24・側近アーロンのつぶやき
はっきり言うと、私はフレドリック殿下の側近になどなりたくなかった。
私のどこが気に入ったのか、正式に側近として召抱えられる事になってしまった。フレドリック殿下は悪い人間ではないと思うが、とにかく人の忠告を聞かないという欠点がある。
今はサンドラに夢中で更に面倒が増えた。エレイン様が傍らに居た頃は、もっとマシだったはずなのに。
あのパーティーでは、飲み物を取りに行っている間に騒ぎが起きていて、軽い気持ちで人垣を掻き分けて騒ぎの中心まで行ってみれば、まだ一口も飲んでいないワインを突然殿下にもぎ取られてしまった。それがどこへ行くのか目で追ってみれば、床に座り込むエレイン様が目に入った。
私にはグラスを女性に投げつけるなど、考えられない行為で、あれを見た時、正直殿下は気が触れてしまったのかと思った。
あの場で何が起きているのか、現状が理解出来なかった私は、呆然と立ちすくみ、目の前で繰り広げられるエレイン様へのいじめのような現場を、しばらく混乱して見ている事しか出来なかった。ヒューバートの様に颯爽と救いの手を差し伸べる行動力と勇気があれば、と未だに後悔している。
あの時殿下は、我々に一言の相談も無くいきなりエレイン様に婚約破棄を言い渡し、サンドラの受けた嫌がらせを並べ立て、断罪していた。驚いたと同時に、呆れてしまった。サンドラが二度目の襲撃を受けて、腹が立っていたのは知っているが、まさかあのタイミングで突然不満を爆発させるとは思わなかった。相手にダメージを与えるには効果的かもしれないが、あれは人としてあるまじき行為だ。
後で聞けば、暴力はあれだけでなく、最初にいきなり突き飛ばしたのだとか。あの小柄な女性を、男の力で突き飛ばすなど、あってはならない事だろう。他の二人はあの場に居て、何故殿下をお止めしなかったのだ。
エヴァンに至っては、殿下と一緒になって、あの馬鹿力で彼女の頭を押さえ付けていた。呆れて物が言えない。周りの声に惑わされ、よく知る幼馴染は嫉妬に駆られた哀れな女に成り下がったと、本気で思っていたのか? あの場では話を合わせていただけかと思ったが。少し買いかぶり過ぎた様だ。
大体にして、側近候補が三人では、あの殿下を支えるには数が少な過ぎた。
三人居た側近候補の一人、ヒューバートはどっちつかずな男だと思っていれば、初めからこちら側の人間ではなかった。クビを恐れず殿下に苦言を呈する事のできる頼もしいやつだと思っていたのに、むしろクビにして欲しかったと言うわけだ。あのパーティーをきっかけに、元の場所に戻れて良かったな。
私も我慢せず思ったままを口にしているが、クビになるどころか何故か殿下に慕われてしまっている。
もう一人の側近候補エヴァンは、まだ候補という段階で、正式に決まってはいない。
この男には、エレイン様の情夫であるかのような下品な噂が立った事もあったが、どう見てもそんな関係では無く、私には意図的に誰かが流した噂としか思えなかった。
最初にあんな噂を流したのは誰だ? 噂の出所がわからない。その手の噂が一度出てしまうと、面白がって広める下衆な男が多くて困る。エレイン様はそんな噂が流れている事を知らなかったんだろう、楽しげにいつも通りエヴァンに話しかけて、冷たく無視された時のあの表情には胸が痛んだ。
その数日後のパーティーの帰り、彼女を送り届ける順番が私に回ってきて、それとなく理由を教えて差し上げたが、あの方は私が慰めにそう言ったのだと解釈してしまった。さすがに何も知らない彼女に、エヴァンと深い仲だと噂が立っているとは言えなかった。
あの晩、帰りの馬車の中で月明かりに照らされたエレイン様は、寂しげに車窓から星空を眺めていて、その思わず抱きしめたくなるような憂いを帯びた横顔に、いけないと思いつつも、私の目は釘付けだった。
「エレイン様、エヴァンの態度が変わった事で、最近お悩みのようですね」
「あ……顔に出ていましたか? お恥ずかしいです。感情をおもてに出さないよう心掛けていたつもりなのですけれど、私もまだまだですね」
「いえ、ふとした時に垣間見えただけですよ。私が思うに、きっと彼は、あなたと親しくすることで、自分とのおかしな噂が出るのを恐れて距離を置く事にしたのですよ。幼馴染と言えど、今までが親し過ぎましたから。恐らく周りの目に敏感になり過ぎて、話す事すら出来なくなってしまったのでしょう」
「ふふ……アーロン様、ありがとうございます。慰めて下さるのですね。きっと、私が気付かずに、何か彼の気に障る事をしてしまったのだわ。何をして怒らせたのか、きちんと思い出せたら、謝って仲直りしますから、心配しないでください」
