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僕に眠る君へ  作者: 飛島葉
第一章 他人の身体、自分の心
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第一章⑤ 最後の一日


 うん、と大きく伸びをする。

 まだ少し疲労と眠気が身体に残っている。

 ゆっくりと目を開けると、僕はベッドに横たわっているみたいだった。

――あれ? いつの間に眠りに落ちていたのだろう。……ああ、まだ疲れがかなり残っている。まだ寝てもよいのなら、ずっとこのままの状態でいたい。

 そう思い、僕はそのまま目を閉じた。


 …………。


 はっと飛び起きた。

 一体今は何時だ? どれくらい寝続けてしまった? こんなに寝るなんて久しぶりの事だけれど、大丈夫なのか?

 途端に目が覚め、様々な疑問が次から次へと噴出する。

 しかし、僕の身体は一向に勝手に起き上がろうとしない。

――一体どうしてだ?

 目の前に広がる木の板は、棒状に縦並びに連なっている。その隙間からは、マットレスのようなものが見える。それは恐らく普段から僕の上に眠る、ルームメイトのものに違いない。

 身体を横に倒し、部屋の様相へと目を向ける。僕の頭側には一つの勉強机があり、足側にはもう一つの勉強机がある。これは間違いなく二人部屋だ。一人っ子の僕には全く関係のない……。

 ゆっくりと身体を起こし、ベッドから這い出た。ベッドの足側、かつこの部屋のドアの側には、織川和也の机がある。ゆっくりと椅子に腰を下ろし、机の様子に目を向ける。机の上に置かれた、たった一つの写真立て。

 やはり間違いない、ここは織川和也の部屋で、僕は自由に彼の身体を動かせている状態にある。

 部屋に掛けられた時計に目を向ける。

 およそ十時半。彼の生活にしては、随分と遅い朝となった。食堂はまだ営業しているのだろうか。岡崎はもう居なくなってしまったのだろうか。彼はいつ帰ってくるのだろうか。そして……。


 織川は普段、今、何をするのだろうか。

 彼のルーティーンに倣い、洗面所へと移動し、顔を洗う。鏡で見るその姿は、変わらず織川のそれだ。けれど、彼も鎖も今どこにもいやしない。日頃の僕と立場を逆転させ、この身体の内側に籠ってしまっているのだろうか。

 この方がいつもよりかは気持ちが楽ではあるが、しかし本当にこれでよいのだろうか。

 自分がおかしな事を考えているのは、よくわかっていた。


 部屋に戻った僕は、一旦ベッドからスマホだけを手に取り、再び机に座った。

 何気なく、アプリでニュースをチェックする。


――高速道路での自動車事故、政治家の汚職事件、ショッピングモールでの無差別刺傷事件、大物人気俳優、ユアサゲンショウの訃報、メジャーリーガー、オオトモ選手のコラム記事、人気アイドル、カナミの熱愛報道……。

――『DCAⅢ』 発売から一週間が経ち、続々好評の声。


 ピロン、と軽快な電子音に、注意がたった今入った通知のバナーへと向いた。

――今、部屋いる?

差出人は「おかざきたいが」からという情報まで見えた。

 ルームメイトからだ。僕にはもう何の関係も無いと思い、画面に表れたバナーを消そうと指を伸ばした。

 だが、機種の操作に慣れていなかったせいか、間違って岡崎のメッセージを表示してしまった。

「あ」

 と反射的に小さく声が出た。これまで、鎖の制御に任せて自動的にメッセージを返している時間が何度もあった事を思い出した。トーク画面を開いてしまった以上、身体の制御が、また奪われてしまうのではないか……。

 覚悟は決めた。諦めるというのがそれに近かった。


 …………。


 だが、身体は勝手には動かない。


――おーい。

 軽快な電子音と共に、僕が画面を開いたのを確認してか、岡崎から追加のメッセージが来ていた。

――あれ?

――無視すんなー

 何も送れないでいるうち、次から次へと新しいメッセージが送られてくる。

 これはマズい、と思った僕は、急いで指を動かした。

――ごめんごめん、何か用事ある?

 送信ボタンを押す指が震えた。

 電子音と共に、ようやく画面の右側にメッセージが浮かんだ。

――お、返事きた。

――あ、いや、今ジムにいるんだけどさ、忘れ物しちゃったからさ、もし部屋いんなら届けてもらえないかなーって。

――お礼は勿論考える!

