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87・話を聞かせて



 私は、昨夜の出来事を全て知っているだろう、シンの方を見た。目が合うと、シンはフッと笑って、私の顔を覗き込むタキの襟首を掴み、そのままグイッと引き上げた。


「まあ、話は後だ。タキ、オーナーだって風呂にも入りたいだろうし、俺達の前で寝巻き姿のままは可哀想だ。お前もこうして無事な姿を見れて気は済んだんだ。もう良いだろ。ほら、オーナーの代わりに朝飯作りに行くぞ。寝起きの女をジロジロ見てんじゃねーよ」

「あ、そうだね。ごめん、ラナさん」


 シンはタキの襟首を掴んだまま、寝室を出て行った。


「そうだわ、お客様にも朝食をお出ししなければならないのに」

「大丈夫ですよ。私から二人に何を作るか説明しておきましたから。それに、外の黒板に臨時休業のお知らせも書いておきました。あ、でも、おにぎりは売るって事で良いんですよね? 他の皆が出勤してきたら、私が指示を出してやってもらいますので、ラナさんは今日は丸一日、休んでいてください。先に言っておきますけど、私の負担が、とか考えなくて良いですよ。ふふ、じゃあラナさんはお風呂に入っていてください。ご飯が出来たら、呼びにきますね」

「……ありがとう」


 私はチヨに圧倒されて、ありがとう、しか出てこなかった。前からしっかり者だったけれど、今回の事で、彼女はさらに成長したみたい。

 それから私はお風呂を済ませて、何を着ようか迷ったあげく、今日は仕事から離れる事を意識して、いつもの女将スタイルではなく、アルフォードのシンプルなドレスを選び、袖を通した。

 これを着るのは久しぶりだった。私が屋敷を出たあの日、これを着てここへ来て以来、クローゼットの奥に仕舞われたままになっていたのだ。

 そしてタオルで髪を乾かしていると、シンが部屋にやってきた。手には、二人分の朝食の載ったトレイを持っている。


「朝飯、持ってきた。チヨのヤツがオーナーと二人で食えって。いいか?」


 シンはいつもと違う私に一瞬戸惑い、しばらくボーっと突っ立ったまま、私の事を見つめていた。

 お化粧をしていない顔は昨夜から何度も見られているけれど、きっと暗くてよく見えていなかったのだと思う。今朝もカーテンのかかった室内は薄暗いままだったし、きちんと明るい場でこの姿を見せるのは、これが初めての事なのだ。

 アルフォードのドレスに身を包んだ私は今、宿屋の女将ラナではなく、エレイン・ラナ・ノリス公爵令嬢だった。これで本当に、全てを彼にさらけ出してしまった。私に前世の記憶がある事を除いては。


「ふふ、ええどうぞ、風邪を引くといけないから、先に髪を乾かしてしまうわね」


 シンはテーブルにトレイを置き、朝食をそれぞれの席に並べ始めた。

 その間、チラチラと何か言いたげに私を見ては、それを言おうか、言うまいか迷っている様子だった。


「なぁに? 見慣れなくて、変な感じがする?」

「あー、その……ラナは化粧なんかしない方が、可愛い、な。いや、普段も凄く可愛いけどな。でも、俺はそのままのお前が好……す、てきだと思う」


 シンの口から素敵なんて言葉が出るとは思わなくて、私は思わず笑みがこぼれていた。

 この姿を素敵だなんて言ってくれた人は、勿論これまでに一人もおらず、幽霊だとか、亡霊だとか、そんな風にしか言われてこなかった私は、嬉しいけれど何だか恥ずかしくて、もじもじしながら俯いてしまった。


「え、あの、ありがとう。そう言ってもらえると、とっても嬉しい……。えっと、じゃあ、朝ごはん、食べましょうか」

「……だな。冷める前に、食おう。ハァ……」


 シンは何故だか溜息をつき、そしてバクッとおにぎりにかぶりついた。

 シンとタキが握ったおにぎりは少し大きくて、私には二つも食べられそうにないなと思った。案の定、二つ目は半分も食べられずにお腹がいっぱいになり、泣く泣く残す事にした。


「残すのか?」

「勿体無いけれど、もうお腹がいっぱいなの。せっかく作ってくれた物なのに、ごめんなさい」

「いや、無理しなくて良い、残りは俺が食うから。食い物は粗末にしたくないんだろ?」

「え? でも、私の食べかけよ?」


 シンはまったく気にしない様子で、パクッとおにぎりを食べてしまった。こんなの、逆に私が恥ずかしいわ。私が口を付けたものを、シンが……。

 そこで昨夜のキス未遂を思い出し、一気に赤面してしまった。

 あの時、もうすでに二人の間で吐息は混ざり合っていて、触れるか触れないかというところまで行っていた。私は無意識に、シンの唇をジッと見つめていた。昨日のあれは、何だったのか、聞いたら彼は答えてくれるかしら?


