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僕に眠る君へ  作者: 飛島葉
第二章 君の為に君を生きる
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第二章② "鎖"の日常

 練習以外の、織川にとってプライベートの時間。こちらも、あまり気が抜けなかった。

 何せ、鎖がたくさん会話をするからだ。最初の五日間で察していたが、織川は社交的な一面を持ち合わせている。

 お互いの近況、友人の事、勉強の事、アルバイトの事、課外活動の事……。そう言った話をする場がたくさんあり、多くの人の話を聞いて、こちらも自分の日常を打ち明けている。

 本来の〝織川和也らしさ〟を逸脱しない為にも、鎖が働く。

 天使は後から、それは本来のコトガミの機能ではないけれど、と説明してくれた。

「織川和也のコトガミは、一般的ではなくて特異的な存在なの。彼らしさっていうのは、その影響で、副次的に生まれた効果。……まあ、あなたもそのうちちゃんとわかるようになるわ」

 彼女の言う通り、僕にはイマイチ理解できなかった。

……とにかく、鎖のそのおかげで何とか助かっているが、僕自身がいきなり同じ場に身を置かれたら、とてもやっていけるものではない。

 とは言え、激しい動きをする訳でもないから、練習中に比べれば、まだ楽なのかもしれない。



 だがその日は、精神的な意味で、決して楽ではなかった――。


 鎖に身を任せ、授業のある教室へと移動する。さらには一緒に授業を受ける友人達の姿を見つけ、隣に座る。ここまではいつも通りだったが……。


「おはよー」

 こちらへ手を向ける一人の女子を見た時、思わず声をあげそうになった。

スーツでもない。髪型も、化粧の雰囲気も違う。まるで別人のようだが、それでも、僕自身が織川和也を演じなければならなかった時の出来事が、脳裏に蘇った。

――新聞を渡し、僕に話しかけてくれた「カナベさん」へ、まともに応答ができなかった時の事を。

 確かにあの時、彼女の事を「どこかで見た記憶があった」と思った。

 だが、まさか毎週授業を一緒に受ける仲だとは。そこまで考えが及ばなかった。


『おはよ』

 鎖は手を振り返し、長机の中の端から二番目、彼女のすぐ隣の席へと腰かけた。

「ねぇ聞いてよー、面白い事あったって、アイが」

 折り畳み式の椅子を動かし、腰を下ろすや、新聞の彼女のさらに奥にいた、焼けた肌の活発そうな女子がこちらへ顔を突き出してきた。その傍らには、ラクロスの物と思しき用具が見える。

『面白い? おお、自分からハードル上げるなぁ』

 リュックを下ろし、中から筆記用具を取り出しながら、鎖は返す。

 すぐ言うよねユカは、と恐らく「アイ」である隣の彼女も落ち着いたトーンのまま反応する。

「そう、和也とそっくりの人と会ったって」

 あ、と声が出そうになる。気のせいか、鎖も一瞬、動作を止めたような気がする。

「なんかぁ、顔も背丈もそっくりなのに、元気なくて、全然喋らなくて、やっぱり別人だったのかなぁ、って遭遇した誰かさんが言ってた」

 遭遇した誰かさん……間違いなく、カナベアイの事だろう。


『へぇ、そんな事あったんだ。それって、キャンパス内で?』

 やや間があった後、鎖はすぐに返した。

「えっと……どうだっけ、誰かさん?」

 ユカは、あからさまな態度ですぐ隣のカナベアイに問いかけた。

「ねえだから! ……まあそうだけど」

 一度焦りながら、カナベアイは返答した。

『そっかぁ、珍しいね。同じ大学で』

 鎖はもう完全に別人だと言い張るつもりだ。そうしてくれた方が、助かるのは確かだ。

「あー、じゃあやっぱ違う人なんだ。……だってさ、失恋したとかじゃなくて」

 ぎょっとする。いきなり何を言い出すんだ、と反射にユカの方へ視線を向ける。鎖の制御のせいで、少し首が痛い。

 アイが黙ってユカを小突くのが見えた。


「おう何だよ、お前らいちゃいちゃして」

 その時、通路からこちらへ声をかけてくる人物がやって来た。だが、その一言を発した後は特に興味無さそうに、うっす、と軽い挨拶をしただけで、投げ出すようにカバンを机の上に置き、すぐにスマホを取り出した。ずっとガムを噛んでいる。彼もまたジャージ姿だ。


「ううん、何でもなぁい」

 ユカは途端に知らんぷりをして顔を背けた。

 何なんだ、こいつらの会話は……。


 記憶を辿ると、確かにこの四人で授業を受けている時があった。

両端の二人はとても不真面目で、授業中もほとんどずっとスマホを触っているだけ。それに対してカナベアイは、比較的真面目に、時折メモを取りながら授業を聞いている。それでいて、この四人がつるんでいるというのが、何とも不思議だ。

 体育会どうしの、何らかの繋がりがあるんだろうな、と勝手に想像しておく。


 見てこれ、とユカが振った話題に、アイが楽しそうに応じているのが横目に見えた。

 同年代の異性と関わる機会が随分と久しいが、どことなくこんな奴いたな、と思う存在はいた。

周りに合わせるのが上手い。ぱっと見楽しそうだけれど、浅い関係。

奇遇にも、そんな感じで、同じ名前の知り合いがいた。もう彼女の事はあまり思い出したくもないから、それ以上考えないようにした。


 この授業は、他の授業に比べて受講者数がかなり多く、中には授業中に当然のように会話している者も見受けられた。このメンバーはそこまでしないだけまだマシなのだろうが、大学生とは一体何なのか、こんな僕でさえ少し考えてしまう。

