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声高らかに婚約破棄を宣言されていますが、ご自身の状況わかってます? ※潜伏令嬢は王直属の調査員※




 最後(・・)は、唐突にやってくる。

 婚約者候補としての最後も、その生活の最後も。



「小娘の分際でワタシを愚弄するとは……いい度胸だッ!」



 大広間にマークの怒声が響き、抜かれた剣に誰もが息を呑んだ。

 視線の槍が容赦なく刺さる中、殺気立つマークが切っ先を向けるのは、ひとりの女性。


 清楚なドレスに身を包み、凛としてそこに立つ彼女は、一片の乱れも恐怖も無い。それがさらにマークの怒りに火を注いだ。



「黙っていれば赦してやろうと思ったが、もう我慢ならん! 報いを与えてやるッ!」



 マークは剣を振り上げた。

 悲鳴が飛び交う。息を呑む群衆。

 今まさに、ひとりの女性の命が絶たれようとしている。



 ────”婚約者候補に選ばれたばっかりに”。


 


 瞬間。

 甲高い金属音が(くう)を裂いた。

 今まさにサリアを貫こうとしたその切っ先は、刻印のある刀身に阻まれ”ぎぢり”と固い音を立てている。


 マークが叫ぶ。

「貴様、誰だ!」


 激昂にゆっくりと口を開いたのは、使用人の服を着た男だ。使用人の(・・・・)くせに(・・・)、主に牙を剥いたのだ。


 マークは怒りで顔を歪めた。

「貴様ぁ! 使用人の分際で刃を向けるとは!」



 高圧的に叫ぶマークに、しかし()は静かに笑う。



「ただの使用人ではないと言ったら?」

「──……は?」


 呆気にとられたマークに、サリアを護るように立つその男は、不敵な笑みを浮かべ──



 静かに自身の首元(・・・・・)に手をかける。


 




 

◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇


 これは、愛と葛藤の物語だ。


◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇





 ──事の始まりは、少し前。

 サリアが、婚約者候補としてマークの屋敷に足を踏み入れたところから始まる。





◇◇◇◇





「くっくっく。サーリア。お前もようやくわかったんじゃないかぁ? ワタシという男に選ばれることが、どれだけ光栄で名誉なことなのか」

 


 王国隅の片田舎。

 広大な敷地に建つランデルス邸の奥、これ見よがしに並んだグラスや装飾品を背景に、マーク・ランデルスは愉悦を露わに述べた。



 視線の先、自慢のソファーの隣に佇むのは、サリア・アルフェルナ。マークの婚約者候補として屋敷に入った女である。



「……光栄に思っております、マーク様」




 整った顔立ちに控えめな微笑を浮かべたその姿は、白いレースのドレスに包まれ、一見すると貴族らしい気品そのもの。柔らかな波状の髪は肩にかかり、光の加減で金と栗色が混じり合う。

 煌めく瞳は、淡い青を帯びた灰色。

 穏やかに見えるその目には、したたかな冷静さが潜んでいた。


 そんな彼女に、マークはにやりと口元をゆがめた。



 サリアの佇まいは華やかな中にも落ち着きがあり、控えめでありながらも場を支配する存在感がある。


 そんな女が、自分を選んだ。

 容姿だけで貴族に嫁いでもおかしくない女がここにいる。 

 このレベルの女を好きにできる権利を得るなど、「勝者」として決まったも同然だった。



 心の中でほくそ笑み、マークは満足げに顎を引く。




「当然だ。婚約者候補として選ばれたのだ、お前は慎ましい振る舞いでワタシに従うべきだ」

「………………はい」



 合格だ。

 柔らかで従順な態度が申し分ない。

 女はつつましく、そして美しくなくてはならない。

 正直、美貌と慎ましさだけが取り柄の小金持ちの娘など、名だたる貴族の娘に比べたら見劣りするが、しかし、容姿というものは天賦の才。


 100の宝石より価値がある。

 であるから、自分に選ばれたこの女は幸運なのだ。


 それらを口元に宿して、マークはグラスを傾けながら、片手で空いている椅子を指し示した。


「座れ」


 一言命令すると、サリアは逆らうことなく優雅な動作で椅子に腰を下ろした。一片の乱れもないその振る舞いに、マークが品定めするようにじろじろと眺め、鼻で笑う。



「やはり、お前にはまだワタシという男の偉大さが理解できていないようだな」

「いいえ、そのようなことはございません」

「──……はっ!」



 静かに首を振るサリアに、マークは小馬鹿にしたように笑った。好きな男を前に、その「好感のかけらすら感じられない素振り」はやや鼻につくが、きっと照れ屋で喜びに震えているのを表現できないのだろう。


