26・リアムと連れの男
謎の男の話です。
「リアム、ラナが入れられた修道院はわかったか?」
「いいえ、各修道院に問い合わせましたが、貴族が入るようなところは、相手が誰であろうと教えられないという回答しか得られませんでした。やはり現地に直接向い、外から確認する他ないでしょう」
「そうか、俺も問い合わせたが、ノリス公爵家は頑なに居場所を教えてくれなかった。彼女は婚約者をあの女に取られて、家も出されて、さぞ悔しい思いをしただろう。きっと今頃は、一人で心細い思いをしている。くそ、俺がすぐに迎えに行く事が出来ていれば……」
「仕方がありません。あの婚約破棄事件のあと、あなたは未知なる毒の後遺症に、何日も苦しんでおられたのですから。こうしてエレイン様を探していますが、見つける事ができたら、どうなさるおつもりですか?」
「もういい加減この国を捨てて別の国に移り住み、彼女と共に生きる。そうなったら、影武者はもう必要なくなる。お前は俺から解放する。好きにしていい」
「では好きにさせて頂きましょう。殿下のお側に侍る事も、自由のうちの一つですよね?」
「まったく、物好きな男だ」
「では私は、修道院を回ってエレイン様を探して参ります。それらしき人物が見付かりましたら、連絡致しますので」
「影武者のする仕事では無いがな。頼む」
エレイン・ラナ・ノリスが居なくなって、一ヶ月以上が経過してしまった。あのパーティーの二週間後、彼女は修道院に向けて出発したらしいが、その馬車がどこに向ったのか、未だに消息が掴めないでいた。
彼女が出発したのと同じ頃に、貴族女性の乗った馬車が北の修道院に向う山中で山賊に襲われたらしいという情報を掴んだ俺達は、それから既に数日経過しており、今更もう遅いとは思いつつも現場へ行ってみた。
山賊に襲われたという情報は事実で、馬車は谷底の川に落とされ、大破していた。
どうにかして下に降りて川に入り、大破した馬車に手掛かりが残ってないか慎重に確認したが、周囲には遺体なども無く、荷物もかろうじて女性の衣類の一部が残っていただけだった。乗っていた女性は馬車を落とされる前に連れ去られてしまった可能性もある。
もし馬車と一緒に落とされたなら、川の水は冷たく、体がこわばって身動きができなくなるだろう。
これがラナの乗った馬車ならば、生きている可能性は極めて低い。残された衣類は裂けてボロボロになっており、誰のものか特定するのは難しく、川での捜索はそこで中止した。
俺はこの馬車に乗っていたのはラナではないと信じて、希望を捨てず、更に行方を捜し続ける事にしたのだ。
そしてあの後、服が濡れてしまった俺達は、寒さに震えながらリアムの定宿に立ち寄る事にした。
ラナは俺の初恋の相手だ。そして、子供ながらに結婚を誓った相手でもある。しかしある時から急に、俺は何者かに命を狙われるようになり、まだ子供で、彼女を守る力を持たない俺は、ラナを巻き込みたくなくて、自分から遠ざかる事に決めた。
ラナからは俺の記憶を消してもらい、一切の関わりを捨てて、彼女がどうしているかなどをたまに耳にしながらあの婚約破棄事件の日を迎えた。俺とは縁が無かったが、王太子妃となって、周囲に守られながら華々しい生活を送るものだと安心していた。
まさか肝心のフレドリックがあれほど愚かな男に成長したとは。いや、元は違ったはずだ。変わったのはサンドラが現れてからだと言っていたか。それまでは、二人が並んで立つ姿を何度か遠目に見た事はあったが、それなりに上手く行っている様に見えた。
だから余計な感情を持たないよう、なるべく目を背け、耳を塞いでいたのだ。
