第三章④ 父さんの夢
僕はそれまで知らなかった君の記憶を次々と知っていく。
闇の中、ある二人の話し声が聞こえてくる。
「なあトモヤ、今度のあれ、どうするんだ?」
「あれってなに、夢を発表するやつ?」
「そうだ。二週間後だったよな。内容は考えているのか」
「父さん、ほんと気が早いよな。一応、何となくはね」
「ふぅん、どんなんだ」
声の印象は、片方は声変わりがまだ来ていないほど幼く、片方は大人な印象だ。
「ええ、なんで教えなきゃいけないんだよ。どうせ当日聞きに来るんでしょ?」
「まあそうだが、ざっと方向性くらいはさぁ」
「なにさ、方向性って。そんなのちょっと話したらわかっちゃうじゃないか」
僕がいる事など全くお構いなしに、会話はテンポよく進んでいく。
まるで寝床の中から、近くで行われている会話を盗み聞きするような、そんな奇妙な感覚だ。
「ううん、そうかぁ」
「うん。じゃあさ、父さんが、ちょうど今の僕くらいの頃、どんな夢を持っていたのか教えてよ」
「なんだよ、自分は言いたくないってのになぁ」
「参考だよ、参考。やっぱりさ、父さんくらい偉大になりたいなぁ、なんて」
「お前、お世辞なんてまだ早ぇよ。一体どこでそんなワザ覚えたのか」
お世辞だ、なんて言いながら、笑顔で話す父親はだいぶ上機嫌なように思えた。
「ええ、違うよぉ。本気で思ってるんだ。だって、僕も父さんくらい活躍する選手になりたいよ」
「いや、甘いなぁトモヤ。息子ってのは、親父を超えるくらいにならなきゃいけないんだ」
「超える? もっと凄いって事? じゃあ、やっぱり教えてよ。父さんの、僕くらいの時の夢」
「ええ、何だよ。そんなに聞きたいかぁ?」
――――。
はっとした時、いつの間にやら僕はベッドの中にいた。
いつもの寝巻姿だ。結局昨晩、自主練を済ませ、一人風呂に入りに行ったら、あっという間に消灯の時間になり、岡崎達とも言葉を交わさず、すぐに床に就いたのだった。
ベッドから這い出し、うんと伸びをする。
壁に掛けられた時計を見る。時刻は間もなく八時になろうとしている。
なんだよ、まだ早いじゃないか。
念のために、和也のスマホに入っているアプリで時間割をチェックする。二限に授業があるから、それまではゆっくりしていても……。
まだ寝れるな。
そう判断し、すぐにベッドの中へ戻ろうと――。
――さあ、練習しなくては。レベルを上げる為には、休んでいる時間なんて、僕にはない。
すぐさま荷物を準備し、部屋を出た。
「あざます!」
いつもの挨拶を口にしながら練習場の扉を開ける。
そこには既に、自主練を始めている人の姿があった。
「おはよーう」
やや遅れて、その人物はこちらに挨拶を返してくる。宮内さんだった。
この人の姿勢は、本当にすごいなと思う。……まあ、昨日は練習していなかったけどな。
僕は変わらず、自分のするべき事をするまでだ。
***
――また随分とハードな……。休憩を取る度、自分の練習量の多さに圧倒される。床に手を着き、必死で呼吸を整える。
気付いた時には、後から何人か、Aチームのメンバーが練習しに姿を現わしていたが、他のメンバーも、僕ほどハードに動いている人間はいなかった。ただ一人を除いては。
丁度そう考えていた時、近くで同じタイミングで休憩していた宮内さんと目が合った。
「おう……お疲れ」
「……お疲れ様です」
互いに同じように呼吸を乱している様子が何だかおかしく、同じタイミングで笑ってしまった。
「さすが。昨日の活躍に慢心せず、もう完全にチームの核となる覚悟だな。いいじゃないか」
「……いえいえ」
朝の自主練から、ここまでハードに自分を追い込んでいる人間は、周りを見ても僕達二人だけだった。
「宮内さんこそ、凄いですよ。僕だったら、同じ状況で頑張れるか……」
先輩を立てようとしたつもりで咄嗟にそう言ったが、言った直後に、ほんの少し後悔した。ひょっとしたら、煽っているように聞こえるかもしれないと。
だが、宮内さんは意外にも爽やかな表情で笑みを浮かべていた。
「なに言ってんだよ。ここまできたら、自分の限界にぶつかるだけだよ。ほら、時間なくなるぞ」
宮内さんはそう言うと立ち上がり、再びボールを手に取った――
――その背中を見て、僕も慌てて立ち上がった。