 そう解釈しつつ、マークはどっかりと背を預けた。

 紅玉色のワインを湛えたグラスの向こう側、映るサリアは美しい。



「まあいい、お前も直にわかるさ。ワタシという男のすばらしさ。そして、我がランデルス家のこま(一員)となれる喜びが」



 さあ、この女をどうしてくれよう。


 そう、にやにやと考えるマークの前。

 サリアもまた、静かに、考えを巡らせていた。







◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇


マーク・ランデルス男爵候補

貴族の称号を狙う富豪の男

性格:

所有物には何してもいい・自分は格別だと心底思っている屑


◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇







 次期男爵、マーク・ランデルスにとって、この数週間は勝利の確信に満ちた日々だった。


 金に名誉に「美しい妻候補」。

 手に入れるべきものはすべて手中に収めた。あとは貴族として正式な爵位を頂戴すれば、この王国の階層に名を刻む存在となる。



 父の事業を譲り受けて以来、彼は貪欲に富を蓄え、時に大胆な手段で商売敵を蹴落とし、爵位申請するための資格を得た。王家の前に忠誠を示しさえすれば、男爵位は間違いなく自分のものとなる。



「いや、すでに決まったも同然だ。」



 談話室でグラスを傾けながら、口元に笑みを浮かべるマーク。隣に控えるサリア・アルフェナ嬢を舐めまわす様に見つめ、悠々と言い放つ。



「……お前のような小娘でも、ワタシの婚約者としてふさわしい衣装を身につければ、それなりに見えるものだな」

「ありがとうございます。ご指導いただける機会をいただき、光栄に存じます」


 

 与えてドレスに身を包んだサリアは控えめな笑みを浮かべている。彼女が持ち込んだ一張羅のドレスは見るに堪えない装飾であったが、用意してやったのは絢爛豪華なもの。


 これを与えてやったのだ。

 さぞ自分に夢中になり、感謝するだろう。

 サリアの声には一切の感情も籠っていなかったが、それは照れているのだ。



 ……ふ! 奥ゆかしいやつめ。

 

 尊大な自尊心を口の端に、マークはサリアを舐めまわす様に見つめ──ひっそりと内心で毒を吐いた。



 ああ、煩わしい。

 こんなにいい女がいるというのに、指一本たりとも触れられないなんて。


 『成婚の儀を終えるまでは、婚約者と言えども、接触には厳しい制限が課せられる』のである。指一本触れることさえ許されず、その禁忌を破れば罰則を免れない。


 それは、『貴族に嫁ぐ女の純潔を護るため』であるが、男にとっては生殺しもいいところのクソ制度だ。



 そんな苛立ちを腹の内に抱えたまま、マークはサリアを品定めするように睨む。



「お前もこれからランデルス家の一員となる覚悟を持て。いずれ成婚の儀が済めば、ワタシはお前にふさわしい役目を教えてやる」



 述べるマークにサリアは短く頷くのみだった。

 その無言がマークの癇に障る。


 ……美しいが鼻につく女だ。

 蝋人形のように座り続けるサリアの瞳には、淡い青の冷静な輝きが宿っている。それに対し、マークは思わず目を逸らし、逃げるように話題を変えた。

 


「それにしても……そう言えば、レオポルド王太子の噂は聞いたことあるか?」


 ……ぴッ。


 サリアはその名を耳にした瞬間、一瞬だけ反応しそうになったが、それを寸前で抑える。冷静を装い、控えめに首を傾げた。



「噂、ですか?」

「知らないのか。頭の弱いヤツだな」


 僅かな反応は意識の外に、マークはわざとらしくため息をつくと、どっかりと椅子に腰を下ろし侮蔑を浮かべ、

 


