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92・白昼夢

「フレドリック、このような場でなんという口の利き方だ。それにその態度、お前にはこの国の第二王子だという自覚は無いのか? 今すぐ彼女に対する失礼な発言を取り消せ。そして謝罪しろ」


 フレッド様は、まるで本物のウィルフレッド殿下のようにフレドリック殿下を叱りつけた。私はお二人が揃っているところを見た事がないのだけれど、横に控えるアーロンやエヴァンを見る限り、あまり動揺した様子が見られない。なので実際のお二人もこんな感じなのかと少し驚いてしまった。


 確かにこの場合、本人に聞こえる声で他国の侯爵令嬢に対する蔑みの言葉を吐いたフレドリック殿下の事を、誰かが咎めなければならなかっただろう。

 アーロンが少し窘めたけれど、あれでは殿下を反省させるには至らない。

 もし、先ほどのフレドリック殿下の言葉が私に向けられたものなら無視するけれど、ダリアに言った言葉だと思うと腹が立った。

 実際に会ってみてよく分かったけれど、彼女は変人などではない。

 子供の頃は毒物への異常な執着で変わった子だと思われたかもしれないけれど、それは結果として人助けにつながり、解毒薬から始まって、今や病気を治癒できる薬まで作り出す、隣国アルフォードが誇る立派な研究者なのだ。

 そんな方が親戚である事を私は誇りに思うわ。


 フレドリック殿下には、ご自身より立場が上の方がガツンと言ってやらねばならないだろう。

 そう思って二階席を見上げてみれば、陛下は夜会に出席した貴族達からの挨拶を次々に受けていて、こちらに目を向ける暇は無さそうだった。

 

 すると、BGMのように静かに流れていた音楽はピタリと止み、代わりに優雅なワルツのような音楽が流れ始めた。

 どうやら会場に真の主役が到着した事で、ダンスタイムが始まったようだ。

 この夜会の目的は、王子達の花嫁探しではあるけれど、わかりやすく令嬢達を並べて王子に選ばせたり、順番にダンスをしたりはしない。基本的なルールとしては、令嬢達は普通に夜会を楽しんで、王子から声がかかるのを待つだけである。

 しかし彼女達も黙って待っているばかりではない。隙を見てお目当ての王子に近付いて、あの手この手で自己アピールを始めるだろう。私はそれを蹴散らすのが仕事なのだけれど、今の状況を見て、図らずも令嬢達は離れていった。

 周囲で見物していた人達も曲が変わった事に気が付くと、一緒にいたパートナーと手を繋ぎ、ホールの中央に向けてクルクルと踊りながら移動を始めた。

 お陰で私達の周りには、誰も居なくなってしまった。 

 そこで私の事を舐めるように見ていたフレドリック殿下は真顔の私と目が合い、ハッとして謝罪を始めた。


「すまぬ! 今のは完全に私の失言であった。良く知りもせぬのに、噂を真に受けて貴女に不快な思いをさせてしまった。本当に噂とは当てにならぬものだな。どう見てもおかしな所など見当たらない。この美しい女性を変人などと言い始めたのは一体どこの誰なのだ。ダリア嬢、私を許してくれないだろうか。 よければ……この後のダンスを申し込みたい」


 私がフレドリック殿下の変わり身の早さに唖然としていると、何を思ったのか、殿下はドサクサに紛れてダンスを申し込んできた。

 まったく、この方には心底呆れる……。

 サンドラに対する一途さはどこへ行ってしまったのかしら? 彼女との別れが殿下をおかしくしてしまったの? 前はこんなに節操の無い方ではなかったはずなのに……。

 そう思いながら隣に居るフレッド様を見上げると、彼はとても怒っていた。


「断る。謝罪するならきちんと誠意を見せろ。それではダンスを申し込みたいがために謝っているようにしか聞こえないぞ。ダンスを申し込みたいならば、彼女が謝罪を受け入れてからだろう。そんな事も分からないのかお前は。行こう、ダリア」


 私も同じ事を言いたかったのに、フレッド様が先に断ってしまった。私は一切言葉を発する事無く、少しふてくされた表情のフレドリック殿下に軽く会釈して、この場を離れた。


「ハァ、いつもなら、あいつらはあそこに居ないから油断した。おかしな事になってすまなかったな。つい腹が立って……。そうだ、せっかくだから一曲踊ろう。なに、ダンスの仕方を知らなくても、俺に合わせていれば大丈夫だ」

「え、あ……っ」


 フレッド様に少し強引に引き寄せられて、そのまま流れるようにダンスは始まった。彼はリードするのがとても上手で、私は無意識のうちに彼に合わせてステップを踏んでいた。

 ダンスをするのは本当に久しぶりだった。それでも何年もかけてしみ付いた動きは、何も考えなくても私の体を動かした。

 この場合、何も知らない振りをするべき? リードが上手いから、勝手に足が動いてしまうわ。

 殿下の影武者は、何でもこなせなくてはならないのね。こう言っては何だけど、フレドリック殿下やエヴァン達よりも上手だわ。


「上手いじゃないか」

「いえ、殿下のリードのお陰ですわ。ふふ……」


 私達は一曲といわず、次の曲も当たり前のように踊り続けた。


「お前とは相性が良いようだ。ダンスをして、こんなに楽しいと感じたのは子供の頃以来だ」

「私もです。とても楽しくて、時間が経つのを忘れてしまいそう。でも、このままダンスのパートナーを変えないつもりですか? 私一人と何曲も続けて踊れば、相手が決まったと思われてしまいますよ?」

「ああ……だがもう少し、このまま楽しもう」


 フレッド様は本当に楽しそうで、何度も私にとろけるような笑顔を向けてくれた。

 今のこの時間だけは、お互いに代役を務めるウィルフレッド殿下とダリアではなく、元のフレッドとラナに戻っていると感じた。

 あまりの楽しさに私も演技する事を忘れ、自然と笑みが零れてしまっていたのだ。

 そして、優雅な音楽に乗って揺れながら、目の前にいる彼の青紫の瞳とミルクティー色の髪に、何故か既視感を覚えた。勿論、この方はフレッド様なのだから、何故かも何も、見た事があるのは当たり前なのだけど、そうじゃなく、誰か別の……


 そう思ったその時、私はあの夢の中にいた。

 何度か見た、ミルクティー色の髪の男の子と遊んだあの場所に立っている。目の前には迷路があり、私はあの男の子を捜してクルッと振り返った。するとそこには、今まで夢の中ではぼやけていて良く見えなかった大きな建物が……。


「どうした? 疲れたか?」

「え……?」


 フレッド様の声で、私は突然我に返った。どうやら、踊りながらほんの一瞬、白昼夢を見ていたらしい。

 

「今、一瞬呆けていただろう。疲れたなら、休憩しよう。ここは混雑しているし、俺達に用意された席にはあいつ等がいるかもしれないから、そうだな……外のテラスに出て少し風にでも当たるか。こっちだ」


 私はフレッド様に手を引かれて、ダンス中のカップル達を避けながらテラスに向かった。



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