僕とアナトリアさん
僕はお母さんが大好きだ。
真っ白な羽。
僕を包む大きな翼。
優しい手。
温かい眼差し。
柔らかくていい匂いのするからだ。
お父さんも好きだけど――、
「今日はアナトリアと遊んで来い」
「えー」
強い翠の瞳がグサグサと僕に刺さる。僕は知ってる。こういう時のお父さんに逆らっちゃいけない。
「お母さんは?」
「お母さんは疲れてるんだ。休ませてやれ」
はあ、とため息をつく。
「お父さんが疲れさせたんでしょう?」
お父さんのことも好きだけど、お父さんはこうやって時々僕からお母さんを取り上げるから嫌だ。
「アルトく~ん、今日はお姉さんと遊びましょう?」
声のした方を見るとアナトリアさんがドアの前に立って手を振っていた。
「えー」
「『えー』ってなによぅ」
「だって、アナトリアさん遅いし、弱いんだもん」
「失礼ね!有翼種が異常なだけで、私だってそれなりに強いのよっ!」
「へー」
「アルト」お父さんが僕の名前を呼んでしゃがみ込む。
「ん?」
大きな掌がくしゃくしゃと僕の頭を撫でた。
「来週は3人で一緒にでかけような」
「――僕はお母さんみたいにちょろくないから」
嬉しいのが堪えきれなくて口端が上がってしまう。喉奥で小さく笑うお父さんには多分僕の強がりなどバレバレなのだろう。
「勘弁な」
「しょうがないなぁ。ほら、アナトリアさん行くよ!!」
外に駆けだしていくと慌ててアナトリアさんが追いかけてきた。
「ちょっとぉ、風圧が凄いからスピード落としてぇ」
アナトリアさんは遅いので、僕はしょうがなく彼の腰らへんを掴んでびゅーんとお空を飛んでいた。今日はちょっと遠い所に行きたかったのでアナトリアさんのぼやきは無視した。
「そろそろ僕に弟か妹ができるかもなぁ」
「どうでしょうねぇ。子ができにくい種族だから」
「僕からしたら今までできなかった事の方が不思議なんだけどね。だってほら、お父さんのお母さんに対する執着心ってすごいでしょ?」
「……あんたって本当聡い子ね」
「5年も生きていればいろいろと分かるようになるよ」
「たかだか5年で何言ってるのよ」
国のはずれにある森で綺麗なお花を摘む。両手いっぱいになったのでアナトリアさんに渡す。
「え……、これ、私に……?」
頬を染めるアナトリアさん。
「ちがうよ。お母さんにあげるの。いっぱいになったから持ってて」
アナトリアさんがガクッと項垂れたあと「ちょっとぉ、期待させないでよねっ」とか怒り始めた。アナトリアさんは面白いなぁ。
その時、アナトリアさんのずっと後ろの方にきらっと光るものを見つけた。
あれなんだろう。
「え、あ? アルト君ちょっと待って!! 待ちなさい!!!」
森の中を高速で飛ぶのは楽しい。障害物を避けて、避けて、キラキラ輝くものを追いかける。
「あは、全身宝石みたいなトカゲさんだ!」
トカゲさんは僕に気が付くと口から変なものを吐いてきた。変なものがかかった木が一瞬で溶けてなくなった。
「面白ーい」
どうやって仕留めようかな、と考えて止める。生き物はむやみに殺してはいけない、とお母さんが言っていたから。
「でも、綺麗だからお母さんにあげたいんだよね。そうだ!しっぽならいいよね。トカゲさん、尻尾ちょうだい」
尻尾の近くに飛んでいくと、ムチのようにしなった尻尾が僕の方へ飛んできた。
「ありがとう!」
ぱしっと掴んで引きちぎろうとしたけど、なかなか引きちぎれなかった。
「あれ。おかしいな」
トカゲさんは普通のトカゲじゃなかった。なんか鉱物っぽい手触りだ。
トカゲさんは尻尾を掴まれるのが嫌みたいでがむしゃらに暴れて四方八方に変なものを吐きまくった。
「うーん」
このキラキラ感お母さんの指輪と似てる。硬いけど一方向からの強い刺激には弱いってお父さんが言ってた気がするな。――やってみよ。
「えい!」
ガァァンッ!!という音とともに岩の方が粉々になってしまった。
でも、僕は諦めずにとにかく色んな岩に少しずつ角度を変えてトカゲさんの尻尾の付け根をぶつけてみた。続けていくうちにヒビが入って、終にバリン、という音と共に尻尾が割れた。
「やったー!」
カサカサと逃げ出し始めたトカゲさんの背中に向かって声をかける。
「トカゲさん、また尻尾が生えたらちょうだいね」
トカゲさんはびくっとなってチラッと僕を見ると走り去っていった。
「綺麗だなー。お母さんよろこぶかなー。ね、アナトリアさん」