「男爵の婚約者候補がそれでは困る。噂ぐらい掴んでおかないと。噂ぐらい」

「…………、どのような噂なのでしょう?」


「”包する貴族を信用しない薄情者”だと、な。」

「……薄情者?」

「そうだ。いくら資格があろうと、王家ヴァルクレアの目に叶わん限り土地も爵位も与えないらしい。……は! 猫ぐらい幾らでも被ってやるがな」


「……マークさま? そのようなことを口になさらない方がよろしいのではありませんか?」

「煩いぞサリア! お前はワタシの婚約者候補! まさかワタシを裏切るわけでもあるまい? お前の家族がどうなってもいいのか?」



 苛立ちを露わに、マークは脅迫めいた言葉を吐いた。

 サリアは北部の没落貴族の娘だ。その美貌が無ければ、婚約者候補として受け入れることも、財政援助をする約束もしなかった。


 もっとも、マークに、本当に援助する気などさらさらなかったが、年老いた両親と、家に残った幼い弟妹のことを思えば、彼女は頭を下げるに決まっていた。



「……出過ぎた真似をいたしました。申し訳ありません」



 静かに淑やかに頭を下げるサリアに、マークはしてやったりと鼻を鳴らし腕を組む。



「……二度とするな。ったく、容姿しか価値のない女の分際で!」

「…………」



 強い語気で言い放つマークに、サリアは黙って頭を下げるだけだった。



 マークはその反応を当然と受け取り、鼻を鳴らして腕を組む。自らの優位を疑うことなく、目の前の女性を完全に支配した気でいる様子だ。


 

 そんな様子に、サリアの心は固まっていくのである。


(……やはり、この男は傲岸不遜ですね)


 その態度には何の遠慮もなければ、品位もない。次期貴族としての責務を背負う覚悟など微塵も感じられない。ただ自己中心的で、他人を見下し、利用することしか頭にない。




(……ならば少し、踏み込んでみましょうか)

 サリアは静かなまなざしで呟くと、ぱっと顔を上げマークに首を傾げて口を開ける。




「けれどマークさま? 『王家ヴァルクレアの目に叶うか否か』、王家はどのように判断するのでしょう?」

「そこが『悪趣味な王子の企み』だ」

「どういうことです?」



 少しばかり機嫌がよくなった。

 彼は続ける。



「王子のレオポルド・ヴァルクレアは相当なひねくれものでなぁ、間者を送り込むらしい。薄汚い王家の屑め」

「……間者、ですか……」

「ああ。大方兵士かなにかを送り込むつもりなのだろう。まあ? その点ワタシは完璧だ! 女でなければワタシの周りには近づけない! 兵士や間者は皆男だ! なあ、そうだろう? サリア」

「……ええ」



 サリアは短く答えた。

 その言葉を確認したマークは、不機嫌そうに眉をひそめ、閉ざされた扉の向こうへ目をやると、べったりとした口調で述べるのである。



「欲を言うなら、サリア。お前の付き人。常に部屋の前に立ちお前に張り付いているあいつも外に追い出したいのだが?」

「……それは……」



 そこを突かれて、サリアは返答に迷った。

 マークは無類の色情魔だ。

 本来ならばサリアのお付きの男を部屋の前に置いておくのも嫌なのだ。サリアに男の付き人がいること自体、耐え難い屈辱なのだろう。


 だが、そこは譲れない。 

 譲るわけにいかなかった。

 なぜなら、彼はサリアにとって、最後の砦であるから。




一瞬の逡巡の後、サリアはそう答えた。その声はかすかに震えているようにも聞こえたが、マークにはそれが恥じらいだとしか映らなかった。



「ハン! 気に食わん!」


 マークは忌々しげに吐き捨てると、厭らしい目でサリアを睨みつけ、「恋心など抱いていないだろうな!?」



「まさかそんな」

 サリアはすぐさま否定し、穏やかな微笑を浮かべると、

「でなければ、マーク様のもとに参りませんわ」

「……ほう?」



 その言葉に、マークは、満足げに口角を上げた。

 瞬時流れる、物欲しそうな空気。

 彼のグラスを持つ手が止まり、視線は這うようにサリアに絡まる。その目つきは厭らしさ以外の何物でもなく、浮かべる笑いに、にじり寄る手に、ぴりりと警戒が噴き出していく。



「サリア? お前がワタシに奉仕してくれるというなら、機嫌を直してやってもいいぞ?」


 

 空気が一瞬凍りついた。

 暗に体を捧げろと言っているのだ。

(……最低です)

 そう内心で呟きながらも、サリアは、ゆっくりと息を整え、慎重に言葉を選んで答えた。



「困りますわ、マーク様」

 一拍の間を置き、彼の目を見て。

 サリアは緩やかにほほ笑むのである。

「私は、綺麗な身のままで、貴方の妻になりたいのです」


  

