5・貴重な体験
ヒューバートは困った顔をして私とウィルフレッドを交互に見て、パーティーで何があったのか説明しようとした。
しかし、彼が言葉を発すると同時に、先ほどウィルフレッドがパーティー会場に向わせた従者が学園専属の医師を連れ、緊迫した様子で戻って来た為、発言は遮られてしまった。従者と医師の尋常でない慌てようから、会場内が異様な状況なのだという事が伝わってきた。
「殿下! 大変でございます。中は創立記念パーティーどころではございません。至急宮殿に戻りましょう。陛下にご報告して、フレドリック殿下に厳罰を与えて頂かなくてはなりません!」
普段は穏やかで、いつでも分をわきまえた態度を崩さない男が、王太子に対してこれほど怒りを露にするとは、何か余程肝に据えかねた事があったのだろう。そう思い、ウィルフレッドは中で何が起きているのか説明させた。
「ヴィレム、あいつが何をしでかしたのか話せ」
「は! フレドリック殿下は、パーティー会場の真ん中でエレイン様を突き飛ばし、公衆の面前で婚約破棄すると宣言なさったそうです。今見たところ、傍らには例の偽聖女が寄り添っていました。さらに呆れた事に、あの女性と結婚すると公言したそうです」
なんと驚いた事に、このヴィレムと言う従者はサンドラの事を偽聖女と呼んだ。疑いの声をあげる者はいても、本物が現れるまでは彼女を偽物だとは言いきれず、おおっぴらにそう呼ぶ者は居ない。
ウィルフレッドは目を細め、ヒューバートを睨み付けると、そのまま視線を逸らさずにヴィレムに続きを話すよう言った。
「で、他にも何かあるのか?」
ヴィレムは一度ヒューバートに冷ややかな視線を向けて、主に促されるままに報告を続けた。
「はい、騎士団のフィンドレイ隊長のご子息がエレイン様の頭を押さえつけ、床に押し付け罵倒したとも。そこにいるヒューバート様は、もしやエレイン様を連れ戻しに来たのですか? エレイン様なくしてあなたの主は王太子の座を保てない。今、あの会場内ではフレドリック殿下と偽聖女とで、エレイン様を悪者にし、婚約破棄もやむなしという雰囲気にしようと演説じみた事をしています。その上で、慈悲深い自分たちはエレイン様を許し、王妃に据えてやるとめちゃくちゃな事を言っていました。あの場に居た女生徒達はエレイン様の味方なのですね。誰も耳を貸してはいませんでしたし、あなたを心配する声があちこちから聞こえておりましたよ。それに、あの偽聖女をいじめていたと、ありもしない嫌がらせの数々を並べ立てて責められたそうですね。お可哀想に。殿下、これを如何しますか?」
ウィルフレッドは奥歯をギリッと鳴らし、突然馬車を飛び出してヒューバートの胸ぐらを掴んだ。そして足が浮きそうなほど持ち上げて、彼の耳元で何かを低く呟き、力任せに地面に叩き付けた。倒れた彼からはゴッと鈍い音がしたが、ふらつきながらも立ち上がり、ウィルフレッドの方へ向き直した。それから改めて王子の前に跪き、忠誠を誓う騎士の様に胸に手を当てた。ヒューバートは右の額から頬にかけて擦り傷ができており、目の辺りも強くぶつけたらしい。片目が開けないようだった。
「殿下! 申し訳ございません。私の力が及ばずに、このような事態に」
「お前はあいつの側に居て、何も手を打たなかったのか?」
ウィルフレッドの問いかけに、ヒューバートは真摯に答えた。
「フレドリック殿下はサンドラを聖女だと信じて傾倒してしまったのです。他の二人もそれに続きました。偽物疑惑が出ても既に彼女の虜になっていて、私の助言など耳に届きませんでした! フレドリック殿下は王太子を降りてでもサンドラと添い遂げたいと申しており、それほどまでに想うのならばと……最近では周りの者達も二人を応援するような風潮になっておりました。それが更にサンドラを増長させる結果に。彼女はエレイン様から嫌がらせを受けたと言って、自分で汚したドレスを殿下に見せ、何着も新しいドレスを買わせていました。私はエレイン様は一つも関与していないと思っております。ですがこれを機に、このままフレドリック殿下に王太子を降りて頂こうなどと浅はかな考えを持ってしまいました! まさか、ここまで愚かな行動に出るとは予想もしなかったのです。エレイン様のお立場を考えもせず、今回の件を利用するようなマネをしてしまい、大変申し訳ございませんでした!」
ガタガタと震えながらウィルフレッドに謝罪するが、冷たく見下ろされるだけだった。
「あいつの仲間は、エヴァンと、お前と、他は誰だ?」
「宰相閣下の三男で、アーロンです。普段他にもたくさん引き連れてはいますが、他の者はただの取り巻きです」
「ふん、ダニアスの弟か、付く相手を間違えたな。お前は、今すぐ会場に戻ってフレドリックと仲間の馬鹿者達を王宮に連れて来い。ヒューバート、お前は我が叔父上の力であいつに取られてしまったが、元は俺の側近だ。俺への忠誠が変わらないというところを見せてみよ」
「承知しました。我が主は今も変わらずウィルフレッド殿下でございます」
