第四章⑥ "君"の正体
愛との奇跡的な再会により、「僕」ことカズシは何とか自意識を復活する事ができた。
膜と鎖という二つのコトガミが存在する中、魂だけが存在する歪な状態で、僕は和也の身体で試合に臨まなければならない。
和也らや僕自身の命運を握る最終決戦が始まる。
ロッカールームでは、ユニフォームに着替えたベンチ入りメンバーが勢ぞろいし、安藤や監督を前にして、円陣を組んでいる。
「いいか、いよいよ本番だぞ」
「ぁあい!」
目の前では、安藤がいつも以上に強い眼力で声をあげている。そして、それに応える皆の声もかなりボルテージが上がっている。全員で、全力で士気を高めている。そして、野心と活気に満ち溢れた、男達の熱気が辺りを席巻している。
その場にいるだけで、僕も自然とやる気を高める事ができる。
「一人一人、全力を出し切るぞ!」
「しゃあ!」
全員の声に、ますます力が漲る。
「ケイセイレッツゴーファイ」
「オー!」
まるで半ば叫ぶようにして声があがる。
すぐに円陣が解かれたが、それでもまだ続くようにして声をあげる面々がいる。
安藤も、小柴も、いつも以上に興奮した様子で、自身を高めている。
明らかに異様な雰囲気だ。勿論、それが悪い事ではないのだが、僕は他の誰よりも、我を忘れてはならない。
「どうした、織川。なんだか不安そうだな」
決して目立たないよう、ごく自然とこの場をやり過ごそうとしていたのに、宮内さんはめざとく僕を見つけたようだ。
「大丈夫です。ちょっとだけ……緊張が」
咄嗟にそう返す。あまり和也らしくない事を言えば、一体どんな目に遭うのか。
自分の中に、「織川和也」が流れ込んでくる。その流れに意識的に抗わなければ、どうにかなってしまいそうだ。
「考え過ぎる事はないぜ。ただ目の前のワンプレーに集中していけ。この前の試合と一緒だよ。お前ならできるさ」
この前の試合。頭の中にその言葉が残るが、僕は躊躇わず返す。
「はい」
そうだよ。僕ならできるはずだ。僕は自分に言い聞かせる。
だって、僕はそうするために生きているんだから。
***
「さ、行くぞ」
コートへと飛び出す直前、小柴直文は僕の背中を叩きながらそう声をかけ、僕を追い抜かしていった。
僕が言葉を返そうと思った時には、彼の姿はもうそこにはなかった。
安藤によるジャンプボール。試合が始まった。
これまで何度も打ち合わせしてきたフォーメーションと戦術。役割として、そこに自分を投じ込む。
そして、言神へ意識を――。
半ば無意識で取っていた行動に気付き、僕は我に返った。
その行動は、同時に僕を守ってくれている膜を越え、鎖と一体化する事を意味する。
今その選択を取る事は、極めて大きな危険を伴う。
躊躇いを覚えたが、もう試合は始まっている。時は止まってくれない。
とにかく行動のみだ。そう思い、自らの意志で身体を動かし、自らの頭で考える。
頭を回し、自分の役割を、自分自身に置き換える。
コートの流れを俯瞰し、チーム全体で一つの存在となり……。
これまで覚えてきた考えを言い聞かせるようにして、コートを駆ける。
パスを回そうとする小柴と一瞬目が合った。しかし、彼は苦い顔を浮かべ、僕とは違う方向へターンを利かせた。
僕の傍には、すぐに敵が迫っていたのだ。
その事に気付いた時、試合の展開はもう次の局面へと以降している。バスケットボールの動きは、全てにおいてあまりにも早い。
――自分がここにいる事が、何かの間違いだと思ってしまう。
「おい、何やってんだ」
チームメイトが僕の肩を叩き、そのまま駆けて行った。
デジャブだった。
まるで時が止まったように感じた。
全く同じ光景を、どこかで見た気がしてならなかった。
――サア、ココカラ挽回ダ。
だが、時は待ってはくれない。もう試合は再開している。
この身体の中身が何であったって、現実は変わらない。
僕は唇を噛み締めて再びスプリントを駆ける。
チームの動きに加わろうとするも、周りのレベルが高く、追いつけない。
味方が回したボールに反応し切れず、敵に奪われる。
即座に、チーム全員が攻撃から守備へと転じる。
――どうすればいい?
僕は自分で自分の胸に問う。
――結局、僕の力じゃ、ここに立っていいレベルには……。
敵がゴールネットを揺らすのが見えた。
僕は奥歯を強く噛み締めた。
このままでは、僕は下げられてしまう。それでは、僕こそが織川和也の足を引っ張ってしまう事になる。折角ここまで苦労して掴んだ立場を、手放す事になってしまう。
――僕は君を助けるんだと誓った。でも、これでは何を優先すればわからない。
――何ヲシテイル! マズハ動ク事ガ先ダ! 動キナガラ考エロ!