 その言葉に、マークの顔に満足げな笑みが広がった。

 彼は何かを言おうとしたが、その瞬間のサリアの瞳に宿る冷たい光には気づくことはなかった。






◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇


サリア・アルフェナ

マークの婚約者候補として名乗り出た女性。

北部のセヴェリア村の没落貴族の娘だと、マークは聞いている。

印象が変わるほどの化粧を施すのが得意。


◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇






 ランデルス邸の一日は、マーク・ランデルスの一声で始まり、一声で終わる。


 その支配下に置かれた者たちは、主が望むままに行動しなければならない。そして今、婚約者候補として屋敷に入ったサリア・アルフェナもまた、例外ではなかった。




「その髪型、ワタシに合わない。明日までに変えてこい」

「はい、マークさま」


「お前の歩き方はぎこちないな。婚約者ならもっと堂々と歩けるようになれ」

「……ご指導ありがとうございます、マークさま」



 このような「指導」は常で有り、サリアは完璧な婚約者候補でなければならなかった。 困るのはマークが、自室にまで乗り込んでくることである。


 サリアには、《人の印象を変える化粧》をする趣味があるのだが、使用人のヴァルに付き合ってもらっている時にも入ってきた。そして開口一番、こう述べたのである。



「気色悪い趣味だな」「男に女の化粧をする暇があるのなら、ランデルスの一員として、ワタシの婚約者として、それ相応の振る舞いを身に就けろ!」と、化粧ブラシを踏みつけ鏡を叩き割った。


 さすがにこれには、サリアも、付き人のヴァルも苛立ちを隠せなかった。そんな二人に、マークはまるで、その反応を楽しむように嗤い述べたのである。



「なんだ? 身請け同然でもらってやるというのに」「おいおい、婚約者候補が、旦那さまにそんな顔をしたら駄目だろう。そんな顔したら。なあ?」「婚約者なのだから。な? サリア。お前は妻になるのだ。旦那さまには『尽・く・し・ま・す』『ご・め・ん・な・さ・い』だ」


「……っ!」

「……ヴァル」



 踏みつけるように、宣った瞬間。

 サリアの奥に控えていたヴァルと呼ばれた付き人が殺気立つ。が、サリアは静かに首を振り、彼を目線で制していた。


 ──それが(・・・)さらに(・・・)気に(・・)入らない(・・・・)


 マークは胸を反らして顎を引く。

「おい! そこの使用人。お前。何様のつもりだ」

「マークさま、おやめください」



 サリアが制止に入る。

 しかしマークの怒りは収まらない。


 ガツガツと音を立て、サリアの隣のヤツの胸倉を掴むと、



「……なんだぁ? 反抗的な目だなぁ、おい? サリアの付き人でなければお前なんてな、全て取り上げ藁で巻き、アストリア大河に沈めてやる!」

「……マークさま。いけません、もうすぐ男爵の資格を得るのでしょう?」

「……チッ! ただでさえ『成婚前の制約』のせいでむしゃくしゃしているというのに!」

「彼は私の指示に従って行動しております。どうかご容赦を」



 マークは彼女の言葉を聞いて、一瞬眉をひそめたが、しばし沈黙した。彼の眉間に一瞬だけ皺が寄ったが、すぐに面倒を避けるように鼻を鳴らしただけだった。



 機嫌の悪そうに踵を返し、荒く部屋から出ていくマークの背中を見送って。堪える思いを捻じりだす様に漏らしたのは、サリアの付き人・ヴァルだ。



 彼は、サリアに近づきながら小声で訴える。

「…………サリア、耐えられない」

 その、心底苦汁を舐めたような声色に、サリアは震える心を諫めるように唇に力を入れると、彼に振り返り


「……もう少し辛抱してください」



 信念を乗せ、そう述べた。

 次いで彼女は口にしたのである。



「鍵のありかは、わかりましたから。

 もう少しです。ヴァル(・・・)



 サリアの声には、どこか静かな敬意が滲んでいる。それに、ヴァル(・・・)と呼ばれた彼は、苦渋の表情を浮かべて、重々しく頷いたのであった。






◇◇◇◇ ◇◇◇◇ 


ヴァル:サリアの付き人?


