い演技に、ケインが呆れて溜め息混じりの視線を寄越してくる。
だって、しょうがないでしょう?わたしはあなたと違って不器用なのよ!
だが、ケイン以外はわたしのボロい演技に気付かなかったらしい。と、言うより、衝撃が強すぎてそれ所ではなかったようだ。
ケインはフェミニストで有名だが特定の相手はいない。また、色んな女性と浮き名を流すこともない。
彼を追い掛けてちやほやする人間は少女や中年以降の女性の場合が多く、対象年齢でなかったのかもしれない。
考えてみれば可哀想な男だ。一生懸命女性に尽くすのに、言っては何だがハズレのような女性にしか人気がない。当然、美味しい思いは出来ないと言う訳だから。
わたしは彼を気の毒に思いながら見た。
ケインは整った横顔を見せている。目は相変わらず嫌味な位輝いてるし、口元に浮かぶ笑みは優しげだ。
彼は黙っていたら、文句なくモテる美しい顔立ちをしている。
なのに年頃の女性に相手にされないのは、偏にあの性格のせいだ。あのふざけているのかと思う程の軽いノリと、よく滑る口のせいなのだ。
それが信頼できない感じを与えて、敬遠されているという事に気付いていないのだろうか?いや、気付いている筈だ。
だのに何故、そんな訳の分からない言動をするのかしら?
この人こそ、恋人などいらないと思ってるのではないの?
「あー、ケイン、お前と彼女はどういった関係だ?」
ランス隊長が咳払いを一つすると、気を取り直したように聞いてきた。彼の衝撃は幾分緩和されたのか、表情が戻ってきている。
隊長以外の騎士達も、緊張したように固唾を飲んで見つめていた。
おそらくこの詰所に、ケインが女性を連れて来た事など、今まで一度もなかったのだろう。同僚の騎士達の間でも、彼が積極的に恋人を作らないことに、疑問を感じていた者はいる筈だ。
そんな不思議な男ケインが、皆に見せびらかすように連れて来た最初の女がこのわたし、婚期を逃したお局侍女長だとは。
誰だってびっくりするわよね?わたしもよ。
だが、ケインはそんな驚きでは満足しなかったようだ。って訳でもないのだろうけど・・。
彼は事態に付いていけず呆然としているわたしの肩を抱くと、おもむろに言ってのけた。
「リシェルは僕の愛する人ですよ。ランス隊長。」
「エェ〜ッ!!」
「おまっ!それは本当か?!」
「いつの間に、そんな事に?」
そして、狭い詰所で大の大人の騎士達が大騒ぎで騒然としている中、平然とわたしの額にキスをしていたのだ。