噂と過去
「リシェル、あなたとケインは、いったい何なの?」
王女が唇をぷっくりと膨らまして、拗ねたように声を掛けてこられた。
「何といいますと?」
わたしは内心、遂に来たかと覚悟を決めたが、取り敢えず惚けてみせる。
午後の王女の部屋では、生誕際にお召しになるドレスの丈を、わたし達三人の侍女で手直しをしていた。
長閑過ぎる昼下がり、わたしは出そうになる欠伸を懸命に堪えて、作業を行っている。そこへ、様子を静かに見守っていた筈の王女が、こちらの目が覚めるような質問をしてきたのだ。
気が付けば、キャリーとルイーズの二人の侍女も、緊張したような顔を見せてわたしを窺っている。
王女はわたしの返答に、苛ついたように大声を上げた。
「誤魔化さないで!もう城中の噂よ?」
「・・その噂を、どなたにお聞きになられたのですか?」
「お母様よ!わたしだけじゃなくて、お父様にもお兄様にもお姉様にも仰ってたわ!」
王女は泣き出さんばかりに興奮して叫んでいた。
マ、マルグリット様、何故、ご自分から広めるような真似を・・・?
王女は尚も詰め寄ってきた。
「ねえ、どうしてよ?どうして、わたしよりお母様の方が先にご存じなの?」
それは、この件は、全てマルグリット様の考えられた計画だからです。とは、やはり言えない。
「あなた達の主はわたしなのよ?お母様より先に話してくれなきゃ困るわ!」
「申し訳ございません。」
わたしは深く頭を下げる。ここは、誠意を見せて謝るしかない。
「本当なの?」
「はっ?」
「否定しないと言うことは、本当なのね?」
見れば、王女と侍女二人が、仲良く並んで目をうるうるさせている。
・・あの?
「エミリアナ様!」
二人の侍女が涙を湛えた目で王女に向き合った。
「キャリー、ルイーズ!」
王女も侍女の名を呼び、三人はしっかとお互いの肩を抱いて泣き崩れた。
「プリンスが、わたし達のプリンスが、こんな年増侍女に〜、」
そして、大声を上げて涙を流す。
「あの素敵なプリンスが、こんな年増侍女となんて〜、」
その声は部屋に響いて正直煩かった。しかも人のことを年増、年増とそんな目で見てたのですか?
「年増で悪うございましたね。ですが、わたしが年増なら、あちらも年増ですわよ。わたし達同い年ですから。」
わたしがムッとして呟くと、三人は泣くのを止めてこちらを見る。
それからまた顔を見合わせた。その目から新たな涙が湧いてくる。
「酷いわ〜!プリンスが、こんなに趣味が悪かったなんて〜!あんまりよお〜!」
そして綺麗にハモりながら、再び泣き声を上げるのだった。散々な言われようだ、わたしってば。まあ、こんな芝居も長くは続かないから、いずれ許してくれるだろう。
*
王女の部屋を辞したわたしは、扉の外で護衛騎士と会釈をし合う。
すると、騎士の一人が気安く話し掛けてきた。
「ケインさんなら、今は鍛練場で稽古中ですよ。」
「そうですか、ありがとうございます。」
兜を付けている為表情は見えないが、声は笑っているようだ。
「それでは、これで。お勤めご苦労様です。」
わたしは騎士の前を通り過ぎた。長居はあまりしたくない。
「ごゆっくりして、いらして下さい。」
彼らの、からかうような声が返ってきた。
鍛練場に行けとでも言っているようだった。
あの日以来、わたしと王女の護衛騎士達との間は縮まった。あの日とは、ケインがわたしを詰所及び宿舎に連れて行った日だ。
彼のお陰で二人のことはあっと言う間に王城に広まり、わたし達のことは今や公然の事実になっている。
城の人間は皆新しい話題に飛び付き、フェルナンドと彼に捨てられた哀れなリシェルの話は、既に過去に忘れ去られていた。
何と言うか、王妃の予想が当たったという訳だ。
あの日―――
わたしは、ケインの部屋で彼を待っていられなかった。
椅子を携えて戻って来た彼は、さぞかしびっくりしただろう。わたしが挨拶もそこそこに「もう帰る」と言い出したのだから。
だけど、わたしが戻ると告げた時に、ケインの顔もホッと安心したように緩んだのはどういう意味なんだろう?