私の目を見てそう言った後、微笑みをたたえながらフッと睫毛を伏せる姿が、この世の者とは思えぬほど儚く可憐で、思わず手を伸ばしかけてしまった。
殿下は何故エレイン様の良さに気付かないのだろう。私なら、迷わずエレイン様を選ぶのに。この邪な気持ちを、誰にも悟られないようにするのは、思いのほか大変な事だったな。
サンドラのような分かりやすく派手な美人にしか目が行かないとは、勿体無い。あれは強欲な野心家だ。殿下ですら、自分がのし上がるためのステップくらいにしか考えていないだろう。自分が美しいと分かっていて、回りの男達に甘い微笑を振り撒く聖女。
彼女は確かに美しい。出来過ぎなほど完璧な容姿なのに、私にはそれが逆に、どこか歪みを感じて気持ちが悪い。
エレイン様こそ聖女の名に相応しい心をお持ちだ。サンドラの襲撃も、誰かに仕組まれ嵌められてしまっただけではないのかと、殿下に伝えたが無駄だった。本当に黒幕ならば、わざわざ名前を残すものか。
あれから密かに調べているが、逃げた男達を見たのはエヴァンとサンドラだけ。相手の特徴も、どんな人相なのかも分からず、サンドラに訊ねても思い出したくないの一点張り。しつこく聞き出そうとして、それを殿下に告げ口され、何故か私が叱られてしまった。犯人を捕まえたいとは思わないのか?
もう一人の被害者であるエヴァンも、はっきり特徴のある男達ではなかったと言っていた。これでは探しようが無い。
ああ、ちょうど今登校して来たようだ。酷い顔だな。この数日の間に何があった?
「エヴァン、何日も学校を休んで何をしていたんだ? 殿下が心配していたぞ。もしかしてその顔の傷、喧嘩でもしていたか?」
「ノリス公爵家に謝罪しに行って、爺さんに殴られた。あの人は孫娘に対して愛情が無いのかと思っていたが、麻痺した片足を感じさせない走りで近付いてきて、思い切り殴りかかってきたんだ。だから、爺さんの気の済むまで、無抵抗のまま殴られてきた」
「謝罪? 本人が不在なのに今更何の謝罪だ? エレイン様を信じなかった事か? 無抵抗な彼女に暴力を振るった事か?」
「全部だ。サンドラが来てから今まで俺がした事全部が間違いだった。エレインに一度でも確認していれば、関わりがあるか顔を見れば分かったかもしれない。あのインク、町で一軒だけ取り扱いがあった。この一年で誰が買ったのか調べさせたら、すぐにサンドラが注文していた事がわかった。アルフォードからの取り寄せだから、注文書にサインが残っていたよ。偽名だったがな」
この男、今頃になってエレイン様が犯人ではないと信じ始め、その裏を取る為に学校まで休み、店を回っていたというのか? そして馬鹿正直に爺様に殴られて来たと。
「偽名なのに、なぜサンドラだと断定できた?」
「店主が祭りの時に、壇上から手を振るサンドラを見て、聖女が自分の店に買い物に来ていたと気付いたらしい。注文書も、探すまでも無く別にして大事に保管してあった。元々その店でも取り扱っていなかったのだが、サンドラがインク瓶を持ってきて、他の店にも取り扱いが無く、それでもどうしても同じ物が欲しいと頼んだらしい」
「あれって、王族が使う特別なものだと言っていなかったか? どうやって手に入れたんだ」
私の疑問に、エヴァンは世にも情け無い顔をして答えた。
「すまない、俺の思い違いだった。正しくは、王族と高位の貴族が使っているものだった。サンドラが買ったのは、アルフォードの土産物屋で売っている偽物で、色だけは似ているが、本物かどうかがすぐに分かる、文字を書けば滲んでしまう様な粗悪品だ。本物なんて、買えたとしても一体いくらするのか見当もつかない高級品だろう。スカートにこぼすなら、偽物で十分だからな。その代わり、指示書に使ったのは本物だった。エレインが……サンドラにプレゼントしたんだそうだ」
「はあ?! なんだってそんな事が? 親しくしていた訳でもあるまいに」
コイツは何を言っているんだ? あの二人は殿下を取り合うライバル同士だぞ。
「サンドラが、最初にインクでスカートを汚した日を覚えているか?」
「ああ、エレイン様がサンドラを虐めていると、誰かが告げ口しに来たな。殿下はお気に入りの玩具に手を出されて、怒ってエレイン様の元に行った。エレイン様は既に帰った後だったが、まだ教室に残っていたサンドラが突然泣き出して、殿下に慰められていた」
それのどこにインクをプレゼントする流れが発生するんだ?
