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25・新メニューは海苔巻き

 また来た。


 今度はきちんと朝の営業の時間帯だけど……。学園に通う時の正装で現れるのは勘弁して欲しいわ。貴族御用達の食堂として箔は付くかもしれないけれど、同時に来たお客様が気後れしてるじゃない。

 

「いらっしゃいませ! この間はすみませんでした。また来て頂けて嬉しいです。今日は何にしますか? メニューはこちらです。おすすめは、新商品の肉味噌です。これはおにぎりじゃなくて、海苔巻きなんですよ」


 本日のメニューは、定番の梅、焼鮭、おかか、ツナマヨ。あとは、新メニューの肉味噌。この前はエヴァンの為(とは知らず)に焼肉を入れてあげたけれど、もしも温かいうちに食べなかったとしたら、あの肉の脂は冷えると白く固まるから、さぞや不味いおにぎりだった事でしょう。私ったらその事を伝えるのをうっかり忘れていたわ。

 その失敗を踏まえて、脂身をカットして、赤身肉だけをミンチにしたピリ辛肉味噌の海苔巻きを試作してシンに食べてもらったら、大好評だった。

 ごま油とにんにくとネギで香り付けした肉味噌は、肉体労働をする人達にはぴったりだと思う。彩りと食感を考えて、ごま油で炒めた千切りの人参と、細く切ったキュウリも入れた。

 体力回復効果とは別に、スタミナも付けてほしいものね。

 売る時は一本そのままではなく、半分に切る事にした。それをキャンディのように包装紙で包めば、手も汚れないし、おにぎりよりも食べやすいんじゃないかしら。

 

 本当は、たらこや筋子や明太子が恋しい。イクラ丼も食べたい。でもきちんとした冷蔵庫が無いと、保存が難しいかな、と思って躊躇してしまう。

 んー、常温保存は駄目よね。イクラのしょうゆ漬けなら半日ほどで簡単に作る事は出来るけど、衛生管理も確実ではないこの世界で、もしも食中毒なんか起こしたら大変だし。安全とは言えないのよね。

 それでもこの国では魚卵を食べる習慣が無いから、捨てられて勿体無いなとはいつも思っているのだけど。

 ここの地下の食在庫は涼しくても、残念ながら前世の冷蔵庫ほどでは無い。大きなレストランやホテルには、立派な冷蔵庫があって、庫内を氷で冷やすというシンプルな方法だけど、有ると無いとでは大違い。

 冷蔵庫って、当たり前に使っていたけど、無いとこんなに不便なのね。思い切って奮発して、冷蔵庫、買っちゃおうかしら。でも、魔法を使えないと意味が無いか……ヒューバート様に頼んで氷を作ってもらうとか? ふふ、そんなの現実的じゃないわね。

 

「あのー、ラナさん」

「ん? なあに?」


 チヨが申し訳無さそうにボリュームを抑えて声を掛けて来た。

 厨房と正面のカウンターの間には、作業台を設置していて、その上に作り付けた間仕切り代わりの吊り棚との間に、高さ50センチほどの空間を設けているため、普段そこからチヨにおにぎりを渡しているのだけど、チヨはそこから顔を出してこちらを覗き込んでいた。

 吊り棚に飾るように並べたグラスの隙間から向こうを見れば、エヴァンがまだそこに居るのが見えた。


「この前のおにぎりのお礼を言いたいから、作ってくれた料理人を呼んでほしいって……騎士様が」

「ハァ……お礼なんか必要無いわ。料理人が料理するのは当然だもの。そう言って……」


 私がチヨにそう言いかけると、カツンカツンと靴音が近付いて来て、チヨの立つ正面のカウンターから、L字に繋がる食堂のカウンター側に向かってエヴァンが移動して来た。別に立ち入り禁止という訳でも無いし、こちらに回って来ても良いのだけど、あなたの顔は見たくなかったわ。


「あなたが、ここの料理人……ですか?」

「ええ、見ての通りです」


 エヴァンは私を見た後、厨房内をざっと見回し、少し驚いた顔をした。まだシン達が出勤していない今は、厨房には私しか居ない。


 女性が料理人だとは思わなかったようね。普通、料理人と言えば男性の仕事ですもの。貴族の常識だと、尚更でしょうね。それにどうやらこの人は、私がエレインだとわからないみたい。声のトーンは落としてみたけど、あっさり騙されてくれるのね。

 あら? そう言えば、おじい様に殴られた傷は、すっかり治ったみたいで、チヨも元の顔が見られて嬉しそう。

 ちょっと、ジッと人の顔を見るのは無作法ではない? それに、何? あなたって言った? いつものエヴァンなら、さっきの台詞はお前がここの料理人か? って言うところでしょう?


