恋心と突然の・・ その2
「僕の母は、父の奥方に仕える侍女だった。」
彼の告白は、わたしには衝撃的な内容だった。王妃が彼には複雑な事情があると仰っていたのは、このことだったのだ。
ケインは落ち着いた声で、静かに過去を話し始める。薄暗い納屋の陰で、古い物語でも語るかのように、彼は淡々と言葉を紡いでいた。
時々風が吹いて、彼とわたしの間を抜けていく。その涼やかな風でさえ、彼が発する声の心地よさには負けていた。
どうして、こんなに穏やかな顔が出来るのかしら?わたしは不思議な気持ちで耳を傾ける。
「平たく言えば、僕は妾の子だ。だが、そんなに珍しい話でもないだろう?」
ケインはわたしの方へ顔を向けると笑った。いったい、どんな顔をすればいいの?困ってしまって表情が微妙になる。彼はそんなわたしの様子を見て、苦笑を浮かべ視線を反らした。
「母は、僕を妊娠した後、侍女から料理人へと変わった。母に拒否など無理だったとは言え、奥方を裏切った訳だ。追い出されなかっただけでもよかった。」
「あなたは、それでお母様と引き離されたの?」
「いや、僕は父に無視された。息子として認めて貰えなかったんだ。あくまで料理人の子供、それが僕の身分だった。」
ケインは納屋の壁にすがったまま、しゃがみ込む。それからわたしを見上げて、「君も座るか?」と聞いてきた。ドレスが汚れると躊躇っていると、納屋からわらで出来た筵を探してきて、隣に敷いてくれる。それから、筵の上の埃を手で丁寧に払った。
「さっ、どうぞ、姫。あまり綺麗ではありませんが、宜しければこちらへ。」
彼は、明るい声で座るよう促してくる。
「ありがとう・・・」
わたしは緊張しながらも彼の横に座った。ケインとの距離がぐっと近くなってくる。嬉しかった。
彼の、軽薄にも聞こえる口調の裏に隠された、優しさがとても好きだ。
どうして以前は気付かなかったのだろう?思い出せば、いつも気遣ってくれていたのに。
表面に見えている部分だけを見て、わたしは毛嫌いしていた。軽くて女好きの最低な奴だと思っていたのだから。本当になんて馬鹿なのか・・。
「勿論、父の家族も、使用人達も、僕の父親は知っていた。だが、当主が知らん顔をしているんだ、関係ないだろう?そんな訳で子供の頃から下働きの子に混じって一緒に働いていたよ。働くだけじゃなくて遊びもしたな。楽しかったよ。」
ケインは懐かしそうに顔を綻ばせる。童心に戻って走り出そうとするかのように。
「彼女は、そんな遊び相手の一人だ。彼女の母親も料理人だったから自然に仲良くなっていったな。僕らは年も近かったし、当然の成り行きだった。」
いよいよ本題に入って来たのだろうか?わたしは体を硬くした。
「いつしか、僕と彼女は、友人よりも大切な存在になっていた。まだ子供同士とは言え真剣だったよ。自分達で勝手にだが、将来を約束したりもした。そう、婚約したんだ、内緒のね。」
ケインは目を閉じて息を吐く。その顔は、うっすら笑っているようだ。何を考えているのだろうか?多分、幼なじみの彼女を思い出しているに違いない。
「そんな状況が変わったのは、いつだったか?父は流石に僕を放任するのは不味いと思ったらしい。妾の子供でも、自分の息子だ。せめて恥ずかしくないようにさせようと、考えたのかどうか分からないが、教育しだしたのさ。十三ぐらいだったかな。」
「お父様は、あなたを息子と認めたの?」
「いや、その時はまだだった。想像だが、父は僕を兄の侍従にしたかったのさ。だから教育を受けさせたんだ。兄が恥を掻かないようにね。」
「そう。」
「その頃から、僕は下働きのような仕事はしなくなった。いや、させて貰えなくなったんだ。綺麗な服を宛がわれて兄の小姓になっていた。寝るのは母と同じ部屋だったが、他の使用人の子供や彼女とも顔を合わせる時間が減っていった。」
「それで彼女と疎遠になったの?」
「確かになかなか会えなくなったが、僕達はお互い好き合っていた。時間を作って会ってたよ。まだその頃は将来一緒になると思っていたんだ。」
「じゃ、どうして?」
「僕の環境が変わったのは十五位の時だった。ある日父の屋敷に、近隣の領主が客人としてやって来た。その際、僕は兄について客人との会席に同席が許された。とは言え、あくまでも小姓としてだったが。・・今思えば、それが運命の分かれ道だったのかな。」
ケインは顔を歪ませる。彼にとって辛い思い出の話になってきたのだろうか?
