第7話:共感と同調の違いを知る
「共感できる」―― この言葉は、現代社会で非常に重宝されている。
SNSでは、「わかる!」「共感しました!」という言葉が飛び交い、 人と人のつながりを温かく、柔らかいものに見せてくれる。
しかし、そこにはしばしば、 “共感”と“同調”の混同という落とし穴が潜んでいる。
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共感とは、他者の心情を“理解する”こと
まず、共感とは何か?
それは、他者の感情や考えを自分の中で想像し、理解しようとする行為だ。
相手の立場になって考える
喜びや怒りを一緒に味わおうとする
悲しみや苦しみに心を寄せる
この“理解しようとする”という過程こそが、 本当の意味での共感であり、そこには主体的な思考の介在がある。
つまり、相手と自分が違う存在であることを認識した上で、 「それでも、できる限り近づこうとする努力」が共感なのだ。
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同調とは、思考を停止して“同じになる”こと
対して、同調とはどういうものか?
それは、他者の感情や意見に、自分の思考や感情を合わせる行為だ。
空気を読む
自分の意見を引っ込めて周囲に合わせる
何となく賛同する
これは共感とは似て非なるもので、 他者と「同じであること」を優先する点が特徴だ。
一見、調和的に見えるが、 思考を放棄し、自分自身の視点を捨てる危険性を孕んでいる。
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なぜ同調が危険なのか?
同調は、一時的な安心感や所属意識を与えてくれる。
だが、
間違った情報に同調してしまう
モラルの欠けた言動に流される
自分の意見が言えなくなる
という事態を引き起こすこともある。
特に、集団の暴走や多数派の暴力が生まれるのは、 この「無思考の同調」が蔓延したときだ。
これは、過去の歴史を見ても明らかで、 戦争、差別、排除といった負の現象は、 多くが“正しさの名の下に”同調が強制された社会構造から発生している。
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自分の“共感力”を育てるには
では、どうすれば「共感」と「同調」を区別し、 健全な共感力を育てることができるのか?
1. 相手と自分を分けて考える
相手の感情を理解することと、同じ感情になることは違う
2. 感情の背景にある構造を観察する
なぜ相手はそのように感じたのか?
どんな経験、環境、文化が影響しているのか?
3. “わかる”の前に“知る”を優先する
自分が知らない状況にある相手に対して、 「自分ならこう思う」ではなく、 「その状況ではどんな感情が生まれるか?」と考える
このような姿勢が、本物の共感へとつながる。
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共感は“違いを越える”ための架け橋
共感とは、同じになることではない。 むしろ、違うまま近づくための知的な試みだ。
自分と異なる価値観、信念、生き方を持つ人々に対し、 その背景や理由に思いを巡らせる。
そうすることで、
自分の視野が広がる
他者の複雑さを尊重できる
対話が可能になる
共感とは、感情だけでなく構造的理解を含んだ、 非常に高度な知的行為なのである。
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まとめ:思考を手放さずに人とつながる
現代は、共感という言葉が濫用されやすい時代だ。
だが、共感とは“思考を伴う理解”であり、 同調とは“思考を放棄した一致”である。
メタ認知を育てる者は、 安易に同調に流されず、 自分の思考を保ったまま、他者に心を寄せることができる。
それが、人間関係を豊かにし、 同時に、誤った集団心理に巻き込まれないための、 知恵でもあるのだ。




