趣味が転じて
翌日、さっそく面会の予約を取り付けたカイの案内のもと、ラクたちは魔獣の討伐依頼を出してくれたというマリナーク商会へと向かった。
「領主館にも海産物を卸してるってかなり力のある商会だよな。親父前からそんな大口取引してたっけ?」
ラクは8年以上前の記憶を呼び起こそうと頭をひねるが、マリナーク商会の名はどうしても思い出せない。
といってもさすがに記憶が朧げなため忘れているだけの可能性も否定できないが。
「ちょうどお前が上京した後だったかもな。ヒビキさんと知り合ったのは。」
親父の説明によると、カイとマリナーク商会の商会長ヒビキの出会いはちょうどラクの上京後すぐのことだったらしい。
なんでも商会に季節外れの商品を融通するよう無理を言った客との間をカイがとりなしたとのことだった。
「"取れねえ魚を無理に用意するより、客の知らねえ旬のものを旨い食べ方と一緒に教えたほうがお互い得だろう"って言ってたよね。」
「あんまりデカい声で言わねぇでくれよ、トウカちゃん。」
「親父の言いそうな言葉だ。」
"味の知らねえ商品を客に出すなんて怖くてできねえ"というのがカイの持論であり口癖だった。
漁師は獲れ立ての魚介類を口にできるため、自分たち専用の漁師飯があるというのはよくある話だ。
しかしカイはそこからさらに一歩進んで、獲った魚にいろんな調理法を試して旨いと思ったものを客に勧めるという変わった趣味の持ち主だった。
通常、食材の調理は料理人の仕事であるため、そこまでしてやる漁師はいない。
むしろ料理人からすれば自分たちプロを差し置いて調理に口を出されるなどプライドが許さないという人もいるだろう。
もちろん親父も口出す相手は心得ているようで、近所や市場に買いに来る一般家庭の奥様方を相手に手軽で旨い調理法をアドバイスしているらしい。
夕飯の献立に困る主婦というのは枚挙にいとまがないようで、カイが卸す商品は鮮度もさることながらお手軽調理法を求める奥様方から人気があるという。
後に話を耳にした一部の料理人が身元を隠して訪ね、こっそり自分の店のメニューに加えていたという話まであるらしい。
「あとからその店行ったときの大将の顔ったらなかったな。」
「意地の悪いこって。」
こっそり訪ねて得た調理法を発案者に隠れて店に出す、それがバレた料理人からすれば気まずいどころの騒ぎではないだろう。
自業自得と言ってしまえばそれまでだが。
「いやでも流石プロだな。俺の案をもとにもっと手間かけてより旨くなってたんだよ。」
「そういっておじさんと意気投合して常連さんになった人多いもんね。」
どうやら趣味が高じて客入りまで増やすまでに至ったらしい。
昔よりも一緒に働く漁師の数が多い気がしたのはその影響もあるかもしれない。
そういう変わり者ながらも近隣住民から愛されているカイのうわさを聞き付けた商会長ヒビキが、相談がてらにカイのもとを訪ねたというのがことの発端だったらしい。
話を聞いたカイは常連の料理人と試行錯誤し、旬の魚にレシピと試作品までもって商会長と共に客のもとへ示談しにいった。
その結果、客を満足させて商会御用達にまでさせてしまったというのだから驚きだ。
以降、マリナーク商会はカイが卸す海産物を積極的に扱うようになり、ラクの父親はこの辺でちょっとした有名人になりつつあるのだという。
ラクは驚きを通り越して呆れすら覚えつつ、周囲の妙な視線の意味を理解した気がした。
「どうりで変に目立ってるはずだ。」
「仕事するにゃいいけどよ、飲みに行きづれぇってのだけがちょっと失敗だったな。」
(うっせぇわ)
頭を搔いて照れるカイにラクは内心毒づく。
そうこう話しているうちに、大通りにでかでかと看板が掲げてあるマリナーク商会が見えてくる。
なんとなく大きな商会だろうな、と曖昧なイメージを浮かべていたラクは目の前の現実を見上げて一瞬固まった。
「親父、ほんとにこんなデカいとこと取引してんのか。」
「人生何があるかわからねえもんだよな。」
ガハハと笑いながら、カイは何の気負いもなく商会の戸をくぐっていった。