それからというもの、自分の課題に向き合いながらも、宮内さんの姿がずっと気になって仕方が無かった。ふとしたタイミングで、何度も先輩の背中を目で追ってしまった。
スポーツ推薦の人間が毎年ゴロゴロ入る中、一般からここまで、練習量と学習能力で、ここまで這い上がった。
――それでも、結局出番があるかないかのベンチが精一杯だった。
そう思うと、自然と自らの身体も緊張してくるのを感じた。
結局、あれだけ部内で圧倒的な力を発揮していた沢畠さんだって、プロに行けなかったのだ。甘い世界じゃない。結果が全て。部内の誰彼と比べているようなレベルの話じゃない。
***
――奇遇にも、練習を引き上げるタイミングまで、宮内さんと一緒になった。
自然な流れで、そのまま共に更衣室へと向かった。
「四年になったらさ、変な事考えちゃうんだよなあ」
ボディーシートで身体を拭きながら、宮内さんは切り出した。
「変な事、ですか?」
「ああ、自分はなんで競技するんだろうとか、この経験がこの先どう繋がるだろうか、とか、何か哲学的な事だよ」
はあ、と声をあげて応える。
「まあ俺は、どのみち大学で終わりだからさ。普通に就職して、部活やってなかった普通の大学生と、同じ進路になって、もうバスケとは全く関わらなくなるんだろけど」
部内で極めてシビアな話題を、何の前触れもなく持ち出され、度肝を抜かれる。
「でも、だからこそ、じゃあ何が残るのかって事だよなって考えたら、寧ろ今まで以上にやる気が湧いてきたよ」
「さすがっすね」
相変わらずのキャラクターに、思わず笑ってしまった。
服を着終えた宮内さんは、改めてこちらに視線を向けた。
「ま、だから、こういう奴の思いも背負って、ちゃんとやってくれよ、って事だよ」
僕は何も返す言葉を浮かべられなかった。
「これでお前が変わらずだったら、俺は本気で安藤に抗議しようかと思ったけどな」
宮内さんは笑ったが、僕は反射的に声をあげた。
「すみませんでした」
これまでの態度の事だろう。宮内さんは、特に思う所があって当然の人だ。
「いいよ。そんな気にしないでくれ」
宮内さんはそう言い、先に更衣室を後にしていった。
――突然、辺りの光景が変わっていた。古ぼけた映像を見せられているように、僕の視界全体が色褪せている。そしてこの場所も更衣室ではなく、体育館のような……、だが、大学の練習場とは少し違う。一体何が起きているのだ。
「どうしてお前がそんなに下手くそか知りたいか」
いきなりそう声が聞こえた。眠っている最中にこうした映像を見た記憶は何度かあった。しかし、今は……。
背の高い、威厳のある雰囲気の男。反対に、こちらはかなり背が小さく、完全に上から見下ろされている格好になっている。
「それは、お前の心に甘えがあるからだ」
「はい」
この出来事の主は、反射的に言葉を返した。
「楽をしたい。頑張りたくない。早く休みたい。そういう甘ったれた気持ちが、心の奥底に残されているからだ」
厳しい目で、大男、いや、織川父は言う。叱られている状況なんだという事が明らかになる。
「はい」
夢の事を楽しそうに話していた父とは、とても同じ人間に思えない。
「わかってんのか!」
強いエネルギーを持った声に圧倒される。言う事を聞いたのに、どうして。
「ただ返事をしてりゃいいってもんじゃないからな。俺が言った事、きちんとわかったのかって聞いているんだよ」
もういいじゃないか。何をそこまで叱る事があるのだ。
もう、叱られているこちら側の少年は、しゃっくりをあげそうになっている。
それでも決して泣き声をあげず、父の言葉に答えている。
突然、辺りの光景が変わった。
「僕は、父さんの夢を代わりに追うつもりでいる」
そこに立つ一人の少年が、誰かに向けて言葉を発していた。
「父さんにはバスケの腕があった。でも、怪我のせいで、若くして現役を続けられなくなってしまった。この前、僕にそんな話をしてくれたんだ」
背中越しに、彼の言葉を聞く。彼が誰に話しかけているのか、僕からは見る事ができない。
運動用の恰好をしているためはっきりとはわからないが、中学生か、あるいは小学校の高学年に見える。だが、それに比べてもその話しぶりは随分と大人びている。はきはきと力強い口調で、自らの思いを語っていて――。




