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75・ここはあなたの来る所ではありません

 宿の前に立っていたのは、私のかつての婚約者であり、盛大に婚約破棄をしてくださった、あのフレドリック殿下、その人でした。

 私がその姿を見るのは、あの創立記念パーティー以来の事。

 心なしか、私の知る殿下より精悍さが増し、以前よりスリムになったようにも感じる。

 殿下はサンドラとの交際期間中、彼女に時間を費やしていたせいで、日々の鍛錬などをサボっておいでだったのでしょう。最後に見た頃には、少しお太りになられたのか、一年前よりも頬がふっくらしていたはず。

 それが今は、顎のラインがすっきりして、体も締まったように見える。あれはきっとただ痩せたのではなく、サンドラを知る以前の生活に戻した、という事なのでしょうね。

 彼はあれだけ尽くし、平民になっても構わないと宣言できるほどに愛したサンドラと別れて、というか、きっとサンドラから一方的に振られたのだと思うけれど、そのせいで食欲を無くし、一時は相当弱っていたのでしょうが、当時エヴァンがせっせと運んでいた、うちのおにぎりを食べてそこまで元気になられたのだとしたら、それは大変喜ばしい事です。


 あれだけの事をされて、こんな風に思うのはおかしいのかもしれないけれど、今の私はあなたに対して、二つの感情を抱いています。

 それはとても複雑で、一つはあのパーティでの一件に対する静かな怒り、それともう一つ、結果的にこうして私を自由にしてくれた事への感謝。

 感謝よりも怒りの方が何倍も勝るけれど、今がとても幸せな分、不思議と穏やかにあなたの顔を見る事ができている。といっても、今はまだあなたを許す事は考えられないし、これから先、関わりたくない相手ではあるけれど。

 ここには私以外の人達だっているのだから、あなたが持ち込む王族とのトラブルなんて御免なのよ。

 ちょっとでも私の好きな人達を傷つけてご覧なさい。相手が王子であっても、その時は、絶対に許す気はないわ。


 それにしても、困ったわね。そこに居られると、いくら変装しているとはいえ、私が中に入りづらいのだけど。

 殿下は中に入らずに、最近入り口横の壁に取り付けてもらった、営業時間などを書いた黒板を見ているらしい。

 今日は食堂が午後から休みなので、おすすめメニューを書く代わりに、午後から休業と書かれている。


 私は歩くペースを落として、殿下が「食堂は午後から休業」と書かれているのを見て帰る事を期待した。けれど、殿下は帰るどころか、ドアを開けて宿に入っていってしまった。


「ちょ……休業の文字が読めないの?」


 もう宿に着いてしまうというのに、このままでは近所をもう一周する破目になり、怪しい人だと思われてしまいそう。

 ブーツの紐を結び直すフリをしてしゃがみ込み、どうしようか考えていると、殿下はすぐに宿から出てきた。その後から、ちょっと機嫌の悪そうなシンとタキが続き、さらにはチヨまで外に出てきた。


「オーナーは、用事があって今日は戻らない。中で待つと言われても、こちらも困る」 


 シンは王子に向ってぶっきらぼうにそう言って、腕組をしてドアの前に立ちはだかった。その態度から、さっさと帰れと言っているのが分かる。


 シン! 相手が王子だと分かっていないの? ああ、そうか。聖女のパレードを見に行かなかったから、顔を知らないのかもしれないわ。そんな口の利き方をして、下手をすれば首が飛んでしまうわよ!


 私は自分が前に出ずに、成り行きを見守るつもりでいたけれど、彼らは相手が王子だとも知らずに、かなり無礼な態度に出てしまっていた。それはあまりに危険な行為だと思い、今すぐ女将として王子に対応しなければと決心した。

 今は変装中だけれど、そんな事は気にしていられない。皆の無事の方が大切だもの。殿下に咎められるのは、代表者である私一人で十分だわ。


 私がそう思って立ち上がった時、タキが二人の険悪な空気を緩和してくれた。

  

「すみません、先ほど伝えた通り、今日は午後から休業で、生憎オーナーは留守にしています。待っていても戻りませんので、お客様の時間を無駄にさせない為にも、どうか今日の所はお引取りください」


 ハァ……タキが居て良かった。顔は不機嫌さを隠しきれていないけど、シンの対応より随分マシだわ。でも、殿下はこれで引き下がってくれるかしら? 