◇◇◇◇ ◇◇◇◇ 



 ──これは、彼と彼女の会話の一部始終である。




「奥の“あかずの間”の鍵のありかがわかりました」

「本当か?」

「ええ……! 廊下右端に飾られている彫刻の裏に隠されています。娼婦たちが閉じ込められているとしたら、あそこです……!」


「よくやった……! サリア……!」

「今はダメです。耐えてください。彼が完全に油断していると確信できる時まで」



「君とあいつの婚約発表は、明後日だったな。」

「……ええ。」


 

 その言葉に、ヴァルの目が鋭く光った。

 やっと掴んだ。

 手に入れた。

 マーク・ランデルス男爵候補の、不穏な噂の証拠。


 『屋敷の奥深くに女を集め、娼婦として閉じ込めている』という、欲に塗れた下劣な顔。



「なら、それが奴の“最後”になる」


 ヴァルは短く述べた。

 その声には、静かな怒りの炎が宿っていた。

 




◇◇◇◇

◇◇◇◇






「これより皆さまにご報告がございます。このたび、婚約者候補として迎えていたサリア嬢とのご縁を破棄することに決めました。」





 煌びやかな燭光が辺りを照らし、シャンデリアが宝石のように輝く夜会の場。マーク・ランデルスの高らかで自慢げな声に、雑踏がざわめいた。

 

 急転直下。

 くるりと翻された結婚の約束に、眉ひとつ動かさず問いかけるのは、サリア・アルフェナ。マークの婚約者候補であり、たった今婚約破棄を言い渡された女だ。



「……マーク様。理由を聞かせてくださいますか?」

 サリアの言葉に、しかしマークは、ふんぞり返り腕を組み、不満に顔を染めるばかり。



 その表情が語る。 


 どうだ、恥かしいだろう。

 このワタシに靡かないお前が悪いんだ。

 せっかく婚約者候補として選んでやったのに、サリア、お前は体を捧げるどころか偉そうに注意ばっかりしやがって。なにが「振る舞いにはお気をつけください」だ。 没落貴族の娘の癖に生意気な女だ! ほら、絶望しろ! ははははは! ワタシという素晴らしい人間に捨てられ慌てふためく様を見せろサリア!


 

 ──と……

 そう、顔に書いてあるマークと、距離を取りながら。

 サリアは小さく息をついた。


 

 ……はあ、どうしましょう。

 矮小な考えは手に取るようにわかるのですが、まさかここで、このようなつまらない手にでるなど想像もできなかったわ……



 ここでマークの悪事を詳らかにしたとしても、今の戦況ではただの(・・・)やり返し(・・・・)にしか取られない。鍵を持ち彼女たちの解放に向かったあの方(・・・)もまだ帰ってこない。



 ──ここはひとつ、時間を稼ぐしかありません。



 サリアはゆっくりと一歩踏み出し、もう一度マークに問いかける。



「マークさま。どうか、わたくしめに理由を教えてくださいますか?」

「理由?」


「お前のような財産目当ての詐欺女を妻に迎えるわけにはいかん!」

「詐欺、ですか。」



 サリアは少しだけ首を傾げた。

 

 昨日まで、マークはそんなことを言っていなかった。

 怪訝な態度はいつも通りだったし、その微細な変化まではつかめなかったが、マークが「詐欺だ」と思うような素振りはしてこなかったはずである。



 鍵のありかを探りはしたが、……それがそうと取られたのだろうか?


「……マークさま、ええと、困ります。詐欺、などと言われましても」


「黙れ!」マークが声を荒げる。

その剣幕に一瞬押されるサリアに、彼は声も高らかに言った。



「お前がワタシの財産を狙って近づいたことなど、すべてお見通しだ! お前は慎み深い女だと思っていたが、とんだ化け物だったとはな!」



 ある者は驚いたように目を見開き、ある者は眉をひそめて互いに囁き合う。特に高位の貴族たちは、マークの一方的な糾弾に対し、品位のない振る舞いだと感じているのか、冷ややかな視線を向けていた。


 そんな群衆の隅で。

 マークの遊女が、堪えきれないといった様子で口元を覆い、笑いを堪えている。



 サリアはその様子を一瞥し、少しだけ肩をすくめた。

 


 ああ、なるほど。

 決してなびかぬ私に、汚名を着せて恥をかかせようとしているのですね? なんて浅慮で浅はかなのかしら。……こうでもすれば、私があなたに縋り、貴方に溺れるとでも思ったのかしら。



