39・彼女はどこに
ノリス公爵家のじい様と、ウィルフレッドのお話です。
「ウィルフレッド殿下、お久しぶりでございます。わざわざ休日にこのような老人に会いに来るとは、何と物好きな。本日はどのようなお話ですかな? たしか殿下が私に会いに来るのは、あれ以来ですな」
今日こそは彼女の祖父に直接会い、ラナの居場所を聞き出そうと、俺はノリス公爵の屋敷を再度訪れた。前回来た時は、ラナの兄と話をしたが、彼からは妹の事はそっとしておいて欲しいと言われ、居場所は誰にも教える事は出来ないと追い返されてしまった。
この家を牛耳るこの老人こそが、彼女を修道院に入れた張本人なのだ。
そして実際の所、俺の調べでは彼女は修道院には入っていない。
最後にリアムが行った修道院に、エレインという名の女性が入ったばかりらしいという報告を聞き、見に行ったが、それはまったくの別人で、どの修道院にも彼女は居ないという事がこれではっきりした。
そもそもが修道院に入る必要も無いのだから、当然と言えば当然なのだが。彼女の祖父ならやりかねないという不安から、可能性を捨て切れなかった。
真に受けて探してしまったが、どうやら世間から隔離するためにそういう事にしただけだったようだ。
この老人は、あの馬鹿の起こした婚約破棄事件のせいで、孫娘が意地の悪い貴族達の噂の種にされる事を予測して、社交界から遠ざけるためにこの家から逃がしたのだとも考えられる。
しかし、これは俺の憶測でしかない。
話に聞く通り、孫に対して厳しいという一面も確かにあるのだろうが、あの天真爛漫なお転婆娘を、今現在皆が知る様な、控えめで大人しい令嬢に育て上げるには、相当な根気と愛情を持たなければ無理だと思われる。
だからもしかしたら、どこかの片田舎で情報を遮断した生活をさせているのではないかと考えた。
その後の社交界では、彼女の事で面白おかしく噂が広まり、あのエヴァンとは深い関係であったなどという醜聞まで出回る始末だ。ノリス公爵家がまったく動じず、毅然とした態度でその噂を一蹴しているおかげで、彼女の噂もかなり勢いが衰えて来たが、その話をしている者に、誰から聞いたのか尋ねて出所を辿っていくと、面白い事がわかって来た。
「ああ、だが、俺が何をしにここへ来たのか、分かっているだろう?」
「はて? 何でしょうな……おお、そう言えば。誰か、急いであの子の部屋にあれを取りに行ってくれ」
ドア前で待機していたメイドが、主の言葉を聞き、一礼して応接室を出て行った。
あの子の部屋とは、ラナの部屋という事か? 何を持ってこさせようというのだ。
「本来ならば、こちらが宮殿までお届けに上がらねばならない所ですが、なにぶん今はどこかの誰かのお陰で、我が家は肩身の狭い思いをしておりまして」
そんな事を言っているが、この家の者達が噂に対して反論も抗議もしない事が、逆に怖いと言われているではないか。確かに、騒ぎ立てれば、それが真実だからだと馬鹿な事を口走るヤツが出てきて鬱陶しいが。
この家の対応のお陰で、噂の出所であるあの学園では、反撃を恐れて口を噤む者も増えたと聞く。そのうち誰もラナの話などしなくなるだろう。
「ああ、持って来たか。それを殿下の従者にお渡ししなさい」
戻って来たメイドは、白いジャケットを従者に手渡した。それは、あのパーティーの日にラナのドレスの汚れを隠すために、俺が着せてやったものだった。
「それは、俺がラナ……エレインに貸したものではないか?」
「返すのが遅くなり、大変失礼しました。すぐにお返ししたかったのですが、裏にワインのシミが付いておりましたので、落とすのに手間取ってしまいました。あの子を気遣って下さり、ありがとうございました」
俺はそのジャケットを見て、あの日の哀れなラナの姿を思い出した。
彼女を見つけ出し、この老人から受けた理不尽な仕打ちから早く助け出してやらねばという思いが、更に強まってしまった。
「それを取り返しに来たのではない。そのジャケットを貸したエレインは今どこにいる? 国内にある修道院は全て確認したが、彼女の姿はどこにも無かった。アルフォードに渡ったかとも思ったが、国外に出た形跡も無い」
「……今更あの子に何の用があるというのですか。殿下は私からの提案を蹴って、完全に縁を断ち切ると仰せだったはずですが?」
俺に向って眼光鋭く睨みつけてくるが、こちらも負けては居られない。
「違う。あれはそちらが申し出た事だろう。婚約を白紙にするというなら、記憶を封じ、関わりを絶てと……」
「ほお……自分に都合のいいように記憶を改ざんしましたか……。殿下はあの日、婚約を白紙にしてラナの記憶を消したいと言いに来たのですよ。私はそんな極端な事をしなくても、大人になるまで交流を断って婚約の事実を隠しておく事を勧めたはずです」
「確かにいくつか提案された気はするが……」
十年前、俺達はここでどんな会話を交わしていた? 毒殺未遂のショックで居てもたってもいられずここへ来たが、病み上がりで無理をしたせいか。
