第四章② 行き着いた先
鎖の目的に気付いたものの、鎖との融合が完成してしまい、自意識を奪われてしまった「僕」。
いかにしてこの危機に立ち向かえるか。
なんだ。結局ダメじゃないか。
ようやく上手くいったと思ったのに。ようやく自分の生きる理由がわかって、ここから頑張ろうと思っていたのに。
結局、他人の訳の分からないエゴに巻き込まれただけだったんじゃないか。
皆自分が大事なんだ。皆自分が可愛いんだ。
人に優しくしようとすれば、結局こうやって都合よく利用されるだけなんだ。
クソったれが。結局、行き着いた先がこんな所だったなんて。
悔しいなんていうものじゃない。もはや、諦めの境地に至ってしまいそうだ。
――ソウ。ダカラ、ソンナ自分カラ逃ゲルタメニ、新シイ自分ニナレバイイ。
そんな声が頭の中で鳴り響いた。
***
柱を背にして立ちながら、彼の姿を探す。部活に関係する「仕事」での用事とは言え、プライベートでも関わりのある人物と会うのは、どこか落ち着かない。
愛は、公的な「モード」と私的な「モード」を使い分けるのが得意だ。愛にとって、同じ大学の学生にインタビューをする「仕事」は、自分の得意分野を活かす格好の場になっていた。
――それに……。
ぐっと手を強く握りしめた。あまりにも勇気のいる選択を取ろうとしている自分がいるからだ。五年以上、ずっと自分の心を沈め続けている錨を、この手で取り払いたかった。
……ふと、その人物が視界の隅に写った。愛は反射的に彼の名前を呼んでいた。
「織川君!」
すぐに、近くを歩いていた彼はこちらを向き直した。
やあ、と片手を挙げ、彼は近付いてくる。
「お疲れ」
織川はすぐにこちらへそう言ってくる。愛も反射的にお疲れ、と返す。
「ごめん、ありがとね。お時間取ってくれて」
「ううん、全然」
打ち合わせの場所を知っている愛が、織川を先導して歩く。
ジャージ姿の織川と、部の制服姿の愛。自分達の恰好を意識すると、どことなく緊張を覚えるが、織川は構う事なく自然体で構わないというようなオーラを出してくれる。
愛には、そんな彼の振る舞いがとても助かると思えた。
織川を呼び出した目的は明白だった。スポーツ報道部の紙面企画、「同期対談」に当たっての事前取材。部内で何名か候補を出し、部員の事前取材をもとに正式採用を決める。愛は自分の担当から、男子バスケットボール部の織川和也と小柴直文の二人を扱おうと候補を挙げた。
報道部の名のもとに予約した会議室には、他には誰もいなかった。
正式採用の決定に当たり、事前取材の内容を提出する必要があったが、別に取材に当たってのルールはそこまで厳格には決められていなかった。
「ごめんね。色々ルールがあって、ちょっと固い感じになっちゃうんだけど」
愛は会議室の扉を開け、苦笑いを浮かべながら後方の織川を振り返った。多くても六人ほどしか入れない、さほど大きくない部屋だった。
「うん、全然大丈夫」
織川は表情一つ崩さず、こちらを気遣ってくれるように笑顔を見せた。
机を挟んで真向いの椅子に腰かける。
お互いに相手を傷つけないようなマナーを見せた振る舞い。無意識にそう感じながら、愛はすぐに自分が為すべき仕事に頭を切り替えた。
「リーグ戦始まって、やっぱり変わった?」
織川を椅子に座るよう促しながら、考えていた雑談を振る。
「あんまり聞かない方がいいかな、その質問」
内容の重さに反して、織川の返しには何かユーモアがこもっていた。うわー、と反射的に声をあげると、織川も顔をしかめた。
「あ、こんな事言ったら、部活の事聞きづらいよね」
続けて織川が加えた発言に、余計に笑いが零れた。
「……じゃあ、そんなに気まずくない範囲で、聞かせてもらうね」
愛はメモ帳を取り出し、頭をほんの少しだけ「仕事」モードに切り替えた。
「織川君の同期の、小柴直文君との関係について、少しお話聞かせてもらいます」
はい、と織川もやや改まった態度で答えてくれた。
取材はとても順調だった。
織川と小柴の出会いから、小・中、そして再び合流した大学での関係。ポジションの違いもあり、微妙な距離感を保ちながらも、仲間として時に声を掛け合う。事故によって命を落としてしまった、二人の繋ぎ役であった織川智也さんの意志を引き継ぎ、二人でここまで支え合ってきた。
織川は時折具体的なエピソードも交えながら、幼馴染みとの親交について、丁寧に話してくれた。
愛は頷きながら織川の話に耳を傾け、時折重要なキーワードをメモ帳に書きつけた。
***
「へぇ、そんな奇跡的な!」
「そう。だから、お互いに合わせた訳ではなくて、本当に偶然っていう感じでここまで来たんだよね」
織川は屈託のない笑みを浮かべ、進学に関するエピソードを語ってくれた。
決して同じ大学に行こうと示し合わせていた訳ではなく、お互いにお互いが目指す進路に向けて努力をした結果、今の進路に繋がったという。
愛は一人頷きながら手元のメモを見返した。
インタビューに当たって聞き出すべき情報は、もう十分に揃ってしまっていた。
ここから先は、完全に個人的な動機だ。変に悟られないよう、自然な流れで会話を続けなければならない。
「織川君って……何か不思議だよね」
自然とそう口走り、自分の緊張が増していく事を感じる。
「他のスポ推の子とは何か違う。……ううん、皆個性があるのは当たり前なんだけど。それとはまた違う不思議さ」
自分でも準備していなかった言葉を話している。愛は手探りするように言葉を探しながらそれを織川にぶつける。どうすれば、壁を壊せるのか試すように。
「僕には、よくわからないな」
織川はあっけらかんとした様子で苦笑いを浮かべた。
ああ、またこの人は壁を作るんだ。そう思い、愛は机の下に置いた手をぐっと握りしめた。
「この前の授業の時……。織川君がすごく辛そうにしているの、私、気付いちゃったんだよね」
いじめの話。幼馴染みがいじめられているのに、何も手を貸さず、自らの本人に対する思いとは無関係に、クラスメートの流れに乗ってしまった事。
「私が話しかけたらすぐに大丈夫って言ったけど、それまでの態度、絶対に「大丈夫」な訳ないって、誰だってわかった。なのに、あの後の織川君を見ていたら、ごく普通になっていた」
怖くて、目の前の本人と目を合わせる事ができないでいる。話してしまいたいのに、その続きを知るのが怖い。自分勝手な、矛盾を抱えた感情。
愛はごくりと息を呑み、続けて言葉を放った。
「私は思ったよ。あれは、やられる側を本当に経験した人の反応だった。すごく苦しそうで、微かに敵意も混ざった反応」
愛は顔を上げた。自分の言葉を聞く、織川の顔に目を向ける。それが、自分のすべき義務だと思った。
「だってあれ……私が書いた文章だった。あの反応……どうして織川君がするのって」




