6・家族の反応
両親に心配をかけたくない私は、乱れてしまった纏め髪を帰宅中の馬車の中で解き、手で梳かして身形を整えた。しかしよく見れば淡い色合いのドレスは思ったより汚れていて、手で払ったくらいでは綺麗にはならなかった。これでは何があったのか、説明しなくてはならないだろう。家族に会う前に着替えてしまわなければならない。
「あ、殿下の上着を着たままだったわ。どうやってお返ししたら良いのかしら」
ほとんどトンボ返りのように予定よりも早く帰って来た私に気がついた執事は、慌てて外へ迎えに出て来た。王子の上着を着ているし、出かける時と違う髪形である事に違和感を感じたのだろう、素早く全体を見てピクリと眉を振るわせた。
「お帰りなさいませ、エレインお嬢様。もしやパーティーで何かあったのですか? お召し物が汚れているようですが……着替えてすぐに戻られますか?」
「いいえ、もう戻らないわ。お父様とお母様はどこに居るのかしら? 至急お話ししなくてはならない事があるの」
「旦那様は書斎に居られます。奥様はエイミーお嬢様を寝かしつけていました」
「わかったわ、ありがとう。悪いけど、二人を居間に呼んでおいてくれるかしら? 私も着替えたらすぐ向うわ」
私は一先ず着替えの為に自室へと向かう。急いで階段を上がっていると、こんな時に限っておじい様と鉢合わせてしまった。おじい様は私の格好を見て不機嫌そうに目を細めた。
「何だそのみっともない格好は。まだ創立記念パーティーの最中だろう、殿下のパートナーとして隣にいるべきお前が、なぜそんな格好で帰ってきたのだ? 何か粗相をしたのではないだろうな。さっさと着替えて会場に戻れ!」
おじい様は質問しておいてその返事を待たずに階段を下りて行こうとした。
「おじい様、パーティーは中止です。お話ししなくてはならない事がございます、居間に来ていただけますか? とても大事なお話しです」
「もったいぶらずに今ここで言え」
「……ここでは話せません。着替えて参りますから、先に居間の方へ向っていて下さいませ」
私は軽く一礼して、おじい様の反応を待たず階段を上り部屋に向かう。
すると、兄が部屋を出て来たところだった。これからどこかへ遊びにでも行くのだろうか、マントを羽織り、私の方へ歩いて来た。
「ラナ、随分早いお帰りだな。退屈なパーティーを抜け出して来たのか?」
「ルークお兄様……あの、お出かけになるのでしたら中止して下さい。今日は出ない方がよろしいかと思います。お兄様には今ここで話しますが、私、殿下から婚約破棄されてしまいました。他に結婚したい女性がいると……」
「はあ? 向こうから無理やり婚約を申し込んで来たくせにか? ならばそのジャケットは誰の物だ? その装飾は王族の物だろう」
「これは、ウィルフレッド殿下にお借りしたのです。うっかり着たままで帰って来てしまいました」
兄は真顔になり、今度はじっくり私の全身を見た。何故か皆同じ所で目が止まる。赤いシミは殆ど上着で隠れているはずなのだけど。
「転んだのか? どうしてそんなに汚れているんだ」
「話せば長くなります。聞きたいのでしたらお父様達と一緒に居間で話をしますから、先に着替えさせて下さい。お母様にこんな姿見せたくないの」
兄は私の頭を優しく撫でて、居間に向かった。
私は急いで部屋に入り、側仕えに部屋着を用意させて着替え始めた。怪我した部分を確認してみると、膝の痣は綺麗に無くなっていたが、最初に倒された時に打ったお尻と肘が青痣になっていた。不思議なもので、今まで何も感じなかったのにそれを見た途端痛みを感じ始めた。
「お嬢様、どうなさったのですか? お尻に痣が出来ていますよ。ドレスも汚れていますし、もしや転んでしまったのですか?」
こんな時、この国の一般的な下着であるドロワースを穿いておけば良かったと後悔した。
私にはユルユルなアレは何だか何も穿いていない様に感じて馴染めなかったのだ。だから横を紐で結ぶタイプのショーツを自作して使用しているのだが、そのせいで痣になった部分が丸見えだ。
「まあ、そんなところよ。手伝ってくれてありがとう。このジャケット、ウィルフレッド殿下の物なの。汚れてしまっていたら、綺麗にしておいてくれる?」
「まあ、第一王子様の……それは責任重大ですね。承知しました」
