王女とドレス
「ねえ、わたし、今日は桃色のドレスが着たいと言ったわよね?」
お目覚めになった王女は不満気に唇を尖らした。
王女は、太陽の光を纏ったような柔らかな金髪を揺らして頭を振り、明るいすみれ色の瞳を曇らすと、薄い桃色の頬を膨らまして剥れている。
そして肌着姿のまま、ベッドの上から一歩も動かない気で不貞腐れていた。
わたしが用意した若草色のドレスは床の上に投げ出されて、相手にもされていないようだ。
キャリーとルイーズはチラチラとわたしを見ながら、困り果てたように王女を宥めていた。
「エミリアナ様、桃色のドレスもお似合いですが、たまには、違うお色も可愛らしいですよ。」
「わたしも、こんなドレス着てみたいです〜。」
二人の努力の成果がなんとも涙ぐましいが、王女は全く興味を示していなかった。
「じゃ、あなたが着たら?わたしは、着ないから。」
王女はフンと鼻で笑ってベッドの上にゴロンと転がった。
八歳の王女に鼻であしらわれて、二人の侍女は為す術もなくおろおろしている。全く、情けないったら。
わたしは床に落ちているドレスを拾うと、王女の前に歩み出る。
王女もわたしの気配を察知して、戦闘体制に入っていた。
気持ちを静める為に大きく息を吸う。それから王女を真っ直ぐに見て言った。
「エミリアナ様!とっくに朝食の時間は過ぎておりますよ!いつまでドレス一枚で駄々を捏ねているのですか?」
自慢の大声を張り上げて、先制攻撃に出てやる。
こういうことは、相手に飲まれないようにするのが一番だ。つまり、こちらが飲んでやること。それには、大声はとてもよい手段だと思う。
王女はむくりと起き上がると、ベッドに仁王立ちになってわたしを睨み付けてきた。
だが、所詮八歳の女の子だ。いくら恐い顔をしても可愛いもんである。
それに大人のわたしに身長で勝てないからと言って、ベッドに立つなんて子供らしくて微笑ましいことじゃなくて?
わたしは余裕の笑みで迎え撃つことにした。が、流石にこの状態だと、明らかに王女の目線が上からになることは、この際気にしないことにする。
王女は、わたしの顔を穴のあくほど見つめると、やおら口を開いた。
「リシェル、あなた。朝からそんなに深い皺を、お顔に浮かべてたら駄目じゃない?もう、いい年なんだから。気を付けないと。」
「へ?」
わたしはあまりに予想外の攻撃に、対処できずに間抜けな声が出る。
「ねえ、あなた。叔母様と同じ年だったわよね?ちゃんとお手入れしてる?お母様も叔母様もそりゃあ気にしてらっしゃるのよ。」
この言葉には反応出来た。王女の叔母上様の大公夫人は、わたしよりもずっと年上だ。
「わたしはナディラ様と同じ年ではありません!少なくとも、わたしの方が十は若うございます。」
「あら、それは悪かったわ。でも本当に気を付けなさい。最近、小皺が目立ってきてるわよ、あなた。」
王女はニヤリと意地の悪い顔になる。完璧に分かってて言った訳だ。
ム〜、どうしてくれよう?
「お行儀の悪いお口ですね。いい加減になさいませ!」
わたしは王女に飛び掛かると、力任せに押さえ付けた。
「ちょっと、いきなり何するのよ!」
「強行手段を取らせて貰いますっ!キャリー、ルイーズ手伝って!」
わたしは、王女の礼儀作法がなってない等、問題行動があった場合には、多少の強引な手段を使っても良いとの許可を、王妃より賜っていた。
そう、平たく言えば、お仕置きと言う奴である。
『あなたの手腕に期待しているわ。エミリィをビシビシ鍛えてちょうだい!』
王妃のマルグリット様はそう言って微笑まれたのだ。
しかし、悲しいかな、今のところエミリアナ様は、おとなしく上品な理想の姫君とは真逆の姫になっている。
わたしは期待を裏切り続けている訳だ。
わたし達は三人がかりで王女を押さえ付けて、一斉にくすぐり始めた。
「ちょっ、・・ちょっと止めてよっ!くっ、・・くすぐったい、こらっ!もっ、ひゃあ〜ハハッ、ヒィ〜」
王女は足をバタバタしながら抵抗している。極度に敏感な感覚をしておられる為に、くすぐられるのが一番の弱味なのだ。
「どうなさいます?お召し物を着て下さいますか?」
わたしは、にこやかに尋ねた。
キャリーとルイーズがそんなわたしを疑いの眼差しで見ている。
分かってるわよ。侍女の出番とか偉そうなこと言っておいて、結局「力任せなの?」って思っているんでしょう?その通りよ。
「卑怯だわ!離してよ。誰が着るもんですか!あ、ちょっと、もっ、止めて!誰かあ〜助けてぇ、アハハッ」
その時だった。突然寝室の扉を叩く音がしたのだ。
「殿下!いかがされました?ご無事ですか?」
荒々しくノックをする音と共に聞こえてきたのは、護衛騎士のいやに真面目くさった声だった。
わたし達はピタリと静かになって、お互いに顔を見合わせる。四人ともキョトンとした顔になっていた。
えっと、何故ここで奴の声が聞こえてきたのだろう?