 そんな思惑を、一筋の息で流して。

 サリアはマークに述べるのだ。



「マークさま。おやめください。このような公衆の面前でそのような行いをなさるのは、貴族候補の行いにふさわしくありませんわ」



 凛と述べるサリアの声が、会場に静寂を落とした。

 サリアの冷静な態度と、確信を持った口調に、周囲の貴族たちが再び彼女に注目する。



「マークさま? 貴方は今、王家ヴァルクレアより『男爵』という身分を頂けるかどうかの、瀬戸際にいらっしゃいます。どうか、そのような軽率な行いを慎んでくださいませ」


 その言葉に、マークの顔が一瞬引きつった。

 彼の肩がピクリと動いたのを、サリアは見逃さなかった。


「そこが気に食わないのだサリア! 侮辱しやがって!」

「侮辱のつもりはありません。ただ、貴族である以上、公の場で行う言動には相応の品格が必要です」

「品格だと!? 偉そうな口を叩くな!」



 マークが怒声を上げるたびに、場内の空気が張り詰めていく。

 しかしサリアは微笑を浮かべ、冷ややかに返すのだ。

 視界の隅に映った──見覚えのある男性の姿を確認し、静かに言い放つ。



「……では、マークさまが仰る”詐欺”の証拠を、どうぞお見せください」

「これだ!」


 マークは懐から一枚の羊皮紙を取り出すと、無造作にサリアへ投げつけた。紙は空中を舞い、サリアの足元に落ちる。


「お前が書いた手紙だ! ワタシの財産を狙った計画が、ここにはっきりと記されている!」




 彼の怒声が場を震わせる中、サリアは冷静に屈み、その手紙を拾い上げた。

 視線だけで内容を追い、その場で読み取る。そして――彼女は静かに顔を上げると、柔らかな微笑を浮かべると、



「……よくできていますね。これを書いたのは誰ですか? 物書きとしての才能があるかたですね」

「ふざけるな!  詐欺師が! 貴様が屋敷内部を嗅ぎまわっていたことは知っているのだぞ!」


「マークさま。この手紙が証拠だとするなら、それを書いた方の名誉のためにも、ぜひ作者をお教えいただきたいものです」



「名誉だと?!」

「ええ。よく書けています。特にこの文字運びは、とても私らしい(・・・)。書いたのはどちらの方でしょう? 私のことをよくご存じの方かしら……」


 サリアが柔らかに告げるたび、マークの顔色がさらに変わっていく。真っ赤に熟れた果実のように。



「あああああああああああああ気に食わない!」



 彼はついに限界を迎えたようだった。

 髪を掻きまくり顔を歪め、サリアに向けて指を指す!



「お前はいったいなんなのだ! 婚約者候補として名乗り出たくせに、愛嬌も寄越さなければ身体も赦さない! おまえは! ワタシの! 婚約者候補なのだろう!! 可愛げぐらい見せたらどうだ!」


 その言葉に、場内の空気が凍りついた。

 ざわめいていた貴族たちも、次第に言葉を失い始める。

 だが、サリアは涼しい顔を崩さない。


 もう隠す必要もない。

 舞台は整った。



「潜り込むのに、可愛げなど必要ありませんわ、マークさま」

「……なに……!?」


「貴方を騙していたことは事実です。私は、あなたを愛してなどいない。好いてなどおりません。私は確かめに(・・・・)来たのです(・・・・・)



「……は、はあ……!?」

「──貴方に、『王家を支える素養があるかどうか』」


 サリアが冷静に告げるその言葉は、夜会場全体をさらに静寂に包んだ。密やかな動揺が走り抜ける。疑いと、答えを求める視線が錯綜する。


 それらを「バカにされた」と取ったマークは、怒りに任せて腰の剣に手をかけた!



「生意気なぁぁぁぁ! もう我慢ならん! 報いを与えてやるッ!」



 一瞬の出来事。

 マークの鋭い剣先がサリアに向かう。

 ざわめく群衆が悲鳴を上げる。

 

 鈍い灰色の刀身が空を裂き、音を立てて振り下ろされたその──瞬間。

 

 甲高い金属音が響き渡った。

 群衆から飛び出してきた男が、マークの斬撃を受けたのだ。

 鮮やかに煌めく銀の刃と、鈍い灰色の刃がぶつかり、”ぎぢり”と嫌な音を立てる。


 

「貴様、誰だ!」

「……酷いな。使用人の顔も覚えていないとは」


 声は酷く落ち着き、侮蔑を孕んでいた。


 その声に、マークははっと気づいた。

 こいつは「ヴァル」だ。

 サリアの付き人で、自分に反抗的な目をしていた男──!



 使用人が使用人が使用人が使用人が使用人が使用人が使用人が使用人が、ワタシに牙を向けた! しかもなんだその笑いは! 揃ってバカにしやがって!


