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僕に眠る君へ  作者: 飛島葉
第四章 僕に眠る君へ
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第四章① 生きる意味――織川和也の過去

 身体の持ち主でありながら、正体を隠し続けてきた織川和也はどのような過去を歩んできたのか。


 ああ、僕は死んだんだな。あの濁流に巻き込まれて。

 再び意識を取り戻して、僕はそう悟った。辺りには、何もない。灰色の世界だけが広がっている。そして、僕は自らの身体を思うように動かす事ができない。まるで無重力空間のような世界に浮遊して、ただ流されるままに辺りを漂い続ける事しかでない。まるで夢を見ているかのよう。でも、夢にしては、あまりにも意識がはっきりとしすぎている。


 あれからどうなったのか、あまりはっきりと覚えていない。

 まずいと思った時には、もう遅かった。とても逃げられるような状況じゃなかった。言葉では聞いた事があったけど、津波ってあんなに巨大な物だなんて思ってもいなかった。

 でも、兄さんの声が聞こえた事だけははっきりと覚えている。どうして僕なんかの為に……。


 今、少し離れた所に、天使の恰好をした女の人がいる。女の人は僕と同じように宙に漂ったまま、ゆっくりと、けれども真っ直ぐにこちらへ向けて近付いてくる。やっぱり、死んだからこうなったんだろうな。



 大会はもう来週に迫っていた。

――死ぬ気で練習しろ。じゃないと、お前みたいな奴を使う場所なんかないからな。

 相変わらず、父さんは僕に厳しかった。でも仕方が無い。だって、僕はチームの皆より下手くそだし、すぐ疲れるし、皆が頑張り続けるより、ずっと頑張れないんだから。

 何が理由なんだろう。兄さんはずっとチームを引っ張っているし、皆から信頼されている。何より、ずっと真剣なのに、同時に楽しそうにも見える。

 これはもう、変えられない事なんだと思っていた。僕と兄さんは、同じ両親から生まれただけで、違う人間なんだ。

 だから父さんは兄さんを見て、同じ事を僕にも求めようとする。でも、僕は兄さんじゃないから、父さんの期待に応えられなくて、いつも怒られてばかりいるんだ。


 しんどい、と思うのは当たり前だった。チームの練習なんてずっとしんどい。皆心のどこかではしんどいと思いながらもやっている。弱音を吐くのは心の弱い人間なんだ。せめて、弱音を吐かないくらいはきちんと守るしかない。

――もっと基礎からやり直せ。自主練習をしろ。

 父さんが具体的に指示した事はそれだった。

 だから、僕はずっと父さんの言いつけを守った。


 警報が出ている事も、知っていた。別にそれでどんな事になったって、僕は構わないと思った。父さんの言った事を守りさえすれば、それでいいんだって。



――まさか、本当に死んでしまうなんて、思ってもいなかったな。

 死ぬ、という事が、その言葉以上に、僕にとってはあまりにも他人事だった。だから、こんなにいきなり自分の元にやってきた事への実感が、あまりにも無かった。

そんな事を考えているうち、天使がすぐ傍までやって来ていた。ああ、もうその時が来てしまう。人は死んだらどうなんだろう。その答えが、こんなにあっさりとわかってしまうなんて。

「違うわ。あなたは死んでなんかいない」

 うそ――。反射的にそう言葉を発する。思いのほか自然と声が口から出た。

「こ、ここは……死んだ人が来る所じゃ」

「それは難しい質問ね。正確には、ここは生と死の狭間にある場所。死んだように思えて、まだ生きているのに近い場所。でも、普通の人間が来る事はできない場所。それが、この今際という世界よ」

 質問する前より、余計にわからなくなってくるような答えだ。

「他の人は……、兄さんは、どうなったか知りませんか?」

 その答えに、天使は残念そうに首を横に振った。

「ごめんなさい。私は神ではないの。世界の全てを知っている訳じゃない。あなたのお兄さんが誰なのかも、無事かどうかも、私は何もわからない」

「そんな……」

 目の前が真っ暗になった。僕を助けに来なければ、兄さんは――。

「僕の命はどうなってもいいから、とにかく、兄さんさえ助かれば……」

「どうしてそんな事を言うの……」

 ふと口を衝いて出た本音に、その天使は反応した。だが、彼女の口調は、決してこちらを責めるものではないように思えた。

「いいわ。あなたの話を聞かせて。あなたの望みを、何かしらの方法で叶える事ができるかもしれない。あなたには――ここに来た人間には、そんな特別な力を持つ事ができるから」