王女は暴れてもみくしゃになっている金髪の隙間から、すみれ色の瞳を細くしてニンマリと笑った。やばい!この顔は、何かする顔だわ。
「ケイン、わたしはここよ!助けてちょうだい!」
「はっ!」
護衛騎士は今にも扉を開けそうになる。わたしは大きな声を上げた。
「お待ち下さい!誰の許しを得てエミリアナ様の私室にお入りになったのですか?」
王女の寝室は私室の一番奥にある。ここまで来るには、先ず私室に入る許可がいる筈なのだ。
「わたしよ。わたしが許可したわ!」
王女が頬を紅潮させて、わたしに食って掛かる。
「そのようなやり取りをされた覚えはありません。」
わたしは王女に冷たい視線を向けた。
「殿下の危機に際しては、我等はいつでもどこでも、許可なく立ち入ることが出来る。お忘れか?」
その時、随分間延びした声が扉の向こうでした。
「危機ですって?これのどこが?」
「殿下の悲鳴が廊下まで聞こえてきた。助けて、という声が。」
声には段々面白がっているような響きが混じっている。
「なっ!」
わたしは目眩を覚えた。この男はわたし達をからかって遊んでいるのか?
「ケイン!わたしの一大事よ。助けて!」
驚いて力が緩んだキャリーとルイーズの手から抜け出して、王女が叫んだ。
「なりません!」
わたしは必死で扉の前を塞ぐように立つ。
「エミリアナ様の今のお姿は、たとえ臣下とは言え、殿方の前に出て良いものではありません!」
王女は自分の肌着姿を見た。それから、ちえっという表情をする。
「だ、そうです、殿下。いかがされますか?」
扉の向こうで、今や完全に笑いを含んだ声が返ってきた。
王女は項垂れたようにわたしの手元のドレスを見ると、諦めたように口にする。
「・・リシェル、そのドレスを着るわ。着付けてちょうだい。だから、ケイン!そこに居てね?」
「仰せのままに。」
扉の向こうの声は優しい響きだった。
ドレスを着ると、王女はわたしが止めるのも聞かずに寝室を飛び出した。
ドレスは着たが、頭の方はボサボサだ。普通の娘なら恥ずかしくて死んでしまうだろう。
死んでしまうは、言い過ぎだけど・・。
「ケイ〜ン!」
兜を脱いだ騎士のケインと青年が、王女を見ると片膝を床につける。
王女が両手を差し出すと、彼らはその手に口付けをした。
「ご無事で何よりです。」
ケインは頬を緩めて王女を見ている。
無事に決まってるじゃない!
わたしは呆れて彼に抗議しようかと思ったが止めることにした。会話を邪魔するなんて不作法だ。
「本当よ。ケインとアーサーが来てくれなかったら、わたし笑い死んでいたわ。リシェル達ったら手加減してくれないんだもの。」
ケインの隣の青年が微妙な表情をして下を向く。アーサーって名前だったのか・・・。
「侍女殿達は殿下を大きな愛でお守りしているのです。厳しく見えたとしても、その裏には深い愛が隠れているのですよ。」
王女は口をへの字に曲げて呟いた。
「そんなのわたしだって、分かってるわ。だけど、リシェルは・・・。」
ケインは王女の瞳を覗き込むと、褐色の瞳にいたわりを浮かべてふんわりと微笑む。
「リシェル殿が退官されるのがお淋しいのですね?」
えっ?
「違うわ!リシェルが居なくなっても全然平気よ。」
王女は慌てて否定した。
「そうよ、わたしは、リシェルが居なくなっても大丈夫よ?変なこと言わないで、ケイン!」
ケインは目を閉じて軽く笑うと頭を下げる。
「失礼致しました。出過ぎた真似を。」
「あら、怒っているわけじゃないわ。ほら、わたしを見て。怒ってないでしょ?」
王女はわたしの視線を無視するように、彼に甘え始めた。
わたしは驚きのあまり口が聞けないでいた。
ケインの言ったことは本当なのかしら?
いつも気がつけば言い合いになってしまうのだけど、王女はわたしのことを慕ってくれていたの?