あのパーティーの日、何年か振りに彼女の顔を近くで見る事になったが、残念ながら乱れた髪でよく見えなかった上に、その姿をマジマジと見るのは可哀想で、極力視線を上に向けないよう気を付けていた。それでも最後に見た、前髪の隙間からのぞくあの綺麗な藍色の瞳は、当時のラナを思い出させた。
子供の頃、俺の母の開いた茶会には、ノリス公爵夫人が必ず参加していた。
そして毎回母親に連れられて来ていたラナは、茶会で用意された甘いお菓子よりも、広い庭園内を散策する事を何よりの楽しみにしていた。
庭の奥にある、俺の為に庭師が苦心して作った、大人の腰ほどしかない低い生垣の迷路が、彼女のお気に入りの遊び場だった。大人の腰ほどの高さと言っても、5歳の子供には視界を遮るのに十分な高さがあり、周りの大人達の目線からはひょこひょこと移動する頭が見えていて、まず迷子になる心配は無い。
俺と初めて会ったあの日、彼女は俺もまだ遊んでいない完成したばかりの迷路に入り、勝手に遊んでいた。それは迷路が完成した事を、庭師が俺に知らせに来ている間の事だった。
「あまり簡単なものだとすぐに飽きてしまうぞ?」
「ふふん、簡単かどうかは試してから言って下さい。迷子になって、泣いても知りませんよ?」
「フンッ、もう泣いたりしないぞ。赤ん坊じゃないんだからな」
庭師と従者を連れて、わくわくしながら迷路のある庭の奥に行くと、見覚えの無い侍女が迷路の向こう側に立っていた。母の客がこんな奥まで来た事がなく、しかも綺麗な花が咲いている訳でもないのに、ジーっと生垣の中央辺りを拳を握りしめながら見つめていた。
「あれは誰の侍女だ? 母上の茶会に来た誰かの侍女だろうが、こんな所で何をしているんだ?」
「さあ、私も存じ上げません。庭園内には仕切りがあるわけではございませんから、どなたかが散策しているうちに、間違って此方まで来てしまったのかもしれませんね」
辺りを見ても、それらしき夫人は見当たらなかった。
侍女の視線の先を辿って見れば、キラキラ光る何かが迷路の中に居る事に気が付いた。俺は走って迷路まで行き、中に居る誰かに向ってこう叫んだ。
「おい! お前ここで何をしている! ここは俺の迷路だぞ! 俺より先に入って楽しむとは、許せん! さっさと出て来い!」
突然俺が現れた事で、侍女は驚き、中に居る子供に声を掛けたが、中から聞こえて来たのは、女の子の泣きそうな声だった。
「誰? 私も出たいのだけど、方向が分からなくなってしまったの」
「お嬢様、そこをまっすぐ進んで、二つ目の角を右です! ああ、反対です。そちらでは無く……」
侍女は庭師が全貌を見るために設置した台の上から見て、進む道を教えていたようだが、恐らく、侍女から見た右と、中の女の子の右が正反対だからいつまで経っても出られないのだろう。先ほどから反対、反対と言って方向が違うと知らせているが、そのせいで女の子はパニックになり、足がすくんでしまっているのだ。
「おい、俺を抱き上げて迷路の全貌を見せろ」
「しかし、それでは……」
「いいから、俺が迎えに行ってくる」
迷路を楽しみにはしていたが、泣いているかもしれない女の子を、放ってなどいられない。俺は迷わず庭師に肩車をさせて、迷路の全貌を見た。そんなに大きくは無いが、思ったより複雑に作られていた。
「ああ、よく作ったな。これでは何も知らずに入れば迷ってしまう」
「こんな事になるとは思わず、立ち入り禁止のロープでもかけておくべきでした」
「よし、経路は分かった。降ろせ、行ってくる」
上から見た時は、それほど迷うようなものとも思わなかったが、実際中に入ってみれば、自分の背丈と変わらない壁に囲まれて、なかなか圧迫感を感じるつくりだと分かった。