「シン……」

「ん? 何だ?」

「ううん、ご馳走様。お茶を飲むでしょう? ちょっと待っててね」


 あー、もう、意気地無しね。気になるなら、今聞けば良いのに。


 私はお茶を用意して、彼の前にコトンと置くと、早速本題に入らせてもらった。


「昨日の夜の事、教えてくれる? 私が妖精に助けられた事を、どうして知っているの?」

「ああ、それか。お前が倒れた後、熱がある事に気付いた俺は、すぐにお前をベッドに寝かせてチヨを呼びに行ったんだ。それでチヨに着替えとか、化粧落としとか、色々してもらってるうちに、どんどん熱が上がってな。チヨにその様子は見せない方がいいと思って、俺が見てるから大丈夫だと言って、自分の部屋に帰らせたんだ。お前の顔は真っ白になって、ガタガタ震え出した。そのうちその震えも止まって……」


 シンはそこまで話して、昨夜の事が鮮明に思い出されてしまったのか、目にうっすら涙が溜まっていた。


「何度呼びかけても、お前からは何の反応も無いし、俺はその辺に居るだろうレヴィとヴァイスを呼んだんだ。治癒魔法は病気には効果が無いし、あいつらなら、お前を何とかできるんじゃないかと思った。そしたら二人は現れた」

「二人?」


 レヴィエントが、シンの前に人型で現れたの? しかもヴァイスまで。そういえば、ヴァイスが私を妖精界まで運んだと言っていたっけ。私を抱き上げて運ぶためには、人型である必要があったという事なのかしら。


「あいつら、本当はとんでもない美形なんだな。初めて人の姿で現れたレヴィを見た時は、赤い目の悪魔か死神かと思ったぞ。俺が話す前に事情を察したレヴィは、そこの寝室のドアを妖精界に繋がる扉に替えて、お前を向こうで回復させてくると言って連れて行ってしまった。どうやら、お前はかなり危険な状態だったらしい。このままでは、命を落とすと言われて、もう二人に託すしか方法が無かった」


 私は、シンがまた不安な気持ちを思い出していると感じとり、彼の隣に席を移して、その手を握り締めた。すると、やはり微かに震えていた。

 私が死ぬかも知れないと思って、不安だったのね。ごめんなさい。


「それから一時間程でヴァイスに抱えられてお前は帰ってきたが、まだ少し熱があって、意識も無いままだった。ヴァイスからは待っていれば直に目を覚ますと言われて、俺はその言葉を信じたが……それから一時間、お前の意識は戻らなかった。もうこんなのは御免だ。待ってる間、不安に押し潰されそうだった」

「熱があった? 私は、妖精界で完全に快復させてもらったはずなのに? なぜかしら? あ……女神様の加護? それが体に馴染むまでに、時間がかかってしまったのかしら?」

「女神って? まさか直接会ったのか?」


 シンは驚いて、私の顔を覗きこんだ。

 それは驚くに決まっている。神様に会うなんて事は、まずありえないのだから。私は微笑んでコクンと頷き、その時の状況を説明してあげた。


「私の体は、女神の力を使うには脆すぎるのですって。ヴァイスが連絡を取ってくれて、女神様が会いに来てくださったのよ。そして別れ際に、加護を授けてくださったの。その加護がどんなものかは聞いていないけれど、女神の御生みになったお子様と同等のものだという事よ」


 きっと、女神の力を使っても大丈夫なようにしてくれたという事でしょう。まさか、どんな攻撃も跳ね返す、とか、まったく疲れないとかいう、チート能力を授かった訳ではないわよね。


「女神から直接加護を……。なら、もう本当に大丈夫なんだな。この先もお前は、誰かのために持っている力を使うんだろ? 体がそれに耐えられなくて、また死に掛けるなんて事は無いんだよな?」

「そう、思うわ」


 女神様は、ちょっと気になる事を言っていた。長い年月をかけて繁殖を繰り返すうちに、私の代では既にただの人間になっていたって。最初の子供は普通の人間ではなかったという事? それと同等の加護って、どれだけ凄いのかしら? しっかり話を聞きたかったのに、レヴィが居ない。ヴァイスも天界へ行っているのか、姿が見えないわ。


「シン、もう一つ聞きたい事があるの」

「ん?」

「洗面器に入っていた氷は、どうしたの? 私には、まだ話せない?」


 シンは一瞬こわばった表情を見せたけれど、首を横に振った。


「……いや、話せるよ。俺が出した。こうやって」


 シンは手の平を上にして私の前に出し、表情も変えずに一瞬で氷の礫を一つ出して見せた。


「凄い、凄い、氷魔法を使えるのね!」


 シンは私の反応が意外だったのか、目を瞬いた。


「今まで黙っていたこと、怒らないのか? 俺はお前の秘密をなんでも教えてもらっていたのに、自分の事は隠していたんだぞ?」


 シンはやはり魔法を使えたのね。あの氷を見た時点で分かったけれど、本人の口から直接聞きたかった。


「どうして? 私に何かを隠している事は、何となくわかっていたわ。本当は、あなたから話してくれるのを待つつもりでいたの。でも、この目で氷を見てしまったし、我慢できなくて聞いちゃったわ。うふふ」


 シンは隣に座る私を真剣な表情で見つめたかと思うと、私の体を引き寄せ、抱き締めた。そして私の耳元で、低く囁いた。


「じゃあ、ラナを信用して、俺の事を、いや、俺とタキの秘密を教えるよ」


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