恋心と突然の・・ その1
ケインは黙ったままだった。それどころか、笑顔もなくこちらを見もしない。
こんな、取り付く島もない状態の彼は初めてだ。
ケインと言ったら、軽くて軟派が代名詞である。あまり有り難くない事だと思うが、彼は進んでそう振る舞っているようにも見えた。誰にでも気軽に軽口をきく陽気な男、少なくともわたしの知ってる彼はそうなのだ。
だから今の彼に、どう対応したらよいか分からない。
視線を合わせようともしない彼に、まるで拒否されているようで、話し掛ける勇気などほんの少しだって湧いてこなかった。
「あの、ごめんなさい。お仕事中に・・」
漸く言葉を絞り出したが、これ以上は一言だって今のわたしには無理だ。
「いや。」
彼は、相変わらず横を向いたまま返事を返してくる。酷く素っ気ない言い方だった。
どうしたのだろう?
わたしは、迷惑そうな表情をしている彼を見ていられなくなる。
王女の護衛騎士達は、彼の前で噂を話すと不機嫌になったと言っていた。
それは、あの噂ではないだろうか?ジュリアが教えてくれたあの、フェルナンドにケインが言った・・・。
「君は聞いたか?」
突然、彼の声がしてきた。
「えっ?」
咄嗟のことに反応が出来ない。ケインが話し掛けてくれた、ホッとして笑顔が出そうになる。
「いや、聞いてなければいい。」
彼はまた、黙ってしまった。
折角、会話の糸口が見つかったのに、自分で駄目にしてしまうなんて・・。だけど、こんなケインに普段のように話し掛けるなんて、絶対に無理だ。
「あの、わたしはこれで・・・」
わたしはこの場を立ち去ることにする。
もう、駄目だった。これ以上彼の側にいたら、また泣いてしまうかもしれない。そんな事態だけは何としても避けたかった。惨めな泣き顔を曝したくはない。こうなったら、少しでも早く彼の前から逃げなくては。
だが、歩き始めたわたしの手を、後ろから伸びた大きな手が掴んで引っ張った。
わたしの足元に、彼の手から滑り落ちたであろう兜が転がって来る。
びっくりして振り向くと、同じように驚いた顔をしてわたしの手を掴んでいるケインがいた。
彼は自分のそれを、不思議なものでも見るように見ていた。まるで、意志に反して勝手に動いたとでも言うように。
「あ、すまない。」
ケインは焦ったように手を離す。
「何でもない、行ってくれ。」
それから、恥じらったように反対の手で顔を隠すと、もう行けとばかりにもう一方の手を振った。
もしかして、引き止めてくれたの?
わたしは足元に落ちている兜を拾って、彼に手渡す。
「・・わたし、ここにいても、よろしいのですか?」
気が付けば、そう彼に聞いていた。
ケインはわたしの言葉に怯んだように目線をさ迷わすと、暫く黙り込む。それから頬をポリポリと掻きながら、独り言のように呟いた。
「あー、実は、独りだと気が緩みそうになって困っていた。あいつらが戻ってくるまで、・・・いてくれると助かるが・・。」
そして、照れたような笑みを浮かべる。それは今日、彼が初めて見せてくれた笑顔だった。
「あなたが先程聞いてきたことですけど・・」
わたしは、うやむやになった噂話の事を口にする。
「あれは、もういい。気にしないでくれ。」
ケインは煩わしいのか、その話題を終わらせようと、早口で言い返してきた。やっぱり、あのことなのだろうか?
「いえ、わたしもさっき聞きました。この間のことでしょう?中庭での・・」
「聞いたのか?誰が、全く!」
「聞いたのはジュリアです。彼女は王太子殿下に、殿下はマルグリット様よりお聞きになったそうです。」
「マルグリット陛下が?・・では、あの侍女が盗み聞きをしていたという訳か・・」
彼は苦い顔をして結論付ける。そして、あの時きちんと後ろ姿を確認すべきだった、などとブツブツぼやいている。
「あなたもそう思う?わたしもなの。」
「他に考えられないだろう?ディッケンズ殿は、そんな男ではないのだから。」
ケインは難しい顔をしてわたしを見た。
「あなたでは、ないわよね?」
わたしは、ケインの顔を意地悪く笑って見上げる。
彼とまた、こんなやり取りが出来るのが嬉しくて仕方ない。ついさっきまでのわたしは、今にも人生が終わったかという程に不幸だったのに、信じられる?