心配そうに私を見る側仕え達に見送られて、断頭台にでも登る気持ちで溜息を吐いて居間へ向った。階段を下りて廊下を進むと、兄は中に入らずにドアの前で待っていてくれた。
「なんて顔をしているんだ。お前は何も悪く無いだろ、婚約者の居る分際でフレドリック殿下が浮気したのが悪いんだ。俺はラナの味方だし、父上も母上も、姉上達だって味方だという事を忘れるなよ」
「浮気ではなく、あの方は本気の恋をしているのよ。だから質が悪いの」
兄が開けてくれたドアをくぐり、コクリと唾を飲み込んで、父と母、そしておじい様に向って一礼した。
「お呼び出しして申し訳ございません。早急にお話ししなければならない事があります」
「随分早く帰って来たようだけれど、今日はお迎えも無く一人で会場に向ったようだし、もしかして殿下と何かあったのかしら?」
そう、いつもなら殿下は迎えにだけは来てくれていたのだ。そして会場入りするなり、当たり前の様に待っていたサンドラの元に行ってしまうというのがこの一年の彼らの行動パターンとなっていた。帰りはエヴァンだったりアーロンだったり、ヒューバートだったり。まるで当番制にでもなっているのかと聞きたくなる様なローテーションで義務的に送り届けられてきた。
「……はい、その通りです」
私は兄に促され、皆がくつろぐソファの前まで行った。それから兄が椅子に座るのを確認して姿勢を正し、深呼吸した。
「私、本日フレドリック殿下より婚約破棄を言い渡されました」
この言葉を聞いて父と母は目を丸くした。予想通りの反応だけれど、おじい様は意外にも無反応だった。
「なっ、何を言っているのだ? 向こうから無理に頼み込んでの婚約だったのだぞ! こちらは散々嫌だと断りを入れていたと言うのに、殿下は何を考えておいでなのだ」
「ラナ、あなたはそれを黙って受け入れて帰ってきてしまったの? 理由を聞いた?」
父も母も愕然として質問してくるのに対し、おじい様は杖を握り締め、黙って私を睨み付けてきた。今何を考えているのか、多分それで私を叩くつもりなのでしょう、だからこそ兄はおじい様から一番離れた場所に私を誘導してくれたのです。
「殿下は、サンドラという少女と相思相愛となり、たとえ平民に落とされようとも、彼女と結婚したいと考えておいでなのです」
「サンドラ? あの偽聖女の事か? あれは平民だろう、ハハ、まさか、王子が平民になって暮らしていけるとでも本気で考えているのか? 生まれたときから宮殿で贅沢な暮らしをしてきた方に、自分のバスルームよりも狭い部屋に住み、身の回りの世話をする側仕えも侍従も居ない質素な暮らしが出来るわけが無い。第一収入をどこから得るつもりなのだ、元王子など誰も使ってはくれまいよ。まったく考えが甘いな。馬鹿馬鹿しい、今は恋の熱に浮かされて周りが見えなくなっているだけだ。すぐに気持ちが変わって発言を撤回してくるだろう」
「それは、絶対にありえません。何故なら……パーティー会場のど真ん中で大勢の生徒や来賓の方々が見守る中、大々的に宣言したのですから。おそらく、あの後お開きになったパーティーから帰宅した皆さんは、家の方達にその事を報告している事でしょう。それに、私が会場を出ようとしたところでウィルフレッド殿下とお会いしました。殿下はその事を聞いて大変お怒りになり、すぐに陛下に報告すると仰っておいででした。今頃国王陛下の耳にも届いていると思います」
父はそれを聞いて頭を抱え、母は私を心配そうに見つめた。ずっと黙って聞いているのかと思えば、そこでおじい様は私があえて説明を省いたドレスの件を尋ねて来た。
「お前は、それでいつドレスを台無しにされ、綺麗に結って行ったはずの髪を解いて帰らなければならん状況になったのだ? 説明不足だな、我々にわかるように順を追って全て話しなさい」
母は首を傾げ、何かに気付きハッとした。帰宅したばかりの私が、わざわざ着替えてここに来ているという違和感。それは父も同様で、スッと立ち上がり、私の方へ歩いて来たかと思うと肘のあたりをつかまれた。
「聖女を信じている者達に襲われたのではないか? まさか暴行を受けたのか?」
痣になっているところを触られて、ビクッと体が跳ねてしまった。父は私の腕を持ち上げたかと思えば袖をグイッと捲り、痣になった肘を露にした。
「何だこれは? 他にもこんな痣があるのではないだろうな。ルーク、この子の着替えを手伝った者をここに呼べ! 今すぐだ!」