まずは動く事。そしてチームの作戦を頭に入れながらも、柔軟に動く。何よりも積極性が――。
瞬時の判断で、空いたスペースを探し、ボールを取りに行く。ドライブを駆け、可能な限り得点に近付く形を作る。
攻撃の形を作り、シュートへと繋げる。
ボールがゴールの方向へ飛ぶのを見ながら、僕は叫ぶ。
「入れ!」
会場全体が揺れるように沸いた。
だが、僕が放ったシュートはリングに当たり、弾かれる。息つく間もなく、リバウンドが敵チームに拾われ、今度はディフェンスへと転じる。
ダメだ。これでは、鎖が持つ力を全く活かせていない。
またしても鎖の声が聞こえた。
――ドウシテ。折角上手ク適応デキタハズナノニ。
その声に、僕は尚更悔しい気持ちを覚えた。
――ヤハリ、ぼくノ魂ガ残ッテイルセイナノカ。マダナノカ、天使。
敵は強力だ。オフェンスの連携力が抜群で、一度ボールを手にしたら、そう簡単に奪う事ができない。
あっという間にゴール前で攻めの形を作られ、シュートを決められる。
防御の隙など微塵もなかった。
それから一進一退の攻防が繰り広げられた。
相手のオフェンスが盤石なのに対し、こちらのオフェンスはやや読まれつつある。
点差が徐々に離される。守りの時間が増える。
――くそ、どうしてだよ!
僕は心の中で叫んだ。自分の身体が思うようにいかない。気持ちはこんなに燃えているのに。それでもこの状態では力が出せない。望んだプレーができない。
ベンチをちらりと見る。安藤と目が合いそうになる。
――チームの為なら、誰かに嫌われる事だって厭わない。
時間がない。やはり、あの力を借りるしかないのか。
リバウンドを小野が制する。
「いくぞっ」
小柴の声が聞こえた。僕は全力で走り始めた。
脳内でイメージを湧かせる。
――僕はもっと強くなる。こんな所で終わらせてはダメなんだ。何度もこの目に焼き付けた、彼のように――。
ぐっと何かがぶつかってくる。膜を破ろうと、鎖が僕の身体に絡みつくのが、視界に映り始めた。
だが、そのままでは、この身体を動かしている感覚は、先程と一向に変わらない。自分自身の意志で、ただ自分を動かしているだけ。
自然と鎖に抗おうとする膜へ、意識を向けた。
――僕だって、もっと強くなりたいんだ。弱虫な自分を変える。僕も彼に――。
じわじわと、自分の中に何かが入ってくる感覚がする。それまで守ってきた自分を壊す、強大な力。焼け付くような鎖の感覚が皮膚に――。
ぐっと何かがぶつかってくる。膜を破ろうと、鎖が僕の身体に絡みつくのが、視界に映り始めた。
まるで、鎖の方が僕へと接近してくるように感じた。少しイメージを湧かせただけで、あっという間に縛りつけられる。僕を守ってくれるはずの膜は、そのままではいとも簡単に破られてしまう。
じわじわと、自分の中に何かが入ってくる感覚がする。それまで守ってきた自分を壊す、強大な力。焼け付くような鎖の感覚が皮膚に――。
このままでは、和也が望んだ通りになってしまう。
本当に……本当に、これでいいのか。
僕の魂が新しい織川和也となり、これまでの事を全て忘れて、自分の元々の記憶を全て忘れて、それで本当にいいのか?
――なあ、お前は和也を救いたいんじゃないのか。
脳内で声が響いてくる。今度は、和也のものとは違う、別の人間の肉声だ。
それはわかっている。
――どうして。和也はすぐ傍にいるんだろ? 折角守れたと思ったのに、どうしてまた遠くに行ってしまうんだ。
なんだ。違うのか。これは、鎖と同じように、自分で自分に向かって発している声なのか。
そこで、ピリオドの終了を告げるアラームが鳴った。
安藤が猛烈な怒気でアドバイスを話す中、僕は聞くフリをして必死に頭を回した。
試合中に感じたデジャブ……。
あれは、かつて練習中、自分の思うように身体が動かない時に、同じく小柴にかけられた言葉だった。
僕自身が鎖に介入するより前、何らかの言神に邪魔されていた時の事。
そして、鎖に付着し続ける、今の状態。
……つまり、今僕を守ってくれているこの膜こそが、鎖を邪魔していた、獣型の言神の正体だった?
「和也を救いたい」
その言葉をもう一度、脳内で繰り返す。
そもそも、「和也」という呼び方をするとしている時点で、彼と親しい……あるいは、身内の人間――。
言神を持っているという事は、織川和也の鎖のような特殊な例を除いて、大半はもうこの世にいない――。
まさか。
――絶対に、お前を死なせたりはしない。
どこかで聞いた声が、先程の声と繋がった。
つまり、膜の言神の正体は――。
和也の亡き兄、織川智也。