「当たり前だ!」
ケインは大きな声を出して否定した。それから辺りを気にして声を潜める。納屋の裏手にはわたし達しかいないが、表側には離れてはいるものの、他にも人はいるのだ。
「驚いたんだぞ。今朝、あいつらから聞いて。」
「それで、不機嫌だったの?皆にあの言葉を知られてしまったから。」
「何故、それを?」
「あなたのお仲間が、わたしをここへ連れて来る途中に、そう言ってたから・・。腹が立ったんでしょう?からかわれて。」
ケインはギョッとしたようにわたしを見た。
「あいつら、余計なことを・・」
「怒らないでいてあげて、彼らは誤解しているの。わたしがあなたの機嫌を直せる唯一の人間だと思って、それで話してくれただけだから。」
わたしは彼に笑顔を見せる。ほら、大丈夫。平気な顔ぐらいちゃんと出来るじゃない。
すると、ケインはすっと横を向いた。無表情な顔が何だか怒ってるようにも見える。
「そうだな。・・だが、不機嫌の理由は、からかわれて恥ずかしかったからではない。」
「理由は何よ?」
また、気まずい雰囲気になるのかしら?それは嫌だ。
彼はこちらを向いて笑った。そして、いつものヘラッとした笑顔で意地悪く言う。
「君には関係ない。言うつもりも、ない。」
「何よ!意地が悪いわね。」
わたし達は顔を見合わせて笑った。さっきまでの悩みが嘘みたいだ。
「君だって、相当だ。自分では気付いていないだろうが、」
ケインは瞳を細めて苦笑を浮かべる。
意地悪はわたしだとでも言う気なのかしら?酷いじゃない。
「わたしのどこが?教えてくれたら、直して差し上げてよ。」
わたしは胸を張って高飛車に言ってみた。
ケインは、ハハハと笑いながらこちらを見ている。だが、ふっとその声が止まった。
「僕には、そんな権利はないよ。いつか、誰かが教えてくれる。」
「何よ、権利って?意味が分からないわ。」
彼は独りで納得したように静かに笑っている。わたしが苦手な、優し過ぎて切なくなるような笑顔だ。
その顔を見ていると無償に苛立ちが湧いてきた。何故、そんな余裕のある顔が出来るのだろうか?
「でも、この後どうするつもり?」
わたしは強い口調で問い詰める。
「どうするって?」
彼は急に変わったわたしの態度に戸惑っていた。
「鈍いわね。この噂の収拾を、どう決着付けるつもりなのよ?もう、生誕際は目の前よ。」
わたしは祭りが終わればいなくなるのだ。さっきは恥ずかしがってはいないと言ってたが、そんな筈はない。噂の矢面に立つのは他ならぬ彼なのだから。
「ああ、そのことか?」
ケインは何でもないような顔をした。
「君に、愛想を尽かされたと言うさ。振られてしまったってね。僕の性格は皆知っている。誰もが納得する終わり方だ。」
「・・二度目だから、平気なの?」
心臓が壊れそうな程速く動き出した。馬鹿、何を聞くつもりなの?
ケインは静かにわたしを見ている。彼の目は何も映してないようだ。
「二度目?・・ああ、婚約破棄のことか。知ってたんだな、君は疎そうだから知らないかと思ってた。」
「知らなかったわ、最近聞かされたのよ。」
ケインは驚きはしなかった。昔の話を、今頃わたしが知ったことに対しても。
「仕方ないな。僕が仕出かした事だ。君の耳に入るのは時間の問題だった。」
「どうして婚約者に冷たかったの?あなたらしくないわ。」
彼は睨むようにわたしを見ると溜め息を吐く。
「君には、関係ない――と、言いたいところだけど全く無関係でもないか・・。」
「えっ?」
「今回の君の婚約破棄、それとよく似た経験を過去に僕はしている。まあ、どちらかと言えば、君じゃなくてディッケンズ殿の方だが。」
「婚約者のこと?」
「君が言ってるのは、この城に従騎士として上がってからの事だろう?その方とは少し違う。」
「どういう事?」
ケインはわたしから視線を外し遠くを見た。それは景色を見ると言うより、遠い過去の出来事を思い出しているような定まらない視線だった。
彼はそれから目を閉じて小さく笑うと、懐かしむようにポツリポツリと話し始める。
「僕には、子供の頃からずっと好きだった、幼なじみがいたんだ。」
彼は褐色の瞳を揺らして、遠い日の少年のように微笑んだ。