あの時は自分の心境に戸惑っていた。だから二人きりが苦痛だったので、敢えて追及はしなかったけど面白くない。今だったら、もう落ち着いてるから聞いてやりたいけれど、「その顔どういう意味かしら?」って。
逃げ帰ってしまったお陰で、彼の秘密を聞くことが出来なかった。それだけが、残念、凄く知りたかったのに・・・。
王女の部屋を出たわたしは、階段を降りて行く。今から王妃の間へ行かねばならなかった。途中で侍女や騎士にすれ違う。その度に含みのある顔をされ、うんざりしてしまった。
*
「リシェル!待ってましたよ!」
王妃は艶々とした頬を薄桃に染めると、満面の笑みを浮かべてわたしを迎えて下さった。その生き生きとした表情は、冗談じゃなく本当に若返っているようだ。
「マルグリット陛下には、ご機嫌麗しく御出で何よりです。」
「あら、リシェルは麗しくないの?」
「先程、エミリアナ殿下に泣き付かれてしまいましたので。」
「エミリィが?何故かしら?」
「愛しのプリンスが年増侍女に奪われたと、どこぞで聞かされたようでございます。」
「あら!」
王妃は驚いたように目を見張ると、ホホホと笑って誤魔化した。
「誰かしらねぇ?余計なことを。」
わたしと王妃は顔を見合わせてオホホホホと笑い合う。渇いた笑いを一頻り続けた後、王妃は瞳を輝かせて身を乗り出してきた。
「で、どうなの?」
わたしは意味が分からずきょとんとする。
「どうとは?」
王妃は焦れたように身悶えした。
「ん、もう、分からないかしら?ときめいたりしないの?」
王妃の質問の意図がよく分からない。ときめく、とは?
「何に、でしょう?」
「だから、ケインにときめいたりしてないの?」
「えっ?ええっ!」
わたしは動転して大声で叫ぶ。
「な、何故?とっ、ときめく〜?」
予想もしない言葉に声が裏返ってしまった。
「そうよ、聞いたわよ。ケインの部屋にも行ったのでしょう?全くあなた達ときたら、こちらが思いもしない行動をするんだから。」
王妃はすみれ色の瞳を細めていやらしく笑った。
「若いわね〜ぇ。」
わたしは焦った。慌てて王妃の誤解を解くべく説明する。
「ち、違います!あれは、座る場所を探しただけで、第一、直ぐに引き揚げましたし・・・」
「そんなに、慌てて否定しなくてもいいのよ。邪魔はしないから安心しなさい。」
「いえ、否定も何も、本当に何もないんです!マルグリット陛下もご存じでしょう?これはお芝居だって!」
自分で言ってて、胸がチクリとする。わたしは深く考えないことにした。
「えっ?そうなの?わたしはてっきり・・あなた達が芝居を越えたのかと・・。」
「越えておりません、全く!」
王妃はちぇっと膨れっ面になる。
えっと、マルグリット様、おいくつでらっしゃいますか?そんなところは、エミリアナ様とご一緒でなくてもよろしいのですよ。
「あなた達はお似合いだと思っていたのですよ・・。ケインも婚約者と破談になってから、噂も聞かなかったので心配していたのです。でも、あなたを部屋まで通したと聞いて、もしやと思ったのですが・・・。」
えっ?
