騎士と侍女 その2
わたしの生きてきた二十四年という年月の中で、たった一人で男性の部屋を訪れたことが、果たしてあっただろうか?
答えは―――いいえ、になる。
婚約者だったフェルとは五年も付き合っていたと言うのに、彼の部屋に入ったことなど一度だって無い。
わたしと彼は、信じられないかもしれないが清いお付き合いだった。
元々、フェルナンドとは、彼の両親に認めて貰った交際ではない。
彼が王城の宿舎に寝泊まりするより、城から近い領地の自宅に戻ることが多かったのは、偏に両親を安心させる為だったのだろう。息子に間違いがあっては困るという事だ。
真面目で堅物なところがある彼は、無理に両親に逆らうような性格ではなかったのである。
わたしもその考えには賛成だった。
わたしは彼の両親に祝福されて、一緒になりたかった。誰にも恥じることなく、彼の花嫁になりたかったのだから。
それなのに、そんなカビでも生えていそうな倫理観を持つわたしが、何故この、どちらかと言えば毛嫌いしている男の部屋に一人で入ろうとしているのか?
勿論、平然となんかではない。完璧に舞い上がって挙動不審になっているのが、自分でも、きっと側からでも手に取るように分かるという状態である。
決して強引に誘われた訳でもないのに、何故・・・?自分の行動が信じられない。全く、理解できなかった。
「そこ、気を付けろ。穴が空いてる。」
ケインに連れられて騎士団の宿舎に着いたわたしは、何の躊躇もなく進む彼の後に続いて建物内に入り、彼の部屋があるという二階への階段を登っていた。
まるで王女が時々する人形遊びの中の人形のように、ぎこちない動きでケインの後を付いて行く。
その階段の途中で、彼が危険な箇所を教えてくれたようだった。足元を見ると、丁度通り道になるところに大きな穴が空いている。
「ど、どうも、ありがとう。」
彼の背中に向かって辿々(たどたど)しく礼を言えば、ケインは前を向いたまま片手を上げて返した。
なんて言うか、・・気まずい。
顔なんて、とてもじゃないが見てられない。今はこちらを向いていないからいいけど、こんな状態で話など出来るのかしら?
わたしは前で階段を上がるケインを見た。彼は自分の部屋に戻るだけなので、寛いだような雰囲気で足を進めている。
この人は、過去に女性を連れて来たことがあったのだろうか?
何だか誘い方が慣れた感じだった。わたしみたいな、お堅い人間まで引っ張り込めるのだ。流石、女の扱いに慣れてるだけはある。
もしかしたら、わたしが知らなかっただけで、恋人がいた時期があったのかもしれない。
こんなに整った外見をしてるのに、相手がいないなんてやっぱり不自然だもの。
「あ、ケインさん。帰って来てたんですか?アーサーの奴が探してましたよ。」
わたし達が階段を半分ほど登ったところで、二階の部屋から出て来たらしい騎士の青年が顔を覗かせてきた。
そして、ケインの後に続くわたしを見てギョッとする。
「アーサーが?何だ?」
ケインは彼の動揺した顔など素知らぬ振りで問い掛けた。青年騎士はわたしをチラチラ見ながら、何とも言えない表情を浮かべて答えている。
「鍛練場に誘うつもりだったみたいですよ。結局一人で行ったのかなあ。」
「そうか・・・。」
「それじゃ、俺はちょっと、」
青年はそう言うと慌てて部屋へと戻って行った。暫くすると興奮した声が聞こえてくる。
「お・ん・な!女を連れて来た!おんなを、ケインさんが!」
「なにーぃ?おんなだって?」
おんな、おんな、と大声で連呼する複数の声を聞きながら、わたしは居たたまれない気持ちで顔が赤くなる。
ケインが振り返って苦笑を浮かべた。
「申し訳ない。ここの人間は粗野な奴が多くて・・」
「いえ」
おんな、おんなと叫ぶ声はまだしていた。いい加減にして、恥ずかしいでしょう?
「あいつら、僕が女性を宿舎に連れて来たのは初めてだから、取り乱しているみたいだ。許してやって欲しい。」
彼は笑いながらそう言って、一つの部屋の扉の前で止まった。
え?
「初めて、なの?」
わたしの質問に、ケインは不思議そうにこちらを見た。
「そうだが?」
彼の顔は、段々怪訝な表情へと変わっていく。そして口元を不愉快そうに歪めると問い掛けてきた。
「何が、可笑しい?」
だが、今度はわたしの方が疑問を感じることになる。
「可笑しいって?」
「笑っていただろう?今。」
ケインはムスッとしたように呟く。
「どうせ、馬鹿にしていたんだろう?」
「笑って・・たの?わたし今、本当?」
嘘?どうして?
