第三章③ 君は誰だ?
試合後、和也の両親と顔を合わせた僕は、それまで聞いた事のなかった「兄さん」の存在を知る事になる。
和也の事をすっかり理解したつもりになっていた僕は、それが思い込みに過ぎなかった事を知る。
まるで早送りの映像のように、様々な光景が代わる代わる流れていった。 そのあまりの早さに、どの内容もその内容を理解する事ができない。
突然、動きが止まった。
奇しくも、目の前には先程と同じく両親が二人隣に並んでいる。しかし、二人とも今に比べて若い。また過去の映像を見せられている事は明らかだった。学校の教室で、二人とも正装をしている。二人の他にも、恐らく親と思われる男女が、教室の後ろに横一列に並んでいる。
――僕ノ夢ハ、おりんぴっくデめだるヲ取ル事デス。
かつて見た、織川の記憶。
だが、その声は今、彼のものではない。先程聞こえた、エコーのかかった声だ。
――父ト同ジ夢ヲ追イカケ、父ノ分マデ、頑張リタイト思イマス。
その発言は、機械が音を発しているかのようにも聞こえた。
織川の顔も、その身体も見る事ができない。視界に映るのは、彼の発言を受けた、両親の反応だけだった。
驚いたように目を見開く、両親の姿。
――それは、本当に〝自分〟の声なのか?
ふと、そんな問いかけが僕の胸を衝いて出る。
――ソンナ事、考エル必要ナンテナイ。
すぐに、そんな返答が聞こえ、僕はたじろいだ。
織川の記憶と同じく、エコーのかかった声。それはまるで他の誰かが、彼の振りをするようにして、放ったように……。
「和也」
ふと違う声が聞こえた。自分が呼ばれているような感覚に、ふと我に返る。
母さんが僕に声をかけてくれる。
「大丈夫?」
「う、うん……ちょっと、試合の疲れが」
そう答えてから、僕はこれまで自分の回想の世界に浸かってしまっていた事を悟った。その時、試合中のように、肌に焼け付くような感覚が――。
――何をいつまで油を売っているんだ。もうこれだけいたら引き上げる時間になってしまうだろう。
「……じゃあ、そろそろ出発だから、戻るよ」
思いついたように急ぐ振りをして、慌てて両親に手を振り、別れを告げた。
***
「なあ、一体どういう事なんだ」
その日の夜、屋上に向かった僕は、早速天使にそう問い質した。
「どういう事とは? 何か問題でもあったの」
嘘を吐け、と心の中で吐き捨てる。
「おかしいんだ。コトガミってのは、織川和也の意志から生まれたものだろう?」
「おかしいとは、何が?」
天使の冷静な物言いが、全てを見透かすような視線が、ますます嫌悪感を増大させる。
「織川和也の記憶だ。小学校の頃、両親が見ている場で、自らの夢を語った出来事だ。あれは、本当に和也が見た記憶なのか? 僕にはとても信じられない。本当に彼のものか?」
「あなたが見たものは全て本当だし、彼の意志だって間違いないわ」
天使は間髪入れずに即答する。
――いや、何かが変だ。
今でこそ当たり前のようにこの女と会話しているが、そもそも何かヤバそうな気配を感じたじゃないか。
「どうしてそんなに怖い表情をするの?」
わざとらしい聞き方をしてくる天使に、僕は正直に答える気が微塵も起きない。
「いや……」
返答すると、またも言いくるめられるような気がする。それに試合中も、織川の両親と会った時も、何か変な事が起こった。あれは確かに僕の感情のはずなのに、誰か違う人間のものに……。
「もしかしてあなた、自我の揺れを怖がっているの?」
自我の揺れ。どことなく、自分の思いを言い当てられているような気がしてくる。
「それは鎖との融合が進んだ証拠。あなただって目指していた状態よ。これまで以上に、あなた達の力は高まっていく」
目指していた? この状態が? とてもすぐに納得できるものではない。
「いいわ。不安があるなら正直に言って。このまま腹の内を隠し合っても、しょうがないでしょう?」
それは嘘だろう。僕はすぐに予感した。この天使の「何でも答える」というスタンスの裏には、絶対に何か裏がある。僕はもう確信に近い物を持っていた。
「……いや、大丈夫」
天使の目をまっすぐに捉え、僕は言った。
「そう。ならばここから先、鎖との融合は進むのみ。これから何度も鎖の記憶を見て、あなたの意志は鎖の意志へと混ざり合っていく。そして、織川和也の目標に向けて、あなた自身も動く事になる。プロ選手に、そしてメダリストなるという、彼の夢。その一つの思いの為だけにね」
ああ、わかった、と返答し、僕は天使に背を向け、来た道を戻るように歩き始めた。大体、その目標設定自体、本当に正しいのか。今日の試合で客観的な立ち位置を知った今、そこにさえ疑問を抱いてしまう。
「あなたは今、鎖がある事で初めて存在できるの。その事を決して忘れない事ね」
半ば脅すような物言いが背中から聞こえてきたが、どうせはったりだろうと、僕は聞き流す事にした。