確かあの日は――
「ウィルフレッド殿下、お体が回復されたようで私も安堵いたしました。しかしわざわざいらっしゃったという事は、何か私に相談事でも?」
「ノリス卿。ラナを危険に晒したくないのだ。だから婚約を白紙に戻してあの子から俺の記憶を消したいと思っている。今日はその許可をもらいに来た」
「随分と極端な……。我がノリス公爵家の警護ではあの子を守れないと仰りたいのですか?」
「そうだ。王宮で暮らす俺ですら毒を盛られたのだ。絶対守れるという保証は無い」
「お待ちください。二人の繋がりを知られたくないのでしたら、大人になるまで婚約を秘密にし、交流を断てば良い話です」
父上にも同じ事を言われた。
でもきっと会わない間にラナの気持ちが俺から離れていく。そんなの見たくない。そうなるくらいなら、一度記憶を消して出会いからやり直したいんだ。
楽しい思い出は俺が覚えていれば十分だし、出会いからやり直した時にまた同じ事をすればいい。そうすればラナを悲しませずに済む。
「大人になるまで俺に会えないと知れば、ラナが悲しむだろう。少しも悲しませたくないんだ。今の俺ではあの子を守れない。だったら全部無かった事にした方が良いんだ」
「なぜそこまで記憶を消す事にこだわるのか……。殿下はもしや、あの子の心が離れてしまうのが怖いのでは?」
「なっ……そんな事は無い! 俺はラナを信じている」
図星を突かれてムキになってしまった。
「……殿下、あの子の事は我々が守りますし、婚約が調った暁にはノリス公爵家は殿下の後ろ盾となります。どの派閥にも属さない我々が殿下に着けば、徐々に味方も増えましょう。焦ってはいけません」
「自分の事すらままならないのに、婚約など早すぎたのだ。味方が大勢つくまでは……」
ノリス卿は根気よく俺の説得を試みたが、何を言われても頑なに意思を曲げない俺に辟易し、遂に折れた。
「わかりました。では婚約を白紙に戻しましょう。その代わり、今後一切あの子との関わりを断っていただきます。記憶を消して後悔はしないですね?」
「ああ、もちろんだ」
そして保護者の了承を得た俺は数日後、実行に移したのだ――。
「そちらに連絡はしませんでしたが、魔法による記憶封じは、なぜか失敗に終わりました」
「何?! そんなはずは無い! 魔道師の指示で最近まで髪を黒く染めてはいたが、彼女は俺を見ても何の反応も示さなかったぞ」
ラナの祖父は大きな溜息を吐いて、俺に当時の事を説明し始めた。
「あの後、数日で記憶が戻ってしまったのです。殿下に会いに行くと言って聞かないあの子に、事情があって婚約は取り消され、会う事も出来なくなったと説明しましたが、泣き叫び、大人でも手が付けられないほどに暴れ、眠る事も食べる事も拒絶して、三日目の朝、あの子は何を思ったのか鏡に映った自分に暗示をかけ、自ら記憶を封じ込めました」
「……!」
「それ以来性格も大人しくなり、あの子はすっかり変わってしまった。あなたを恨んではいません。当時を思えば、婚約を続ける事は、あの子にとって危険でしかなかった。友人であり続ける事も同じだったでしょう。王弟殿下は二人の仲を知らずとも、あなたを追い落とす切り札としてあの子に目を付けた。お互いに想い合っていると知れば、どんな扱いをされたか分かりません」
何て事だ。自分だけが辛いと思っていたが、彼女は知ってしまったのだ。嬉しそうに婚約が決まったと言って俺の元に駆けて来たあの日の彼女の笑顔が、何度も繰り返し思い出される。
子供だった俺は、両思いだと舞い上がり、婚約を焦ってしまった。
「……では、魔法では無いというなら、何かの拍子に記憶が戻る事もありえる、と言う事か?」
「それはどうかわかりません。あの子は自分の性格が変わってしまうほど、強く暗示をかけてしまったようです」
「頼む、彼女の居場所を教えてくれないか」
「あの子は今、本来の自分に戻りつつあるのです。余計なしがらみから解放されて、毎日幸せそうに暮らしております。身辺警護もぬかりはありません。どうかそっとしておいてください」
「……!」
「もしも、偶然あの子を見つける事があるとすれば、それは殿下とあの子に縁があったという事かもしれない。その先はあなたの努力次第です。私からは、何も教える気はございません」
国内に居て、幸せそうに暮らしているという。ならば、俺は身を引くしかないだろう。
「わかった。突然の訪問に快く応じてくれて、感謝する。たとえ王都内に彼女が居るとしても、人口を考えれば偶然会う確率は果てしなく低い。やはり俺達は、縁が無かったと言う事か。邪魔をしたな」
ノリス公爵家を出た俺は、王宮には戻らず、もう一人のラナの居る宿に、久しぶりに顔を出す事にした。あそこで美味い飯を腹いっぱい食べれば、この落ち込んだ気分も浮上するだろう。
今は、ラナが幸せだと分かっただけで十分だ。