「……また来る。おい貴様、その無礼な態度をどうにかしろ。今回は大目に見てやるが、次もそのような態度なら許さぬぞ」


 フレドリック殿下はシンの態度を咎めたが、声は荒げず、それ以上の事はしなかった。

 それは意外な対応だった。

 彼はあれから変わったのかもしれない。

 今の様子だけでは判断しきれないけど、かなり落ち着いた気がするわ。前に、殿下だと気付かずに無礼な態度で話しかけてきた青年は、その後酷い目に遭っていた。

 まあ、あれとは状況が違うけれど、声を荒げず相手を窘めるなんて事、あの方にできるなんて知らなかったわ。

 とにかく、シン達が無事で良かった。これで殿下の機嫌が悪ければ、牢にでも入れられてしまったかもしれないもの。


 殿下は意外なほどあっさり引き下がり、この場を去って行った。

 向こう側の通りに待機させていた馬車の中には従者が待っていたようで、従者はタイミング良く馬車から降りると、戻った殿下を迎え入れ、辺りを確認して自身も乗り込むと、馬車はゆっくりと走り出した。

 

 フレドリック殿下はなぜ側近も連れずに単独行動していたのかしら? というか、何しに来たの? エヴァンが来なくなったから、自分でおにぎりでも買いに来たのかしら?


 私はチヨ達三人が宿に入るのを確認してから、自然に見えるように客のフリをして中に入った。

 そしてフードを脱いだ私は、シンの顔を見るなり彼目掛けて突進し、泣きそうになりながらその胸に縋りついた。


「もう! シンったら、お客様に対してなんて対応をするのよ! 見ていてヒヤヒヤしたわ。あの方はこの国の第二王子様よ。もしもあの方の機嫌が悪ければ、今頃どうなっていたか分からないんだから!」


 シンは、一度見たとはいえ見慣れない少年のようなコスプレ姿の私に迫られて一瞬たじろぎ、一歩下がった。


「お、オーナー、ビックリさせんなよ。あれが王子だって事くらい知ってるって。何泣きそうになってんだ?」

「知っていたの? あなた、知っていてあんな態度で……?」


 シンはフッと笑って私の頭にポンと手を乗せた。


「さっきのを見てたんだな。まあ、向こうは王子だし、俺達相手に横柄な態度でも許されると思っているんだろうが、それにしたって、入ってくるなり、この店の女主人を出せ。は無いだろう。チヨが最初に対応したんだが、留守にしているから、出直してほしいと伝えたのに、ならば帰ってくるまで待つと言い始めてな」

「そうなんだ。どんな用件なのか聞いても答えてくれないし、とにかくここに居ても仕方が無いから一旦外に出てほしいと頼んで出てもらったんだよ。っていうか、あの人王子様だったの? 兄さん、よく知っていてあの態度でいられたね。僕はまた、貴族なんだと思っていたよ。それでも無礼だと思ったからフォローしたけど、あれで大丈夫かな」


 何? フレドリック殿下は、おにぎりを買いに来たのではなく、私に会いに来たというの? それこそ何のために? 

 あ、もしかして、エヴァンの言っていた、私に興味を持ったというアレ?


「前に、あのエヴァンとかいう貴族が言っていただろう、王子がお前に興味を持ったってな。だからすぐに帰ってもらう事にしたんだ。つーか、あんな野郎に長居してほしくなかったしな。あいつだろ? 例の……」


 シンはそこまで言って、言葉を切った。すぐそこに何も知らないチヨが居たから。

 彼が言いたかったのは、元婚約者はあの男だろうという事。私は困った顔をして、コクンと頷いてそれに答えた。


「クソ、一発くらい殴ってやりたかった」

「もう、馬鹿な事言わないで!」


 私達の会話を黙って聞いていたチヨは、脱力するようにカウンター席の椅子に座った。


「あ……あはは、こんな所に、王子様って来るんですね。私、王子様とお話ししちゃいました」

「あー、そう言えば、そうだね。また来るって言っていたけど、本当に来るのかな」

 

 その答えは、十秒後。

 それは、カランというドアベルの音と共にやって来た。


「少し前に誰か入っていったようだが、店主が帰ってきたのではないか?」


 まさか、私が宿に入っていく所を馬車の後ろの窓から見ていたの? 油断したわ。もう少し待って、馬車が見えなくなってから入るんだった。一緒に乗っていた従者が見ていたのかしら。後ろを振り返らなければ、見る事なんてできないのに、そこまでするなんて誰も思わないでしょ。


「オーナーはまだ帰ってきていない。今来たのは、この泊り客だ」


 シンの対応は相手が王子だと分かっていても、いつも通り。裏方だから良いかと思っていたけれど、ある程度言葉使いを教えなくては駄目みたい。

 今の状態では、私は何も口を挟めないのよ。お願いだから、シンは黙って、タキに対応を任せてちょうだい。


 私はシンに目でそう訴え、クルリと殿下の方へ振り向いた。すると殿下は、耳を疑うような言葉を私に向かって発したのです。


「お前、どこの国の者だ? なんと美しい……」

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