29・他人の空似
「女将はどこに行くんだ?」
「市場です。欲しいスパイスがあるので、それを探しに」
「そうか……俺もその方向に向うから、途中まで送って行こう。朝とはいえ、女性の一人歩きは危険だ」
「恐れ入ります。では途中までご一緒に」
階段を降りている途中で、女将とチヨという少女の会話が聞こえていた俺は、気まぐれに宿の女将を市場まで送って行く事にした。
なるべく関わりを持たずにいるつもりだったのに、何故かそんな気になってしまったのだ。
この女将の名がラナと同じだと知ったせいか?
彼女の声が、あのパーティーの日に聞いたラナの声に似ているからか?
自分の顔を隠しているこのフードが邪魔で、彼女の顔を見た事は無かったが、少し興味が湧いていた。
おそらく名前は、水と豊穣の女神ライナテミスから取ったライナを元にしたものだろう。ライナやラナと言うのは移民の子供に多くみられる名だ。決して珍しい名ではない。
やはり、この声に引き寄せられてしまったのかもな。
「女将はどこで料理の修業を? やはり、和の国で勉強をしてきたのか?」
「いいえ、ほとんど独学です。うちは両親が共働きだったので、私が子供の頃から母に代わって食事の仕度をしていましたから、自然と覚えてしまったんです。それに父が料理人だったので、基礎は父に仕込まれました」
ああ、それもそうか。平民の暮らしは、王族や貴族のように使用人達に全てを任せられる訳ではないものな。料理をするのは母親の仕事で、その母親が外に仕事に出ていれば、子供が手伝うのは当たり前。
俺が見てきた家はどこも、確かにそんな感じだった。
家族に美味しい物を食べさせたいという気持ちが、今の料理上手な彼女を作り出したのだな。それにしても、両親を語る言葉が過去形だったように思うが、もしかしてどちらも亡くなっているのか? あの宿の前のオーナーは老夫婦だとリアムに聞いているが、血縁関係ではなさそうだと言っていた。
もしも親の遺産で古ぼけた宿を買い取って、自分の腕一つでここまで来たのだとしたら、彼女は本当に大したものだ。
王宮の料理より美味いから、当然の様にきちんと料理の修業を積んだ女性なのかと思っていた。
「独学であれほどの料理を作れるものなのか……」
彼女に感心し、独り言を呟いた次の瞬間、正面から突風に吹かれ、まともに風を受けてしまった。被っていたフードが風に飛ばされた俺は、慌ててそれを被り直した。
すぐに隣を歩いていた彼女を見てみれば、両手で頭を抱えるように髪を押さえながら、風から顔を背けるように下を向いていた。どうやら、フードが取れたところは見られてはいないようだ。見たところで、俺がこの国の第一王子だなんて、気付く訳ではないのだが。この辺りに居るほとんどの者は、俺の顔など知らないだろう。
それにしても、調理場で仕事をする彼女を見た事はあるが、深く被ったフードのせいで視界が狭まり、ほとんど胸から下くらいしか見た事が無かったな。まさかこんなに見事なプラチナブロンドだったとは。
「すごい風でしたね。髪が乱れてしまいました」
「あ、ああ。女将の髪は、色を抜いてあるのか? 最近流行っているのか、町で良く見かけるが、ブロンドに染めている女性が増えたな。だがその髪は天然か。私の知る女性にも、同じ髪色の人がいる……のだが……」
好奇心から、フードを下げた手を少しだけ持ち上げて、彼女の顔を見てみた。
化粧で印象は全然違うが、俺の予想した成長後のラナの姿はまさしくこれだ。女性の場合、化粧を取ったらまったくの別人という事もありえるが……これは他人の空似か? 今聞いた彼女の身の上話は嘘ではないだろう。まったく偽りの色は見えなかった。では、ここに居るのは良く似た別人? それとも、本当に本人で、身元を隠して市井で生活を? だとしたら何故?
「まあ、そうなんですか。あ、私の行きたかった市場はそこです。フレッド様、遠回りして下さって、ありがとうございました。お気遣い感謝いたします。ここで良いスパイスが見付かったら、今夜のメニューにそれを使った料理をお出しします。では、失礼致しますね」
今すぐにでも本人なのか確認したいが、もし自分を知る誰かに見付かった事で、どこかに身を隠すような事になっては困る。しばらくは様子を見る事にしよう。
しかし、分からない。
あれがエレイン・ラナ・ノリス公爵令嬢だとしたら、あのように料理など出来るわけが無いのだ。やはり、他人の空似なのか? 世の中には、自分に良く似た人間が何人か存在するという。
俺にとってのリアムのように。まあ、あいつは母方の従兄弟だから、ベースが似ていても不思議じゃないが。おまけに変装をして初めて見分けが付かなくなるだけだしな。
ああ、これはどうするべきなんだ? 修道院を回っているリアムから、ラナを見つけたと連絡が来るかもしれないというのに。あいつがどんな結果を持ち帰るのか分からないが、俺は宿屋のラナと少し交流をしてみる事にした。会話や仕草から、本人であると確認できるかもしれない。