傍から見ればガタイがデカいだけで金もなさそうなおっさんが立派な門構えの大手商会に入ってく様は場違いに感じる。
しかし、周囲はその人物の正体を知っているのか自然と受け入れているようだ。
ラクはなんとも奇妙な光景に少しだけ肩をすくめながら、カイの後に続いて商会の門をくぐっていった。
中に入ってすぐ、接客係らしい従業員の男が近づいてきた。
「いらっしゃいませ、カイ様。」
「おう、世話になってんな。昨日、面会予約を入れたと思うんだけどよ。」
「お聞きしております。2階の応接室へご案内いたしますので、どうぞこちらに。」
名前を聞くまでもないあたり、商会内でもカイはよく知られた人物らしい。
男はカイたちを2階の一室へと案内するとソファを勧めた。
「商会長をお呼びいたします。今しばらくお待ちください。」
そう言って頭を下げた男は扉を閉めて去っていく。
カイたちが思い思いに座ったところでしばらく待っていると、扉がノックされた。
カイが受け答えると、二人の男女が入ってくる。
一人はひと目で仕立てが良いとわかるスーツを身にまとった男だ。
年の頃は40前後だろうが、身なりのせいかカイより若く見える。
優雅な立ち振舞は大商人の長としての余裕を感じさせるものの、嫌味を感じさせない品の良さがある。
身分の高い者たちを相手に商談をまとめてきた実績を感じさせる雰囲気を感じさせる人間だった。
もう一人は貴族の令嬢かと見紛うほどの美女だ。
年の頃はラクの少し下か20歳前後だろう。
肩より少し下まで伸びるプラチナブロンドの髪に、エメラルドを彷彿とさせる緑色の瞳。
露出は少ないながらもメリハリのきいた体は女性としての魅力と厭らしさを感じさせない清廉さを両立させていた。
二人の入室に合わせてにカイ達は席を立った。
商会長らしき男性を先頭に二人は中に入ると、カイに向かって頭を下げた。
「お待たせして申し訳ない、カイ殿。」
「いやいやヒビキさん、カナデ嬢。こっちこそ時間をとらせて申し訳ねぇ。」
「こちらもご相談が必要だと思っておりましたので、助かりました。どうぞお掛けになってください。」
改めて机を挟んでそれぞれソファにつくと、ヒビキはカイとジンを一瞥してホッと息をついた。
「まずは、二人の回復をお祝い申し上げます。昨日の報告を聞いたときは驚きのあまり半信半疑でしたが。」
「かたじけねぇ。心配をおかけしたようで。」
「カイ殿は我々にとって恩人であり友人ですから、当然のことですよ。」
「本当に元通りになられたのですね。数日前のお姿が嘘のようです。」
ヒビキとカナデの態度を見る限り、本当に安心したらしい。
先程まで父親との関係を疑っていたラクは、ようやくカイの言葉が事実だったと認識できた気がした。
それほどに大商会の長といち取引先の人間が家族も交えて友好関係を結ぶのは珍しい。
商人は利益のために動く。
そのため無意味に信用を失う真似はしないが、利益を感じないことをしない者も多い。
カイが齎した利益が大きかったのかもしれないが、それだけではない器の大きさを感じさせる態度だ。
貴族と取引しているような商人で、傲慢で嫌味ったらしい者は嫌というほど見てきた。
そんなラクにとってヒビキとカナデの態度は目新しく、好意的に写った。
「して、今回の立役者は彼ですか?」
初対面のラクを指し示してヒビキは問う。
「えぇ、息子のラクです。上京してたんだが運良く帰ってきましてね。」
「なんと、ご子息でしたか。カイ殿から噂はかねがね。」
「はじめまして。父がお世話になってます。」
一体どんな噂話をしてるのかと内心ヒヤリとしながら、ラクは簡単に挨拶をした。
「魔法騎士団に入隊していると聞いてましたが、話通りの実力者だったわけですね。」
「ハッハッハッ。親バカながら立派になったと思ったもんですよ。」
カイにつられて周囲が和やかな雰囲気に包まれる。
除隊されました、なんてとても言えない空気にラクは乾いた笑いを浮かべるしかできなかった。
一通り挨拶を交わしたところで、ヒビキは商談に臨むがごとく背筋を正した。
「さて、ではそろそろ本題に入りましょうか。」