少なくとも今は、馬鹿になんかしてなかったのに。
「ああ、情けない男だと、思ったんだろう?」
ケインはわたしから視線を反らすと、部屋への扉を開けた。それから開けた扉の側に立つと、わたしを招くように手を広げて意地悪く笑った。
「さあ、僕のお城へようこそ、リシェル殿。」
「えっ?」
わたしは思わず聞き返した。
「我が城へようこそ、リシェル殿。」
ケインは勿体振って、もう一度同じ言葉を口にする。わたしの片手を取り、引っ張るように部屋へと誘う。不安気に顔を上げると、意地悪く冷たい笑みは変わっていなかった。
わたしは急に恐くなる。
ねえ、リシェル、本当にこんな奴の部屋に入っていいの?こんな、何するか分からない男の部屋に入って後悔しない?
わたしの足は、床に縫い付けられたように動かなかった。
「ブーッ!」
突然、横から噴き出すような笑い声が聞こえてくる。
「アハハ!リシェル殿、どうした?」
笑い声の方へ顔を向けると、ケインはお腹を抱えて大きな声で笑っていた。
「ち、ちょっと、ケイン様!どういう事ですか?」
わたしは意味が分からず彼に詰め寄る。いや、何となく分かってきた。
「ハハハ、君が悪い。僕を馬鹿にするから。」
彼の笑い声はなかなか止まらない。そうだ、この男は笑い上戸だった。
「だから、わたしをからかったの?わざと意地悪く言って、脅したんでしょう!」
「まあね、恐かったかい?」
ケインは漸く治まった笑いを、息を吐き出しながら整えていく。だが、ニヤニヤ笑いは消えてなかった。
恐いなんて、ものじゃあなかった。ケインが知らない男に見えて逃げ出したくなったのよ。
「ケインさん、どうしたの?」
「何を揉めているんだぁ?」
「なっ!お前ら!」
「ええっ?」
その時、不意に聞こえてきた自分達以外の声に驚く。
わたし達はいつの間にか沢山のギャラリーに囲まれていた。
ニヤニヤとこちらを見てくる騎士達の視線に、わたしは再び顔が染まっていく。
「何を話してるんだよぉ?」
「煩い!リシェル殿、早く!」
「えっ?きゃあ!」
ケインは強引にわたしを部屋に連れて入ると、ギャラリーの視線から隠す為に扉を閉めた。
そして呆然と立ち尽くしているわたしに、安心させるように笑い掛ける。
「心配することはない。ここは相部屋だから。僕だけの城ではない。」
部屋の中にはベッドが四つあった。つまり四人部屋なので、二人きりにはならないと言っているんだろう。だけど、今はどのベッドも空だ。
「扉も開けておくつもりだったんだが・・」
彼はそっと廊下の様子を覗く。そして扉の直ぐ側で興味津々でこちらを窺う同僚の目にぶち当たる。
「無理だ!落ち着かない。」
彼は勢いよく扉を閉めて好奇の目を阻んだ。
「申し訳ない、扉は閉めておく。だが、側には他にも大勢の人間がいる。何かあれば、奴らが飛び込んでくるさ。君が不安に思うことは何もない。安心してくれ。」
わたしはケインを呆れた目で見る。わたしを怖がらせたり、安心させようと宥めたり、何がしたいんだろう?
「別にもう心配などしてないわよ。それより、どこに座ればいいの?」
「ああ、一番奥が僕のベッドだ。だから、そこへ――」
ケインが奥へと進みながら説明し掛け、途中で足を止めた。
「いや、やっぱり椅子を取って来よう。少し待っていてくれないか?」
「えっ?わたしはベッドでいいわよ。」
わたしは足早に部屋を出て行く彼に声を掛ける。
「いや、いい。直ぐに戻る。」
そう言い残すとケインは部屋を出て行った。わたしは一人取り残される。
「何よ、急に。そんなにわたしに座られるのが嫌なのかしら?」
することもないので、彼のベッドへと歩いて行った。
ケインのベッドはきちんと整えられている。出しっぱなしの服や下着など一切出ていない。
ベッドサイドには一冊の本が置いてあった。暇な時にでも読んでいるのだろうか?ピラッとページを捲ってみる。
「兵法と・武器の管理について・・?」
全く興味がないので元に戻しておいた。
わたしはベッドに寝転んで本を読むケインの姿を想像してみた。何だか可笑しい。似合うのか似合わないのか分からない。
ふと見ると、他のベッドは乱雑に色んな物が置いてあるものもあった。
意外とケインは几帳面らしい。わたしは彼の新しい一面を知ったみたいで嬉しくなり、フフフと微笑んだ。
え?嬉しい?
わたしは微笑んでいた頬を手で押さえる。
まさか、わたし・・・?
『何が、可笑しい?』
『可笑しいって?』
『笑っていただろう?今』
あの時、嬉しくて笑っていたの?
でも、・・何故?
『あいつら、僕が女性を宿舎に連れて来たのは初めてだから、取り乱しているみたいだ。許してやって欲しい。』
『初めて、なの?』
そうよ、あの一言を聞いて・・・。
『そうだが?』
わたしは、嬉しくなったんだ・・・