「おい使用人……! 貴様……! ワタシに刃を向けて無事で済むと思っているんじゃないだろうな!?」

「……ただの使用人じゃないと言ったらどうする?」

「──は…………??」


 ──妙に、余裕と怒りの籠ったその声に、マークは背中に冷たいものを感じ、黙った。



 なぜか、瞬時に蘇る。

 『王家のレオポルドは内偵を送りこむ』『貴族にふさわしいか王子自ら調査するらしい』『お前も気を付けろよ、マーク』──


 そんな、誰かの言葉を証明するかのように。

 『ヴァル』と呼ばれた男は男は軽く剣を構え直し、不敵な笑みを浮かべると、ゆっくりと手を伸ばし、顔を覆っていた仮面のような化粧を剥がしていく──。




 終わりだ。

 終わったのだ。




 その顔の下に現れたのは、見る者全てが知る貴公子の顔──レオポルド・ヴァルクレア。ヴァルクレア王国第一王子、その人だ。





◇◇◇◇






「レオポルド公……!?」

 

 マークの顔色がみるみるうちに蒼白になった。

 レオポルドは剣先を軽く下げながら低い声で告げる。



「刃を納めろ、マーク男爵候補」



 マークは動けないまま、震える手で剣を下ろす。その間にレオポルドはサリアを軽く抱き寄せ、穏やかな声で尋ねた。



「サリア、怖かったろう?  大丈夫か?」

「信じていましたから。ありがとうございます、レオポルドさま」


「まったく、君の変装技術は大したものだよ、サリア。ここまで気づかれないなんて」

「ふふ。腕によりをかけました。素敵です、レオポルド様」



 そのやり取りを見たマークが、愕然とした表情で叫んだ。

「ど、どういうことだ! サリア!な、なぜ、どうして!」


「……どうしても何もない。彼女は俺の(・・)婚約者(・・・)だ」


「……は、はぁ???」




 マークの顔は、蒼白から赤黒い怒りへと変わっていく。しかし、その目に宿るのは理解の及ばない混乱だ。



「散々申し上げたはずですよ、マーク男爵候補。『貴族としての振る舞いをなさってください』と」



 サリアは静かに語り出す。

 その一言一言が、場に緊張を張り巡らせた。



「私は、“没落貴族の娘”などではありません。それはすべて、作戦のために作られた虚構です。王城に仕える者たちの協力を得て、貴方のような者を見極めるために用意されたものに過ぎません」

「……な、なに……?」


 マークの顔がさらに歪む。

 その震える声を無視し、サリアは続けた。



「この私が王家直属の調査官であることも、貴方には隠しておりましたね。それも、貴方が過度に警戒心が強く、真実を見せるにはこうするしかなかったからです」

「バカな……そんな……!」


「マーク。お前が女性を囲い集め、性欲の処理として部屋に閉じ込め飼いならしていたという噂はすでに掴んでいる。そして、証拠もだ」



 マークの顔色がさらに悪化する。

 だが、口を開く隙を与えず、レオポルドは続けた。



「王家は爵位を授けるにあたり、その者が『王国を支える素養』を備えているかどうかを見極める。それが俺の役目だ。お前のような輩を男爵として迎えるつもりはない」

「ありえないんだけどぉ~! はぁああ!? だからって自分の妻を放り込んだの!? あんた頭おかしいんじゃないのぉ!? 信じらんなーい!」

「──…………黙れ。誰だお前は」




 突如として響いた女性の甲高い声に、場内の視線が集まる。

 叫んだのは、マークが囲っていた遊女の一人、ベルだ。

 彼女は明らかな悪態をつきながら、涙を拭うふりをして叫び続ける。



「こんな冷血な王子なんて信じられない! サリアって女も最低だわ! マークちゃんをこんな目に合わせるなんて、絶対に許さない!」



 だが、その声を遮るように、レオポルドが低く、しかし強く言い放つ。



「──……愛する婚約者を、こいつのような色情魔の巣に送り込むしか方法の無かった俺の気持ちがわかってたまるか……ッ!」



 その声には、怒りと共に言いようのない悔しさ、不甲斐なさが滲んでいた。レオポルドの拳は固く握り締められ、明らかに感情を抑えている。



「お前が無駄に『警戒心の高い色情魔』だったがゆえに、俺はサリアの提案を呑まざるを得なかった。お前は婚約者候補でなければ口を割らない。使用人にすら心を開かない。俺ではいくら化けても屋敷の奥には近づけなかった」