 早いテンポで、次から次へとメッセージが送られてくる。岡崎にとってはいつも通りの会話なのかもしれないが、彼のテンポは僕に猛烈なプレッシャーをかけてくる。


――ごめん、今キャンパスにいる。

 急いでそう送り、岡崎とのトーク画面を閉じた。

 スマホを机の上に置き、ふっと一息つく。

 すぐに電子音が鳴り、僕を緊張へと引き戻してくる。


 恐る恐る画面を覗くと、岡崎のメッセージがロック画面上に表示されていた。

――そっか、残念。じゃあ自分で取りに帰るわ。

 お辞儀する顔文字が最後に添えられている。

 良かった……? いや、良くないな。

 胸の裡で独り言を呟く。

「取りに帰る」という事は、つまりこの部屋に来るという事か。


 僕はすぐさま立ち上がった。



 相変わらず、綺麗なキャンパスだ。織川が通う大学へ訪れ、僕はそう思った。

 部屋を出ようと決めたのは良かったものの、ではどこに行こうかと考えた所で、思いつく事など何も無かった。

 半ば衝動に任せ、織川の目を通して見た景色を何とか思い出し、自転車を使って大学へと漕ぎ出した。

 だが、人に付いて歩く道を覚えられないのと同じで、織川の行動に従って進む道のりを、僕は正確には覚えていなかった。そのため、何度も地図アプリを呼び出して道順を調べる事となった。

 微かに見た記憶のある通りを、改めて自分の足で、いや自分の意志で歩く。決められた目的地へ向けて一直線に進む足取りとは異なり、自分のペースで、ゆったりとキャンパスの雰囲気を堪能する。

学校、というものにあまり良い印象は抱いていないのだが、意外にも嫌な気分にはならなかった。高校までとは、空気感も他人との距離感もどこか違うようだ。キャンパスに入ってから非常に多くの人とすれ違っているが、誰一人としてこちらに話しかける人はいない。ただの他人。誰も僕を蔑まないし、罵声を浴びせてもこない。挨拶をしなくても何の問題もない。そうした距離感が、僕にとってはとても気楽で心地良かった。

 そのまま、キャンパス内のありとあらゆる空間を練り歩いた。

 教室の中から聞こえてくる教授の説明も、張り紙が並ぶ掲示板も、何だかそこにあるだけで愛おしく思えてくる。


――高校の勉強ですら全くわからない僕が、今から大学生になれるだろうか。

 ふとそんな事を思った。

――でも、きっと学費もかかるだろうし、今更親にそんな迷惑を……。

 やめておこう。実現性なんて考えずに、ただこの環境がもたらしてくれる妄想に浸ろう。

 今、実際に織川和也は僕なのだから。



「織川君?」

 その声で、はっと我に返った。気付けば、すぐ目の前にスーツ姿の女性が立っていた。

「……ですよね?」

 僕の身体は、何も言葉を発しない。他人と会話しなければならない状況なのに、やはり織川は現れてこない。

「は、はい……」

 視線を上げ、話しかけてきた人物の顔を見る。大人びた印象の顔立ちに、途端に緊張が走る。

「あれ? やっぱりそうだよね。スポホウのカナベです」

 スポホウのカナベ。その情報が明らかになったが、これまでの日々で織川として関わった人物を探ろうにも、あまりにも全体数が多すぎる。異性の友達も、決して少ないという事はなく……。

 ただ、確かにどこかで見た記憶はあった。

 ああ、と生返事をしてしまう。

「よかった。これ、今配ってるんで織川君も是非一部」

 これ、の言葉と共に、薄めの新聞紙が突き出された。まるでスポーツ新聞のように、大きなフチ文字と写真が全面を飾っている。バットを振り切る選手の写真と共に、「逆転タイムリー」の文字。

「織川君も、リーグ戦始まったらチャンスだよ」

彼女は完全に僕を織川だと思い込んでいるようで、そのまま会話を続けている。会話というより、ほとんど一人で喋ってくれているだけなのだが。

 所々間合いを挟み、僕の反応を窺っているようだったが、僕も僕で踏み込む事ができてないでいる。そもそも、この会話に適切な返しなど、僕は何一つとして持ち合わせていないのだ。愛想笑いを返すのがやっとだった。