「あの時に聞いたサンドラの言い分と、実際のところはまったく違っていたって事だ。実際は、サンドラがエレインの忘れて行った高価そうなインク壷を盗もうとしたんだ」
「盗んだのではなく、盗もうとした?」
「エレインが忘れ物に気が付いて、教室に戻って来たそうだ。そこで驚いたサンドラが、手に取ったインク壷を落とし、それを隠そうとしてスカートが汚れたんだ。床にこぼれたインクは自らスカートで拭いていたと、この間転校して行った令嬢達が教えてくれた。エレインはサンドラを咎めず、そのインク壷が気に入ったならと、新品のインクを付けてサンドラにプレゼントしたらしい」
何だそれは。裏なんか取らなくても、エレイン様らしいエピソードじゃないか。
「おい、その話が事実なら、私のサンドラは大嘘つきの泥棒という事になるが?」
「殿下!! いつからそこに!」
いつもならまだ登校してこないはずのフレドリック殿下がドアの所に立っていた。その表情は、怒っているのにどこか冷静で暗く沈み、普段なら間違いなく激昂するところなのに、何故か静かに話しに入って来た。
「早く来ればサンドラに会えるかと思って来てみれば、前をエヴァンが歩いていたから、声をかけようとして、やめた。話は初めから聞いていたが、嘘だろう。サンドラは貧しい家の娘だが、盗みなど企むはずがない。あいつは聖女だぞ、見たという者達をここへ連れて来い。エレインを擁護する為の嘘に決まっている」
「殿下、信じられないのは分かります。しかし、それが真実なのです。見ていた者の中に、我々の元にサンドラの危機を知らせに来た男も入っています。問いただしてみたところ、令嬢達の言っていた内容と同じでした。その男が登校してきたら、聞いてみてください。サンドラを助けたくて殿下を利用したと認めるでしょう」
何てことだ。私も半信半疑だったが、エレイン様は本当に冤罪だったのか。それなのに、こいつらは大勢の前で暴力を振るい、彼女を責め立てたのか? エヴァン、よく平気な顔でいられるな。それだけ調べたなら、本人に謝れよ。馬鹿野郎、なんの非も無いエレイン様がひとり貧乏くじを引かされただけとか……切な過ぎるだろう。
サンドラ、お前が殿下を手に入れる為に、エレイン様を排除したのか。恐ろしい女だ。それが聖女のすることなのか?
我々にサンドラの危機を知らせに来た男は、私が問いただしてみたところ、エヴァンの言う通り殿下を利用したと渋々認めた。隠れてそれを聞いていた殿下は、その場でその男を退学処分にしてしまった。
殿下は昨日、やっとサンドラに会えたと思えば、一方的に別れを告げられていたのだそうだ。それが本気なのかを聞くために、今朝は早く登校したらしいが、サンドラはもう学園に来る事は無く、すでに退学の手続きは済んでいた。
別れの理由は教えてはくれなかったが、殿下が祭りの後に、王太子ではなくなった事が原因では無いかと思われる。
現在、王太子の座は宙に浮いた状態になっている。第一王子を王太子にしたい国王陛下と、どんなに駄目でも第二王子を王太子にしたい王弟殿下とで、また意見は真っ二つに別れ、それぞれの派閥が火花を散らしてる。さすがにもう、フレドリック殿下は無理でしょう。エレイン様との婚約を破棄した時点で、彼は終わったんですよ。
やはりフレドリック殿下の側近にはなりたくなかった。これで完全に出世の道は閉ざされてしまった。
仕方が無いから、これからも殿下に付き合いますよ。その代わり、その考え方を改めて頂かなければ。まずは自分の愚かさを自覚して頂きましょう。
エレイン様、申し訳ありませんでした。私の力が及ばず、あなたに大変なご迷惑と、心の傷を負わせてしまいました。どこかでまたお会いする事が叶えば、その時は謝罪させて頂けますか。
サンドラを処罰する事はもう無理でしょう。彼女は国が保護し、大切に扱われていますから。