ヒューバートは胸の前で両手をクロスさせ頭を下げた。そしてふら付きながらも立ち上がり、会場に向けて歩き始めた。片目ではバランスが取りにくいのだろう、フラフラしながら中へ入って行った。
ウィルフレッドはヒューバートが中に入るのを確認すると踵を返し、馬車に戻ると、気まずそうに指示を待っていた医師に私の足を見せ診断をさせた。診断結果は予想通り、足首の骨折。
「やはりな、では治癒をかけるぞ。足首の他は痛めたところは無いのか?」
彼はそう言って着ていた上着を脱いで私に着せてくれた。汚れた部分が隠れる様にきっちり前を閉じ、私の前に跪くと、スカートを遠慮無く捲り、患部に治癒魔法をかけ始めた。ズキズキと痛んでいた足首がぽっと温かくなり、痛みは徐々に無くなっていった。
「よくこの状態で歩いたな、大したものだ」
この時代に治癒魔法を使える者は希少で、残念ながら第二王子フレドリックには使えなかった。これだけでもいかに第一王子ウィルフレッドの方が優秀であるか窺い知る事が出来る。
ほんの数日違いで生まれた二人の王子は、別々の学校に通っている。勉学でも剣の腕前でも第一王子の方が秀でていた為に、王太子である弟の方が見劣りしてしまう事を恐れ、同じ学校には通わせてもらえなかったのだ。
そんな感じで私とも学校が別で特に親しいわけでもない王子から、他に痛めたところは無いかと聞かれても、図々しく実は膝も痛いですとは言えなかった。
治癒魔法は1度使うだけでかなり体力を消耗すると本で読んだ事があるのに、これ以上甘えてはいけないと思ったのだ。
「……ヒューバート様はウィルフレッド殿下の元側近だったのですね。あの方達の中に居て、彼だけは私の味方になってくれていました。ですから、どうか彼の事を許してあげて下さい」
「お前は……あいつの事よりも自分の心配をしたらどうだ? まったく、呆れる程のお人よしだな。それはそうと、何故今、話を逸らした? さては、まだ他にも怪我をしているな。素直に言え。俺が一緒に居るうちに治した方が後が楽だぞ?」
殿下が親切心から言ってくれているとは分かっているけど、殿下の体が心配だし、膝を晒すのもちょっと抵抗があるのです。でも膝が痛いと言ったら、逆に殿下の方が怯むかもしれない。まさかスカートを膝上まで捲ったりしないでしょう。
「あの、膝を……」
ほら、やっぱり。膝と聞いて目が泳ぎましたね。でももう歩ける様にしていただきましたから、十分助かりました。ここは御礼を言って早急に帰らせていただきましょう。
「殿下、ご親切にしていただき……」
「よし分かった、膝だな。少々不快かもしれんが、騒ぐなよ」
ウィルフレッドは何を考えたのか、スカートを捲り上げるのではなく、両手をスカートの裾から滑り込ませた。
「あ! で、殿下、何て事を……」
患部に直接触れないと治癒魔法がかけられないのは知っているが、その手はふくらはぎを撫でるように伝い、膝小僧を大きな手の平で包み込んだ。
私はまさかという思いで思わず叫んでいた。
「いやっ、エッチ! 何するんですか!」
「黙っていろ。もう終わる」
治癒魔法をかけられポッと膝が温かく感じたと思えば、殿下は両手をスッと引き抜き、私の顔を不思議そうに見た。
「ところでエッチとはどんな意味だ?」
「あ……」
私は思わず日本語でエッチと叫んでしまったようです。単語の意味を説明したところで、どこの国の言葉か聞かれたら答える事が出来ない。とりあえず、この場は誤魔化す事にした。
「別に、意味はありません。驚いて咄嗟に出てしまっただけです。それよりも、魔法をかけて治して頂いた事には大変感謝しますが、スカートに手を入れるだなんて、非常識です」
「では、太ももが見えるほど裾を捲り上げた方が良かったと言うのか? それこそ怒り出すだろうが。腹が立つなら俺の頬を打て。こんな時、女性は頬を叩くだろう? いいぞ、ホラ」
殿下は頬を差し出してきますが、王族に手を上げるなんて事、どんな事情があるにせよ出来るわけがありません。私は溜息をつき、叩く代わりに優しくそっと殿下の頬に触れ、微笑んで感謝の言葉を述べました。
「ウィルフレッド殿下、助けて頂きありがとうございました。あの状態では、きっと数ヶ月は歩く事もままなりませんでした。心から感謝しております。私はフレドリック殿下との婚約破棄の件を伝える為に、急ぎ屋敷に戻らなければなりませんので、これにて失礼致します」
馬車を降りた私は、近くで待機していたノリス公爵家の馬車に乗り、屋敷に帰った。
おじい様は婚約者を繋ぎ止める事もできなかった私を許さないだろう。最近は無かったけれど、またあの杖で叩かれて罵られるのだと思うと、気が重い。
「殿下、我々も王宮に急ぎ戻りましょう。殿下? どうかなさいましたか? お顔が少々赤いようですが……」
ウィルフレッドは床に跪いたまま、呆然としてエレインの座っていた座席を見つめていた。ヴィレムの問い掛けにハッとしたかと思えば、咳払いをして何事も無かったかのように座席に座り、医師にエレインの怪我の診断書を持って来るよう伝えると、今度は従者に向けて馬車を出すよう顎で示した。