「あ……失礼、はじめまして、私はエヴァン・フィンドレイと申します。この間は、準備中にも関わらず、突然来た私のせいで手間を取らせてしまい、申し訳ない事をした。あなたの作ったおにぎりに、感動しました。とても美味しかった。それに、不思議と力が湧いてきて、何とも言えない幸福感を感じました」


 ちょっと、どうしちゃったのかしら? 自分の事を私って言った? それじゃまるで貴婦人に対する口の利き方じゃない。それに何かしら、サンドラと一緒に行動していた時の雰囲気と全然違うわ。毒気が抜けたとでも言うのかしら? タキじゃあるまいし、私には人の心の色は見えないけれど、エヴァンにかかっていたモヤが晴れてスッキリしたように見えるわ。まるで急に、私の良く知る彼に戻ったみたいに。

 私の居ない間に、何があったのかしら? おじい様に殴られて、憑き物が落ちた?


「私はこの宿屋の女将、ラナと申します。私共の商品をお気に召して頂けたようで、大変光栄でございます。謝罪など必要ありませんわ。フィンドレイ様はうちのチヨを助けて下さった恩人ですもの。こちらこそ、チヨを助けて頂きまして、心から感謝致します」

「ああ、小さな女の子がひったくりに遭うところを偶然見ていたのだ。それこそ礼など必要ありません。しかし、こんな小さな子を一人で使いに出すのは、あまり感心しないな」


 エヴァンの言葉にチヨは反応し、カウンターを飛び出して、私とエヴァンの間に立った。


「あの、騎士様、私13歳です。体は小さいですけど、小さな子供ではありません」

「あ……そうなのか? 俺はてっきり……それは済まなかったな。すでに働きに出る年齢だったとは思わなかった。では、先ほどの言葉は取り消そう。使いに出るのは当然なのだな」


 チヨは満足気に頷いて、私に笑顔を向けてきた。誤解が解けて嬉しいらしい。

 エヴァンはチヨから私に視線を戻すと、ポソリと独り言の様に呟いた。

 

「ラナか……私の幼馴染も、その名を持っていた。結局呼ぶ事は許してくれなかったが……」

「え? 名前を呼ぶことを許さなかったら、何て呼んでいたんです?」

「皆と同じ様に、世間で知られている名を呼んでいた。ラナというのは、彼女の家では特別な名でな、家族や親族などの親しい者しか呼べない事になっているのだ。子供の頃にラナと呼んでも良いかと訊ねたら、家族の他にそう呼んで良い人はもう居るから、あなたは駄目と言われてしまった。きっとその頃は、好きな男の子が居たのだな」

 

 え? そんな事言った覚えはないわ。あなた以外に、小さな頃の私が親しくしていた男の子は居ないわよ? いつそんな事言ったのかしら……。確かに変だと思っていたの。エヴァンとは子供の頃に結婚まで考えた仲なはずなのに、何故かラナと呼ばせていなかった。

 それで無くとも仲が良かったのだから、普通に親友として許していてもおかしくないのに、私はなんとなく、子供ながらに異性を意識して、恥ずかしさからラナと呼んでと言えなかったのだと思っていた。

 実際に、ある年齢からは恥ずかしくて自分からは言い出せなかったし。だって、異性に対してそれを言うということは、逆プロポーズしたのと同じ意味を持つのだから。

 

「ラナさん」


 エヴァンは微笑みながら、改まって私を呼んだ。そんな顔をして、一体何を考えているの? 私をただの平民だと思っているなら、「さん」なんて付けちゃおかしいでしょうに。


「また買いに来ます。私の学友が食欲を無くして、弱ってしまったのです。あなたの作ったおにぎりを食べ続ければ、きっと彼も元に戻るだろう。では、これで失礼します」

「あ……ありがとうございました。その方が元気になる事をお祈りします」


 エヴァンは私に軽く頭を下げ、外に向って歩き出した。そしてチヨはエヴァンを送り出す為に、彼の後ろを付いて行った。


 食欲を無くした学友って、もしかしてアーロン様? なんだか少し心配だわ。あの方には、落ち込んだ時に慰めて頂いた事がある。あれ以降はよそよそしくされていたけど、私に悪意を持っては居なかったわ。

 だからと言って、私に何か出来るわけでも無いし、お節介は止めましょう。

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