くるっと振り返ったらアナトリアさんはいなかった。
アナトリアさんはすぐいなくなっちゃうんだよなー。
しょうがないなあ。
ぱたぱたと上空に舞い上がると、不思議な町が見えた。
「可愛い町!」
ひゅーんと飛んでいって一番近くにあったお家の窓から家の中を覗いてみた。
ぱちり、とベッドの中のおばあちゃんと目が合う。どうやらここは人族の家みたいだ。
「こんにちは」
おばあちゃんは見開いていた目をゆっくりと閉じた。
「嗚呼……、私にもお迎えが……」
「おむかえ?」
おばあちゃんの周りにいた人達が「おばあちゃん!!」と口々に叫ぶ。なんだかお取込み中だったみたいだ。
「ごめんね、僕もう行くね」
去ろうとして、ふと振り返った。
「あ、それとお迎えじゃないからね」
「あら、そうなの?」
「うん、そう。じゃ」
後から歓声が聞こえた。今日はパーティーかな。
次は一番気になった町の中心にある大きなお城のような建物に向かった。
カラフルな窓のあるすごく立派な建物。
「わぁ、きれい」
ぐるり、と建物のまわりを飛んでみる。どうやらこの建物はだれでも入っていいみたいだった。
僕が入っていくと建物の真ん中にいた変わった帽子を被ったおじいちゃんが口をあんぐりと開けた。
「おじゃましまーす」
歌っていた人たちも、大きなオルガンを弾いていた人も手を組んで跪いていた人たちもみんな僕を見て固まってしまった。
「おお!! 天使様!!! 私を祝福しに来てくださったのですね!!!」
急に大きな声をあげた変な帽子のおじいちゃん。
「祝福を……!」
しゅくふくってなんだろう? 僕は小首を傾げた。
女性たちが鼻血を出して崩れ落ちていく。こわい。
おじいちゃんが壊れたように「しゅくふくをー」「しゅくふくをー」と繰り返している。目も血走っているし、ヤバいやつだ。僕は絶対に目を合わせちゃいけないと思った。視線を逸らした先でふと端っこの方で同い年くらいの男の子が立っているのを見つけた。可哀想なくらいガリガリの男の子。
――どうせなら。
男の子を見つめて言う。
「しゅくふくをー」
またしても歓声があがった。本当に意味がわからない。
人族はめんどくさい、とお父さんが心底嫌そうに話していたけどその通りだと思った。
森に戻って迷子になっているアナトリアさんを探す。
僕一人じゃ大変なので小鳥さん達にも手伝ってもらう。
僕とお父さんは鳥さんとお話ができる。でも、この事はお母さんには内緒だ。
お父さん曰く、鳥と話すようなファンタジーな姿なんて誰にも見られたくないんだそうだ。
僕はそうかな、と思う。歌うように、囁くように、密やかに鳥さんと話すお父さんを見たらお母さんは喜ぶと思うけど。
鳥さん達がすぐにアナトリアさんを見つけた。
「いた~~!!! よかったぁ、アルト君。心配したじゃないのよっ」
半泣きのアナトリアさんの頭をよしよし、と撫でた。
きゃんきゃんうるさいけど、迷子になってたから心細かったんだと思う。
「ところで何を持ってるの?」
「これ? トカゲさんの尻尾だよ」
「――メタルリザードの亜種ね。最低でもAランクの魔物じゃない。静かな森中に破壊音が響き渡ってたわよ。ったく、これだから有翼種は」
ぶつぶつうるさいアナトリアさんを連れてお家に帰る。
「ただいまーー!!」
「お帰りなさい。アルト、アナトリアさん」
ニコッと笑うお母さんはお父さんの膝の上でくったりしていた。僕、弟がいいな。
「なんでアナトリアさんは家に入らないの?」
「私はあなたと違って鼻がいいの。今この家に入るな、と本能が告げているわ」
ふーん? ま、いいや。
「お母さーん。はい、これ」
お母さんにお花とトカゲのしっぽをあげる。お母さんは僕を抱きしめて「うちの子が天使すぎてつらい!!」と呟いた。えへへ。
「それじゃ、私帰るわ」
「あ、待ってアナトリアさん。これ、あげる」
花束の半分とポケットから尻尾の破片を取り出してアナトリアさんに渡した。
「アナトリアさんも綺麗なモノ好きでしょ? 今日はありがとう。また遊ぼうね」
アナトリアさんがしょうがないわね、と眉尻を下げて笑う。
「そういう憎めないところがグレンそっくりなのよね」
そう笑って帰っていったアナトリアさん。
翌日朝ごはんをもぐもぐしていると「ちょっとあれ金剛石だったんだけど!?」と家に飛び込んできた。アナトリアさんはおもしろいなぁ。