俄には信じがたいけれど・・。
「それにしても、殿下はどんな色もお似合いですね。その若草色の目にも爽やかなドレスは、溌剌とした殿下の良さを引き立てていて素晴らしい。とても、お美しいです。」
突然、ケインはうっとりとした視線で、王女のドレスを褒め称え出した。
王女は目を丸くして彼を見る。
いや、王女に限らずキャリーやアーサーなど、この場にいる全員が彼の言葉に度肝を抜かれていた。
「・・本当に?」
王女は疑うような目でケインを見つめている。
確かに、ドレスは王女にお似合いだが、如何せん頭と顔がボロボロだ。あれを何とかしないとそこまで断言出来ない筈。
しかし、ケインは自信たっぷりに言い切った。
「はい。わたしは、殿下が色んな彩りのご衣装をお召しになっているお姿を、出来ることなら是非見てみたいと思います。とても、お美しくお可愛いらしいでしょうね。殿下、わたしの願いを叶えて下さいませんか?」
彼は王女に、とびきりの熱い視線を送った。
王女はケインの視線をまともに浴びて、顔を赤らめると俯く。キャリーとルイーズが後ろで「きゃああ!」と声を上げ騒ぎ始めている。
わたしは頭が痛くなって額を押さえた。
何だ、この男は?こんな少女にまでフェミニストの本領を発揮しなくても・・。
「・・しょうがないわね。ケインがそこまで言うのなら。キャリー、ルイーズ。明日から日替わりでドレスの色を変えてちょうだい。」
王女はコホンと咳払いをすると二人に命じた。
「エミリアナ様、桃色はどうされる、のですか?」
キャリー達はキョトンとした顔で王女に聞く。王女の心変わりが信じられないらしい。
「桃色は当分いいわ。充分着たもの。」
王女は罰が悪そうに横を向いた。
「それでは、我々はこれで。直に交代が参りますので。」
ケインがアーサーに目で合図を送り立ち上がった。
「ケイン、わたしのドレスを見たいのよね?」
王女が戻ろうとする彼に声を掛ける。
「はい。」
ケインは静かに頷いた。
「じゃ、毎日見に来るのよ。分かった?」
「仰せのままに。」
ケインは頭を下げると扉へと歩いて行く。暫く歩くと、彼はこちらを不意に向いた。
そしてわたしに向かって、ふわりと笑顔を見せる。
ドキンとした。
それは、いつもの人を馬鹿にしたような笑顔ではなかったのだ。
ただ、ただ、優しい笑顔だった。
何故?
そんな顔をするの?
わたしは意味が分からなくて困惑する。
ケインは小さく息を吐くと、何も言わずに兜を被った。
それから、もう一度王女に退室の挨拶をすると、アーサーと共に部屋を出て行った。
何が言いたかったんだろう?さっきの彼は何か言いたげだった。
でも、わたしが分からないから諦めたみたいに見えた。
何だったって言うんだろう?
はっきり言ってくれたらいいじゃないの。あんな思わせ振りな顔なんかして出て行かなくても。気になってしまうじゃない。
わたしはイライラしながら王女を鏡の前に連れて行く。キャリーとルイーズがバタバタとアクセサリーや化粧の用意を始めた。
「リシェル、引っ張ったら、痛いわよ。」
「申し訳ございません。」 王女の顔は薄汚れていた。このままでは化粧はできない。
「エミリアナ様、少しお待ち下さい。」
わたしは王女の顔を拭く為に、置きっぱなしだった湯桶を取りに寝室へと戻った。すると、キャリーが後から付いて来ていることに気付く。
「どうしたの?」
わたしはニコニコと笑って、こちらを見ているキャリーに尋ねた。
「良かったですよね。」
彼女は夢見心地で呟いた。
「え?何が?」
キャリーはびっくりしたように、わたしを見る。
「エミリアナ様が桃色以外のドレスを着ると、仰ってたじゃないですか!色んなお色を着て下さると!」
「ああ、そのこと?」
わたしは、ぼんやりしながら答えた。
そんなこと、どうでもいいわ。それよりわたしは、今大事なことを考えていたのだから。大事なこと? ・・えっと、何を考えていたのかしら?
「これも、ぜ〜んぶ!プリンスのお陰ですわね。」
フフフと明るい声で喜ぶキャリーの声が聞こえる。
「え?」
わたしは目を見開いてキャリーを見た。
「ケインの?」
「そうですわよ。プリンスが、エミリアナ様をその気にさせて下さったからではありませんか!」
キャリーは目を瞑るとうっとりと話し出す。
「流石、プリンス!素敵でしたわ!侍女長でもどうにも出来なかったエミリアナ様を、コロッと参らせてくれるんですもの。」
あ、とキャリーは口元を隠し首を竦めた。それからこちらをチラリと見る。言い過ぎたことに気が付いたようだ。
わたしはそんな彼女を無視した。仕方ない、本当のことだもの。
それよりも、あのケインが?
いつも軽口ばかり言ってる軟派な男が?
わたし達が困っていたから、手助けしてくれたとでも言うの?本気で?
まさか!
あり得ない。
わたしはきっぱり否定した。
「偶然よ。あの男がいつもの軽口をエミリアナ様に囁いたら、殿下がその気になられただけ。そんな深い考え、あの人にあるわけないでしょう。」
「え、でもぉ・・・。」
キャリーは納得いかないようでブツブツ言っている。
「そんなことより、ルイーズ一人に任してたら心配だわ。さっ、戻るわよ!」
わたしは強引に話を断ち切ると、無理矢理彼女を寝室から追い出した。
あり得ないわよ、そんなこと。
そうよ、あの男はいい加減で気まぐれで・・・
でも、
あの時、
ケインが言いたかったことは・・もしかしたら?
『よかったな。』
だったのかしら・・・
わたしは、そんなことをぼんやりと考えていた。