第四章⑩ 解放
兄弟の本音での会話を実現できた時、僕の身にも変化が起こる。
自分の身に、何が起きたのかわからなかった。それまで僕を包んでいた膜が、僕と共にあったはずの存在が、何故だか僕を置き去りにして、頭上へと舞い上がっていくのが見える。
まるで、空に飛んでしまった風船を見送る子どものように、僕は何もする事ができない。
「まさか……こんな事が起きるとは」
背後からした声に振り返ると、そこには天使が、力を失くしたようにして座り込んでいた。
「こんな、事……?」
「あの兄弟の言神が、共に消失した。あの二人が面と向かって――あくまで疑似的にだけれども――お互いの思いを確かめ合う事ができたからでしょうね。鎖を無くして、この先、自分の力で生きていこうと決めたのでしょう」
天使の話す言葉の意味はわかるのに、その言葉が全く理解できていない。
「私にだって、全てがわかる訳じゃないわ。私は神ではないものの。とにかく、織川智也は自らの役割が終わったと悟り、完全に旅立った。通常ならば消えて無くなるはずの和也の魂も、智也の言神のおかげで、ずっと守られていた。そのおかげで、和也の魂は自我と共に復活した。そして、あなたは結合から解放された……」
天使の説明に聞き入っているうち、彼女の腕が少し震えているのを感じた。
慌てて感謝を述べ、自力でその場に浮かぶ。そして身体の向きを変え、天使の方を向く。
「という事は、僕はまた魂だけの存在に……」
自分で言葉にして初めて、その事実を改めて実感する。
「そう。そして、織川和也がもう鎖を持たなくなった以上、もう私があなたをこれ以上ここに留めておく必要もなくなった」
再び、天使の言葉が聞こえる。今度は、彼女の姿までもはっきりと見える。
「あなたの魂は、この私が意図的に力を施した事で、本来のあるべき場所から引き離されていた。あなたが望めば、ここから、本来あなたがいるべき場所に戻る事ができる」
実感が無かった。足が震えた。知りたいけども、知りたくない事がまだある。
「でも、これまでの人は……」
その先の言葉を言いたくなかった。それではまるで、自分自身もそうなる事を自分で決めてしまうように思えたからだ。
「皆旅立ったと言いたいのね。でも、それは決して絶対ではない」
「どういう事?」
天使の言う意味がまだ理解し切れなかった。
「今際とは、生と死の狭間の世界だから。決して死ぬと決まっている訳じゃない。そこから戻れる人間もいる。例えば、織川和也のように」
はっとした。確かに僕は、思い込みをしていた。皆死ぬと決まった訳じゃない。だが、その逆でもない。
「そう。あなたはまだ生きて帰れると決まった訳でもない。それを含めて、〝あるべき場所〟に帰るという事」
ようやく全てを理解した。僕は全てを悟り、その場に立ち尽くした。
「一つ、あなたに言わなければならない事がある」
天使は突如、申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「私は間違っていた。自分の判断が、織川和也の思いの通りに動く事が、正しい事なんだって、そう決めつけていた。そのせいで、本当に申し訳ない事を……」
まさか、天使がそのような謝罪の念を述べるとは。初めて会った時から、彼女は常に客観的な目線で、情報を正確に伝えてくる印象しかなかった。
ひょっとしたら、彼女は、あくまでも織川和也の為に動いていたのかもしれない。
返す言葉が出てくる前に、天使は見て、と言い下の方を指さした。