「その客人は娘を連れて来ていた。双方の親は自分達の子供を目会わせたかったのだと思う。政略結婚って奴だ。勿論、父は兄の妻にと考えていた筈だ。だが、彼女は兄ではなく僕を気に入ってしまった。しがない小姓のなりをしていたというのに、僕じゃなきゃ嫌だと大騒ぎしたんだ。」
ケインは険しくしかめていた顔を、フッと緩める。それからこちらを真っ直ぐ見てきた。
「それが、君が聞いた婚約者だよ。」
「でも、あなたは心に決めた人がいたのよね?幼なじみの彼女が。」
「ああ、だが相手にして貰えなかった。所詮、子供のままごとだってね。」
「それで、駄目になってしまったの?」
ケインは少しの間、前を向いたまま沈黙する。わたしは彼の横顔をじっと見つめていた。
「父はやっと僕の存在に気付いたみたいだったよ。そう、利用価値があることにね。それから、正式に息子として認めてきたのさ。母も父の夫人の一人として迎えられた。冷たい対応だったがね。父にとっては誰でもよかったんだ、息子でありさえすれば。喩え兄でなくても僕と彼女が結婚すれば、両家の縁は強固なものになるのだから。」
「そんな、その幼なじみの彼女はどうなったの?」
「僕が本格的に教育を受けることになって、叔父の元へ行っている間に暇を出されてた。彼女の家族も全員だ。戻ってきた時には、全てが終わった後だった。しかも僕と例の女性との婚約も正式に結ばれていたんだ。」
「じゃあ、彼女はいなくなってしまったの?」
「捜す術などなかった。それから従騎士として城へ上がったんだが、婚約者となった女性が許せなくて、全て彼女のせいにしてしまった。僕はどうしようもない子供だった。だから、彼女に冷たい仕打ちを・・。」
「それで宿舎に来た彼女に会わなかったのね。」
ケインは気まずそうに頷く。
「君達二人と、似てると思わないか?」
彼は渇いた声で囁いた。掠れた声が耳の直ぐ横で聞こえて、胸がドキリとする。
「えっ?」
「本当に好きな相手とは引き裂かれ、別の人間と無理やり一緒にさせられる。君ではなく、ディッケンズ殿とだが、同じ状況だ。」
「・・それであの時、彼はあんなことを言ったのかしら?」
「あんなこと?」
「自戒の意味があるのかって、あなた自身のことを聞いてきたじゃない。」
「そのことか・・、多分そうだと思う。彼には僕の過ちは繰り返して欲しくなかった。それに・・」
「それに、何?」
ケインはわたしの顔を見下ろしたまま黙ってしまった。何かを言いたげな瞳が、反らされることなく見つめてくる。どうしたらいいのか分からない。
お願い、何が言いたいのかちゃんと教えて?
だが、また彼は言葉を飲み込んでしまった。「何でもない。」と、前を向いてしまう。
どうして、いつもそうなのよ!
何だか腹が立ってきた。何故、こんなにイライラさせられるのだろう?いつだって肝心なことは、はぐらかされているような気がするのは何故なのか?
「婚約者だった彼女は、今は幸せなのでしょう?幼なじみの彼女だって、とっくに幸せな結婚をしているに決まってるわ。」
「えっ?」
「あなたはいつまでも引きずっているけれど、女は強いのよ。過去のことを、振り返ってばかりではいられないんだから。」
ケインは目を丸くして振り向いた。
「君もなのか?もう振り切れたと?ついこの前、あんなに泣いていたのに?」
「ええ!わたしだってそうよ!いつまでもフェルナンドに心を縛られてはいないのよ!」
だって、泣いたのは彼のせいなんかじゃないもの! 知らないでしょうけど、他でもない、あなたのせいなのよ!一生、言うつもりはないけど・・。
「そうか・・」
彼は絶句している。
「あなたは、どうなのよ?あなただって、いずれは結婚するでしょう?まさか、いつまでもプリンスとか言われて、喜んでるつもりはないでしょうね?」
「手厳しいな。だが、僕は結婚などする気はない。」
「何故?ずっと幼なじみに操を立ててるつもりなの?馬鹿じゃないの?」
「あのな、そういう君もマルグリット陛下に、そう言ってたじゃないか?両親を看取れば、修道女になるんだろ?」
「あら、じゃあ、あなたは修道士になるとでも言うの?」
「そんなこと、一言でも言ったか?僕は騎士として、主君にこの先もお仕えする。結婚は、考えていないだけだ。」
ケインは怒ったように言い切った。彼は、話を打ち切ると言わんばかりに立ち上がって砂を払う。
「さぼり過ぎた。そろそろ、あいつらも帰って来るだろう。」
わたしは背中を見せる彼に問い掛ける。今を逃したら、もう二度と聞けないかもしれない。どうしても、彼の本音が知りたい。わたしはこの機会を絶対逃すつもりはなかった。
「ねえ本当に、一生、結婚しないの?恋もしないつもり?」
「まだ、その話を続ける気か?君には関係ないことだろう?」
