49・シャイなシンと、鈍いラナ
「じゃあ、行ってくるわ。私が戻るまで、お願いね、チヨ」
「はい、いってらっしゃい! 宿の事ならお任せ下さい。シン、ラナさんの事、頼みますよ」
「ああ、わかってる」
私が先に宿のドアを出たところで、チヨはシンにササッと近付き、何かコソコソと耳打ちしていた。私には聞こえなかったけれど、シンはそれに凄い反応を示した。
「二人についていきたそうだったタキも帰った事ですしー、半日ラナさんを独占できますね。くふふふ、多少帰りが遅くなっても良いですよ。二人っきりのデート、楽しんできて下さい」
「なっ、何言ってんだお前は! このマセガキ!」
「あイタ!」
チヨは一体何を言ってシンを怒らせたのか、少し耳が赤くなった彼から、結構な力で頭にチョップを食らっていた。この二人、本当に仲が良くて、まるで本物の兄妹みたいね。
何だか、無性にルークお兄様に会いたくなってしまったわ。
食堂はランチタイムをいつもより一時間短縮して閉店し、当番で残るチヨ以外は、今日は半日お休みだ。私は朝頼んだ通りシンに同行してもらい、花や観葉植物を買いに行く。
まずは、ケビンの働いている花農家に向かう事にした。
「その、ケビンてヤツが働いてる場所は知ってるのか?」
「ううん、お昼に彼がおにぎりを買いに来た時に、道案内をお願いしてあるの。宿からはそんなに離れていないらしいわ。中央広場で待ち合わせしているから、まずはそこへ向いましょう」
「手回しが良いな。どこが二人きりだよ……」
「ん? 何か言った?」
中央広場まで続く通りは賑わっていて、シンは何か言ったみたいだけど、周りの音が騒がしくて良く聞こえなかった。
声が小さかったし、独り言だったのかしら。
「いや、別に。花農家なんて、この辺りにあったか……? で、どんな花を買うつもりなんだ?」
「そうそう、それなんだけど、折角シンが一緒に来てくれた事だし、あなたに選んでほしいの。また妖精さんがくっついてる花を見つけたら、私に教えてくれない?」
シンの表情が固まり、見る見る耳が赤くなった。
あ、そこは知らない振りをするべきだったかしら? 「また」は余計だったわ……。
私はシンのその気遣いがとても嬉しかったし、素敵だと思ったのだけど、シンはコッソリやってくれた事だものね。私が妖精付きの花をシンが選んでくれた事に気付いてしまったのは、もしかして彼にとっては不本意だった?
「え……っと、シンには妖精の光る玉が見えているのよね? だから、あの……」
「ああ、わかった。あー、クソ、ガラにも無い事するんじゃなかった」
照れて赤くなってしまった顔を見られたくないのか、シンは並んで歩く私からその顔が見えないように、手で壁を作って隠してしまった。
でもね、そんな事しても赤くなった耳は見えているの。
ああもう、私ったらなんて気が利かないのかしら? 恥ずかしい思いをさせたいわけじゃなかったのに。男性の心理をもっと勉強しなくちゃ駄目ね。
「あのね、シン。あなたはいつも、さり気なく気遣ってくれるでしょ? それがとても嬉しいし、素敵だと思うの。そんなに恥ずかしがる事ではないと思うわ」
「……誰にでもってわけじゃねーけどな」
シンは顔を隠していた手を下ろして、意味ありげな言葉を呟きながら私に視線を向けた。
その視線を受けて私が思わず立ち止まり、シンと視線が絡み合ったその時、中央広場で待ち合わせていたケビンの声が聞こえて来た。
「ラナさーん!」
「あ、ケビンだわ。大分待たせてしまったかしら。シン、行きましょ」
なんだか一瞬妙な雰囲気にならなかった? ケビンが声をかけてくれなかったら、どうなっていたかしら。
私を見るシンの目がいつに無く真剣で、思わずドキッとしてしまったじゃない。彼は私の事だけを気遣っていると言ったわけじゃないのに、勘違いしそうになったわ。
現にチヨやタキにだって、彼は優しいもの。今のは、きっとそう言う意味でしょ。
なのに、この胸のドキドキはどうしちゃったのよ。もう、早く静まって。シンに変に思われてしまうわ。
「ケビン、待った?」
「いや、さっき着いたばかりだ。親方にもちゃんと話はつけてあるから、早く行こうぜ。荷馬車も借りてきたから、歩かなくても大丈夫だぜ」
ケビンの案内で、普段なら行かない地区に向って荷馬車は動き出した。するとシンは、何だか眉間にシワを寄せてちょっと怖い顔になっていた。
「シン、どうかした?」
「ん? お前、この先がどんな場所か知らないのか? この地区に花農家が出来るような土地は無いのに、変だと思ったんだ」
どういう意味? 私はノリスのお屋敷の周辺と、エヴァンの家のある辺りの事しか知らないわ。と言っても、エヴァンの家に行く時はいつも馬車での移動だったし、今までわざわざ地図で確認した事も無いから、その位置は良く分かっていないのだけど。
公爵家の令嬢だった時は、どこに行くにも馬車での移動で、行き先を言えば御者がどこにでも連れて行ってくれたから、どの地区に何があるかなんて、あまり意識した事が無かったわ。
もしかして、この先にあるのは貴族のお屋敷なの?
「ケビン、あなたの働いているのは、花農家ではないの?」
「えー、農家じゃないよ。あれ? でも、花を育てて売ってるんだから、そうなのか?」
「この川の向こう側は、金持ちや貴族の屋敷が建ち並ぶ地域だろう。この地区は平民の生活の場ではあるが、一部、川を挟んで平民と貴族が住み分けている特殊な地区でもある。それはこの辺りに住む者なら誰でも知っている。オーナー、降りるぞ。この先は駄目だ。ケビン、馬車を止めろ」
シンの言葉に従って、ケビンは橋の手前で馬車を止めてしまった。川の向こうはこちら側と特に変わらない景色で、三階から四階建ての建物が壁の様に建ち並び、川沿いはどちらも綺麗に整備され、素敵な並木道になっている。
では、この向こうは領地を持つ貴族の社交シーズン用のタウンハウスという事なの? 窓から見える人影は、とても貴族では無さそうだけど。シーズンまでは管理人が常駐しているのかしら。
「オーナー、俺もこの先には行った事は無いが、そこに見えてるような建物の、そのさらに向こう側には、広い庭付きの屋敷が立ち並んでいるらしい。そうだろ、ケビン?」
「うん、そうだけど……関係ないよ。庭師の親方と二人で、旦那様の許可を貰って、使ってない庭で育てた花を、毎日宿の近くの市場に卸してるんだ。ラナさんを連れて行くのが貴族の屋敷だって言えば、きっと怖がるだろうと思って黙ってたけど、うちの旦那様は優しいから来ても大丈夫だよ。奥様なんて、花は売り物じゃないやつでも、気に入ったのがあれば持って行って良いって、許可までくれたんだぜ?」
貴族の屋敷って……なるべく関わらないように避けてきたのに、自分からそこに飛び込むのは躊躇するわ。だけど、ケビンを通して、うちとどんな繋がりがあるのか知っておくべきよね。誰のお屋敷なのかだけでも、聞いておこうかしら?
「そのお屋敷は、どなたのものなの?」