「これ、配らなきゃいけないんだよね。今日、土曜日であまり通る人多くなくて。結構大変」

「大変、ですね」

 何か返答しなければならない無言の圧力を受け、僕は何とか返答した。

「そう……なんですよ」

 相手の返答に、初めて敬語が混ざったと、すぐに理解した。

「どうしたの。なんかいつもより元気ない?」

 訝し気にこちらを見るカナベの表情が、刺さる。


「えっと、いや……僕は」

 そうだ。言ってしまえばいいんだ。ふとそんな考えが頭に浮かぶ。

 コトガミがなんだ。たった一人に言いふらした所で、何が問題なんだ。

こんな仕打ちを受けてまで、なお織川の為に頑張らなければならない義理なんてないだろう。

 再度カナベの顔を見直す。首を傾げながらこちらの反応を待っている。

 真っ直ぐに目を見つめられ、余計に緊張が高ぶり、すぐに目を逸らしてしまう。

 僕は織川和也じゃないんです。今更そう言った所で、信じてもらえる訳がない。

 身体が勝手に動いて、なんて説明しようものなら、いよいよヤバい奴だと思われてしまうだろう。

 いや、もうどう思われた所で関係ないのか。明日からはもう……。


「え、ほんとにちが……」

 俯く僕を覗き込むように、カナベの顔がそこにあった。こちらを訝しむような、恐れているような、嫌悪しているような、そんな目だ。

 ああ、どうして、まるで僕を見るような目で――。

「いや、別に……」

 カナベを振り払うように、顔の前で手を振ってしまう。

「すみません、ちょっと練習の疲れが……」

 何とか思いついた言い訳を放ち、逃げるようにしてカナベさんの元を去った。



 結局、どこに行っても、僕は僕のままだったという事か。

 忘れていたはずの自己嫌悪が、心の中で再燃する。

 僕は到底織川和也にはなれない。大学生にだってなれる訳がない。人と話す事だって、まともにできやしない。

 きっと織川の知り合いであるカナベにも、「その目」をされた。

 この生活は本当に疎ましかった。けれどもこの数日間、一度も「その目」を人から向けられなかった事に、新鮮な気持ちを抱いていた自分も、確かにいたのかもしれない。


 人目を避けながら、ただ黙って時が過ぎるのを待とうと決めた。

辿り着いた場所は図書館だった。衝立のある、周りから様子が見えにくいであろう席に陣取り、机の上に突っ伏す。

何も考えたくない。無の世界へと飛び込み、ただひたすら心と身体を休めたい。自分が自分である事すら忘れたまま時間を過ごしたい。

 僕はそう思い、机の上に突っ伏した。


――震災から、十年となります。皆さんで黙祷をしましょう。

 途中、そんな放送が流れるのが聞こえたが、とてもそんな気分になれず、やり過ごしてしまった。



 ――――。


――うわ、きっも。

――まじさあ、いなくなれよ、お前。その方がみんな幸せだよ。

――やばいやばい、菌うつる、菌うつる。

――はーい、今からこいつら――。


 何もないはずの無の世界で、気付けばかつて耳にした言葉達が、その時と同じように現れてくる。どうしてだ。僕はこんなにも忘れようとしているのに。

 忘れる? 一体どうやって?

 ただ暗闇に包まれていたはずの世界に、いつの間にか大勢の小学生達がいる。こちらを取り囲み、物を投げたり、嘲笑ったり……。


 結局、僕の人生には、それ以外無いんだ。

 だからこうして、事あるごとに思い出しては……。


 反射的に顔をあげる。もうどれだけ時間が経っていたのかわからない。近くに時間を確認する物が全くなく、机の上に置いた織川のスマホを手にした。


 ――――!

 目を引いたのは、今の時刻などではなかった。

 ロック画面を埋め尽くす程の、数多のメッセージ。

 おかざき、小柴、ホシノ、たかぎ、安藤……。


 メッセージを送ってきているのは、部活の面々ばかりだ。

 画面を凝視しているうち、突然通話の呼び出しが、画面いっぱいに広がった。


「安藤孝輔」


 アイコンと共に、その表示名が浮かんだ。

 反射的に、スマホから手を放してしまう。とても僕が応対できるものではない。

何か、嫌な予感がする。


 安藤からの呼び出しが終わるのを待ち、トーク画面を開く。

――何かあった?

――今どこにいる?

――大丈夫ですか?

 まるで安否を心配するようなメッセージが並んでいる中、小柴のものが目についた。


――もう規定練始まっちゃうよ。


 弾かれるように席から立ち上がった。


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