74・報酬は、いりません
「お待ちください、旅のお方」
フードを深く被り、扉に手をかけた私は、教会の外に出る直前に神父様に呼び止められてしまった。イリナ様の回復に気を取られている隙に颯爽と立ち去るつもりだったけれど、それは流石に無理だったようだ。
私は振り返り、フードを少し上げて神父様の顔を見た。すると神父様は、少し困ったような顔をしていた。
「大変申し上げにくい事ですが、旅のヒーラーという事は、各地で癒しを施し、それで収入を得ていらっしゃるのではありませんか? しかし我々にあなたへの報酬を払えるだけの貯えは無く、だからといって、何もお礼をせずお帰ししてしまうのも心苦しく……ですのでその代わり、と言ってはなんですが、王都に滞在する間は何日でもこの教会にお泊りください」
ああ、報酬ね……そこまで考えていなかったわ。旅のヒーラーが、親切心で癒しをかけたとは考えてくれないようね。ここで報酬はいりません、なんて言ったら、変に思われてしまうかしら? 本当に旅をしているのなら、この申し出は嬉しいに決まっているけれど、私にはすぐ近くに帰る場所があるので、必要無いんです。
神父様の気が済むように、今晩だけなら泊まる事も出来るわ。でも、今は早く帰って皆に報告したい。
「ありがとうございます。しかし、今夜の宿はもう決まっているのです。神に仕える巫女様をお助けするのは当然の事だと思っていますので、どうぞお気遣い無く。そうだ、報酬はいりませんので、その代わり、私が巫女様を癒した事は、誰にも言わないと約束してください。ここでの評判を聞きつけて、我も我もと癒しを求めて来られても、私の体は一つしかありませんので。巫女様は病の原因から離れた事で快復した、という事にしてください」
「しかし、それでは……」
親切も、やりすぎると駄目ね。こうして逆に相手に気を使わせてしまうもの。
ここは神父様に声をかけられても、無視して外に出てしまうべきだったわ。
私は首を横に振って、お礼は不要であると意思表示した。
「これは……驚きました。人一人の命を救ったというのに、なんと欲の無いお方だ。分かりました。そうおっしゃるなら、その通りに致しましょう。イリナ様にも他言無用であるとお伝えいたします。確かに、少年の体力では、あれを何度もとはいかないでしょうな……」
少年? 神父様は、私を男の子だと認識しているの? チヨ達は中身が私だと分かっていたから、これを見ても女の子だと思ったのでしょうけど、そうよね、こんなに髪の短い女の子は居ないし、元々のこのキャラクターの喋り方まで真似してしまったから、それが更に男の子だと思わせてしまったようね。
ならば、その勘違いはそのままに。
「おお……そうだ、これを」
神父様は何を思い出したのか、服の下に隠れていた何かを襟元から引き出して外すと、それを私の手に握らせた。
「これは、とても力のある石です。私はもう十分この石に助けてもらいましたから、今日から、あなたがこれを持つと良い」
手の中を見ると、素人目にも分かるほど見事な黒曜石のペンダントだった。これはいわゆるパワーストーンという物だ。前世にも、そう呼ばれる物は色々あったけれど、この世界のそれは、本当に魔力に影響が出たり、霊力の強化などに使われる実用品である。
これだけ大きな石であれば、どれだけの効果が期待できるのだろうか。
フレッド様に頂いた守り石も、パワーストーンの一種だろう。
「い、頂けません……! これは神父様のお守りなのでしょう?」
「あなたはどうやら、その石を持つに値する人物だとお見受けしました。それは、かつてこの大陸の西の果てにあった、今は無きアルテミという小さな国の石で作られた守りのペンダントです」
アルテミですって!? それは私の曾祖母の祖国だわ。もしかして、この方もアルテミの出身者なのかしら? 神父様のご年齢なら、まだ国は存在していた事でしょう。
