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僕に眠る君へ  作者: 飛島葉
第四章 僕に眠る君へ
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第四章④ "そちら側"――僕の過去

 目的の買い物が果たせず、折角の外出が徒労に終わってしまった「僕」

 しかし、訪れたショッピングモールでは何か異変が起きたようだった——。

 うわぁぁぁぁ、きゃぁぁぁぁ。

 僕が歩き出してすぐ、曲がり角の向こう側から、悲鳴が次々と響き渡ってきた。

 そしてやや遅れ、角の向こう側から、何人もの人間がこちらへと走ってきた。

そのうちの一人の男と肩がぶつかる。

 僕と同い年くらいの彼は、もの凄い勢いでフロアを滑っていったが、すぐに立ち上がり、こちらを一瞥した後、すぐに向こう側、僕とは反対方向へと走っていった。

 その絶望の表情。予想だにしない展開に、ますます僕の緊張は高まる。


 それからすぐ、そいつは姿を現した。野球帽で表情を隠したそいつは、逃げようとする人達の中から、一人の女に拳を突き出した。その瞬間、女は苦悶の表情を浮かべ、その場に倒れ込んだ。

 その背中から離れる拳。姿を現す銀色の塊。勢いよく噴き出る鮮血。

 そいつがした事に気付いたその瞬間、世界はまるでスローモーションのように変わった。


 やや遅れ、つんざくような悲鳴が四方八方から飛び交った。

 いつの間にか、その悲鳴達は僕を通過して置き去りにしていった。

 先程背中を刺された人だけではなかった。角の向こう側には、何人もの人が身体を抑えながら倒れている。中には、もう動いていない人もいる。


 思い出したように息を飲む。倒れ込む人達と、逃げて行った人達。

このままでは、自分がどちら側になるのか。境界線は、すぐ傍にある。


「あっ」

 足を縺れさせ、一人の少女が僕の前に倒れ込んだ。

 制服姿の彼女の胸元に、「小柴」という名札がついているのが目に入った。

 刃物を持った通り魔と、少女と、僕。境界線にいるのはもうそれだけになっていた。


 顔を上げれば、通り魔は少女へと駆け足で接近している。

 血で濡れたナイフ。帽子の下から、僅かに覗いた白い歯。

 うつ伏せに倒れ、今にも泣きだしそうな表情で、こちらを見る少女。


 僕は弾かれるように、走り出していた。

 少女の前に立ち塞がった。衝動に身を任せて動いた僕は、鋭利なそれが、あっさりと自分の腹に突き刺さってからの事を、何も想像できていなかった。


 あまりにもあっという間の出来事だった。まさか、どうして自分が……。

 男の顔が歪むのが見えた。男の狙いはこの少女だったのだろうか。

 身体から力が抜け、膝が地面に着いた。


 違う、と思った。確かに僕は人の事が嫌いで、誰とも関わらずに生きていたいと思っていた。そして僕はゲームの中で、多くの人を殺して、悪い事をしてきた。でも、いざ現実で目の前に広がる光景を目にした時、さらには自分がそこに巻き込まれた時、一つだけはっきりと思える事があった。

――違う。こんなもの、僕は見たくない。


 体勢を起こそうとする男の上着の腕の辺りに手をかけ、反対にこちらへ引きずりこもうとする。思い通りにさせてたまるか。僕の動きに抵抗しようと、男が身を引く力がどんどんと強まっていく。重心が向こう側へ行ったのを確信すると共に、今度は一気に全身の力を抜く。


 …………!