 天使はそう言った。真っ直ぐに僕を見つめたまま、決して視線を逸らさずに。


***


織川 智也


 多くの名前が並ぶ石碑の一箇所に、確かにそう書かれてるのを、目に焼き付ける。

「どうして、どうして……」

 その瞬間、その場に崩れ落ちた。もう身体に力が入らない。

天使から聞いてはいたが、改めて実際にその知らせを知ってしまうと、やはりまだ信じられない。

僕は暫くの間、意識不明のまま入院していたらしい。その間に、兄さんは帰らぬ人となってしまった事がわかったようだ。

「そんなのおかしい。間違ってる。絶対に間違ってる。どうして兄さんが……僕なんかのために……」


 死んだ人間を生き返らせる事はできない。天使にはそう告げられた。

 それから、僕はできる方法を使って、兄さんを生きさせる事に決めた。それは、僕自身が兄さんになる事。

 練習場の付近は津波の被害に遭ったものの、高台の方にある家は、幸いな事に無事だった。だから、僕は兄さんの手掛かりを辿る事にした。兄さんの写真、兄さんの日記、兄さんの映像、そして僕の頭に残っている、兄さんの記憶。

それら全てのイメージを、身体の動きへと再現していく。


 小学校の行事で使われたという、兄さんの夢が書かれた手紙も見つけた。

 そして僕はやがて迎えた同じ行事で、全く同じ文言のまま発表をした。敢えて兄の事には触れず、本当に自分がその手紙に書かれた思いを持っているのだという、決意を抱えて。


 だが、それだけではまだ足りなかった。


 父さんにお願いして、普段のプレーの様子を録画してもらった。

 練習が終わる度にそれを見返し、兄さんのイメージと照らし合わせる。

 まだ足りない、まだ足りない……。

 僕は、まだ自分がそれまでの僕を残している事が、嫌でたまらなかった。


 その事を振り返る度、僕は必ずあの日の事を思い出すようにした。

 自分を悔やみ、思いを継ぐと決めた、あの感情を。

 まだ足りないと思った僕は、バスケの最中だけでなく、普段から兄さんらしく振る舞うように決めた。


 僕は掲げた「夢」の通りに歩み始めた。僕を葬り去り、織川智也のイメージを保持したまま、競技に、日々の生活に向き合い続ける。

 そうして中学、高校と目標通りの道を歩み続ける事ができたが――。


***


 メンバーが発表された。キャプテンの口から、一人ずつ背番号と共に名前が読み上げられていく。「織川」の名前が呼ばれる事なく、次々と発表が行われていく。


――結果、僕の名前が呼ばれる事はなかった。

 その事がわかった途端、全身の力が抜けていくような気がした。

 ごめん、兄さん。心の中でそう呟いた。


「天使。来てくれ」

 屋上へ行き、他に誰もいない事を確認するなり、僕はそう声をあげた。

「だいぶ辛そうね。そこまで結果がショックだったのね」

 天使の声が聞こえ、僕は何とか顔をあげた。

「ここまで頑張ってきたけど……やっぱり、僕の力だけでは限界があったよ」

「何を言うの? まだ一年生の前半でしょ? ここから先、いくらでもチャンスはあるわよ」

 天使は僕を慰める言葉をかけてくれたが、そんなもの、僕にとってはまやかしにしかならない。

「いや。この数カ月、全力を出してきた。その結果がこれだなんて、やっぱり、僕の力ではダメなんだよ。今日の結果で、その事をはっきりと認識したよ」

 そう、と天使も力ない声で答え、それ以上反論はしてこなかった。それが答えだと僕にはわかった。

「だから、前にあなたが教えてくれた通り、他の魂を、この身体に呼び寄せて欲しい。僕よりも、もっと兄さんの夢を繋ぐのに相応しい魂を」

 天使はなおも答えない。

「今なんだ! 今、やらせてくれ。兄さんの思いを、兄さんの夢を繋ぐ。その為に、あなたの力を使ってくれ」

 予期していない発言だったのか、天使は目を見開いた。

「本当にいいの? 言神を作るという事は、その代償に、あなたの魂は失われてしまう。これから、一人の人間ではなく、一つの意志として、あなたは存在する事になる。……それでもいいというの?」

 天使は僕の目を凝視しながら問いかけた。

「勿論。そんなもの、捨てたいくらいだよ」

「そう……」

 天使は噛み締めるようにして言葉を発した。

「では、あなたの身体を制御する言神を、今ここで生み出します」


 天使は目を閉じて両の手を重ね合わせると、その掌を、僕の胸の方へと向けた。

 突然、その場に青い光が宿された。天使の長い髪が、その場で吹き始めた風になびく。

 何らかの力が発生しているのだろう。僕と天使の間に、大きな青い球体が現れた。その球体が、僕の身体に触れ、中から、今度は小さな赤い球体が――。

 だが、それ以上の事は覚えていなかった。

 最後に、頬を紅潮させ、目を見開いた天使の顔が見えた事だけは、確かに覚えていた。


***


 そして今、ついに念願が叶った。相応しい魂に「織川和也」を委ね、僕の魂を完全に葬り去る。それが僕の望む計画だった。

 こうする事で、兄さんの思いを残す事ができる。

 他に手段は無かったのだ。


 鎖と、適応者の魂が合体していく。いよいよ僕は消える事となる。

 さあ、手を下してくれ、天使よ――。

 僕は目を閉じ、天を仰いだ。元より、そこにあるのは灰色の世界だけだが。


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