33・顎クイは止めてください
「チヨ……あのね、あなたに話しておく事があるの」
「あ! ラナさん、早く作ってしまわないと、お客様の来る時間が来ちゃいます。大変大変、急ぎましょう」
「あ……ええ、そうね。具はそこに用意してあるわ」
私達は話を中断して、おにぎり作りに取り掛かった。今日は定番の他に、数量限定で、なんちゃって天むすを追加した。
昨晩のメニューで天ぷらを作った時に出来た天かすと、シンと買出しをした時に見つけた乾物屋の小エビ、それに細かく刻んだ紅しょうがを少量と、ご飯がベチャベチャにならない程度の甘辛い天つゆを混ぜただけのものだけど、それが何となく天むすっぽい味がして、少し工夫すれば商品に出来るのではと考えた。
昨夜まかない用に作った物だったけれど、皆からは美味しいと好評だったので、残った天かすを使い、試しに出して見る事にしたのだ。もしも人気が出たとしても、前日に天ぷらがメニューに入っていなければ作る事の出来ない幻のおにぎりである。
「大丈夫かしら、これ。勢いで作ってしまったけど、売る事に少し罪悪感を感じるわ。まかないなら許されるけれど、どうせなら本物の天ぷらで作った方が良いのではない?」
「これで良いんです。小エビ以外はただですよ? 前日のあまり物で作れるなんて最高じゃないですか。第一朝から天ぷらなんて揚げたくないですし、お昼までに痛んでしまいますよ」
「それはそうなんだけど……。じゃあ、ちょっと安くしましょうか?」
「……しません」
チヨはそれから黙々とおにぎりを作り続け、おひつに入っていた大量のご飯は、あっという間に全て無くなった。
「ふう、完成しましたね」
「私達、まるでおにぎりマシーンね……すっかり手が動きを記憶してしまって、日に日に作るペースが早くなってる……」
「マシーンてなんです?」
「……なんでも無いわ。ほら、お客様を迎える準備を済ませてしまいましょう」
チヨは作業台におにぎりを並べ、早速外で待つ客達を中に迎え入れた。
注文を受けてから作るというやり方を止めたお陰で、私も注文を聞く係としてカウンターに立つ事になってしまったのだけど、アイドルの握手会ですかと聞きたくなる現象が起きてしまった。
商品を買った若い男性客が、もう一度列に並び直してもう一つ買って帰るのだ。
これでは、いつも通りの時間に買いに来る他のお客様の分が無くなってしまう。私はチヨにこの場を離れると耳打ちして、厨房へ引っ込む事にした。
「ごめんね、チヨ。私、洗い物をしてくるわ。あと、お願いね」
「え、折角上手くいってるのに……! あ、いらっしゃいませ、何にしますか?」
いつも通りチヨ一人に任せる事で、おかしな現象はストップしたけど、ケビンが来る時間まで商品が残っているか、微妙なところだ。なんちゃって天むすは早々に完売し、最近人気の梅も売り切れてしまった。
そして並んでいた客が捌ききれた頃、エヴァンがやって来た。
「あ! おはようございます、エヴァン様! 今日は何にしますか? おすすめは、新メニューの天むすですよ! 甘辛いタレの染みたご飯に、天ぷらの衣と干したエビを混ぜたものです」
完売したはずの天むすをすすめる声を聞き、私は思わず作業台を見た。そこには、いつもエヴァンが買っていく和風ツナと、今日は完売したはずの梅と天むすが3個ずつ、壁側に隠して置いてあった。
チヨ……特別扱いは止めてと本人に言われたのを忘れたのかしら?
私の予想通り、エヴァンはメニュー表に記された完売の文字を見て、それを指摘した。
「今聞いたのはコレではないのか? 完売になっているが。もしも俺の為に取り置きしたというのなら、今後は止めてくれ。特別扱いを受けたい訳ではない。今日はコレとコレを3つずつ買っていく事にしよう」
「でも……はい、わかりました」
チヨは渋々言われたものを包み、エヴァンに渡した。エヴァンは少し呆れた様な顔をして会計を済ませ、いつも通り私の居る食堂側に移動して来た。
来なくて良いから、早く帰ってよ。
私はエヴァンに気が付いていない振りをして、鍋をゴシゴシ洗い続けた。
「おはよう、ラナさん。最近フロントに花が飾ってあるのを見て、家から持って来たんだが、これも一緒に飾ってくれないか?」
エヴァンはどこから出したのか、小さな白いバラを中心にした、白い花で作った小ぶりのブーケを差し出してきた。声をかけられては無視する事は出来ない。私は振り返って、彼の方を見た。
そのバラには覚えがある。おば様自慢のバラ園に咲いていたものだわ。子供の頃は、よくそれで花冠を作ってくれたわよね。あなたはあの頃と同じ事を、今度は宿屋のラナに対してしようと言うの?
「おはようございます。とても綺麗ですね。でも、この宿には不釣合いですから、別のどなたかに差し上げてはいかがですか?」
「ハハ、つれないな……。バラはお気に召さなかったようだな。フロントに飾ってあるような花が好みなのか?」
エヴァンはカウンターにブーケを置いて、溜息をついた。
「ええ、でも、フィンドレイ様に花を贈られる立場ではありませんから、今後は御止め下さい」
「立場は関係ないだろう。まだ知り合って間もないが、俺が嫌いか?」
そんな寂しそうな顔をしても無駄よ。あなたとはもう関わりたくないの。ここでは平民として生活している手前、下手な事が言えないだけで、本当はもう来ないでと言いたい所よ。
私がちょっと視線を逸らし、チヨの居る方を見ていると、エヴァンは食堂と厨房を繋ぐスイングドアを通り、ツカツカと中に入って来た。
そして私の前に立ちはだかり、彼を拒絶するように突き出した私の手を掴んで引き寄せ、顎をクイッと持ち上げた。
「な……何をするんです! 離して! ここは関係者以外立ち入り禁止よ!」
暴れる私にお構い無しで、エヴァンはじっくり私の顔を観察して、ぼそりと呟いた。
「似てる。化粧に誤魔化されて気付かなかったが、こうして間近に見るとエレインにそっくりだ」
「おい! その手を離せ!」
裏から出勤してきたシンとタキが、二人の間に割って入り、エヴァンからサッと私を引き離してくれた。
「シン! タキ! 手を出しちゃ駄目!」




