怪しい雲行き
ミナトの頭にたんこぶを拵えたジンは、高らかに笑いながらラクの元に帰ってくる。
「ラク!さっきは口だけと言って悪かったな。お前さんは正真正銘の一人前じゃわい。」
腕が元通りになったことがよほど嬉しかったらしい。
ジンはラクの頭を乱暴に撫で回した。
先ほどジンを支えていた少女がラクの袖を引っ張り、頭を下げる。
「ラク兄、お祖父ちゃんを助けてくれてありがとう。」
「そうだ、お前彼女はおるのか。おらんなら孫のトウカを任せてやってもいいぞ。」
機嫌を良くしたジンがラクに少女を勧める。
それを聞いたトウカはジンの耳を引っ張り叱りつけた。
「勝手なこと言わないの!てかラク兄、うちのこと覚えてる?」
トウカは不安そうにラクを上目遣いで見上げる。
最初見たときは確信を持てていなかったものの、孫とはいえ屈強なジンに負けない気の強さを持つ少女を見てラクははっきりと思い出していた。
「もちろん。年下ながらミナトを泣かせてた女の子をそうそう忘れられそうにないよ。」
「ちょっ!?その憶え方は嬉しくない!」
忘れられていなかったことには安心したものの、昔のお転婆行為を話題にされたトウカはおおいに焦った。
拳骨を喰らってしばらく涙目になっていたミナトは、少し落ち着いたのか頭をさすりながら小さく笑った。
「昔っから気が強かったからな。今じゃジンさんに続いてハンターやってんだぜ。」
「ミナトまでからかわないでよ、もう。」
口を尖らせながら拳を握るトウカに、ミナトは慌てて距離を取った。
二人の仲睦まじい様子に生暖かい視線が集まる。
知ってか知らずかジンは大きく咳払いをすると、一転真面目な表情で話を変えた。
「さて、全員助かったのは喜ぶべきじゃが、まだ問題は解決しとらん。」
ジンの言葉に漁師たちの表情が険しくなる。
問題の内容を察したラクは言葉を続けた。
「鑢鮫の件だよね。ギルドへの討伐依頼は?」
「マリナーク商会が代理で発注してくれたらしいんだが、どうにも難航してるらしい。」
ラクの疑問に父親のカイが代表して答える。
ラクは聞き慣れない紹介の名前に首を傾げた。
その様子を察したカイは補足する。
「マリナーク商会はうちのお得意さんだ。領主館にも品をおろしてるようなとこでな。」
「ずいぶんデカい商会だな。いつの間に。」
意外そうな表情をしたラクにカイは苦笑いを浮かべる。
ジンは依頼発注の雲行きが怪しいことに眉をひそめた。
「難航っちゅうのは手の空いたもんがおらんということか。」
「いや、どうもハンター達が渋ってるらしい。詳しいことは調査中ってことで手紙にも書いてなかった。」
どうやら帰ってきたときに読んでたのがその手紙だったらしい。
理由を聞いたジンは眉間のしわを更に深めて唸った。
「どうにもきな臭い。」
「そう?海の魔獣相手ともなると渋るハンターが多いってのは分からなくもない気がするけど。」
海の魔獣は陸地に比べて脅威が増す。
最大の理由としては安定した足場での戦闘ができないという点だ。
ただでさえ魔獣は人間はもちろん普通の獣より力も強く、動きも素早い。
魔力による肉体強化と武器、または魔術や法術を利用し、かつ地形なども有利に活用することで初めて魔獣と渡り合えるのだ。
しかし海の魔獣相手ではそうはいかない。
海中に潜れば水の抵抗で動きは制限され、呼吸もおぼつかなくなる。
船上で戦おうにも足場が悪く、船を狙われれば結果は同じだ。
そのため希望者が少なくても不自然に思わないラクの考えを、ジンは首を横に振って答えた。
「たしかに手強い相手じゃ。しかし、実入りが大きいのも事実。特に今回は事が事だけに、マリナーク商会の手も借りて依頼料もそれなりの額を積んどる。相性次第によっては飛びつくハンターがおってもおかしくない筈だ。」
「なるほど。言われてみればそうか。」
ジンの言う通り、この仕事で得られる報酬はかなり大きいだろう。
魔獣の素材は多くが高値で取引される。
ハンターズギルドの収益の大部分を占めているほどだ。
皮や骨は武器や防具の素材になる。
魔力の通しやすい魔獣素材はものや相性によっては金属製の武具にも勝るため、ハンターや兵士の装備として需要が高い。
肉も部位によっては食べることが可能だ。
むしろ、魔力の影響もあるのか通常の肉に比べて滋養強壮があり味も良い。
薬になることもあるため、上手く回収できれば重宝される。
そして最大の利点で言えば、魔核の存在がある。
魔核はラクの魔道具にも使われている素材で、魔力を通すと素材由来の属性に変換される。
魔道具の素材として必須であるため魔術師はもちろん、魔力を扱えるものならいくらあっても損はない。
陸上の魔物より戦闘は難しいがそれでも水属性の魔力を持つ戦士なら、属性強化で水中での動きはマシになる。
雷属性の魔術師がいれば、一方的に攻撃することも可能だろう。
売れば金になり、自分の装備のためにも使える素材が手に入る。
普通なら遭遇すら貴重な海の魔獣の素材ともなればその価値もひとしおだ。
依頼に飛びつくハンターが何人かいてもおかしくないだろう。
「だとするとハンターたちが受注を渋る別の原因がある、と。」
「そう考えたほうがいいじゃろう。」
「まいったな。時間をおけば漁場の魚が食い荒らされちまう。」
魔獣は魔力が薄いところでは発生せず、好んで近寄ることもない。
しかし一度迷い込めば、足りない魔力を補うがごとく周囲の命を喰い尽くす。
このまま放置すると魚が穫れなくなり、カイ達の暮らしがままならなくなってしまうだろう。
特に今回は5頭程度の群れで発生している。
1頭いればひと月放置するだけで半年以上不良になると言われている。
事件から既に2日たった今、普段の魔獣発生のときより時間的猶予は短いと考えていいだろう。
「傷が治ったとはいえ、ジンの旦那一人に任せるわけにもいかねぇ。」
「実際ワシ一人の手には余るからな。」
「私もいるんだけど!」
頭を悩ませる二人にトウカが戦力に数えられていないことに不満を漏らす。
「大事な孫娘を傷物にするわけにはいかん。参加したけりゃ祖父ちゃんから一本取ってからにせい。」
「んぐっ…。」
言い返す言葉もないのかトウカは肩を落として落ち込む。
ラクもしばらく悩んだあと、埒が明かないと別の提案をする。
「情報不足だし、その商会の人と話せたりしないかな?」
「確かにな。カイ、頼めるか。」
「任せといてくれ。早けりゃ明日中に話し合いの時間取ってもらうように言ってくる。」
カイはそう言うと、さっそくとばかりに商会のあるという中心街の方へ向かっていった。