 教授も、学生の授業態度へ苦言を呈する時が何度かあった。


***


「ちわっ」

「ちわっ」

「ちわっ」

 ある日の練習の合間の休憩時間、途端にチームメイトが揃いも揃って元気の良い挨拶をし始めていた。

 声がする方向へと視線が向き、近付いてくるその人物に、僕もまた同様の挨拶をしている。大学生にしてはあまりにも老けた、白髪交じりで体格の良い男の姿が見えた。

 見覚えがある。これは監督だ。思えば、「初日」の試合の時には目にした記憶があったが、それ以降練習の場で監督を目にした記憶が無かった。

『ちわっ』

 鎖もチームメイトらと同じように、張りのある声で挨拶をした。


 練習途中だったが、監督が指示を出したのだろう。集合、と張りのある声が練習場内に響き渡った。

 部員達は皆一斉にはい、という声とをあげ、監督のもとへと駆け寄る。僕の身体もまた同様に、鎖によって動かされる。


 監督はゆっくりと部員達を見回し、口を開いた。

「はい、お疲れ様です」

 お疲れ様です、と皆も同じように声を返す。

「いよいよリーグ戦開始まで、一カ月と少し。迫ってきましたね。なかなか参加できて申し訳ないですが、皆さんの日々の頑張りっぷりは、安藤からよく聞いています」

意外にも監督はフランクな口ぶりだったが、部員達の反応は薄い。どことなく辺りに緊張が走っているようにも思える。

「えー、まあね、もう毎回恒例になりますけど、三週間後に、部内対抗戦を行います。チーム編成は後ほど安藤から。正式なメンバー決定は対抗戦が終わってから、と。いつもの通りですね」

 メンバー選考の話だと分かり、途端に緊張が高まった。

「当然、その結果が全てという訳ではないです。皆公平にチャンスはありますので、各々しっかり日々の練習に取り組んでください」

 誰も、何も反応しない。監督だけが、ただ一人で話し続けている。監督はおもむろに、隣に立つ安藤の肩を、二、三度叩いた。

「こいつを信頼していないっていう訳ではないが、これからからは、私もなるべくここまで足を運んで、直に皆の姿を見られるようにしますので」

 監督は途中で笑っていたが、叩かれていたのが安藤だったせいか、部員は誰一人として声をあげなかった。

 代わりに、はい、とより一層力の籠った返事が、全員から出てきた。


 皆公平にチャンスはある。

 勿論、それは僕にとってもだ。



 練習終わりにも、監督からの激励の言葉があり、解散となった。

 そのまま流れに任せて練習場を出ようとしたその時、背後から声をかけられた。

「織川、ちょっと」

 監督の声だった。


 気を遣ってか、監督は出入り口から最も離れた隅に、僕を呼びだした。

「察しているかもしれないが、例の遅刻の件でね。一応、話は安藤から聞いたが、実際の所、何かあったのか? ……お前にしては、ちょっと珍しいと思ってな」

 意外にも、監督の態度は、決して責めるようなものではない。

 実際の所……? それは、織川和也の身体に、他の人間がいたせいで……。

 そんな事、ここで口にした所で、と思った。


 そう考えているうち、鎖の方がすぐに反応した。

『大学の図書館で、眠ってしまいました。……ちょっと、疲れが溜まっていたのだと思います』

「疲れ?」

 監督は、特段責める口調でもなく、質問を重ねてきた。

『はい。ゼミの準備とか、色々あって……』

「そうか、勉強に関する事か。それならやむを得ない所もあるか」

 どうやら監督は、鎖の主張を本当の事だと受け取ったのだろうか。

「この大事な時期に、悩ましい所だな。……ま、でも、自分の気持ちは大事にした方がいいぞ」

 監督の手が肩に触れるがわかった。自分の気持ち。何だか含みのある言い方だと思った。

 僕達は、同じペースで練習場の出口に向かって歩き始めた。

「悩みがあったら、いつでも直接相談していいからな」

 ありがとうございます。鎖は確かにそう返したが、そんな事、簡単にできるものではない。

「最近の子達は真面目だよなぁ。俺らの時なんで、皆授業サボりまくってたぞ」

 それほどでもないですよ、と鎖は言い、二人して笑う。

 一体何が本当で何が嘘なのか、わからなくなりそうだ。


***


「静観を続けているようね。そろそろ踏み出してもいいんじゃない?」

 寮へ戻り、僕はすぐに屋上に行った。天使は相変わらず怪しい笑みを浮かべながら、そう諭してきた。

「メンバー選考の話があったってね。そんなに悠長にしていられないという事は、あなたにだってわかったはず」

「そう……だけど」

 声が掠れる。弱々しい言葉だという事が、自分でも痛いほどよくわかった。安藤への怒り、そしてこの状況自体に対する怒りは、強く持っているはずなのに。

「あら、何だかがっかりねぇ。あなたがここに残ると決めた時の意気込みは、一体何だったのかしらって感じ」

 煽るような言葉を述べながら笑みを浮かべる天使を見ると、またも怒りが湧いてくる。

「鎖と絡みに行くのが怖い? それは覚悟のうえじゃなかった? それともまた元の自分に戻りたい?」

 歯を食いしばる。今度ばかりは、天使の指摘は、本当に反論の余地が無かった。

「……そうだ。やるしかないんだよな」

 悔しさを胸に湛え、噛み締めながら意志を表明する。

天使はゆっくりと頷いた。

「良い表情よ。その気持ちを大事に」

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