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僕に眠る君へ  作者: 飛島葉
第三章 君と一つに…
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第三章⑥ 揺らぐ「僕」

 繰り返し流れてくる和也の記憶の中に登場する中心人物は、和也とは別の人間なのか。そんな疑念を持ったまま、「僕」は和也の身体を生き続ける。

 ここ数日、この身体に一体何が起こっているのだ。

 ふと我に返った時、その異常さに気付いた。

 まるでこの前の試合の時のような感覚だ。確かに僕のはずなのに、僕ではない誰かの意識へと変化している。

 だが、それも流動的で、僕の意識と行ったり来たりしている。

 織川の魂は奪われている。コトガミは、この身体を彼らしく動かそうとしている。つまり、この鎖自身が持つ意識……?

 そう言えば、確か鎖と思われる記憶まで目にしたような……。だが、記憶がはっきりとしていない。

 それに、考えようとした所で、何もまとまらない。

 図書館の座席で一人、頭を搔きむしる。そうこうしているうちに、また意識を奪われてしまう。

 一つだけ、確信に近い事実がある。

鎖の源となっている「意志」の正体は、和也本人の意志ではなく、亡くなった兄、智也のそれだ。過去の記憶で見た和也が、本気でプロを目指したりするなんて、とても思えない。

 ならば、この鎖というのは、生きている人間の身体に、死んだ人間の――。



――悩む事なんてない。ボクのやるべき事は決まっている。あの獣型の言神から、ボクの魂を取り返すんだ。その為に、僕達は力を合わせる事にしたんだ。

 そして、魂を取り返す事で、僕の悲願が――。


 身体の内側に意識を向けると、すぐに〝違う世界〟へと意識が移り変わった。

 奴は、相変わらず鎖に張り付いていた。まるで人間の脊髄のように聳え立つ中核の柱のような部分。その一部分に、その小動物のような四足歩行の言神は、今もいる。

 奴は気付いているのだろうか。もうボクが、この鎖が、これまで以上の力を持ち始めているという事に。


 奴はずっとそこにいた。この鎖が生み出された瞬間から。まるで鎖が生まれるのを待ち構えていたかのように、ボクの魂を奪っていった。

 矛盾した複数の思いを抱えてしまう人間という存在を抜け出し、僕はたった一つの意志に身を捧げる決意を固めていた。それなのに……。

奴に魂を奪われたせいで、鎖の力は一般的な言神に比べて随分と低い性能になってしまった。

 だが、天使が考え、実行してくれた策のおかげで、ボクは何とかここまでやってくる事ができた。

 悲願を実現させるまで、もう少しだ。

 問題は、元の彼と関連の高い出来事を、潰していく事――。


***


 大勢の学生の話し声で、講義室はがやがやしていた。既に席も多く埋まり、自分が座る席を見つけるのに一苦労だ。

「織川君っ」

 やや前方から聞こえてきたその声に、僕はすぐ反応した。

「やあ、おはよう」

 声をかけてきた、加辺愛の横に腰かける。この授業は「楽単」という噂を聞いて取っていたが、僕達以外の二人の友人は、もうこの授業には来なくなってしまったようだ。

「昨日はお疲れ様ぁ」

 加辺愛は、表情を大きく崩してこちらに笑いかけてきた。

「いえいえ。加辺さんこそ」

 昨日試合後にインタビューしてきたのは加辺だったか。会話をして、どことなく記憶が蘇ってくる。

「いやぁ、私はほとんど観客みたいに楽しんじゃってたから。大した事してないよ」

 ひらひらと手を振り、加辺はなおも笑みを浮かべた。

「いいじゃないか。ま、僕の活躍、ちゃんと記事にしてよ」

「勿論!」

 調子に乗ってした発言に、加辺もノリノリで親指を立てた。

「団体戦だと、チームの勝敗を結構重視しちゃうんだけどさ。でも、それだけじゃないよねーって、私思ってるから。しっかり編集にアピールしとくね」

 まるで自分の活躍のように、なおも嬉しそうな顔をしている。


 別に、僕だって、自分の結果に満足した訳じゃないけどな。

 内心思った言葉を、そのまま潰す。

――満足してしまったら、そこで成長が終わる。

「あのさ、織川君」

 加辺が再び話しかけてくる。

「報道部の紙面企画で、『同期対談』ってコーナーがあって、そこで各部から何名か候補を出さなきゃいけないんだけど、その企画で、織川君の協力もお願いしてもいいかな? この前の試合に出てた小柴って人も同期だよね?」

