王妃と侍女
こんにちは。
とても楽しく書けました。順番的にはもう1つのお話なのですが、この話を暫く先に書いていくかもしれません。
「あなたが居なくなると寂しくなるわ。どうしても帰らなければいけないの?」
王妃のマルグリット様が瞳を翳らすと、溜め息を吐かれた。
王妃はすみれ色の瞳をゆるゆると揺らしながら、長く腰まである淡い金髪を所在なげに指で弄って、時折ふうっと息を吐く。
その顔立ちは王女と、とてもよく似ていらっしゃる。
昼下がりの王妃の間は暖かな陽光が差し込み、お茶と甘いお菓子の香りに包まれて、穏やかな空気が漂っていた。
しかし、部屋の主は悲しげな表情を浮かべており、その雰囲気を暗いものに変えているのだ。
わたしは王妃からお召しがあり、かれこれ一時は愚痴のようなものをずっと聞かされていたのである。
「エミリィもまだ八歳なのよ。これからが一番大切な時なのに、投げ出してしまうのですか?」
「我が儘を申し上げ大変申し訳ございません。ですがマルグリット陛下、この前もお話しした通り、故郷が大変な状態になっておりまして、出来れば助けて欲しいと・・・。」
わたしはお昼を食べ損ねて今にもグウ〜と鳴りそうなお腹を押さえながら、何回も繰り返したセリフを口にした。
「その話は分かっています。去年の天災で作物が不作だったのでしょう?あなたのお父上は北の方のご領主だったわね?」
「はい、父と兄も自ら畑に出て作物を育てているような、領主と名のるのもお恥ずかしい小さな領地なのですが・・。」
王妃は難しい顔をして考えている。わたしは話を続けた。
「わたしも戻って二人を助けたいと思います。母にも無理をさせているものですから。」
この話は半分本当で、半分嘘だ。
去年作物が不作で、我がブラネイア家が大赤字を出してしまい領地の運営が大変なのは本当だが、父も母もわたしの助けなど欲していない。いや、寧ろ、わたしが戻ると食いぶちが増えて、迷惑さえ掛けるかもしれない。だから、半分は嘘である。
「いつ、こちらを発つ気なのですか?」
「国王陛下のお誕生日に行われる生誕祭が済んだら、と考えています。」
「まあ、もう直ぐではないの!」
王妃は大袈裟な程、驚いてみせた。以前も言ったと思うんだけど、お忘れになってたのかしら?
国王陛下の生誕祭は七日後に行われる国一番のお祭りだ。
この日は国王一家や領主である貴族にとどまらず、わたし達城に務める者や市井に住む庶民も総出でお祝いをする、国民皆が楽しみにしている日だった。
祭りが近付いている為に、王城の中も外も今はその準備で活気付き、普段より一層華やいでいる。
わたしが故郷に無理を言いつつ、なるべく早い時期にと急いでまで戻るのは、この生誕祭にも関係していた。
このまま王城にとどまれば、辛い思いをする時がやって来る。それは・・・。
「やはり、フェルナンドのことがあるから、ですか?」
王妃は苦悶の表情で見ていた。
「彼は陛下の近衛騎士ですね。滅多に会うことはないでしょうが、どこかで噂を聞くこともあるでしょう。そう言えば、生誕祭が終われば結婚すると聞きました。」
王妃はわたしから目線を反らすと、遠慮がちに語り出した。
胸がズキリと鈍く痛み出す。
自分で彼とのことを口にするのは平気になったのに、誰か他の人から言われると心が耐えられず弱ってしまうのは何故だろう?
生誕祭が済めばフェルは結婚する。国王陛下の信任厚い彼の話は、王城の中で噂になる筈だ。そして同時に、皆の好奇の目がわたしに向けられるに違いない。
何故ならわたしとフェルのことは、この城の者なら誰でも知っている。もうすぐ結婚する彼は、以前わたしと付き合っていたのだということを。
わたしはそれが恐い。だから故郷に逃げ帰る、弱虫だと他人に思われてもいい。
「それにしても陛下も人の心の分からない鈍いお方ですよ。女性を傷付けてそのままにしているような、騎士の風上にも置けない人物を今だに登用しているなんて、とんでもない怠惰だと思いませんか?」
王妃はいつの間にか、国王に対して怒りをぶつけているようだった。
「ですが、マルグリット陛下。フェル・・、いえフェルナンド様は優れたお方です。騎士としても、家柄に於いても、あの方よりも優れていると思う方をわたしは知りません。国王陛下もそのようにお考えなのではないかと・・」
王妃は「まあ!」と言って驚いたようにわたしを見る。
「騎士とは、女性を敬い、守り、尽くすものですよ。確かに、騎士の本分は色々あるでしょう。けれど、女性に礼儀を欠く行為は最も恥ずべきことなのです!ましてや、軽んじるなど許しておける筈がありません!そうではありませんか、リシェル?」
「え、ええ・・」
わたしは王妃に圧倒されて、頷くしか出来なくなっていた。
フェルとの悲しい思い出が、どこかに飛んでいったのはいいけれど、マルグリット様はどうされたのかしら?
「わたしの大切なリシェルを傷付けた男には、天罰が下るといいのです!彼にも相応の衝撃を与えて、人々の噂や視線に苦しませてあげましょう!」
王妃の口から漏れる言葉は、どんどん物騒なものになっていく。
「あの、ですがマルグリット陛下、フェルはわたしを・・」
彼はわたしを断腸の思いで諦めたのだ。
地方の小さな領主の娘。彼の両親はそんなわたしとの結婚を許してくれなかった。それでも随分長い間説得してくれたのである。
もしかしたらこの祭りの後、彼と結婚していたのは、わたしだったかもしれない。そう、一時はそんな話も出ていた。
彼に、広大な領地を持つ大領主の娘との縁談が持ち上がるまでは・・・。
「リシェルは人が良すぎます。あなたの名誉にも関わるのですよ!」
王妃はピシャリと言い放つと難しい顔をする。わたしは何も言えなくなった。
マルグリット様、お顔が恐いです。いつもは聖女のようにお優しいお顔なのに。
「いいことを思い付きました。」
だが、直ぐに王妃は笑顔になっていた。
額に落ちた柔らかい金髪の隙間から覗く、すみれ色の瞳が細く曲線を描いている。口元は口角を両方上げて、こちらも曲がっていた。一言で言うとニンマリと、笑っているのだ。
その表情は誰かとよく似ていた。そう、王女が何かを、大抵あまり良くないことだったのだが、それをする時の顔にそっくりだったのである。
お二人がご気性まで似ていたとは、全く気付かなかった。それにしても、嫌な予感がするのだけど・・。
「ふふふ、あなたも新しい男性と付き合えばいいのですよ!」
「ええっ?」
わたしは思ってもない言葉に驚いた。又もや声が出ない。
「そうね、相手は・・」
王妃は勝手に話を続けていく。え?ちょっと、待って下さい。何故、退官の話からこんなことに?
わたしは動かない口を、なんとか開けようとする。
王妃は暫く考えていたが、パッと表情を明るくすると自信タップリに口にした。
「そうだわ!ケインがいいわ!彼が適役よ。ケインなら女性の扱いにも優れているし、それにとても美男ですもの。」
そう言うと王妃は、真っ青になって震えているわたしを無視して、満足気に微笑んでいた。