《赤王鳥》
奴《赤王鳥》が、悠然と眼前に立っていた。
三mを優に超える巨体だ。
頭頂を肉厚の鶏冠で飾り立てて、胴体一面に紅色の羽毛を生やしている。
人間の胴くらいの足には、黒い鱗が生え、二十cmはある三本の鍵爪と一本の蹴爪が金色に鈍く光っている。
心臓がトクトクトクトクと、壊れた警報器のように鳴動し、終わりまでの刹那を刻んでいるようだ。
血の気が引いていくのが、ハッキリと分る。
股間のあたりがスーとして、足に力が入らない。
これはダメだ。大バカだ。どうしようも無い。〈ハパ〉先生の言うとおりだ。
今生もここで終わった。
身体が竦んで動けないでいると、奴が首を前にヒョッコと動かした。
同時に強い風と、生き物の大きな熱気が、僕を襲う。
たまらず尻もちをついた瞬間、頭の直上を殺気が通り過ぎた。
本能なのか、身体が勝手に反応し、奴と逆方向に全速力で駆け出した。
相当な距離を走ったつもりだったが、目の前に奴がいた。回り込んで通せんぼしている。
奴が首を前にヒョッコと動かした。
殺気が右の頬に走った。
思い切り左に避ける。
瞬間移動も目一杯使った。
右頬をもぎ取られ、衝撃で錐もみしながら地面に叩きつけられた。
頬はザックリと裂け、血がヌプヌプと流れ出している。
頬をもぎ取られたと思った。
体中が痛い。
何回も、バットで思い切り殴られたかのようだ。
右頬は、焼いた鉄板を押し付けられて、こじられているように、痛む。
激痛で気を失いそうだが、アドレラニンが出ているのか、何とか動くことが出来る。
今度は左手に駆け出した。
もう全力で走れない。
背中は冷や汗でべっとり濡れて、額に垂れてきた汗を拭う余裕も無い。
肺は酸素を求めてヒィヒィと喘ぎ、足は乳酸で千切れるほどに痛い。
奴が目の前にいる。回り込まれて通せんぼされた。
くそっ、足元にあった枝を、思い切り投げつけてやる。
奴はその場を動こうともしないで、「キェー」と甲高い耳障りな声を出して、炎を吐いた。
火炎放射機そのままの炎に包まれて、枝は見る見るうちに消し炭になっていく。
茫然と奴の放った火炎を見ていると、炎越しに最初に通った場所が見えた。
皮肉もんだ。
偶然にも、正しい方向に逃げてきたのか。
だが、とても逃げ切れ無い。
圧倒的にスピードが違う。
火炎放射まである。
奴が首を前にヒョッコと動かした。
殺気が、腹のど真中に来る。
右に飛ぶ。
瞬間移動も使う。
目の前に、奴の足が迫って来た。
避けられなかった。
跳んで逃げたつもりが、身体が動けて無かった。
動か無かったんだ。
〈アコ〉〈クルス〉〈サトミ〉、もう一度会いたかった。
ごめんなさい。
― バリーン ―
ガラス状の物が、壊れる大きな音がした。
何の音だ。
前方に、奴が飛ばされて、地面に倒れこんでいるが見えた。
血を流している。
何が起こった。
信じられない。
奴を弾き飛ばしたのか。
誰が。
何が。
そうか、あれしかない。
中年猫の特典だ。守護の神獣だ。
奴を見ると、飛ばされた噴出孔の上で、立ち上がろうとしている。
もう衝撃から回復するのか。
噴出孔の上で。
もう一度、枝を奴に投げつけた。
同時に近くの岩陰に滑り込む。
― ドーン ―
耳をつんざく爆発音が響き、凄まじい衝撃波が辺りに吹きわたる。
岩陰から出て見渡すと、奴は噴出孔の上で炎に包まれていた。
羽毛で覆われていない部分は、焼け爛れて酷いありさまになっている。
それでも、ビクンビクンと大きな痙攣を繰り返して、まだ生きているようだ。
火炎耐性もすごいが、生命力ももの凄い。
羽毛なんて綺麗なままだ。
抜く暇も無かった剣を構えて、慎重に少しずつ少しずつ奴に近づく。
眼球が焼け崩れた眼窩に、剣を思いっきり突き刺すと、奴はビグッと大きく一回だけ身体を震わせて、もう動かなくなった。
奴が死ぬと同時に、身体の中に大きく膨れるような感覚を覚える。
スキルが、第二段階に成長したようだ。
血を止めないとヤバそうなので、切り裂いた服を包帯代わりに、簡単な血止めを施した。
そして、僕は精魂尽き果てて、その場にへたり込んだ。
もう動けない。もう動きたくない。
遠くに見える深紅の花は、ポツリポツリと草原から立ち上がっている。
まるで、奴を送くる蝋燭の炎のようだ。
自然と手が合わさり、奴の冥福を祈った。
その後、身体中の痛みを気力で堪えて、重い体を引きずりながら、《王鳥草》を何とか採取する。
散らばっていた《赤王鳥》の羽毛も、あまりにも綺麗なので拾っておくことにした。
領館に帰ってからも大変だった。
家臣の皆には怒られるし、〈ドリー〉と〈サトミ〉には泣かれてしまった。
本当に弱ったよ。
特に〈サトミ〉は、泣き止むまで大変だった。
無謀なことをしたんだから、当たり前か。
もう決して危ないことはしないと、神に懸けて誓わされたよ。
僕も二度と、あんな怖い目には会いたくない。
死ぬ思いで手に入れた《王鳥草》を〈ドリー〉の母親に渡して、霊薬を作って貰う手筈も整った。
良く効く薬が、出来ると良いな。