「ケイン様も、婚約を破棄されたことがあるのですか?」
王妃は目を丸くしてわたしを見た。
「リシェルは知らなかったのですか?まあ、あれから何年も経ちますものね。古い話ですから、忘れているのかもしれませんね。当時は彼のお父上も相手方も揉めて、城内でも大騒ぎだったのですけど・・。」
わたしは全く記憶になかった。ケインの存在は知っていたが、彼が王女の護衛騎士になったのは二年前、それ以前のことは興味もなかったので、噂があったとしても聞こうともしなかった。
「彼は少し複雑な事情を抱えているのよ。その辺りのことは、わたしの口からは言えないのだけれど・・・。」
王妃は溜め息を一つ吐くと、ぽつりぽつりと語り出した。
「彼女は彼に会いに、よく城の宿舎に来ていたわ。その頃彼は、まだ従騎士で今は隊長のランスに付いてたわね。だけど、今の彼からは信じられないかもしれないけれど、婚約者にはとても冷たかったの。宿舎に来た彼女に会いもしない程だったのよ。だから部屋になど上げたことは、絶対ないと思うわ。」
王妃は昔を思い出すように目を伏せた。
女性に冷たく当たるケインなど想像出来ない。ましてや、それが婚約者だとしたら尚更だ。
「それで結局、彼女は耐えられなくなってしまったらしいの。女性側から破談の申し入れがあったそうよ。」
「・・その方は、・・今はどうされているのですか?」
「今は結婚して幸せに暮らしてるわよ。実はね、あの当時、宿舎によく現れる彼女に恋心を抱いている騎士が多くてね、ケインとの婚約が破棄になったのを受けて求婚が殺到したそうなのよ。」
「えっ?そう・・なんですか?」
わたしは、少し拍子抜けしてしまった。婚約者に冷たくされた彼女に、自分を重ねてしまっていたのかもしれない。今は幸せなのか、よかった。
「沢山の求婚者から一番好みの男性を選んだ筈よ。彼女は面食いだったから外見に拘ってたの。家柄的にはヒューイッド・マクベスが一番よかったんだけどね。」
ヒューイッド・マクベス!この間、ケインに暴言を吐いた近衛騎士だ。あの男もケインの婚約者に求婚してたのか。
「彼女よりケインの方が大変だったのよ。お父上が大層立腹されてね、婚約を纏めたのはお父上だったから無理もないけど、勘当同然になってしまったのよ。お陰で彼は騎士の叙任が受けられずに長いこと楯持ちだったわ。エミリィが彼を気に入ってどうしても護衛騎士にって望むまでね。勿論、隊長のランスがエミリィに推薦をしたお陰でもあるけれど。」
「そんな、ことが・・」
ケインの過去にそんなことがあったなど、わたしは全然知らなかった。彼があんな性格になったのは、今聞いたことに関係しているのだろうか。
「ケインは決して、あなたを悪いようにしないと思うわ。かつて、婚約者にした仕打ちを恥じている筈だから。」
王妃は優しい微笑みを浮かべてわたしを見てた。
「残念だわ、本当にあなたと彼はぴったりだと思うのだけど・・・」
「マルグリット陛下、そのお話はもう・・」
王妃はつまらなそうな顔をして首を竦めると小声でぼやく。
「仕方ないわよね。そんなに都合よく話が進む訳ないもの。」
「えっ?」
「い、いいえ、何でもないわ!それより長く引き留めて悪かったわね。」
「いえ、そんなこと・・」
「あなた、これから予定は?」
王妃は目を輝かして聞いてくる。暇ならケインに会いに行けと言いたそうだ。だが、わたしの心は沈んでいた。
「特に、・・エミリアナ殿下の元へ戻ろうと思います。」
「そう・・」
王妃は唇に手を当て思案する仕草をする。
「これは、あちらを叩くしかないわね。・・・急がなくては、時間がないわ。」
そして、意味が分からず困惑しているわたしを、さっさと追い出すように口にした。
「リシェル、もう、戻っていいわよ。ご苦労様。」
*
王妃の間を退出したわたしは、直ぐに王女の元へ帰る気にもならず、ぼんやりとしながら中庭まで出ていた。
王妃から聞かされたケインの話に、少なからずショックを受けている。それが何故なのか、そして何になのか、自分でもよく分からない。今のわたしは、自分の気持ちが分かっていなかった。
ぼんやりと歩みを進めるその先に、不意に人影が見えた。わたしは何気なくその姿に目をやる。
わたしのいる場所から、そう遠くないところにいるその人も、立ち止まってわたしを見ていた。
近衛騎士の美しい白銀の甲冑を身に付けた、背の高い男性がじっと佇んでいる。それから、彼はおもむろに兜を外した。
嘘・・・
わたしは、信じられない程の衝撃を受ける。
その騎士も、こちらを驚愕の表情で見ていた。
「リシェル・・」
陽の光に透けるような長い金髪、アメジストのように心を惑わせる紫の瞳。
それは、普段は滅多に会わない筈の人、わたしの元婚約者フェルナンドだった。
今回は書いてて、気分が沈みました。書いたはものの、どうだろうか?と悩みました。
一応、この話のヒーローなので引かれないといいなあと思っています。
次回以降、挽回していきたいのですが、当初考えてたイメージより微妙にズレてるな…と心配してます。
わたしは、好きなんですけれど…どうでしょうか。