 こんなにあっさりと事が運ぶとは思っていなかった。バランスを崩した通り魔は、そのまま床へと仰向けに倒れ込んだ。大きな音を立て、苦悶の表情を浮かべる男。帽子が脱げ、その素顔が露わになる。

 先程とは対照的に、今度は僕が男に馬乗りになっていた。


 息が上がる。運動なんて全然してこなかった。たった一瞬の出来事だと言うのに、呼吸がひどく乱れている。アドレナリンのせいか、この体勢になって初めて、息が上がっている事に気付いた。お腹の辺りが妙に熱い。怖くてとてもその部位を見られない。


 代わりに、僕の下で仰向けになっている通り魔を見下ろす。ダボいついた上着のせいでわからなかったが、案外体格は細身のようだ。彼は苦痛に顔を歪め、僕と似たように、肩で息をしている。

 これで何とか――。

そう思った時、男は突然叫び出した。

ほんの少し、気の緩みがあった。

 男を抑えていたはずの体重は、あっさりとその腕力によって覆された。


 体勢を立て直そうと、必死で抗う。何度も何度も身体の位置が入れ替わりる。

 その時、男の肩口に、先程の少女の姿が見えた。


 はっとしたその時、またも強力な力が、僕を突き刺した。

 男と目が合う。奴は息を切らし、すぐに立ち上がろうとしている。

 狙いは、やはりあの少女か。


 声にならない声をあげ、男の右腕を掴む。

 そのまま、崩れ落ちる僕の体重に男を巻き込む。

「逃げろ! ……早く逃げろ!」

 僕は何とか声をあげた。少女の姿は見えなかった。


 男が引こうとする腕を、こちら側へと引き戻す。

――逃がしてたまるか。

 まだ感覚の残る右手や左足を使い、逃がすまいと男に絡みつく。

 もう、自分がどうなろうと、関係ない。

 僕は今、自分がすべきと思った使命を全うする。絶対に折れてたまるか。


 もう、お腹の辺りがどうなっているのか、わからない。男は泣き出しそうになりながら、何とか僕から逃れようともがいている。

 もう、どこまで力が持つのかわからない。だが、離してたまるか。

 自分でも訳が分からない程、力が残っている。



 ひょっとしたら、僕もそちら側だったかもしれないと、不意にそんな事を思った。

――――。


――大丈夫ですか。

 何かの刺激を感じ、目を覚ます。

 誰かの顔が、すぐ近くにある。だが、その背後にある多くの照明のせいで、顔が良く見えない。


――大丈夫ですか、聞こえていますか。


 わかったって。

 そう答えようにも、心の中でそう思うのが精いっぱいだった。


――息をして。


 頭の中で、誰かの声が聞こえた。鎖の声ではない。加工などかかってない、生身の人間の声だ。

 誰だ、と辺りを見回そうにも、この場に他に人など――。


――お願い、お願い。


 はっとした。初めて聞く声のはずなのに、僕にはそれが誰かわかるような気がした。

 やや遅れて、僕を覗き込むように見てくる、一人の少女の姿が視認できた。

 その頬から、涙が流れている。

 どうして、僕なんかを見て泣くんだ。どうして……。


 言葉を発しようにも、上手く声を出す事ができない。


――ねえ、しっかりしてよ。

 肩を揺さぶられる。視界がぐらつく。やめてくれ。ただでさえ苦しいんだから。


――離れて!

 今度は別の声だ。若い男性の声。少女の顔が僕の視界から消え、今度は変わりに僕を覗き込んでくる。

――わかりますか?

 身体のどこかに手が当たる。


 ヘルメットにマスク姿の人達の顔が見えた。その瞬間、自分が死にかけている事を悟った。

 これで、終わりなのか。

 そう思った途端、絶望よりも、悔しさが滲み出た。

 これで終わりだと? ふざけるな。やっと、やっと、ほんの少し、生きる意味がわかったと思ったのに。

 涙を流す少女の顔が、またも目の前に浮かんできた。

――こんな所で……終わってたまるか。


 こんな所で、終わってたまるか。

 もう一度、その言葉を繰り返す。


 ソウ。僕ノ使命ハ、和也ヲ救ウ事。ソレガ成シ遂ゲラレルマデ、僕ハドウナルト諦メナイ。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

 いよいよ物語はこれからクライマックスへと向かいますが、是非一度この物語の冒頭、「序章」を読み直してみてください。

 ……このエピソードとの繋がりが見えてくるかもしれません。

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