曾祖母の祖国であるアルテミは、魔力や霊力の強い者が多かったと聞いている。
そして数十年前、強い魔力と同時に霊力をも持った巫女が存在し、その巫女を奪わんとする他国との戦が始まった。しかし、その最中に起きた未曾有の天災により、小国アルテミは国土の殆どが水の底に沈んでしまったというのだ。
民は天災が起きる前に、神官の予言により避難を済ませていて、被害者こそ出なかったが、それによって民は戻る場所を無くし、避難先の国へそのまま移り住む事を余儀なくされてしまったそうだ。
曾祖母はその時に避難先としていた知人のいるアルフォードへ移り住み、当時はまだ王子であった曽祖父と出会い、大恋愛の末、結婚に至ったという事だ。
他国に狙われた巫女とは実際には誰の事だったのか、一説には神殿の奥深くで育てられた王族の姫君であると言われているが、それを知っていたのは神殿関係者でも極一部の者だけで、その関係者が天災から逃げ遅れて亡くなってしまった為に、正体は誰も知らないままなのである。
アルテミの巫女は、他の民と一緒に国外に逃げ延びたのか、神殿と共に水に沈んでしまったのか、それは今も謎のまま。
私が知っているのは、その巫女は私の曾祖母ではないという事だけ。曾祖母は私と同じく、魔力を持たない人だったのだから。
「尚更頂けません、お返しします」
この大きさの黒曜石というだけでも怯んでしまったのに、アルテミの石だと知ってしまったら、なおの事受け取る訳にはいかないわ。
こういう物は、自分の子供や孫に……。あ、そうか。神父様は結婚しないのだから、子供はいないのね。
「そうおっしゃらず、お受け取りください。私には後継者が居らず、この石の次の持ち主を誰にすれば争いが起きないか、考えていたところなのです。残念ながら、私の知る中には、該当する者はおりませんでした。あなたが一番の適任者なのです。きっとお役に立つ事でしょう」
ご高齢の神父様は、これが次に誰の手に渡るのか、見届けたいという事なのでしょうね。これは、素直に受け取る以外なさそうだわ。
「分かりました、これを報酬として頂きます。神父様に癒しを……。では、これにて失礼します」
私は神父様の手に触れて、体の不調よ消えろと念じた。
すると神父様は何かを感じ取った様子で目を見開き、ブルッと身震いした。
先ほど巫女様の快復していく様を見ていた時と同じように、神父様は驚愕の表情で私を見て、その後自分の体をしきりに確認し始めた。
「は……はは、素晴らしい、あなたは、本物のヒーラーだ。私の病や痛みまで一瞬にして癒してしまわれた。ありがとうございました。このこと、絶対に他言は致しません」
教会を出た私は、ここから直接宿には向かわずに、少し遠回りして町を巡ってから、人の流れに乗って自然に宿に入る事にした。
その途中、どこか見覚えのある後姿を見かけ、私はそれが誰であったか、ずっと考えながら歩いていた。
(ラナ様、どうしました?)
「ヴァイス……今あそこの角を曲がったブロンドの男性に見覚えがあるのだけど、誰だったのか思い出せなくて……」
(後を追いますか?)
「ちょっと待って、もう少しで思い出せそうなの」
ヴァイスと小声で話しながら、その男性が入った路地をチラと横目に見て通り過ぎようとすると、路地には誰も居らず、先ほどの男性の姿は既にそこには見当たらなかった。
もう居ないわ。誰だったのかしら? 随分歩くのが早いのね。それとも誰かに追われていたのかしら? あの背中は何度も見た事がある気がするのだけど。
そして宿に近付くと、絶対にこんな所に居るはずのない人がそこに立っていた。
「嘘でしょ……どうして? エヴァンが何か余計な情報を伝えたのかしら? まさか、あの時エヴァンが買っていったおにぎりって……」
(ラナ様、今度は知っている人ですか?)
「ええ、良く知っているわ。私の元、婚約者ですもの」
次話「ここはあなたの来る所でありません」