危ない事に巻き込まれている。それどころか、自らが加担してしまっている。
何よりも、自分の気持ちを都合よく利用されたという事が、とてつもなく腹立たしくて仕方がなかった。
寮の階段を歩きながら、一人考える。
上手く言語化できないが、天使や鎖の世界が何か危ない気配がしてならない。
何かよくない事に加担して、自らも実は危険に晒されているのではないだろうかという、そんな漠然とした危機感が、胸に巣食う。
トモヤも見ていてくれた。母の言葉を思い出す。
和也の兄であるトモヤは、恐らくもう亡くなっているのだろう。
だが、それとあの夢の発表とが、何故繋がるのかがわからない。
そして、天使はもう当然のように、僕に戻る道がないような言い方をした。でも、それはおかしいだろう。織川和也の魂を奪った敵から、取り返すのではないのか。
考えながら、寮の自室に戻る。
扉を開けようとドアノブに手をかけた瞬間から、もう中が騒がしくなっているのが分かった。
中へ足を踏み入れた途端、破裂音が部屋中に響き渡った。
「いぇーい、和也お疲れ!」
クラッカーだった。
「うわ、うるさっ!」
「ドンキのやつ、こんなに音でかかったのかよ」
クラッカーは僕に向けたものだった。先程の試合出場に対する祝福と労いだろう。
クラッカーを鳴らした岡崎と、何故か三角帽まで被った高木は、まるで自らが活躍したかのように嬉しそうな表情を浮かべ、拍手している。
全く予期していなかった。まさか、ここまで祝福してくれるなんて――。
――こんな事、祝うものではないだろ。試合に負けているのだ。馬鹿じゃないか、こいつら。
嬉しそうにしている二人の様子を見ていると、何だか腹が立ってくる。自分は何かチームに貢献したのか。
「ん、なんだよ急に怖い顔して」
いや。怒りをぶつけるだけ時間の無駄か。今一度、先程の試合を振り返る時間が必要だ。
「いや、ありがとう、ありがとう」
言葉だけでもと繰り返し、すぐに荷物の準備を始めた。
「どうしたんだよ和也。今日ぐらい、ゆっくりするだろ?」
どうしてこんなに奴らは意識が低いのだ。まだまだリーグ戦は続くし、ここで一息ついている場合ではないだろう。
何も答える義理はないと思った。
「じゃ、僕はまた出るよ。今日のユニフォームとか置いといたから、マネージャーきたら渡しといて」
すぐに荷物を持ってドアへと向かう。
呆気に取られている二人へ手を振り、僕はすぐに部屋を出た。
空いている会議室を見つけ、使用中に札を変え、中に入る。ノートと筆記用具を取り出し、静寂に包まれた空間の中で、先程の試合へと意識を向ける。
自分の動き、チームメイトの動き、さらには対戦相手の動きを客観視する。どこに課題があったか、相手チームとの違いは何か。どうすればもっと良いパフォーマンスを発揮できたか……。
それらの考えをノートに書き出し、自らの課題を挙げていく。
安藤キャプテンの話では、今日は閉館まで練習場が使える状態になっているとの事だった。それも見越して、余っている練習着も荷物にまとめてきた。
一通り内容が固まった所で、すぐに会議室を後にした。
***
――突然とてつもない疲労感に襲われる。
運動量自体はそこまでではなかったはずだが、いつもの規定練習以上の疲労が襲ってくる。
体が休息と水分を欲している。僕は汗だらけの体で体育館の床の上に転がり、死に物狂いで荷物を探った。
何も、試合後にここまで追い込む必要があるか?
水をがぶ飲みしながら、自らにツッコミを入れる。
確かに、今のままじゃまだまだだという事はわかっている。でも、試合後は、さすがに……。
でも、決めたのは僕自身の心だった。そうでなければ、今頃部屋で岡崎達と楽しくゲームでもしているのだろうか。
まあ確かに、それじゃ意識が低いっていうのも確かだけれどな。
ノートに自らの手で書きつけた課題達を思い浮かべる。
――まさか、これで明日の朝まで自主練する訳じゃないだろうな。
気が立っているのか、その日はすぐには眠りにはつけなかった。
それまで気になってはいたが、なかなか調べられていなかった事を調べようと思った。
スマホを取り出し、「慧星大学 バスケ部 進路」と調べる。検索結果の上位に、バスケ部の公式サイトがあがってくる。
サイトを開いた結果、そこには十五名の名前とそれぞれの進路が書かれていた。
――競技継続者。
三名程、実業団チームの名前が書かれているが、プロと思しきチーム名は一人もいない。
――去年までのチームの核だった、サワハタさん達の代が一気に抜けて……。
――サワハタさんとか、少し上の先輩達の次元がちょっと違いすぎただけだ。
かつて岡崎や高木から聞いた話を振り返る。
沢畠 克己
この名前が、恐らくその代の核であった「サワハタさん」なのだろう。だが……。
――一般就職(非公表)
と書かれていただけだった。




