37・タキの秘密
タキと私は洗い場に並び、タキが洗って私がそれを拭くという流れ作業で、すぐに洗い物は終了した。
「こんなの、一人でも良かったわね。行きましょうか」
私が食器を棚に仕舞って部屋に戻ろうとすると、タキは何も言わず私の手を取って引き止めた。
「……どうしたの?」
「手首を冷やそう。その痣がいつまでも残っているのは嫌だろ?」
「あっ……そうね」
タキは午前中に付けてくれたバンダナをスルスルと解き、私の手首を手の平で挟む様にして包み込んだ。
洗い物をした後の彼の手は冷たくて、もしかして、それで冷やすという冗談なのかと思ってくすくす笑っていると、以前経験した、あの感覚を思い出す現象が起きた。
「タキ……あなた魔力持ちだったの? それも、治癒魔法が使えるだなんて……」
私の手首はポッと一瞬温かくなり、タキが上に重ねていた方の手を離すと、痣は綺麗に消えていた。驚いて彼の顔を見上げると、少しホッとしたように私に微笑みかけ、そして首を傾げた。
「あれ? 治ったところを見る前だったのに、よく治癒魔法だって気付いたね。かけられた事があるの?」
「え、あ……ええ、あるわ。でもこんな事をして、あなたの体は大丈夫なの?」
「うん、思ったより体に負荷がかからなかった。ラナさんのご飯を食べたばかりだからかな、全然大丈夫だよ」
タキはニッコリ笑って私の手を離し、もう一度バンダナを巻き直した。
「急に治っていたら、チヨちゃんに変に思われるかもしれないから、今日はこのままでいよう。この事は内緒だよ。兄さんには帰ってから魔力が戻ったと教える事にする。まさか体の回復だけじゃなくて、魔力まで戻るなんて思ってなかったよ。さっきこれを外しているうちに、何となく出来る様な気がして、試しにやってみたんだ」
「シンはあなたが治癒魔法を使える事、知っているの?」
「勿論知ってるよ。と言っても、使えるようになって一年もしない内に、僕があの状態になってしまったから、兄さんも魔力は無くなったと思ってるだろうね」
こんなに身近なところに治癒魔法を使える人がいても、シンはそれがどんなものか、あまりよく知らなかったものね。平民には、魔法の知識を得る場が無いのだから、仕方がないのかもしれないけれど。
あの時私に魔力があるとしつこく迫ったのは、何か理由があったのかしら。面白がってるなんて考えてしまったけど、きっとそうじゃなかったのね。
「シンは平民の中にも、魔力を持った人は居ると言っていたけど、あなたの事だったのね。私に治癒魔法が使えるんじゃないかって詰め寄って来た事があって。あまり現実的ではないし、どうしてそんな事を言うのか不思議だったの」
「ああ、それはきっと、魔力を持つ仲間が欲しかったから、だと思う。僕らには、魔法に関しての情報交換ができる相手がいないから。それに、無自覚のままでいると、不意に人前で魔法を使ってしまう危険性があるしね。僕らの両親にはどちらも魔力があって、その危険性について話してくれたんだ。それを思い出して、もしそうだったら、忠告しようと思ったんじゃないかな。まあ、ラナさんの力は魔法じゃないと思うから、抑えることは出来ないけどね」
今、凄い事実をサラッと言ったわね。両親共に魔力持ちですって? もしかして、想像以上に市井には隠れ魔法使いが潜伏しているというの? それとも、彼らは元は貴族で、どこかの国からの移民なのかしら? 気になるけど、もしも私の様に素性を隠しているなら、下手に聞かない方が良いのかもしれない。
「魔法の使い方は、ご両親から教わったの?」
「うん、でもちゃんと教えてもらう前に、二人共亡くなってしまったから、実は良くわかってない。とりあえず、僕の持つ魔力はどの魔法の適性にも当てはまらないモノだったし、危険だから体が成長するまで絶対使うなって言われていたんだ」
「もしかして、好奇心で治癒魔法を試した?」
「いいや、母さんが包丁で指を切ってしまったときに、ポタポタと血が止まらないのを見て僕が手で押さえたら、まだ教わってもいないのに、何故か魔法が使えてしまったんだよ。当時は体が小さくて、それに耐えられるだけの体力も無くて、数日寝込んでしまってね。あの時はすごく叱られたな……危険だっていう意味を、体で思い知る事になったよ」
子供の体で治癒魔法を使うだなんて、余程魔力が豊富じゃない限り、自殺行為だわ。普通魔力を持つ貴族の子供は、力を使えない様に制御ピアスやイヤーカフをして、学校できちんと学ぶまで力を封印されるものだけど、平民でそんなものを身につけていたら、魔力持ちだとすぐにバレてしまうものね。
ご両親も、どうしたら魔法として発動してしまうのかを教えた上で、絶対使うなと言い含めるくらいしか出来なかったのね。
「じゃあ、それ以来使った事は無かったのね。一か八かで私に使うなんて、あなたに何かあったらどうする気なの?」
それでなくてもタキはちょっと前まで死にそうなくらい弱っていたのだから、見た目通りに全てが回復しているかなんて、わからないじゃない。
私は彼の体が心配で、少し責めるような口調になってしまった。
「体も成長したし、大丈夫だって思ったからだよ。それよりも、あの男の形跡を早く消し去りたいって気持ちの方が大きかったから……。君の性格を考えたら、一言断ってからやるべきだったかな。だけど、治すと言っておいて魔法が使えなかったら、それもちょっと恥ずかしいよね」
タキは怒りを滲ませてエヴァンの事を言った後、その空気を和ませるように最後はおどけてニッコリ笑った。
あの時、シンは分かりやすく怒りを露にしたけれど、タキも静かに怒っていたものね。
駄目ね、私。こんな時は素直に、治してくれてありがとう、と言うべきよね。
「治してくれてありがとう、タキ」
「うん、もうあの男が現れない事を祈るよ。君に似た女性に執着しているようだし、今後も気を付けた方が良さそうだけどね。ただ、彼には黒いモヤモヤは無かったよ。元はあったのかもしれないけど、ここに通う内に綺麗に浄化されたのかもしれないね。心の色も、くすんではいなかったし、僕らの受けた印象とは違って、彼は悪人では無いようだ。でも、まだ君に関わろうとするなら、僕らはいつでも戦うけどね」
戦闘力ゼロの私達では、力でエヴァンに勝てるわけが無いけれど、不思議と頼もしいと感じるのは、彼らが本気で守ろうと思ってくれているのを、目の前で見たせいかしら。
エヴァンに黒いモヤが無いのは、何と無く感じていたわ。もしもパーティーの前までの彼をタキに見てもらう事が出来るとしたら、きっと真っ黒だったでしょうね。
うちのおにぎりって、体力回復効果の他に、邪心を祓う効果まで付いているのかしら?
それは流石に検証が難しいわね。
「ふふっ、あの大男相手に戦ってくれるだなんて、頼もしいわね。さて、チヨとシンが待っているわ。長く話し込んでしまったから、急いで部屋に戻りましょう。チヨにはちょっと、お説教が必要だわ」