「この先、ずっと一人でいるつもりなの?あなたのことを好きだと言う人が現れても、拒み続けていくの?」
「心配してくれなくても、そんな人は現れない。僕は勘当された身だ。金がない男など相手にする女性はいない。それに僕の性格は知っているだろう?君だってずっと嫌っていたじゃないか。」
「本当に何も分かってないわね。お金がないのが何だって言うの?女を馬鹿にしないでよ!あなたのその性格がいいと言う人だって現れるかもしれないわ。現にうちの侍女やエミリアナ様だって、あなたが大好きなのよ?あなたは好きだと言われても一切受け付けない気なの?」
「彼女達のは、ただの気の迷いだ。年頃になればちゃんと気付くのさ。いい加減にしろよ、どうしたって言うんだ?何に腹を立てている?」
うんざりしたような顔をしてケインは振り向いた。それは小さい子供の癇癪に、手を焼いている大人のような顔だった。そんな彼の態度にも苛立ちが募ってくる。
「もしかしてわざとフェミニストを気取ってるの?しかもその理由が関心を引きたいからではなく、相手に本気になって欲しくないからってこと?なんて人かしら!中途半端に優しくはするけれど、自分に恋はするなって、とんだ自意識過剰なナルシストですこと!」
わたしは大声を出していた。もう止まらなかった。
「酷い人ね!最低よ!」
ケインは暗い目をして、わたしを見ている。彼はわたしに近付くと冷たい目で見下ろしてきた。
「何に腹を立てているのか一向に見当もつかないが、いい加減に煩い口を止めないと後悔することになる。」
「何ですって?どう後悔することになるのよ!」
「君の口を塞ぐなど、簡単なんだ。」
彼は顔を歪めて笑った。
いつの間にか、座ってるわたしに覆い被さるように膝をつくと、背中を曲げて顔を近付けている。それからわたしの頭の直ぐ後ろにある壁に、ドンッと大きな音を立て片手をつくと、食い入るように見つめてきた。
その表情は知らない男のようで、とても怖い。
「あっ・・」
だけど、負けたくなかった。ケインの脅しに震えて弱い女に成り下がりたくない。以前、宿舎で脅された時みたいに、相手の思う壺になる気はなかった。
「怖がらせようとしても無駄よ!あなたの脅しなんて平気なんだから。」
ケインは目の横をピクリと動かす。それから、ぞっとするほど低い声を出した。
「あくまでも止めないのか?言っておくが、これは脅しなんかじゃない。君が悪いんだからな。僕は警告した。」
「何を言ってるの?意味がっ・・あっ・・」
わたしは、いきなりケインに頭を引き寄せられた。
突然のことで何が起きたのか分からない。
目の前に彼の閉じた瞼が見えた。そして気付く、声が出せないのだ。何かが口を塞いでいる。
それは、彼の唇だった。
彼の唇が、わたしの唇に柔らかく押し当てられていた。
壁にあった彼の左手が、強く抱き締めるように背中に回ってくる。
頭を押さえていた右手は、優しくわたしの髪に指を絡ませると、顔の角度を変え口付けを一層深くしていく。
心臓が壊れそうなほど動悸が早くなり、息も出来なくなった。わたしは、彼に全てを吸い込まれそうで何も考えられなくなり、頭がぼうっとしてしまう。
「簡単だったろう?」
気が付くと、彼はわたしの体を離していた。相変わらず濁った瞳を向けて、優しさの欠片もない顔をしている。
わたしは、彼の言葉の意味が理解出来なかった。
「えっ?」
「君の生意気な口を止めることさ。これに懲りたら、あんまり不用意に男を挑発するのは止めるんだな?痛い代償を払うことになる。」
そう言うと、馬鹿にしたように鼻で笑った。今まで見たことのない冷たい笑みだった。頬がカッと熱くなる。
「馬鹿!大嫌い!」
わたしは彼の顔を思い切り叩いてやった。恥ずかしくて惨めでどうしようもなくなる。今、自分の身に起きたことが信じられなかった。
彼は、ケインは、わたしに罰を与えたのだ。
それなのに、わたしは・・。
「知ってるさ、そんなこと。」
ケインは、呆れたように呟く。彼にとっては、どうでもいいことだった。溜め息を吐いて顔をしかめると、赤くなった頬を押さえて目を背ける。
だがわたしの心は、彼のそんな態度にも傷付いてしまっていた。
わたしは、よろよろと立ち上がり歩き出し始める。
今度は彼も引き止めはしなかった。去って行くわたしに、ただの一言も声すら掛けてくれなかった。
その時のわたしに、振り返る勇気などある訳ない。
だから、彼がどんな顔をしていたのかなど、知る由もなかった。
初めてのキスシーンでしたが、頑張って書きました!ラブラブのシーンではなかったのでちょっと不安ですが、自分的には満足しています。いかがでしたでしょうか?
ラストまであと少し(の筈)、頑張ってスパートかけていきますので、最後までお付き合い下さると嬉しいです。