 よりによって、リーグ戦が始まったこの時期にか。僕は内心溜め息を吐く。

「あ、時間は本当に迷惑かけないレベルで、すぐで大丈夫。ほんと、タイミング悪いのは分かってるんだけど、持ち回りで候補挙げなきゃいけなくて……」

 加辺も相当こちらに気を遣っている事はわかった。そんな彼女の態度を前にして、さすがに断るのも申し訳なくなってくる。



それからすぐ授業が始まった。

「えー……では、先週もらったコメントの中で、とても興味深いものがありましたので、最初にそれを紹介しようと思います」

 教室は、先程までと打って変わって、静寂に包まれている。

 先生のその言葉と共に、早速スクリーンの投影内容が切り替わった。

 文章が大写しとなり、白と黒の二色で画面が埋め尽くされている。

「えー、一回そのまま読み上げますね。『私は過去、ひどく後悔している出来事がある。小学生の頃、クラスで発生したいじめに加担してしまった事だ』」

 いじめ。やや繊細なフレーズが飛び出し、教室の空気はより一層静まった。とても友人との会話で出せないような、重い告白が始まりそうだ。


「『ほんの些細な事がきっかけだったが、多くの人が関わった事で、次から次へとエスカレートしてしまった。そして、気付けば私もその一員に加わってしまった。あろう事か被害者は私の幼馴染みだったというのに』」

 ますます、教室内の空気がヒリついた。この事を書いた人物が、この教室内に――。

 まるで悲劇的な印象のその書き口に、どこか違和感を覚える。気まずいな、こういう話は。確かに、僕の身近にも。どうして誰も何の反応を示さないのか。まるでテレビやラジオの向こうで流れる話を見聞きしているかのような、無反応さ。そんな周りの人間達に、どことなく不審感を覚える。ひょっとして、お前達も〝そちら側〟だったのではないかと。


 そこで教授は言葉を切り、苦笑いを浮かべた。

「皆さん、どうですか。……ひょっとしたら、似たような経験をした人、他にもいるかもしれないですね」


――なんだ、その言い方は。

 その言葉の軽さに、腸が煮えくり返りそうになった。机の下で拳を握りしめ、何とか自分の感情を抑え込もうとする。

「『今思えば、私はその人の事を憎いなど、微塵も思っていなかった。今回の授業を聞いた時、私はすぐにこの経験の事が思い当たり、改めて過去の自分を悔やんだ。孤立する事を恐れ、自分の本心に背いてしまった過去の私は、まさに「機械的画一性」の状態にあった』」

 何だ、それは。立派な言葉に自らを重ね、罪から逃れているだけではないか。爪が掌に食い込むのがわかる。痛みを感じても、止める事はできない。

「自分自身では、この被害者の人をそこまで憎んでいなかった。けれども、こうしてクラスという場で、いじめに加担してしまった。……自分では思っていない事をしていた。不思議ですよねえ」

腕が震えそうになったのを感じ、机の下に隠そうと、前のめりになる。前の席に座る学生が、ゆっくりと首を縦に振っているのが見えた。

「自由っていうのは、やはり怖いんですよ。だから、この人のような振る舞いになってしまう。下手すれば、クラスで仲間外れになったり、自分こそがいじめの標的になってしまうかもしれない」

 やめろ。もうそれ以上話さないでくれ。

「そうした恐れから、まさに『機械的画一性』の状態になってしまった、と自らの過去を分析してくれた方がいました」

 せめて練習中ならば、感情を正しくぶつける事ができたのに……。いつまで感情を抑えていられるか、わかりそうにない。


 目を閉じかけたその時、僕の肩に手が乗った。


「大丈夫? 織川君」

 その手と共に、囁くような声が聞こえて――。

 全身を何かが駆け巡っていった。

 違う。僕は勝手に過剰な感情移入をしてしまっただけだ。被害者側の気持ちを思いやり、まるで本当に体験したかのような感情を勝手に強く感じてしまった。

 何せ僕は――。


――いいか、和也。目を覚ますんだ。お前がしようとしている事はばかけているぞ。……他の人間を巻き込んでまでする事じゃない。お前はお前を――



――乱れていた呼吸が自然と整う。指からすぐに力が抜け、姿勢を正す。

「あ、うん。大丈夫、大丈夫」

 何か気が乱れていたようだ。練習に打ち込みすぎか? ストレスか? もう少し、自分のコンディションに敏感にならないといけないな。

「ほんと? 無理しない方がいいって」

 こちらへ顔を近付けながら、加辺がそっと囁くように言う。

 その表情が、あまりにも深刻で、僕は何だか馬鹿らしく思えてくる。そこまでの事だったか?

「うん。ちょっと追い込みすぎた。実は……昨日の試合結果に満足できなくてさ」

 いや、これだけでは説得力が足りない。

「ちょっと、今日明日くらいは身体を休めないとね。やりすぎはよくないって気付いたよ。だから……大丈夫」

 加辺にこれ以上気を遣わせないよう、必要以上に声の調子を落ち着け、自信を持って言葉を発する。加辺さんの肩の辺りにそっと手を触れながら、ゆっくりと彼女を離していく。

「ありがとね。心配してくれて」

 しっかりと彼女の瞳を見つめる。目を細め、ゆっくりと頷くその表情がしっかりと視界に入る。

 よし。これで、何も問題無い。


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