「だからって……!」


「だから、常に殺気を叩き込んでいたのさ。マーク・ランデルス。

俺はお前の首を堕とすつもりでここにいた。だが、サリアは見事にやり遂げた。お前の悪行を暴き、俺に証拠を掴ませてくれた」



 レオポルドは冷ややかな目でマークを見下ろしながら、会場全体に告げた。



「これにより、マーク・ランデルスの爵位授与は取り消される。そして、私が持つすべての証拠を王家に提出し、厳正な裁きを求める」

「そ、そんな……!」



 その言葉に、マークは顔を青ざめさせたまま声を失った。

 場内の貴族たちは冷たい視線を浴びせ、ひそひそと囁き合う。


 滑稽に滑稽を重ねた男が、滑稽の極みに落ちた瞬間であった。



 最後に、サリアが静かに一歩前に進み、ひとこと。

「マークさま。あなたに貴族の素養があるかどうか、確かめに参りましたが……残念です。王家が求める器ではありませんでした」


 その場に、冷たく声を落として。

 鮮やかに退出するサリア・レオポルド両名を見送る気力も起きず。


 抜け殻となったマークは、呆然と。

 その場に座り込んで、立つことはなかった。





◇◇◇◇


◇◇◇◇




 マークの屋敷が遠くなる。

 城へ戻る馬車の中、彼はサリアの顔を見つめていた。


 ああ、やっとだ。

 やっと取り戻した。

 別に彼女を譲ったわけではないが、レオポルドの胸はそんな気持ちでいっぱいだった。


 サリアの穏やかな顔にほっとする。

 疲労の影も少し見えるが、それでも「やり遂げた」という満足と誇りが感じられる。だが、それよりも――彼女が無事に戻ってきた。その事実だけで胸が満たされるのを抑えきれなかった。



「サリア。おまえが虐げられていると思うと、胸が苦しくて……いてもたっても居られなかった」


 思わず口をついて出た言葉に、サリアが見上げる。

 その瞳が問いかけているように見えて、レオポルドは言葉を続けた。



「俺は、どれだけおまえが傷ついているかを想像することしかできなかった。おまえをあんな奴のもとに送り込むなんて、本当なら許されることじゃない」


 拳が自然と固くなる。あの場で、サリアが耐え忍び続けていた日々を思うと、自分の選択を後悔せずにはいられなかった。しかし、


「レオポルド様」


 サリアの声が優しく彼をの意識を引き戻す。

 そこに宿るのは、確かな想いと喜びの色だった。



「貴方が後ろにいてくださったから、私は最後までやり遂げられました。それに、貴方の手がなければこの作戦は成功しなかったでしょう」

「……それでも、俺がもっと別の方法を探せばよかった」



 言いながら首を振る。

 固く握りしめた拳の上に、そっと置かれた彼女の暖かな手が、じんわりと彼の胸を溶かしていく。


 ──後悔が、変わっていく。

 サリアのいない時間が彼に知らせる。

 サリアはかけがえのない存在だと。



「俺はお前がいないと、生きていけない」


 喉から漏れるようにして出た。

 

「俺はただ、剣を振るうだけで良かった。それなのに、俺はお前に苦しい思いをさせる道を選んだ……!」



 漏らす声は自分でも驚くほど震えていた。

 しかし、彼女の声は、強く優しく、レオポルドを包み込むのである。



「レオポルド様、後悔する必要はありません。これで、王国はひとつ綺麗になりました。私も、貴方と共にそれを成し遂げたことが誇らしいのです」

「……お前は、やっぱり強いな」



 言うが早いか、思うが早いか。

 レオポルドはサリアの肩を引き寄せ、その華奢な身体を腕の中に閉じ込めた。


 ああ、暖かい。

 彼女の温もりにホッとする。

 気持ちが沸き上がる。

 止まらない。

 抑えるつもりも、無かった。





「サリア……もう二度と、こんな真似はするな。愛しているんだ、とても」


 彼女の髪に顔を埋めながら、囁くように告げる。


「お前を失うことを考えただけで、俺は狂いそうになる」


 サリアが小さく息を呑むのが分かった。

 それでも、言葉は止まらない。



「お前が笑っていないと、俺はこの国を治める意味すら見出せない」


 静かに、噛みしめるようにそう言うと、彼はすっと頭を上げた。目の前に飛び込んできたのは、サリアの赤らんだ頬と、熱に揺らめく瞳。


 彼女が笑う。

 花が咲くように。



「……では、これからも私を笑わせてください、レオポルド様」



 引き寄せられるように唇を重ねた。



 互いの想いを

 愛情を

 存在を確かめるように────


 ────────深く。






ありがとうございました!


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本当にここまでありがとうございます!

ざまぁや短編練習中です!

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追記:婚約者《候補》では体に触ることさえ叶いませんが、婚約者同士ならばスキンシップは可能です。ただ、身体の関係は成婚してからになります。

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